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山梨の山

登山と山と高山植物

プロフィール

山梨県は山国です。
たくさん山に登ってきました。
その魅力は知る人ぞ知る宝です。しかし県内者を含めて知られていません。これからも自然の発掘に勤めます。ブログ初めてです。どうぞ宜しくお願いします。

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影絵

2009.02.26 17:32  投稿者:ootaminoru

甲府駅構内に影絵美術館の宣伝がありました。

なかなか素敵です。
ですがモット堂々と大きく広告表示しては如何?

場所は改札口の斜め向いの甲府市観光案内所の側面です。
少し判りづらい場所です。

写真で撮影した影絵をブログに掲載して差し支えないのでしょうか。
公衆の面前に掲示されているものなので差し支えないだろうと判断しましたが。影絵美術館の宣伝になりますし、私が商業目的ではないので差し支えないと思いますし私物化しませんがしかし、今一、不安です。
問題がありましたらすぐに取り下げますのでお許し下さい。

以上とは関係ありませんが、、、、、、、、
中国で「山梨勝沼」が商品登録されたんだって。
中国に「山梨勝沼」商品名の物が持ち込めなくなるそうです。
登録を抹消してもらうために異議申し立てをするそうですが経費として50万円掛かり、その他難しい上申書が必要になるそうです。
ラジオで聞きました。

前に「青森」が名称登録されて取り下げてもらうのに5年掛かったんだって。
国際間のトラブルは難しいですね。


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甲府盆地春のラッシュ

2009.02.25 17:04  投稿者:ootaminoru

もうそこまで春の足音が押せ押せで聞こえて来ます。

甲府駅の構内にはポスターが壁に貼ってあり、チラシが置いてあります。


写真1は不老園です。

写真2は韮崎、武田の里ウオークです。
新府城を中心に白山城などなど幾つもの市内の名所旧跡を歩くコースが設定されていますが飛び切りの目玉商品は諏訪の高島城から50km歩いて新府城までのコースです。
武田勝頼のお母さんのゆう姫(こい姫)にちなんでの設定です。
国道20号線を歩きますが旧甲州街道をなるべく歩かせるようになっています。
昨年、私は八ヶ岳とざんをするために早朝国道20号線を西に走っていたら富士見辺りで沢山の歩行者に出会いました。
早朝なので驚きました。

写真3は信玄公祭りです。
信玄公祭りは3枚のポスターがあります。


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花と名水の山梨

2009.02.25 07:26  投稿者:ootaminoru

びゅう山梨4月~6月号


4月1日から6月30日までの三ケ月間、JRを使った山梨旅行企画案内が発行された。
甲府駅の長距離切符売り場の内外に案内冊子(写真1)が並べてあります。
吉永小百合(さん)のマネキンがご案内しています。

旅行企画は東日本旅客鉄道(株)です。
東京を基点にしてJRの乗車券、昼の食事、観覧席付、途中の交通(別途料金別もある)、宿泊などを全てパックにした料金掲載の旅行企画商品です。
18ページに及ぶ期間限定で沢山の春の企画が掲載されています。

3~4ページは信玄公祭り(甲府市)、川中島合戦戦国絵巻(笛吹市)です。日帰りプランと一泊二日の湯村叉は石和温泉宿泊付きです。
宿泊プランは最下段に幾つかの宿が写真付きでアクセス、宿泊館内案内付きで掲載されていて選択が出来るようになっています。

この冊子を手にしたらきっと山梨県は距離が近いし来たくなるだろうな。
東京及び京浜地区の多くの人がこの企画案内書に目が止まり自宅に持ち帰ることを願わずにはおれません。
東京都だけで1300万人の人口だそうです。千葉や...


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甲府城

2009.02.24 05:25  投稿者:ootaminoru

梅の咲く県の史跡甲府城(舞鶴城)

駅から5分の地にこんなに素敵な公園があります。
公園の名前は舞鶴城公園です。甲府城公園ではありません。
史跡としてのお城は甲府城です。愛称として舞鶴城とも言います。

写真1は黒い城壁に陽の当る紅梅と白梅。
この角度からの1年で最も好きな甲府城です。

写真2は山手門
此処の場所からではありませんが、もう一昨年の暮れになりますが本丸から稲荷櫓を手前にその後に高層マンションを正面に入れて親子三人の家族写真をとって下さいとデジカメのシャッター押しを頼まれました。
その撮影場所はマンションを強調する角度とアングルだったので伺いますとやはりこのマンションに引越してきた住人でした。
年賀状用の添付写真を頼まれた訳です。
あのマンションにも新しい命が宿ったんだとその時始めて実感しました。
新しい故里の誕生です。
マンションの高さについて揶揄する向きもありますが一度建設されますとそこには新しい生命が誕生します。生命にはなんの落ち度も責任もありません。高層マンションの景観に与える問題と生命には何の...


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甲府城の柳門

2009.02.23 18:39  投稿者:ootaminoru

廃藩置県後の甲府城と柳門
甲府城は明治維新後は廃藩置県で無用の長物となりました。三つの代官所が管轄地を治めたりしましたが明治4年に山梨県が誕生しその初代県知事は藤村紫朗であり当時は県知事のことを県令と称しました。その時、藤村紫朗は28歳だったそうです。熊本出身で明治維新の立役者(官軍)の一人でした。明治維新の立役者はみんな若かったんですね。

甲府城は中央政府の陸軍が接収しまたが聯兵場には不向きであり、その後陸軍から県が借り受けて実質的には県が使っていたようです。鍛冶曲輪には各種の勧業試験所が建設された。明治9年には県立の葡萄酒醸造試験所が建設されてワインの製造が行なわれた。城内の曲輪は葡萄栽培農園となった。
話は逸れますが、ワインの発祥の地は山梨県でこの県立葡萄酒醸造所から技術者が育ちました。

ほぼ明治10年頃までに城郭内の建物や門、塀は壊されてしまいました。
時代は下がりますが明治36年に中央線が東京から開通します。
城内の北半分は中央線の甲府駅舎やホーム、線路になり東側は明治33年に甲府中学校に...


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県外の観光案内

2009.02.22 18:23  投稿者:ootaminoru

県内外を含めて甲府駅周辺は観光情報の集中拠点です。

甲府駅ターミナルの改札口中央の広場にはJRのデスネーションキャンペーンの舞台あって簡単な飾り付けがしてあります。なかなか楽しい雰囲気に包まれています。
三月(ミツキ)毎変わって行きますが今は春の菜の花房総と雪深い北東北でした。周囲に沢山の関連する観光冊子が置いてあります。

その他、遠距離用の伊切符売り場にも沢山の観光キャンペーンチラシや冊子があり更に北口へ抜ける通路にも沢山の種類の冊子がおいてあります。

それらのチラシや冊子は単独の県だったり、北東北の岩手、青森の二県合同であったりします。
一部づつ頂いて来て家で編集方法などを参考にします。
どれも素晴らしい出来です。写真が多くカラフルで綺麗です。
売りとするその季節のイメージを明確に出して特徴的な観光拠点やスポットを紹介しています。そしてそこでどんな楽しみが味わえるかを。

どの県も観光客誘致に一生懸命である事が分ります。
生きた教科書です。


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鳥もつ煮(その2)

2009.02.20 14:01  投稿者:ootaminoru

そば屋の定番メニュー「鳥もつ煮」。

山梨県で誕生した事はあまり知られていない。
考案者はトンカツ力の前の店主、塩見力蔵さん(現83歳)。
この度、甲府名物の、もつ煮を地域ブランドとして売り出そうという甲府市職員のボランテアグループが写真1,2のパンフレットを作成し観光拠点に配布し宣伝に努めています。
そんなこともあって、トンカツ力でも鳥もつの一品料理は継続して賄ってきたが暫く途絶えていた「鳥もつ丼」をこの度復活させた。鳥もつ丼は戦後間もない昭和25年頃にそば屋(奥藤)の調理を任されていた塩見力蔵さん(前トンカツ力の店主)が試行錯誤して鳥もつの一品料理、更に蕎麦との相性が良いので蕎麦とのセットで、更に鳥もつ丼として作り上げた。

現在でも、市内の沢山のそば屋に、この鳥もつ煮料理が蕎麦とセットであることはそのためです。
最初の調理を任されたそば屋から、のれん分けで分店や評判から他のそば屋に広まったそうです。
力蔵さんもその後、のれん分けをして独立しました。

発祥そしてその後の伝播にそば屋があることが面白い。
そ...


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甲府市民が失った山々

2009.02.19 13:38  投稿者:ootaminoru

百年後に残さなければならない甲府市民の財産は何でしょうか?

近代化、便利さ、忙しさに目を奪われて山の都が残さなければならない掛け替えのないものを沢山失って来た。

富士山も北岳、間の岳、鳳凰三山も甲斐駒ケ岳も失った。
甲府駅界隈からこれ等の山の眺望を見たことがありますか?
これ等の山々と一緒に毎日の生活の中で暮らした事がありますか?
甲府市民の心の中に富士山も北岳も間の岳も甲斐駒ケ岳も皆消えてなくなってしまった。

歌川広重の富岳三十六景は庶民の生活を正面に描きその遠く向こうに小さく富士山が描かれています。
富士山は小さく線描きされているだけにすぎません。
富岳三十六景の主題は富士山と一緒に暮らす庶民なのです。
県立美術館のミレーの作品と同じなのです。
描かれた時期も同じです。
どうして甲府市民はミレーの絵画(自然主義)を大切にして、山の都の掛け替えのない自然を大切にしないのでしょうか。
本当はミレーの絵画を何も分っていないのだろうな。
時価何億円かの絵画。金、金、金、金、金、金。金が全て。
金だけが全ての価値基準。金...


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甲府城の梅(その2)

2009.02.19 11:15  投稿者:ootaminoru

甲府城の梅の花が満開です。
甲府城であることを表現する為に稲荷櫓や石垣を背景に入れました。
逆光だろうと何だろうと石垣を入れなければただの梅です。

但し、逆光の撮影は花弁の質感が表現出来て順光よりも私は大好きです。


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甲府城の梅

2009.02.18 12:55  投稿者:ootaminoru

甲府城の梅が満開です。

稲荷曲輪の梅林です。JR中央線の駅前から線路に沿った道から甲府城に登って来る花壇の奥に梅林があります。

舞鶴城公園です。公園なのです。
だからいろんな樹木が植えてあって四季の折々を楽しめるようにしてあります。

あと一月もすると木蓮が咲き次いで桜が咲きます。


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鳥もつ煮(その1)

2009.02.17 20:20  投稿者:ootaminoru

甲府鳥もつ煮

甲府名物の鳥もつ煮は甲府市内の蕎麦屋さんや居酒屋さんの一品料理として、叉鳥もつ丼として味わう事が出来ます。

「ホウトウ」「煮貝」と並んで甲府独特の食文化となっています。

今日2月17日、駅前の「トンカツ 力」で鳥もつ丼を食べました。
力の先代が昭和25年頃商品開発したものだそうです。
即ち、本当の元祖「鳥もつ丼」なのです。
美味しかった。

商品開発の栄誉を讃えて場所を申しますと甲府駅南口の銅像信玄公の向かいです。
どうぞ皆様もご利用下さい。
次回(その2)は甲府鳥もつ煮が食べられるお店の中心市街地版MAPを掲載します。


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2月16日沸騰都市東京

2009.02.16 14:19  投稿者:ootaminoru

2月16日沸騰都市東京

NHK総合テレビPM10~ 第8回沸騰都市 東京(最終回)

繁栄する都市。
今日はその8回目で最終回です。
このシリーズは昨年4月からの放送でした。
国境やイデオロギーを越えたグローバル市場経済、金融経済の渦巻く世界規模の波の中で煮えたぎる都市を追って来た報道でした。

国境やイデオロギーの枠を超えて経済がグローバル化しています。そしてそのことによって人間の暮らしそのものが大きく変貌して来ています。

文明や文化を考える上で個性や地域性を焼き尽くす炎のようなグローバルニズム。
その事は観光立県山梨は、やがてグローバルスタンダードの尺度で値踏みされてその個性の輝きを失うのだろうか?衰退し過疎化して自然に戻ってしまうのか。
乱開発に酔った清里の繁栄。そして衰退。そして現在の新たな試み。
改めて都市とは何か?都市と地方の機能を考えて見たい。

山梨県立美術館のミレーの絵画はフランスの郊外バルビゾン村の1850年代の農村風景だ(正確には1830年~1870年)。日本では明治維新前の時代なのだ。既にその頃フランス...


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精進湖宿場町

2009.02.15 06:30  投稿者:ootaminoru

精進湖宿場町

甲州街道。この名称は駿河側から甲州への街道を示す名称で正に甲州街道なのです。
甲州側からは一般に中道往還と言っています。

駿河側からその街道の宿場町を列挙しますと
吉原ー大宮ー北井出ー人穴ー根原ー本栖ー精進ー右左口ー甲府です。

この街道は古代からあったと思われ、河口湖畔の大石から大石峠を越えて甲府に至る若彦路と共に大和朝廷の侵入路であり中道から曽根にかけての曽根丘陵の古墳群が当時の甲府盆地の中心だったと考えられています。

時代は下り戦国時に天正10年(1582年)武田勝頼は織田信長と徳川家康軍に攻められ笹子峠から大月の小山田氏に助けを請い敗走します。しかし途中の天目山で小山田氏の裏切りにあい進退極まり自害して果てます。
その甲州を平定し凱旋して帰る道として織田信長や徳川家康はこの中道往還から駿河に出いています。
即ち右左口から女坂峠を越えて精進湖宿場町に至り本栖から駿河に出たと考えられます。途中御殿場方面で癒やしたとも聞きます。

近世に至りますと駿河から海産物の搬入の最短距離であり甲府の商人...


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船津口登山道案内板

2009.02.13 18:17  投稿者:ootaminoru

道路標識「船津口登山道」案内板

国道139号線の交差点に船津口登山道の案内板があります。
この案内板に従って進みますと行き止まりになったら腹が立ちませんか?

昔々、私は一度案内板に従って進みました。そしたら行き止まり出した。
旧道の船津口登山道から歩いて五合目まで行こうとして果たせませんでした。

今度、もう一度確かめて行き止まりなら警察に文句を言いに行きたいと思います。途中から徒歩だろうが何だろうが車は途中で停めておいてそこから徒歩で昔の三合目バスロータリーについて、更にそこから昔なりの道を五合目まで歩けなければ船津口登山道と道路標識を出すな。と言いたいです。

この案内板は昭和39年スバルラインが開通する以前に河口湖から富士山三合目行きのバス道路だったのですが、スバルラインが出来て料金所の先でクロスするのでスバルラインの抜け道防止の為に行き止まりにして通行止めにしたのだと思います。此処で徒歩だったら先に進めるのかな?

もう一度、しっかり確認してからイチャモンを付けに行きたいと思います。
今回は忙しくて確...


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精進湖の狛犬様

2009.02.13 16:39  投稿者:ootaminoru

本栖方面から精進湖に入り精進湖畔から女坂峠を経て右左口峠に至り更に間か道から甲府に至る中道往還の街道が残っています。昔は甲府盆地から駿河への街道だった。

此処は精進湖から女坂峠への入り口です。
湖畔から暫く村落を歩きその山道に掛かる手前に村社諏訪神社があって樹齢1200年の杉があります。本当に1200年前からの木かどうかは分りませんが西暦800年は奈良時代です。
目通り周囲12mです。この杉は昭和3年に国の天然記念物に指定されています。
多くの旅人や武士がこの杉を見て通過したでしょう。
今では精進トンネルが出来て女坂峠は物好きなトレッキング愛好者以外全く通行されなくなりました。
峠には石仏があります。
昔は甲州から駿河へ出る一級道路でしたが寂れてしまいました。存在さえ忘れられてしまいました。

狛犬様が村社諏訪神社の入り口にあります。
やや小ぶりですが、可愛らしい狛犬さんです。
悪霊やならず者を追い払う狛犬さんです。
善人には優しく威張っていないのが嬉しいです。

平成9年10月の建立です。


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西湖畔からの富士山

2009.02.12 15:43  投稿者:ootaminoru

西湖の足和田山(1355㍍)と言ったかな小高い山脈が連なっていてここの一箇所しか富士山が見えません。
足和田山は青木が原樹海の北側にコンモリ立っている山脈です。火山ではなく元々あった山です。
西暦864年富士山の側火山(長尾山:1300m)から噴火した溶岩は青木が原樹海を焼け付くし徐々に足和田山に迫りその北側にあった大きな瀬の海は溶岩流によって分断され海抜900メートルで西湖と精進湖と本栖湖に分断した。

富士五湖廻りをするならば国道139号線を突っ走るのではなく河口湖と西湖の北岸を廻り此処の西湖で記念写真を撮らなければ意味がない。
この撮影ポイントは貴重な場所なのだ。

写真1 は旧足和田村の汚水のマンホールの蓋です。
誰だ、ニワトリなんて言うのは?日本の国鳥のキジです。
湖畔に僅かな人家しかありませんが家庭排水が流れ込むので汚水処理施設が整っているのだろう。
市町村合併で現在は富士河口湖町になっています。


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セツブンソウ

2009.02.11 20:42  投稿者:ootaminoru

2月11日、市川三郷町の芦川にセツブン草を見に行って来ました。
早朝で日影でしたので写真の色調が青くなり多少パソコンで色相を調整しました。
そんな訳で色の調子がバラバラで異なります。
写真1がかなり忠実に再現されていると思います。
毎年、この季節に若草町で行なわれる十日市に今年は行けませんでした。
叉、テレビで不老園の梅が放映されていてこれから次々に張るが押し寄せてきます。

セツブン草の話しに戻します。
セツブン草は節分の頃に咲きます。
キンポウゲ科の植物です。

セツブン草を観察して、そのまま精進湖道路から精進湖へ行き、西湖、河口湖へ行きました。観光企画コースの昼食ホウトウを想定の食事所で食べて折り返し本栖湖から国道130号線を下り下部温泉経由で身延町の身延山久遠寺へ行って来ました。
富士五湖の内、四湖からの富士山の写真を撮影しました。
途中鳴沢道の駅に立ち寄り高原野菜のキャベツが想定した時期にあることを確認してきました。

2月14日のやまなしインバウンド観光教育プログラムの発表の為の最終コースチェックでした。
...


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武田神社の三葉松(その3)

2009.02.11 08:49  投稿者:ootaminoru

三葉の松は日本の松には見られない性質を持っています。

①松毬に鋭い棘があって松毬を手で持てません。
その性質は4種類の三葉の松に共通しています。
写真の一番小さい松毬がリギダ松です。
武田神社や甲府城にあるものです。
若い未熟な内に種子を動物や鳥類に食い荒らさせない為の防衛の役目をしているのかな?

②松毬が10年くらいそのまま枝にぶら下っています。
受精して翌年には種子が実りますがそのままで松毬が落下しません。
受精するのが春です。1年後の翌年の春に熟成します。日本の松と同じです。ですが何時までも松毬が枝から離れないのは不思議です。
何時行ってもいっぱい煤けて黒くなった松毬がぶら下っているのは見栄えがしません。

③ 一番注目するのは不定芽が出ることです。
即ち、突然胴から芽吹き枝が発生することです。
日本の黒松、赤松、五葉松、這い松に至るまで皆同じで決して古い枝や胴から発芽する事はありません。
松は成長点を止めてしまうと決して不定芽が出てこないので庭木の松の剪定には特別の技量が入ります。
松の剪定が出来る...


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武田神社の三葉松(その2)

2009.02.09 17:06  投稿者:ootaminoru

三葉の松は日本には自生していません。
その状況証拠には三葉の松があるのは神社仏閣や学校などに殆ど限れています。
学校もその昔は神社仏閣だった場所が多いです。
日本の野山には何処にも生えていません。
数百万年前に絶滅してしまったそうです。

地球上で三葉の松は北米大陸の東部地区に生えていてそこが原産地です。
武田神社と同じ種類の三葉の松が甲府城の稲荷曲輪にも植えられていますが
この松はリギダマツという種類のマツです。
私が知り得ただけでも三葉の松は4種類あります。
写真1を参照されたい。
リギダマツは北米大陸のアメリカ五大湖付近に自生しているマツです。

アメリカ大陸がヨーロッパに発見されたのは1492年です。
アメリカがイギリスから独立したのは1783年です。
アメリカが南北戦争を終結したのは1865年です。
アメリカのペリーが浦賀に来たのが嘉永6年(1853)年です。
日本が明治維新を迎えたのが1868年です。
躑躅ガ崎の館跡に武田神社を建てたのは大正8年(1919年)です。

武田勝頼が躑躅ガ崎の館を破棄したのが1581年12月...


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武田神社の三葉松(その1)

2009.02.08 06:02  投稿者:ootaminoru

武田神社の三葉の松

武田神社の境内に葉(針)が三本の松が沢山あります。
普通の赤松や黒松の葉は二本ですし、五葉松の葉は五本です。
立て札には奇木「三葉の松」とあり次のような略歴が武田神社社務所名で書かれています。
「武田信玄公は信仰が厚かったので奈良県の高野山(真言宗)から種が飛来してこの地で実生から生えた」と書かれています。
更に、「大変、縁起の良い木で葉を身に付けているとご利益があり招福必来と言われています。」

この同じ松が舞鶴城公園の稲荷曲輪にもあります。
ご案内するお客さんに財布に入れているとお金が減らないと言って、松葉を拾ってお渡ししています。

これを読まれて武田神社にお参りの方は是非財布にいてれお持ち帰り下さい。

信仰と科学的な事実とは異なります。
次回掲載の武田神社の三葉松(その2)をお読み下さい。


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嘉永2年頃の中央市

2009.02.07 14:18  投稿者:ootaminoru

笛吹川と釜無川の合流する内側の股、三角州のような場所が中央市です。
嘉永2年(1849年)頃の絵地図に当時の村の位置と名前が記載されています。
既に現在と変わりません。

この付近は武田信玄の時代から釜無川の川筋を徐々に南側に変えながら現在の甲府市の水害を防ぐ土木工事が採られてきました。
それらの工事は江戸時代も継続して行なわれてきましたが一括して信玄堤に代表される信玄の川除け工事としての名称で呼ばれてきました。

竜王の信玄堤工事以後徐々に川筋が南進させられましたのでその下のほうの村は水害に見舞われました。
そうした負の現象もあったことを含めて史実として明らかにしなければならないと思います。

現在、そのような研究が進んでいません。
元になる資料が不足なのでしょうか。

この川除けについてもマダマダ明らかになっていないことがいっぱいあります。
中央市は釜無川と笛吹川の氾濫で悲惨な生活を余儀なくされた地です。
中央市今福新田では今でも二階の軒下に和船(川崎船)を吊り下げてある家があると言います。


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タイルの絵

2009.02.06 20:36  投稿者:ootaminoru

このタイルの絵は何処にあるかご存知ですか?

私はこのタイル絵が気に入っています。山梨県を象徴する絵であって欲しいと思っています。
この絵は武田の館で西曲輪内にあるトイレの壁のタイルです。

武田の館(躑躅ガ崎の館)は1519年に石和から武田信虎が現在の武田神社の地、即ち相川扇状地に引越して来ました。
築城時は突貫工事で短期間でした。
当時信虎が造った館は東の曲輪と中の曲輪だけでした。

この館(お城)は石垣のお城ではなく平安、鎌倉、室町時代からの中世の館(お城)で土塁に平屋の神殿造りの桧皮葺の建物でした。
1582年の前年の12月頃まで武田勝頼はここ武田の館に居住しました。新府城に引越すまでは信虎、晴信、勝頼の三代が約63年間居住した館です。

トイレや藤村式記念館(学校)のある西の曲輪は晴信が増築して長男の義信の住居とした場所です。
尚、藤村記念館は現在甲府駅北口に移築中です。

タイル絵は動物が描かれています。
単に動物の絵を描いただけではなく、本当に甲府盆地の裏山に居て欲しい動物達です。
左上がカワセミです。
右上...


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幕絵

2009.02.05 14:11  投稿者:ootaminoru

何故幕絵が?

江戸時代の末期に甲府城下の商業地(二の堀の内側)で小正月に幕絵が商家の軒下に飾られた。
スポンサーは商家で、有名な絵師による幕絵も沢山あっただろう。

今回、商工会議所が主催し公募した幕絵の大きさは縦1.63メートル。横10.6メートルです。
当時の寸法に合わせたものです。

五穀豊穣
子孫繁栄
無病息災
家内安全
商売繁盛

の願掛けだったでしょう。

幕を張る事の意味?
幕は戦国時代の本陣を表し本陣に大将がいて勝ち戦を指揮した。
その本陣に商家があって商家の繁栄を祈願したものだろう。
(山梨県博物館の学芸員による解釈)

しかし、そもそも幕絵を張る風習は極めて珍しく甲府の城下町独特の風習だったと考えます。
他でこんな行事をしたことを聞いた事がありません。
当時の甲府城下の商人たちの心意気と団結があって始めて成立する事であり
驚嘆します。

何故そんな風習が発生したのか?
史実としては判りません。

ここからは私の推定です。ミステリーゾーンです。
①防火対策
ドンド焼等の火を焚く小正月の行事は町から離れた村落にあっては当時盛んに行...


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甲府道祖神祭り幕絵

2009.02.04 19:01  投稿者:ootaminoru

甲府道祖神祭り幕絵

江戸時代末期、甲府の商業地は大変賑わったそうです。
小正月には道祖神祭りを行い商店の軒下は幕絵を飾ったそうです。
明治時代に入り政府は神道ではない民間土俗信仰を嫌い道祖神祭りを禁じましたので廃れてしまいました。
当時、幕絵は沢山あったはずですが処分されてしまって現在、山梨県立博物館に歌川広重が描いた幕絵が一服保存されています。
東都名所「目黒不動滝」です。
道祖神祭りと称して幕絵を飾る行事は大変珍しく甲府だけだったかもしれません。

甲府商工会議所は昨年度から小正月に幕絵を飾った故事の復活を願って甲府市の春日モール銀座通りに幕絵コンクールを催しました。
今年は2回目です。一般公募したもの10件が飾ってあります。
1月12日から2月14日までです。

県内外の社会人や県内の中学生、高校生グループからの10件の出品です。


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武田神社の狛犬さん

2009.02.03 17:39  投稿者:ootaminoru

武田神社の狛犬さんは昭和13年でした。

今日、確認しに武田神社の狛犬さんの裏側に彫られている年号を見てきました。
そんな訳で「ブログとは?」に記載した昭和16年は誤りです。お詫びして訂正します。
尚、時代背景はほぼ合致しています。

どうぞ、武田神社の狛犬さんの胸を大きく膨らませて威張っている姿を見て下さい。あんまりにも威張って顔が上を向いていて目玉の位置が判りません。45度上空を睨んでいます。あれでは足元が全く見えないでしょう。

一方、酒折宮の狛犬さんは水平線の遠くを見ています。

参考までに申し上げますと武田神社は大正8年に出来ました。
従って昭和13年までの15年間?14年間かな?狛犬さんが居なかった事になります。


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日本語教室

2009.02.03 12:34  投稿者:ootaminoru

マスメヂアーでの報道では派遣社員、期間社員、研修生、外国人労働者は真っ先にリストラの対象とされていると聞きます。
ここ中央市でも、既に失業して母国に帰らざるを得ない人も出始めていると人伝で聞きます。
本当にいたわしい事です。

外国籍の人の日本語教室では日本語の習得に以前より積極的に取り組んでいます。

それは日本で失業しない為には職場の技能修得や真面目さの上に日本語によるコミニュケーション能力が問われていると言います。
本当に生活をかけた涙ぐましい努力が続いています。

写真は入門コースで今日は、ひらかなの「拗音」と「い形容詞」を学習しました。

一方、外国人に日本語を教える上で大切なのは日本語の取得も大切ですが母国語をキッチリ忘れないで所持しておいて欲しい事です。
日本社会と交流しながらもその人のアイデンテーです。


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ブログとは?

2009.02.02 17:22  投稿者:ootaminoru

ブログがアメリカで流行ったのは9.11事件があってからだそうです。
日本では著名人が日記や選挙演説などなど用として自分の意見を広報するために使い始めたことで広まったそうです。

アメリカの同時多発テロ事件は2001年9月11日で航空機を使った4つのテロ事件だった。
ワールドトレードセンターのセンタービルでは2602人、航空機の乗務員や乗客、消火に当った消防士さん達を含めると2973人が死亡したそうです。

その死亡者は当初は行方不明者であり、その家族は生存の有無、避難場所を探しますがその捜査方法としてブログが使われた。
ですから、尋ね人の掲示板としてブログに情報を発信し、その存在の有無を知っている人が返事をする書き込みとして使われたそうです。
従って極めて事務的な事実の確認の記載だった。

一方、日本では小泉首相などが日記風に政治的な心情や政権内容を記載するものが流行ったので事実の積み重ねよりも個人の考えを述べる場として使われるに至った。そしてそれに対するコメントとしての賛否両論の考えを述べる形式だそうだ。

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