3月28日の甲府城(4)
2009.03.30 13:59 投稿者:ootaminoru

陽光桜と天守台
この濃い緋色の桜はどうも「陽光桜」らしい。
一昨年、県の観光振興課へ甲府城を案内する甲府城御案内仕隊から正式に舞鶴城公園内の主な樹木に名前を付けて欲しいと依頼しました。
特にこの桜の種類を特定して欲しいと依頼したのであるが、付けられた名前は「桜」でした。
世間の狭い私ですので間違っているのかもしれませんが山梨県ではここ以外に見たことない桜です。
日本海の富山県の小矢部に親戚がありますがその付近には結構植樹されている桜です。
もし写真の桜が「陽光」であるとするならば、陽光は染井吉野より1週間ほど早く咲いて大きさは染井吉野とほぼ同じ大きさで一重の花です。
とても緋色が強く派手な桜です。
陽光の特徴を全て満たしています。
ところが甲府城の天守台の傍にある陽光は少し八重がかっています。
陽光の一変種と言えるかどうかは解かりませんがバラエテー種なのだと思います。
このことの為に何方もこの桜が陽光であると言い切れない原因のようです。
今年は3月25日頃が満開でしたが、是非染井吉野桜が満開になる1週間前に甲府城へ脚を運んで頂いてこの桜をご覧になって下さい。
それだけでも価値のある桜だと思います。
ちなみに陽光桜は愛知県の高岡正明氏が天城吉野(母)と台湾原産の寒緋桜(父)の交配種です。1981年種苗法により登録された品種です。
尚、天守台の石垣は築城以来一度も崩れたり手を入れたりしたことのない石垣です。
この石垣の積み方は野面(のづら)積、若しくは安太(あのう)積と言います。安太の地名は琵琶湖の西岸に坂本という比叡山から琵琶湖側に降りてくる湖畔の港町(大商業地)がありますがその傍にある村落が安太村落で織田信長が安土桃山城の築城(石垣)に比叡山延暦寺の専属石工集団を連れてきて石積させたのが石積城壁の最初だそうです。
現在も石積職人の事を安太衆と言うそうです。
時代によって石垣の積み方が異なります。
時代が下がるに従って石割技術が進歩して面と面で接する石積即ち打ち込み接ぎや切り込み接ぎに変わって行きます。
この野面積は城壁として一番初期の積み方です。
1590年から築城されましたので凡そ420年を経ていることになります。
過去三度の大地震がありましたが一度も崩れていません。
宝永の富士山大爆発の時の大地震、幕末の安政の大地震、それから大正時代の関東大地震です。
その丈夫である理由はこの積み方が柔構造であることに依りますが、この甲府城は元々一条小山という岩山であって地下は安山岩の岩石です。
従って平野部分の河川流域の堆積砂洲ではないために液化現象が起きない地下構造になっている事が大きな原因と思われます。
尚、柔構造とは大きな岩の間に小さな岩で隙間を生めていますがこの小さな岩の集積が地震等の大揺れに対して振れを吸収してくれる構造になっています。
イメージとしては鉄道の枕木の下の砂利と同じ働きをする事になります。
ちなみに石垣の岩は全て自前の安山岩です。一部分の不足は隣の愛宕山から切り出してきているそうですが岩質はほぼ同じで見分けが素人の私達には付きません。


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