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山梨の山

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山梨県は山国です。
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その魅力は知る人ぞ知る宝です。しかし県内者を含めて知られていません。これからも自然の発掘に勤めます。ブログ初めてです。どうぞ宜しくお願いします。

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祭りの合い間(3)

2009.04.15 04:17  投稿者:0ootaminoru

4月11日(土)は甲府駅南口を出発点として甲州軍団出陣式及び本陣出陣そして舞鶴城公園での帰陣式がお祭りのメインの行事だと思う。
しかし、人だかりが物凄く気の弱い私には人を押しのけて前列に出て写真を取る事が出来ません。
気負い負けで諦めてしまいました。
殆どの観衆は私と同じだったでしょう。


一方、かすがもーるでの信玄グルメ横丁や各種ステージをその前にみて回りました。特に各軍団が公園などの一箇所に纏めて待機させられているのではなく、市中の商店街の空きスペースや官庁の庭などに分散して配置されていて行き交う人々と接近して会話を楽しんだり一緒に写真に納まったりは参加型のお祭りとして楽しく好ましいと思いました。
一局集中ではなく、祭りの合い間も祭りであり退屈しない様に出来ていました。

その他、信玄公祭りの本陣出陣の行進の先陣を切って子供武者パレードや武田時代行列(武田勝頼隊、大井夫人、三條夫人、湖衣姫行列)は新しい試みと思われます。
観光客がそうした御祭全体を通していろんな催しを楽しめるように工夫されていました。

私はここで特記して置きたいことは、出陣式及び出陣の行進開始が過去38回舞鶴城でズーツと行なわれてきた事を今回の39回目で覆した事です。

確かに甲府城は武田勝頼が田野で自害して武田家滅亡後甲斐の国を占領した相手方の織田信長、家康の後継者?である豊臣秀吉が配下の武将、浅井長政に築かせたもので武田側からは政敵となり甲州を占領した覇者な訳で歴史的事実からは武田家の出陣式をここで行なうのは辻褄が合わないと言えるかも知れません。しかし、私はそこはもう拘らないとして、、、信玄公祭りの主会場を甲府城から甲府駅南口に移した現代的な都市問題の苦悩のことです。
この39回目の出陣式及び行進には駅前の活性化にしゃにむに拘って何とかしなければ、、、との姿勢が見られます。
そこまで追い込まれて来ているのかと改めて感慨深いものがあります。

確かに郊外に次々と大型店舗が新規開店し商圏が旧都市部分から郊外に移動しています。
それに対して都市部分の根本的な商圏の改革はなすすべを知らない段階のように思えてなりません。

兎に角、都市部分と郊外の商圏の綱引きを当分見守る事になりそうです。
今日的な都市問題に対応する為に信玄公祭りも計画を見直されたことに時代の流れを感じます。


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