TOP > ブログ一覧 > 山梨の山 > 中道往還右左宿

山梨の山

登山と山と高山植物

プロフィール

山梨県は山国です。
たくさん山に登ってきました。
その魅力は知る人ぞ知る宝です。しかし県内者を含めて知られていません。これからも自然の発掘に勤めます。ブログ初めてです。どうぞ宜しくお願いします。

ブログ内検索

カレンダー

<< 201911  
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

バックナンバー

最近の記事

カテゴリー

最新のコメント

関連リンク

中道往還右左宿

2009.03.04 14:27  投稿者:ootaminoru

中道往還は甲斐の国から駿河の国に至る最短距離の街道でした。
ですから駿河湾で獲れたマグロなどの鮮魚はこの道を通って甲府の商人街の繁華街へ運ばれました。一昼夜で馬の背に積まれて寿司屋、鰻屋その他飲食店、旅籠屋に魚介類が卸されました。
甲府盆地と富士五湖地方を隔てる御坂山塊の盆地側のドン詰りの宿場町が右左宿です。
街並みを拝見しますと繁栄した様が偲ばれます。

上宿の浄土宗の和尚さんに伺いますと昔ながらの右左口峠を越えて古関に出てそこから更に精進峠を越えて精進湖に至る街道はもはや、通行できないらしい。右左峠までの間が失われているらしい。
よおし、今年の夏は失われた峠道を探検してみよう。

1582年武田勝頼が新府場から小山田を頼って敗走する時に二手に分かれて勝頼を追って甲府盆地に乱入した織田信長と徳川家康軍でしたが家康の侵入路がここ中道往還であり、いち早く、右左宿の人は家康に従順します。
ここに家康の仮の陣屋が置かれたらしい。

この右左口宿は山崎ホウダイの生誕そして居住した地であり、現在は更地になっていまして住居はありませんが跡地に吾妻屋を建てて公園にする為の建設中でした。歌碑が立っています。


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

コメント

コメントを投稿する

ボタンをクリックしてもコメントフォームが開かない方は、
お使いのブラウザのポップアップブロック機能を解除してください。

▲Page Top