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秩父往還栃本関所

2009.05.05 05:44  投稿者:ootaminoru

秩父往還は江戸時代に整備されたものですが、その始まりは戦国時代武田信玄が秩父に進出し更に関東に進出するときにその街道の警護を固める為に既に関所を設けて中山氏を配していたといいます。
そもそもこの街道はヤマトタケルノ尊が関東や東北へ出兵のために通過したとされるルートであり、大変古い街道です。

秩父側の山中に栃本関所跡が残っています。

関所の前に説明版がありましたので簡単に要約してみます。
慶長19年(1614年)秩父は天領で関東郡代伊奈忠治が藩士??に任じて大村氏を関所役人とし世襲で幕末まで役職に着いた。
ここ一箇所の関所では不十分なので寛永20年(1643)、旧大滝村麻生に甲州側には三富川浦とに加番所を付設して警護を強めた。
予め川浦と麻生で夫々通行手形を見せてハンコを押して許可されたものが栃本関所にやって来るシステムにしてあったそうです。

川浦加番所は甲州側の諸事情に明るい役人だったと思う。恐らく世襲制で地元の人間を取り立てて採用したものと思う。

そもそも関所の役割は関東側(江戸)から出女、関東側(江戸)へ入り鉄砲を禁止するのが当初の目的だったそうです。
出女は江戸の藩邸にいる藩主の奥方が身を窶して国許へ帰るのを禁じたものだと聞いた事があります。
江戸や江戸に近い関東で戦乱や江戸幕府攻略を未然に防ぐ体制が敷かれていたものと思います。

秩父往還。この街道は古の様子を今に伝えています。特にヤマトタケルノ尊に関する伝承が多い。


秩父往還。今となっては置き忘れたような間道に集落と関所跡があります。


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