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山梨県は山国です。
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その魅力は知る人ぞ知る宝です。しかし県内者を含めて知られていません。これからも自然の発掘に勤めます。ブログ初めてです。どうぞ宜しくお願いします。

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羅漢寺山の八雲神社

2009.04.27 06:41  投稿者:ootaminoru

昇仙峡羅漢寺山の頂上にある八雲神社

「八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣作るその八重垣を」
八雲神社は出雲のスサノオノミコトを祭神としています。

この神社はスサノオノミコトが凶暴な天王(当時は天王、後世になって天皇)で出雲は成敗されて滅びてしまいます。敗者は勝者に対してうらみに思う(怨む、恨む、憾む)感情を持ちます。
怨む心は幽霊となって祟り(たたり)として出現します。
平城京から平安京を都を移しますがなかなか災いはなくならずに平安時代の869年(貞観11年)全国に疫病が流行します。
それはスサノオノミコトの霊魂が怨念として出現しているのだと陰陽道などから解析し八坂神社の祭神スサノオノミコト(牛頭天王)のたたりであり勅命によって全国の国の数に準じて鉾66本を立てて洛中の男児がお神輿を奉じて神泉苑に集まり御霊会を修して除疫を祈願した。即ちスサノオノミコトの霊を鎮めた。

八雲神社の祭神は牛頭天王でありスサノオノミコトなのです。
牛頭とは馬頭とセットで用いられる事が多いのですが仏教で地獄で亡者を苛め苦しめる鬼の役人のチーフです。
それ程強い個性の持ち主であり、その凶悪非極を打ちのめす鬼の様なキヤラクターを見方に付けようとする仏教と習合したスサノオノミコトなのです。
八雲神社は明治時代以降の名称です。明治時代に神仏分離令で牛頭天王の社号が禁止されました。

疫病や天変地変などの大きな災いを除役するために牛頭天王を神社(神様)に仕立て上げた訳です。
勝者は敗者を神様に仕立てて敗者の怨念を鎮めることを古来たくさん行なってきました。
菅原道真などもそうで学問の神様に仕立てられていますが大宰府に左遷させられ失意と恨みを懐柔するために勝者が天満宮としてお祭りしたものです。
そのことによって菅原道真の怨念が静まるように計らったのです。

明治時代より以前は八雲神社と言わないで祇園寺でした。
祇園は「祇園精舎の鐘の音、、、」と言う様に、起源はインドまで遡ります。
京都祇園祭は敗者の怨念を鎮める八坂神社(祭神はスサノオノミコト)のお祭です。明治時代以前は前祭として7月17日、後祭として7月24日に行なっていたそうです。その間も継続してお祭が繰り広げられていたでしょうから長い期間のお祭であり京都市民の大切な歳時記だったでしょう。
現在では7月17日にのみ行なわれています。7月16日は前夜祭で宵闇と7月17日の本祭で山鉾巡幸が京都市内を廻ります。

スサノオノミコトは牛頭天王即ち仏教と習合していました。明治時代になり廃藩置県のあと仏教と神教を区分けする政策が採られて祇園寺の仏教と離別してスサノオノミコトのみの八雲神社に名前を変更しました。

八雲神社の総本社は京都の八坂神社です。
その八坂神社の末社がどうして山梨県に?
それは中世以降、山岳信仰が盛んになり山伏(修験者)によって全国に布教されました。金峰山信仰もそうでありその里宮の金桜神社もそうでした。
羅漢寺山の八雲神社の建立の起源を知りません。
極最近になって江戸時代末期の昇仙峡の観光が開発された時期以降、並びにロープウエイが掛けられた時期に建立されたので無ければ金桜神社及び金峰山信仰の隆盛とセットで移入されたのかもしれません。

そもそも金峰山信仰は蔵王権現を祭神としています。江戸時代までは金峰山ではなく金峯山と言っていました。蔵王権現は仏教と習合していまして釈迦、観音、阿弥陀の三尊の合体したものとされています。
奈良県の吉野の金峯寺本堂(蔵王堂)が本尊です。
権現とは権(仮)の姿で現われた神様や仏様の意味です。
その働きは極めて牛頭天王に性格が似ていて疫病や天変地変や大きな災いを防除する神様なのです。
金峯信仰は起源が古く天平時代(7世紀)に遡るそうです。その後、役の小角が修験者として全国を歩き廻り布教に努めます。
吉野、大峰山、金峯山は現在吉野熊野古道として世界遺産に指定されている地です。

羅漢寺の頂上の八雲神社へは昇仙峡側から1ルート、敷島(清川)側から2ルート徒歩で登れます。
中世の昔も敷島側から簡単に登って来れたと思います。

尚、甲府市元紺屋に八雲神社があります。
愛宕トンネルの西出口の南側に鎮座しています。
これは1592年頃豊臣秀吉の命を受けて浅野長政が甲府城を築城する時に
武田氏の館のすぐ下の屋形三丁目にあった祇園社を移築したものです。
甲府城の守り神として愛宕山のすぐ下の元紺屋に配置しなおしたものです。

武田氏の館及びその城下町は武田信虎及び晴信によって築城整備されますが、その城下町のモデルは平安京です。
ですから先代信綱居城の石和から甲府の相川扇状地へ引越してきた1509年頃に祇園社を武田氏の館の守護神として信虎が配置したものと思われます。

写真1は 羅漢寺山の頂上の八雲神社です。
     住所で言えば甲府市猪狩町です。

写真2は ミツバツツジと山桜です。この日は鶯の鳴き声は聞こえません
     でした。鶯は中国や韓国にもいるだろうな。しかし欧米や東南
     アジア、アフリカ、豪州、ラテンアメリカにはいるのだろうか。
     鶯や桜を楽しむ日本の文化を伝えたい。

写真3は羅漢寺山から見た白砂山です。


世界に未だ知られていない山梨の魅力を伝えたい。
外国人観光客の通訳ガイドをする県内の「通訳案内士」の方々が切磋琢磨して頂いて山梨の文化を伝えていただきたい。
私は更に日本人観光客に切磋琢磨してお伝えします。

このような昇仙峡~山岳仏教~京都祇園祭~吉野熊野の蔵王権現~金峯山信仰金桜神社~花崗岩~水晶鉱脈、宝石の町甲府~武田時代の金山、その後の貨幣制度に至る物語を是非伝えて下さい。
案内の時間とスケジュール計画に参画されて何処まで山梨の文化をお伝え出来るかです。観光資源はたくさんあります。


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