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精進湖宿場町

2009.02.15 06:30  投稿者:ootaminoru

精進湖宿場町

甲州街道。この名称は駿河側から甲州への街道を示す名称で正に甲州街道なのです。
甲州側からは一般に中道往還と言っています。

駿河側からその街道の宿場町を列挙しますと
吉原ー大宮ー北井出ー人穴ー根原ー本栖ー精進ー右左口ー甲府です。

この街道は古代からあったと思われ、河口湖畔の大石から大石峠を越えて甲府に至る若彦路と共に大和朝廷の侵入路であり中道から曽根にかけての曽根丘陵の古墳群が当時の甲府盆地の中心だったと考えられています。

時代は下り戦国時に天正10年(1582年)武田勝頼は織田信長と徳川家康軍に攻められ笹子峠から大月の小山田氏に助けを請い敗走します。しかし途中の天目山で小山田氏の裏切りにあい進退極まり自害して果てます。
その甲州を平定し凱旋して帰る道として織田信長や徳川家康はこの中道往還から駿河に出いています。
即ち右左口から女坂峠を越えて精進湖宿場町に至り本栖から駿河に出たと考えられます。途中御殿場方面で癒やしたとも聞きます。

近世に至りますと駿河から海産物の搬入の最短距離であり甲府の商人町へ魚介類が運ばれた街道です。甲州側からは甲斐絹や竹細工などが搬出されたようです。
しかし江戸時代に富士川舟運が盛んになりますと大量輸送と重量物輸送に利く富士川舟運輸送が主力となってゆきます。

明治36年に新宿から中央線が開通し、更に昭和3年身延線が開通して完全にこの峠を越えての交通は途絶えました。
更に富士五湖地方と甲府盆地の交通は御坂峠トンネルや精進湖トンネル(昭和43年)でその存在さえ忘れ去られるに至りました。

右左口宿は現在も宿場町の景観を残し土壁の土蔵や塀などの街道筋の雰囲気を伝えています。
しかし、ここ精進湖宿場町は今風に建て替えられたり倉庫みたいな小屋に姿を変えて当時の蔵や土塀を残していませんが街割りはしっかり当時の状況を伝えています。

写真2は街道に対して横方面です。間口は狭いですが奥行きが大変長いです。


写真3は宿場町の中心地である諏訪神社です。ここに1200年の杉があります。
神社の隣に学校と公民館があります。
学校とか公民館は公共地として残さなければならない場所でありその昔は諏訪神社の境内だったり、伝馬や庄屋や本陣形式や口留番所などの機能の施設があったでしょう。


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