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山梨の山

登山と山と高山植物

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山梨県は山国です。
たくさん山に登ってきました。
その魅力は知る人ぞ知る宝です。しかし県内者を含めて知られていません。これからも自然の発掘に勤めます。ブログ初めてです。どうぞ宜しくお願いします。

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東北関東大震災

2011.03.19 22:28  投稿者:ootaminoru

3月11日14時36分頃東北宮城県福島県の太平洋沖を震源地とする大地震が発生した。
山梨県でも私の住む中央市と忍野は震度5の地震でびっくりした。

震源地に近い東北の太平洋岸では地震による倒壊、そして津波。更に翌日から福島県の原子力発電所の不具合の発生。
不明者の捜索、被災者の避難所への当面の最低限の救援。そして原子力発電所の不具合の対策。東日本の電力不足などなど、同時進行で対応に追われています。

死者6911人。死者を含む安否不明者は1万8千994人に達した。(朝日新聞3月19日より)
亡くなられた方へご冥福をお祈りします。被災者の方々にはお見舞い申し上げます。

まずは生命の維持と安全と安心から。
こんな時期に観光は自粛。
一言も観光に関する新聞記事やマスメヂアーの報道がありません。
観光山梨にキャンセルが相次いでいるだろうが、それを報道し言い出す事さえハバカラレル状況だ。

山梨県の最大のお祭である信玄公祭は3月23日に実施するか中止するか決定されるそうです。
春の高等学校野球全国大会は開催される事になりまし...


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和紙の原料三椏

2011.03.02 00:14  投稿者:ootaminoru

西湖根場いやしの里に和紙の原料三椏とその加工品を発見しました。
紙屋逆手山房の館の外に植えられている三椏。そして皮剥ぎした皮。そして晒した繊維。

昔、この地区で本当に和紙を製造していたかどうかは知りません。
しかし、山村に皮剥ぎされた皮を見たら現実感がありました。
人間の営みを感じました。


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勝山御室冨士浅間神社

2011.02.27 19:15  投稿者:ootaminoru

河口湖湖畔の南都留郡勝山村にある冨士御室神社(里宮)に参拝してきました。
この神社は文武三年(699年)藤原義忠により富士山中に最初に建てられたとする神社で、その場所は現在の富士吉田登山道二合目に本宮として建てられたと言います。
延暦9年(800年)及び貞観6年(864年)に富士山の大噴火で本宮は焼失してしまった。その後、本宮は慶長17年(1612年)領主鳥居成次により再建されたとするものです。
山梨県側の浅間神社は貞観6年(864年)の富士山大爆発に宮中の勅令で富士の神を鎮める目的で祈祷されたものでありますので、社伝が本当ならばその起源を上回るものです。
河口湖畔の里宮は天徳二年(西暦958年)村上天皇の御世に建てられたものだそうです。

写真1は里宮
写真2は昭和48年に富士山二合目の本宮を里宮に降し永久保存の為に移築したものです。
写真3は本宮の天狗さんです。

尚、歴史書として勝山御室神社には勝山記が残っていて戦国時代の一級の歴史資料として今日に伝えています。
勝山記と妙法寺記はその昔、共通の台本があ...


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2月23日は富士山の日

2011.02.23 21:50  投稿者:ootaminoru

日本の象徴とも言える富士山。2月23日を「富士山の日」と定めている静岡県では新しい「ふじのくに」つくりに向けた構想を打ち出し地域活性化の為に色々のことに取り組んでいるそうです。
2月23日に「富士山の日」を制定した理由は語呂が良いことに加えて、富士山が雪を被りその美しい立ち姿を見せるのは冬です。特に2月は1年中で最も富士山を美しく仰ぎ見ることが出来るからです。

一方、山梨県は「富士山の日」は制定していない。2月23日は何もしません。
河口湖町だけが2月23日に「富士山の日」を制定しているに過ぎません。
山梨県は静岡県の2月23日「富士山の日」に同調していません。

山梨県が「富士山の日」を制定してない理由は山梨県下の富士裾野の市町村に2月23日に制定しても観光客が訪れて銭が取れるとは思えないから反対なのだそうです。富士五湖の湖上祭は8月1日から順番に行なわれている。その湖上祭が実質的な山梨県側の市町村の「富士山の日」に相当する。と考えているようだ。
県は市町村間に意見の相違がある以上、無理強いはしない...


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十日市に鳥もつ煮商品

2011.02.11 08:40  投稿者:ootaminoru

十日市に鳥もつ煮商品がありました。
瓦会館の広場に南アルプス商工会だったと思いますが鳥もつ煮商品を出品し販売していました。
4種類ありその内の幾つかは初めて見ました。
甲府盆地に縁を取り持つ鳥もつ煮の登場です。

昨年までの十日市には見られなかった商品です。
時代を背負った商品の出品はこれも長い目で眺めれば十日市の存亡に係わる問題であり、関係者の努力の賜物だと思う。

江戸時代までは正月とお盆の年二回開催され、明治時代からは2月10,11日の年1回の開催となって続いて来ました。
此処の市は毎日の常設市ではなかった。
年1回か2回かのどちらかと言えば生鮮食料品や野菜ではなく、雑穀、木綿の他、保存の効いた加工食品。農具や古着、金物などの日用品や農閉期に生産加工された草鞋とかもっこ、筵、竹製品、木製品では臼や杵や曲げ物等などどちらかと言えば家庭内の消耗備品よりも固定資産的性格を持つ消耗備品や固定資産商品が多かったと思う。

しかし、現代の時代に置き換えて考えると、生活様式が変わり、流通網が変わり、田方と畑方と山方が夫...


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甲府盆地春の訪れ(t十日市)

2011.02.09 22:00  投稿者:ootaminoru

甲府盆地に梅が咲く頃、旧若草町の十日市場地区で十日市が行なわれます。現在では毎年2月10日と11日の二日間に年市として開催されています。

その昔、江戸時代(近世)では旧暦一月の十日、十二日、十四日。と、お盆の7月の十二日、十四日の年二回開かれていたと甲斐国誌に記載されています。
旧暦の一月十四日、十五日が小正月で当時のお正月ですので一月十日は年末で正月を迎える正月用品を売り買いする日になります。
開催場所は十日市場という地名でその歴史の古さがかもし出されています。
既に中世の時代に市が成立していたそうです。
記録では徳川家康が天正11年(1583年)四月九日の印判状写しに下宮地美輪大明神社領として十日市場地内壱貫文寄進、、、。とありまして既にこの時期に十日市場の地名が記録されていて、そして十日市が開催されていたことが判ります。
市の発祥は明らかではありませんが、それ以前から市が開かれていたことは確実です。
そもそもこの市は十日市場地区の中心的な場所である安養寺の祭礼でそれに合わせて門前市が立ったもので...


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クニマスその後

2011.01.30 21:02  投稿者:ootaminoru

クニマスについての地方新聞山梨日日新聞に、ここ3日間毎日掲載されています。
1月28日、29日そして30日です。
30日の記事は1月29日から2月6日まで西湖樹氷祭としてその会場である西湖野鳥の森公園で70年ぶりにクニマスの発見となった西湖産のもので京都大学で鑑定されたクニマスがガラス瓶入りのホルマリン浸けの標本になって西湖畔に里帰りして展示されているのだそうだ。
この見本を見学する一般公開が行なわれている。

しかし、ホルマリン浸けは生きた姿や形を想像するには私を含めて素人目には難しい。
近い将来、生きた魚を水族館みたいな場所でとくと見せていただきたいと思う。
その場合、比較としてヒメマスも展示していただきたいと思う。

鮭科の魚をもう一度考察してみよう。
河川に回帰性のある魚は漁業資源として物凄く人間にとって都合が良くて効率が良い。
稚魚を河川に放流すると早い魚種では翌年、遅い魚種でも3年とか4年後には成熟して大きくなって生まれた河川に接近した河口部分に帰って来る。
その河口付近の海域で定置網などに誘導して...


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富士山入山料に賛成反対?

2011.01.30 18:28  投稿者:ootaminoru

富士山に入山料を徴収したいとする山梨県内の富士山近隣の6市町村、観光関係団体等が平成22年4月末に協議会を作り富士山の環境保全協力金の徴収方法や額の検討を始めた。
平成22年11月25日に開かれた会合では徴収方法や金額について草案を提出するまでには至らず早期実施には慎重論が出されたようである。
叉、富士吉田市長堀内茂氏は今年(平成23年)4月の市長選で平成23年7月から法定外用途特定徴収するというマニフェストを掲げて選挙に臨むと言明しているようだ。

この入山料(環境保全協力金)の問題は数年前から断続的に近隣市町村を中心に提議されて来ているが、なかなか審議が深まっていないようだ。
静岡県でも10年前に入山料や法定目的税を検討したが審議未了となって見送ったそうです。

その論点は協力金として任意の徴収にするのか?法定外の用途特定徴収として強制力を伴うのか?協議会では後者を考えているようだ。

その後、毎日新聞平成23年1月21日付け地方版によると協力金協議会は第4回の作業部会を1月20日に開いたが今年の山開...


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若彦路(鳥坂峠)2

2011.01.10 16:08  投稿者:ootaminoru

若彦路の国中側即ち八代側の鳥坂峠に向う最終村落である奈良原の高台には広済寺があります。この寺の伝える処によれば1400年初頭の頃に武田信春がこの寺の中祖であるそうな。それ以来武田信虎、信玄、勝頼、織田信長、家康などなどにも厚い寄進を受けてきた寺だそうです。臨済宗妙心寺派に属する寺だそうだ。

それ以前は密教系の寺であったが鎌倉仏教の臨済宗妙心寺派に熱い武田家の菩提寺に武田信春が改宗したのだそうです。
しかし此処で気になるのは本堂に華厳衆と書かれていることです。
叉境内には観音菩薩と地蔵菩薩の石造があります。
臨済宗妙心寺派であれば釈迦如来を本尊とするはずだ。

密教系の寺だったと案内板に書かれていますが、高野山真言密教系でも比叡山の真言宗でもなさそうだ。

本堂には華厳衆と大きな字で書かれています。
華厳宗は奈良の大仏建設当時になって初めて華厳宗、法相宗などと呼ばれるようになったのだそうです。
後世、平安時代には南都六仏教と呼ばれた宗派の一つが華厳宗でありその他に法相宗、倶舎宗、三輪宗、誠実宗、律宗(四分律)...


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若彦路(鳥坂峠)1

2011.01.10 13:10  投稿者:ootaminoru

甲府盆地から他の国に出入りする道は古来、9筋あったと云います。
その幾つかは山地を登り峠を越えて他国にいずる道です。
私は登山を趣味として来ましたので登山の対象として古道に係わる峠及び峠道を利用してきたことはありますが、歴史の道を主眼にして歩いたとこが
ありませんでした。

昨年は不摂生がたたって膝関節を痛めてほぼ1年、登山が出来ませんでした。
ほぼ痛みもとれてきましたので今年は登山を再開したいと思っています。
膝関節の強化の為に今年は歴史の道をも歩いてみたいと思っています。

その一つとして今回、1月8日若彦路の鳥坂峠をスポットにして歩いて来ました。ご存知の通り、平成22年3月に新若彦トンネルが供用開始して新鳥坂トンネルと合わせて甲府盆地から八代側を起点にして芦川に抜けて更に河口湖及び精進湖抜けるルートが開通しました。
しかし、私が対象とするのは明治36年に中央線が開通する以前の生活道として郡内、芦川を国中を結ぶ道であり叉駿河との往来の道を辿る事です。
その資料としては「山梨県歴史の道調査報告書」であり山梨...


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古代米のお餅

2011.01.05 14:21  投稿者:ootaminoru

山梨県立博物館で1月2日と3日に古代米を蒸かして杵で突いて御餅にして食べるイベントが開かれました。
3日に参加して赤米の突き立ての柔らかいお餅を食べました。
エゴマとキナコ(大豆)をまぶした御餅でした。これ等も縄文の時代から栽培されていたそうです。
エゴマは香りが独特て香ばしいです。ゴマ科の植物ではなくシソ科植物です。

一般的には米は弥生時代初期に渡来したと言われて来ましたが、最近の発掘調査から縄文晩期頃には既に米がもたらされていたようです。
縄文、弥生時代の炭化米からそのころの米は赤米や黒米だそうです。
弥生時代頃は米とその他の雑穀を一緒に煮てお粥のようにして食べたそうですが平安時代頃には現在のように焚いて炊き上がりは蒸すようになったそうです。

お赤飯は現在では餅に小豆ですが、それは朝廷や貴族によって儀式の時に古式からの伝統を継承して来たとされています。
その昔は小豆の部分が赤米だったのでしょう。

何時頃までは分りませんが歴史時代に入っても赤米や黒米も栽培し食べていたのかもしれません。
黒米はスーパーや道...


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古代の道、中道からの眺め

2011.01.03 19:36  投稿者:ootaminoru

1月2と3日に考古学博物館で古代米(赤米と黒米)のお餅をついて食べるイベントがあり参加しました。私は1月3日に行きその日は赤米の御餅でした。
早い話が夫婦で押し掛けて古代米のお餅を振舞っていただきました。
元々古代米に興味があり、古代米の温故知新を得たいと考えました。
山梨県内の遺蹟からも縄文晩期?に古代米の炭化遺物が発掘されていると言いますが、それらを含めて学芸員は日本に伝わった米はジャポニカ種であると言われますが一部分はインデカ種ではなかったのか?と私は疑っています。
日本に伝播した米は幾つもの時代に渡って幾つもの経路によってもたらされたものであり、その植物分類学上の遺伝子情報も複数あっただろうと想像されます。時期的にも一部分は縄文晩期に遡るのではないかとも言われているそうです。経路としては九州畿内経路とは別に島根県方面から日本海沿いに北上した別ルートがあったらしい。

中央市豊富地区の農家で栽培された黒米を1月2日に御餅にして振舞われたそうですが、その黒米の乾燥した見本からは姿形ではインデカ種の...


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宮城県で富士山ナンバー

2011.01.01 15:10  投稿者:ootaminoru

宮城県で富士山ナンバー。

富士山の標高は3776メートルです。
この自動車のプレートナンバーは3776です。

竜ヶ岳でダイアモンド冨士を撮影後に下山中にお友達になった人の№プレートです。
彼は宮城県で3776の番号を指定して10年前にプレートを取得したそうです。
その彼がお正月のダイアモンド冨士を撮影しに来られたのです。
このような楽しみ方があったのですね。遊びも創造力の賜物です。
素晴らしい。頭が下がります。

撮影時は快晴でしたが1時間の下山後はもう雲一面でした。
ダイアモンド冨士が撮影できて幸運でした。

帰りに精進湖で湖面に光るダイアモンドの数々と逆さ冨士を狙いましたが曇天でかないませんでした。替わりにオイラを付近の伯父さんに頼んで記念撮影をしていただきました。
平成23年1月元旦。

*顔写真添付しますが無断転写などなどのいたずらをしないで下さいね。


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クニマス発見

2010.12.28 21:00  投稿者:ootaminoru

 平成22年12月15日の新聞やテレビのニュスで富士五湖の一つ西湖でクニマスが発見されたと報道されました。
クニマスは秋田県田沢湖に住む固有種の鮭科の魚だったが田沢湖では絶滅したとされて来た。
原産地北海道阿寒湖に住むヒメマス同様、クニマスもかつて田沢湖から移植されたのだ。本来は富士五湖で棲息していた魚ではない。
発見と書いたのは、それまで原住民が住んでいたアメリカ大陸をコロンブスが発見したのが1492年で、それが西洋の知る所となった古事と同じだ。
クニマスはそれ以前では山梨県西湖の地元では黒マスと命名されてヒメマスの産卵後の姿であると認識されていたらしい。
西湖では10匹のヒメマスに1匹のクロマスが釣れてきたといいます。
田沢湖のクニマスとの認識が無かっただけなのだ。
クニマスはヒメマスと近縁の関係にあるらしい。
しかし生息域もクニマスは水深100㍍以上、ヒメマスは20~30メートルと棲み分けしているそうだ。

生理生態的にはクニマスは1月から3月に産卵するのに対してヒメマスは9月から11月だそうだ。従っ...


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根場の兜造りの家

2010.11.30 20:03  投稿者:ootaminoru

昭和20年以前、西湖根場村は山仕事の他養蚕が盛んだった。
防災資料館にはその様な記述があった。

明治時代以後急速に養蚕が盛んになり富士五湖地方も養蚕が取り入れられ、生活基盤は養蚕をが主体となり養蚕に向いた家屋が造られたのだろう。
即ち広くてしかも背が高い。
このモデルが兜造りなのではないだろうか。
二階の屋根裏部屋では蚕の飼育が行なわれていただろう。

山梨県の兜造りの家屋にも地域により変異がありそうだ。
徳和と根場では明らかに異なる。
その地域によって生活基盤が異なる事に起因していないか?
来年以降村落を回り兜造りの変異を調べてみたいと思うようになった。


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西湖いやしの里

2010.11.28 21:13  投稿者:ootaminoru

西湖いやしの里、 根場へ行って来ました。

冨士河口湖町になって今まで河口湖周辺に集中していた観光拠点から西湖、精進湖、本栖湖方面にもモータリゼーションの広がりを持つようになって来たのではないかと思う。
短いシーズンではありますが山中湖畔の芝桜。と西湖いやしの里に脚光が集まって来た。
叉、青木ヶ原樹海のガイド付き散策が素晴らしい。今後益々人気が高まるであろう。
精進湖畔の精進村の古民家体験宿泊もオープンし始めた。
冨士北麓の多様な観光資源が増えた感じです。

2年ぶり改めて西湖いやしの里を訪ねましたが、以前より兜造り家屋が増えていました。
それだけ、家屋内の表現が増えていました。
その多くは高度成長期に入る以前の日本人の故郷の村落と伝統工芸品を再現したもので内容も充実してきた印象を得ました。

この事は特に外国からの観光客に日本の伝統工芸を沢山展示し紹介するもので即売もします。

例えば、吊るしビナはひな祭りを祝う日本の固有の文化です。吊るしビナの人形はお土産にするには手頃な値段です。買いやすい値段である所に特徴が...


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甲府恵比寿講

2010.11.23 20:21  投稿者:ootaminoru

11月23日甲府恵比寿講が行なわれた。
甲府城鍛冶曲から12時30分、恵比寿様のお神輿(恵比寿神社)と武田菱の付いた武田神社?のお神輿が法被姿の氏子に担がれて舞鶴橋を渡り市中を御巡幸された。
そして銀座通や春日モールでは出店が並んだ。B-1グランプリ優勝の鳥もつ煮も出店していました。

甲府恵比寿講は今年で76回目だそうだ。
第一回目は昭和7年頃だろうか。
当時の山梨県は農業従事者が90%を上回り、農業総所得は総所得の殆どであっただろう。
農家は秋の取入れを終えた1年の収穫後の時期であり、来るお正月や冬に向けて春までの消費物質、即ち燃料、食糧や衣類などの買出しで市中は賑わった事だろう。

恵比寿神社の総元は兵庫県の西宮神社だそうですが、平安時代にはその存在が記録されているそうだ。
恵比寿とは海洋民族であり大和民族とは異なる民族であり、鯛や釣竿を持っているのはその為だそうだ。
職人や商業の神様としての信仰が厚く、業種の異なる地場産業間で物々交換が行なわれる商業の神様(市の神様)であったらしい。

関東甲信越では長野...


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里の秋(4)徳和の庭

2010.11.11 18:31  投稿者:ootaminoru

徳和村落は道から屋敷内を隔てる塀や高い垣根がない。
村内に住む人、村内を訪れる人は誰でも村内全体が庭なのである。
村内全体が公有地であり、生産の場であり公園なのである。

これが運命共同体の農村の懐かしい風景であったし、そこに醸成している心なのだ、即ち懐かしい日本の文化なのだ。

もっと生産の場、生活の場を見よう。



道端に咲く紫しのぶ。。。。。。、小菊


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里の秋(3)産業政策と農村という地域社会の保全政策を分けて考える

2010.11.11 17:22  投稿者:ootaminoru

徳和村落は典型的な中山間地域だ。

日本の農業を守る産業政策と農村という地域社会の保全を分けて考えて政策に落とし込む。そんな政治の政策が必要だと日曜日のNHK政治討論会で自民党の石波さんが言っていた。

農家戸別補償をしても農業という業態が国際競争力を増すことには繋がらない。
農家戸別補償は農家の生計維持に関係し過疎化を遅らせることに繋がるので地域社会の保全として機能する分野なのだろう。
しかし、農家戸別補償を更に畑地にも適用すると言います。
始めから国際競争力に負けているのを承知で経営努力や農業の業態の改善政策無では焼け石に水である。
失業対策事業であり、生活保護制度と同じだ。
税金をつぎ込んでもつぎ込んでも焼け石に水だ。

何れは開放経済の流れの中で開国せざるをえない。
そして農業が存続出来ない。

農業という産業政策と農家補償を含む農村という地域社会の保全の政策を分けて考える政策とはどんなものだろうか?

首都圏から外れた地域社会を守るとは産業政策としてどのような策があるのだろうか。
ここ徳和の里は乾徳山という1級...


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愛称「インク壷」

2010.11.10 16:30  投稿者:ootaminoru

道の駅「牧丘」に文明開化の象徴である儀洋風建築の建物が保存されています。

圏央道自動車道が開通してから雁坂トンネルを経て埼玉県や関越自動車道を通り群馬県や新潟方面に行く機会は少なくなった。
しかし、山梨県の西沢渓谷はトレッキング程度の難易度で素晴らしい渓谷美が楽しめるトレッキングコースが設定されているので県民はもっと利用することをお奨めしたい。
殆どが県外ナンバーだ。

その道すがら、道の駅牧丘の「インク壷」の存在は素晴らしい。地元住民がインク壷と愛称していた建物だ。

国道140号線バイパスを進み室伏トンネルを出た所が室伏地区でありその集落に明治8年に建設、明治9年から諏訪尋常小学校として開校していたそうな。
擬洋風建築は明治8年から藤村紫朗県令の指導もあって競うように学校、官公庁、銀行や郵便局などが新しい時代に遅れまいとして建設された。しかし学校建設に関する土地や建物の費用は国や県が出してくれるのではなく地元住民によって土地収容から建築にかけて寄付を募り集めたものだ。
その費用の捻出は大変な難儀なもの...


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養蚕と兜つくりの家屋

2010.11.10 05:41  投稿者:ootaminoru

雁坂道やその街道から分岐した徳和の里には兜造りの家屋が沢山残っています。
その多くは現在も人が住んでいます。
*写真の家屋が本当に兜造りの家と呼ぶのか自信がありません。何方か確認の為に教えて欲しい。

写真のお宅で撮影しながらご主人に伺いました処、築100年位で、それは養蚕の為に大型の家屋に建て替えて更に後年四階に改築したものだそうです。
写真では二階家に見えますが中は四階建てになっていて蚕室が広く取られているそうです。
そうなのです。元々兜造りの民家が伝統的にあったのですが養蚕の為に大型化し、更に村落が揃って兜造りの家になったのです。

徳和の村落はつい最近まで養蚕を生業としていた事が判った。
その養蚕が伝統的な兜つくりの家を今日まで保存する役目をしてきたのだ。
然るに田中角栄が中国と国交回復のその手土産として中国の生糸を関税無で輸入する貿易自由化に踏み切った。1962年(昭和37年)のことなのだ。それ以降は中国からブラジルから輸入する時代に入った。
その時期を境に日本の養蚕が壊滅し姿を消したのだ。
生業を奪...


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古民家、兜造りのある村落

2010.11.05 19:16  投稿者:ootaminoru

雁坂道(国道140号)から徳和川に沿って入ること5km?の奥に忽然と集落が出現する。
徳和集落だ。
何故こんな山奥に集落が忽然と存在するのであろうか。
乾徳山の尾根続きに黒金山があり、その昔、武田信玄の時代は金鉱山があったとも聞きます。極最近まで銅鉱山として近くの西沢渓谷奥で採掘がされていたようだ。
その昔はその金山の前線基地であったのだろうか。
徳和の名前は恵林寺を開いた夢想国師が修行した乾徳山にちなんで名付けられた地名であろうが一つの理想郷のような場所だ。
運命共同体という表現が適切か。お寺や神社や学校やお店屋や全てのものが揃っている。
しかし、昨今の少子化と経済の近代化で限界集落となっているのではないかと思う。

徳和集落には藁屋根は見当たらなかったがその上にトタンを被せたと思われる古民家が目立つ。
ここでは建て替えや改築があまり行なわれていなくて昔の建物がそのまま残っている。
建て替える事を好しとする風習が芽生えなかったものと思う。

その民家は生活している。


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笹子雁ガ腹摺山(山梨百名山15)

2010.08.22 07:18  投稿者:ootaminoru

笹子にある雁ガ腹摺り山(1358m)へ行って来ました。
その昔、雁が山を越えて国中地方と郡内地方を行き来したのでしょうか。
国中と郡内を隔てる笹子山塊です。
武田勝頼主従40余名も田野で進退極まり迷走して日川渓谷で果てる事になりました。
その一番低い所が笹子峠ですが、そこからコースタイム70分尾根を横移動した高台が笹子雁ガ腹摺り山です。
写真1がそれです。

甲府盆地から江戸への最短の街道は甲州街道で、なんと昭和13年まで昔のままの峠道を使っていました。即ち矢立の杉を見ながら峠を越えなければなりませんでした。
写真2が昭和13年開通の笹子隧道です。

それよりも先、明治36年に鉄道、中央線に汽車が走りました。
鉄道の開通は甲府盆地と東京の距離は一気に短縮しました。
そして昭和11年から3年の歳月を掛けて笹子峠の真下、長さ100㍍の笹子隧道が完成しました。

写真3は笹子峠頂上の天神様です。


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道標

2009.05.31 06:08  投稿者:ootaminoru

古いと思われる道標がありました。

マツダランプのロゴは東芝が1910年から1962年まで使った商標だと判りました。1962年は昭和37年です。
ですから昭和37年以前のもので立てられてから47年以上経つ事が判りました。個人的なことですが昭和37年は私の二十歳の時で青春に突入する時期でした。

写真1と2は下部の毛無山山中で、写真3は昨年1月に歩いた甲府市の要害山から岩堂峠の山道です。

商標はとっくに東芝ランプに変更になっているのに、山の中ではそれをとがめる人も居ないし道標としての役目はキッチリこなしていますので現在尚、健在なのでしょう。

この道標はホーロー引きの鉄板でその当時は看板や広告に多く使われた材質だった。
今でも食器や鍋などに使われています。
鉄板に鮮やかな顔料を塗装し焼付けて更にガラスで皮膜を覆い焼き付けたものです。
表面のガラス部分が割れたり皹が入らない限り焼き付けられた顔料や鉄は酸化することなく酸やアルカリ性等の化学変化に強く殆ど経時変化がないと思います。

47年前の道標が今尚、鮮やかに残ってそ...


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湯の奥村

2009.05.28 05:46  投稿者:ootaminoru

戦国の時代から続く金堀衆の里の村落だった。
湯の奥(中山)金山採掘場から下って来て耕作の出来る富士川流域まで10キロ以上あり、その中間の山の中の傾斜地に張り付くようにして小さな村落があります。

その50戸程の村落の中心的門西家にはこの地を治めた代官や関守としての古文書が残っているそうです。はるか戦国の時代から続く家系であり、村落だそうだ。
現在の当主は17代目だそうだ。
関守としての仕事は毛無山を越えて富士山側に下ればそこは静岡県の朝霧高原の麓村落であり、街道になっていたのかと思う。

村落の一番高台に神社がありました。
案内板に金山衆の信仰の守り神だったと記されています。
きっと昔は湯の奥(中山)金山の採掘地、精錬場の村落現場にも神社があったと思いますが、江戸時代に金の産出がなくなり採掘精錬現場の村落は廃村となり神社も消滅してしまったものと思う。
採掘場へ登る登山口には言い伝えに依りますと金堀衆の守護神である金山神社が七社あったと書かれています。
現在では里宮としてこの集落に鎮座するのみになったものと思い...


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福楼(甲斐善光寺御開帳)

2009.05.26 18:48  投稿者:ootaminoru

甲斐善光寺の境内で巣立ち間近の福楼(フクロウ)の兄弟が居ます。
現在、甲斐善光寺は御開帳ですがあと数日の5月31日で終ります。

私は未だ当分時間があると思っていましたが気がつくと、もう日にちが無くて5月25日に慌てて行って来ました。
善光寺御開帳の戒壇めぐりや宝物殿の見学も終わり、境内に出ました。
境内の裏側で数人のカメラマンが500ミリの望遠レンズを装着した一眼レフタイプのカメラを三脚に立てて松ノ木のてっぺんから下1メートルを狙っています。
聞きますと巣立ち前のフクロウの兄弟がいるのだそうです。

私はコンパクトデジカメで精一杯ズーム望遠で狙って手持ちで撮影しました。写真1です。

前立阿弥陀如来三尊像を見れた事よりもフクロウの巣立ち前の兄弟が見れたことに幸せを感じました。
脚を使って取材に出掛ける。偶然とは言え思わぬ出会いがあります。
これからも脚を使って(現場主義で)「わいわいねっと」 を続けようと思います。

追伸:善光寺如来は阿弥陀如来三尊像です。
この仏様が日本伝来で一番古い仏像と言う事になるのでしょう...


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志摩の里を歩く(北山野道)

2009.05.25 17:12  投稿者:ootaminoru

志摩の里を歩いてきました。
湯村付近を志摩の里と言います。
甲陽軍鑑に信玄は志摩の里(湯村)で湯治をしたと書かれているそうです。

時代を少し遡りますと武田信虎が荒川の飯田河原の戦いで本陣を敷いた地点が千塚八幡神社だそうです。写真3が千塚八幡神社です。
この戦いで信虎は駿河の今川勢の福島正成に大勝して武田同族団をピラミッド状に纏め上げる結果となりました。
その時に信虎夫人である大井夫人は躑躅ガ崎の館が危ないと要害山に逃げてそこで産んだ子供が晴信です。時に大永元年(1521年)信虎が躑躅ガ崎の館を築いて3年目、晴信が誕生した年です。


甲府市教育委員会は甲府市の北山野道として散策路を指定し案内しています。
今回はその案内板に従い志摩の里巡りをしました。
他に板垣の里、小松の里、表門の里が用意されています。
写真1を参照。

上代は古墳、歴史時代には神社と仏閣しか世に伝わらないのだと解かりました。
人は生きている間だけなのですね。

志摩の里をざっと一回りして3時間のコースです。
丁寧に廻れば4時間から5時間コースかな。
観光...


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山梨県庁を観光の目玉に

2009.05.24 18:03  投稿者:ootaminoru

宮崎県知事はパーホマンスで宮崎県庁を観光資源に変えた。
売り物は県知事自身だけれどもその場を県庁に振った。
山梨県知事横内正明氏にそれを望むのは無理だ。あのカメラから目線を外して早口に喋るスタイルは人気が出ません。
官僚出身者だから仕方がない。

山梨県庁自身が観光の活性化の資源そのものにならないかと考えて、そこで考えたのが山梨県庁の建物や庭です。
そもそも県庁敷地内は甲府城の城内だった。しかしその遺構は現在目に触れる姿では保存されていないが柳沢吉保、吉里時代からの遺構地割が解かっています。
隣の甲府城と合わせて甲府城として見学すれば広い臨床感が満喫できるだろう。

県庁の建物は南側別館が昭和5年の物だ。観光企画課、観光振興課が入っている建物は昔は初代県立図書館でこれも昭和5年だ。議会議事堂が昭和9年だ。
明治以降の建築物は近代化遺産と言い、骨董価値が出てきましたが日本のその時代を代表する建造物としてはやや個性が少なくインパクトが低い感じがする。
それは明治末期の大水害の後遺症で貧乏県なため機能性だけを重視し...


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狛犬さん ワン

2009.05.21 17:19  投稿者:ootaminoru

狛犬さんの起源は中国で皇帝が就務する部屋の四隅に皇帝を守護する為に持ち込まれて魔除けとして置かれていたものらしい。
日本には奈良時代に既に持ち込まれていて正倉院の裏の000堂には木製の小さな置物用のものが現存するらしい。
それ以来、神社には狛犬さんとして神社の本殿を守護するために参道に石造で置かれ、一方寺院仏閣では仁王さんや寺の桁の守り神として広く使われようになった。
鬼面瓦なども転じたものかもしれませんね。
沖縄ではシーサーとか言ったかな。屋根や門柱に乗っかっているようです。

狛犬さんのモデルは架空の動物であったり、犬のチンがモデルであるとかその道のマニアは研究熱心です。更にどちらかには頭の上に角があるそうですね。

写真1と2は裏の五十嵐さんちのポチです。
既に二度三度と私のブログに登場しています。
この犬も番犬です。五十嵐さんちを守護しているのです。
邪悪なものを寄せ付けません。狛犬さんと同じなのです。
しかし善良な市民には実に優しい目をしています。
恐い顔をしていれば良い訳ではありません。
ましてや人を見...


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美和神社

2009.05.21 14:12  投稿者:ootaminoru

古い時代からの由緒ある神社です。
日本武の尊の仲介により奈良の三輪山の三輪神社から甲斐の国の000が勧請し創建したのが美和神社だそうです。祭神は国つくりの大物主尊です。
180人の姫を誕生させて国つくりに励んだそうです。

武田信玄も勝頼もそして義信も戦勝を祈願して、叉天変地変(大水害)等の災いから逃れるように祈願し奉納しています。叉家康も奉納していますが甲斐の国の平穏を祈願したのでしょうか。
叉甲斐源氏の祖、新羅三郎義家も奉納しています。
神社の宝物からの物語です。

信玄はこの甲斐の国二ノ宮美和神社と一宮の浅間神社と三ノ宮の玉諸神社に竜王新宿の三社神社へお御幸を命じています。守護大名の権力だけではなく神仏の旧権力を動員して竜王新宿の川除けを甲斐の国を挙げて取り組もうとした姿勢がうかがえます。


御坂の県立博物館で金ゴールド展の帰り道立ち寄りました。
境内の広場で子供たちが砂子埃を立てながら大声を張り上げて走り回って遊んでいました。
狛犬さんが一対居ました。動と静の平和を感じました。

ここの狛犬さんは武田神社の...


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黒川金山遺蹟

2009.05.20 18:05  投稿者:ootaminoru

何故武田軍団は強かったのか?

最近、甲府市の駅前、県民プラザへ来るお客様は県内の人が多い。
私は県民プラザの武田ワールドで観光のお客様に問いかけます。
そして私は次のように(私なりの解釈で)ご説明します。

①信虎がピラミッド状の家臣団を形成した。それを引き継いだ。
②兵農分離を当時としては最先端の程度まで進めた。(武田城下町の
 形成)
③金山経営による軍資金の調達
④臨済宗の僧侶より中国の知識や兵法を学んだ。
⑤甲州ご法度55か条の制定
ETC

しかし県内のお客様はこれでは納得しません。
武田信玄公の人望と度量の大きさ。即ち個人崇拝の英雄をご自分から話さないと納得しません。勝頼は器では無かったんでしょう。
で締めくくられます。

武田軍団を支えた経済的基盤は金山経営の部分が大きい。(直営ではなく金山衆なる独立の技能集団)
戦争は今も昔もお金が掛かります。
武田の金は黒川金山、湯の奥金山がその主力だった。

平成21年4月25日~6月15日まで県立博物館で「金ゴールド」の特別展を開催しています。
そしてその中の最後のブースは甲...


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明治の養蚕を支えた一瀬桑

2009.05.07 12:42  投稿者:ootaminoru

自慢話は客観的に地域社会に共有するものは臭くない。
おさらいの意味でもう少し旧三珠町の自慢話にお付き合い下さい。

1 養蚕産業を支えた桑

明治34年上野村(旧三珠町=現市川三郷町上野)の一瀬益吉氏は明治時代に桑の代表品種を選出育成した。
明治31年一瀬氏は忍村(旧豊富村=現中央市)から桑の苗を仕入れて自家養蚕用に育てた。その中に生育旺盛で大きな葉の良質な桑の一本を見つけた。
それが評判で次第に周辺の地域へ広がっていった。そして大日本蚕会の認めるところとなり栽培配布が行なわれて明治時代以降の桑の代表品種となった。
後年、一瀬桑の母樹が市川三郷歌舞伎公園に記念樹として植えられています。写真1
既に100歳を越しています。

2 芦川第一発電所

我が国の電気事業は明治20年に移動式発電機によって東京の鹿鳴館に白熱電球が点灯されるのに始まりました。
移動式の意味は小型であった意味から実験機であり火力発電(石炭)であったことを意味しています。
我が国の発電の歴史は火力発電から開始されているそうです。

明治33年5月に当時の上...


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右左口峠(迦葉坂)

2009.05.05 10:22  投稿者:ootaminoru

阿難坂(女坂峠)に先立ち別な日に中道往還の右左口峠(迦葉坂)へ行って来ました。
この右左口峠道は旧八代の曽根、中道(右左口宿)から右左口峠を越えて下芦川へ下ります。そのすぐ上に間宿として上芦川の古関があります。
古関から阿難坂を越えて精進村に下ります。
二つの峠がある訳です。

右左口峠の事を迦葉坂と言うのは右左口宿に浄土宗の迦葉山尊敬泉寺があります。そこから名前が出ていると思います。

現在、右左口宿の集落の外れから峠までに20体の石仏が残されています。その内のかなりの数は台座だけで石仏の本体はありません。
叉聞く所に依りますと右左口宿の集落の外れから山裾部分の街道にもたくさんあったそうですが現在はなくなっています。
売れるんだそうでですね。海外に出てゆくとか。
困ったことです。祟りで対向するしかないでしょうね。

石仏は馬頭観音、千手観音、聖観音、如意輪観音などなどです。
頂上の峠の高台に一対の石の祠があります。
私はこれが山の神だと思います。写真2がそれです。


平成21年4月20日に行って来ました。カタクリやヒ...


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中道往還精進の宿

2009.05.05 07:38  投稿者:ootaminoru

中道往還は若彦往還(大石峠から河口湖へ)と河内往還(富士川沿いの道)の中間に位置し八代の中道(左右口宿)から迦葉坂(右左口峠)を越えて下芦川に下り古関から阿難坂(女坂峠)を越えて精進湖の精進村に達し本栖湖湖畔から現在の富士宮市に至る街道です。

戦国時代には駿河から叉は甲州側から出兵し通過した道であったし、徳川家康や織田信長もこの峠を通ったとされています。

精進湖の精進村にはその街道の宿をイメージする茅葺の民家が何軒か残っています。
その集落は健在ですが一番山付きの茅葺民家は何れも廃屋です。

今回、古関側から阿難坂の全コースを歩く計画を建てましたが昭和41年の災害で精進湖隧道の古関側までの道は崩壊し歩けませんでした。精進湖隧道の古関側からは古道が明確で途中崩落した場所もありますがそこから阿難坂(女坂峠)を越えて精進湖畔まで歩いて来ました。

中道往還全般については項を改めて書くとして、ここでは近い将来見られなくなるであろう精進村の往時の茅葺家屋を紹介しておきます。

この道は駿河から甲府まで最短距離の道と...


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秩父往還栃本関所

2009.05.05 05:44  投稿者:ootaminoru

秩父往還は江戸時代に整備されたものですが、その始まりは戦国時代武田信玄が秩父に進出し更に関東に進出するときにその街道の警護を固める為に既に関所を設けて中山氏を配していたといいます。
そもそもこの街道はヤマトタケルノ尊が関東や東北へ出兵のために通過したとされるルートであり、大変古い街道です。

秩父側の山中に栃本関所跡が残っています。

関所の前に説明版がありましたので簡単に要約してみます。
慶長19年(1614年)秩父は天領で関東郡代伊奈忠治が藩士??に任じて大村氏を関所役人とし世襲で幕末まで役職に着いた。
ここ一箇所の関所では不十分なので寛永20年(1643)、旧大滝村麻生に甲州側には三富川浦とに加番所を付設して警護を強めた。
予め川浦と麻生で夫々通行手形を見せてハンコを押して許可されたものが栃本関所にやって来るシステムにしてあったそうです。

川浦加番所は甲州側の諸事情に明るい役人だったと思う。恐らく世襲制で地元の人間を取り立てて採用したものと思う。

そもそも関所の役割は関東側(江戸)から出女、関東側(江...


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治水工事(信玄堤)

2009.04.21 05:46  投稿者:ootaminoru

釜無川の治水や水防を行なう工事は何時始まったかは定かではありません。
おみゆきさん(三社御幸祭)の歴史などから戦国末期の武田信玄の時代よりはるか昔、中世平安時代(西暦825年)から後世に信玄堤と称する地点で水防を祈願する三社神社の神事が行なわれていた事から何らかの治水工事が行なわれていたと推測されます。
恐らく地元の豪族や農民によって自然発生的に治水工事が行なわれていたと思われます。

2008年6月6日 山梨学院大学生涯学習センター「やまなし学研究」信玄堤の山梨の治水  畑 大介(帝京大学山梨文化財研究所)より要約。

甲府盆地に在住の方は一度はここ竜王の信玄堤及び御勅使川、その周辺の治水工事の要の地を見学して置く事をお薦めします。それは竜王のこの地で流路を東進から南進に変更していますが工事以前は北杜市方面から流下する釜無川はそのまま直進し甲府市貢川、徳行、石田、国母、大里、小河原、小瀬、を経て落合付近で笛吹き川と合流していたと推定されています。
叉昇仙峡方面から流下してきた荒川は高畑1丁目、伊勢町1...


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茅が岳(4月10日)

2009.04.13 04:25  投稿者:ootaminoru

山に登って何が見るか?何を思うか?

あと一年グログを更新させて頂いて山の魅力を掲載してみようと思う。
「山があっても山梨県。」
山梨県人は本当に山に登りませんでした。
それでも平成9年に山梨百名山が制定されて故郷の山に登るようになって来ました。

登山者と一般観光客は別の人種だと言われています。
即ち別な文化を持っているのであって登山者を増やしても登山をしてそのまま帰って行くので地域活性化に結びつかないとも言われています。
しかし、富士山信仰の富士講があって今日の世界遺産登録に繫がった事は誰も反論しないだろう。

山梨百名山をテーマに改めて取材登山をしても夫々の登山行きに独自性や差別化がはたして出来るのであろうかと不安です。
失敗を恐れず観光の裾野、叉は頂点とも思われる登山について挑戦してみます。

韮崎の奥の穂坂村落から登ります。
日本百名山を出筆した深田久弥の終焉の地です。
登山の途中、脳溢血により亡くなられました。

メインルートは女岩のある谷ルートです。女岩とはよくぞネーミングをしたものと感心します。安山岩の滝状...


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祭りの合い間

2009.04.12 08:36  投稿者:ootaminoru

信玄公祭りの甲州軍団出陣(4月11日午後5時半)を待つ間の夫々の人の姿を追って見ました。

写真1は午後2に武田二四将を甲府駅前の官庁街や商店街に各陣屋に集合した武将とその配下の足軽や雑兵です。
ビールを飲んだりおでんを食べたり戦の前の腹ごしらえです。

写真2は南口駅前のロータリーで山梨交通の発着所が馬の待機所です。
馬は体が大きく体力もありそうですが全く動かなく静かに立っています。
時々乗馬する鎧兜の武将に頬擦りをしたり武具を舐めたりして遊んでいますが本当にお利口さんです。
乗馬する武将とは長いお付き合いではないと思うのですが。

写真3は県庁に待機した馬場美濃の守信春の陣屋です。
何故巫女さんが居るのかは私には分かりませんでした。
お友達との会話がとても楽しそうで、衣服が好対照したので撮らせていただきました。


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4月2日の甲府城(6)

2009.04.03 08:50  投稿者:ootaminoru

城郭の代表的な風景はお堀と天守閣だろう。
残念ながら甲府城には天守閣が復元されていません。

それは記録として天守台の上に天守閣があった、そしてどんな姿の建築物であったか、それらの記録が残っていないから復元しようがないのです。
しかし、金箔鯱瓦の破片が出土していますので考古学的には天守閣があったと推測するのが有力らしい。
しかし、仮にそれらの資料が有ったとしても、このご時世ではお金がありません。


現在、山梨県にある水を湛えたお堀は甲府城と武田氏の館です。
前者は築城時の石積み様式を表す野面積であり後者は土塁です。
それぞれの時代を表す築城技術なのです。

写真3は稲荷櫓です。明治の初期までありました。これは復元した建物です。
二階部分は城下町への見張りで、一階部分は武器類の貯蔵用倉庫でした。

平成21年4月2日に撮影しました。


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送別会&卒業式

2009.03.31 15:34  投稿者:ootaminoru

3月下旬のこの季節は送別の時期であり卒業式の時期です。
何れも新しい態勢と体制で出発する門出です。

中央市国際交流協会日本語教室でポルトガル語と日本語の通訳をしていた男性が母国のブラジルへ帰る事になった。
彼は在日15年で日本語も堪能です。日系二世です。ファミリーネームに多根が付きます。
日本語堪能を活かして通訳として活躍していました。
そもそも中央市の日本語教室の創設者でもあります。仲間を動かし、行政を動かし、、、、、。



3月29日の日曜、日本語教室の6ヶ月間ワン、クールの卒業式(終業式)が行なわれました。
受講生にとっても一つの区切りです。
多根さんはそこで最終の通訳の仕事をして日本語教室関係者全員とお別れの挨拶もしました。

日本に来て15年、本人は言いませんが本当に頑張ってきました。
自分の生業としての仕事に、そして同郷のブラジル人に対する幅広い働き掛けに。
多くの仲間を得て幸せだったと締めくくりました。
ブラジルへ帰国して今度は日本人にポルトガル語を、日系2世には日本語を教えるそうです。
国際都市ブラジル...


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信玄堤

2009.03.31 06:05  投稿者:ootaminoru

武田信玄を語るとき、その国内の経営で話題になるのが治水工事です。
竜王の釜無川の氾濫原に川除け村落を作り川普請に当らせた。
現在の甲府市内への幾筋にも分流する暴れ川を鎮めて川筋を上流側から順に変えて南進させて現在の川筋に近づける基礎を作ったと言われています。

しかし具体的に川除けとは如何なるものであったのか、その工事の内容を記した記録は何も残っていません。
川除けの村落を作った事は永禄3年(1560年)に竜王河原宿として棟別役免許を条件に集住者を募集、永禄8年に近郊から50軒が移住して村落を形成した記録が残っています。
叉三社神社のおみゆきさんを復活させています。中世の早い時期から既に三社神社のおみゆきさんは行なわれていましたが中断していたか、若しくは荒川流域を守る為のもので上石田付近で行なわれていたと推定されています。
武田信玄は改めて盆地内の古い勢力をこの治水工事に関係付けて多くの人材を集約し提供する仕組みを作ったと思われます。

記録の多くは江戸時代以降のものです。
信玄が死亡したのは1573年で勝頼が...


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甲府駅の思想

2009.03.19 21:44  投稿者:ootaminoru

昭和60年駅ビルが建設された時に国際興業が寄付した宝石絵がこれです。
対として御坂山塊越しの富士山のモザイク絵があります。
昭和61年に甲斐路国体が開催されました。

羊飼いのミレーの絵です。

県立美術館の新装成ったミレー館に最近行って来ました。
この羊飼いの原画に対して次のような説明がありました。

ミレーが活躍したこの時代にフランスでは牧畜業従事者は区別(差別?)されていたんだって。
やはり定住農民の方が集約的な収益をあげられて村落を形成し文化的で、非定住民は一段低い身分として軽くみられていたらしい。
ジプシーの生活です。

そうした当時のフランスの社会的事情を知らないとミレーがこのようなバルビゾン村で描いた農民絵の羊飼いの絵画の持つ歴史的な思想的な意味を見出せないだろう。
私は決してこの絵は綺麗な絵画ではないと思う。

当時ミレーの絵画は評価されなかったが1867年のパリ万博で名声を得た。
保守主義的な人からは「貧困を誇張している」「社会主義的だ」との非難が纏わり付いていた。

こうした歴史的で思想的な絵と山梨県を今...


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フアンシーロード八番街

2009.03.13 16:26  投稿者:ootaminoru

フアンシーロード八番街

失礼ですが私にはこの名前に馴染みがありません。
平和通としか認識がありません。
しかし、かつてはこのファンシーロードが有名な名前であり場所だったのでしょう。


私はかつて甲府市の駅前通りやオリオン通りや春日町を闊歩した経験が殆どありません。
しかしミニスカートの時代にはこの駅前のファンシーロードやオリオン通りを闊歩する事が若者には何よりもお洒落な時代があったように思われます。
その頃の甲府駅前の若者のファッションは東京の銀座や有楽町?に順ずるものであり、この付近に出没し生息する事は最先端のモダンガール、モダンボーイのミニ東京の住民を意味していたと思う。
ここを歩く為に特別お洒落な衣装を身に纏いそぞろ歩きをした時期だったでしょう。
一極集中、山梨県では甲府市のこの辺りだし、日本列島の中心は東京だった。
若者はドンドン都市へと流れた。

フアンシーロードは甲府駅舎のエクランが建設されたのは昭和60年で昭和61年に甲斐路国体が行なわれましたがそれよりもはるか昔、昭和50年頃にフアンシーロード八...


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甲斐駒ケ岳

2009.03.09 11:36  投稿者:ootaminoru

甲府市内からの甲斐駒ケ岳の写真です。

写真1は甲府駅南口の東側の道路で線路沿いで甲府城へ抜ける道の山梨交通百貨店とエクランビルの間から撮影したものです。正面奥に武田信玄公の銅像が見えますね。そしてロータリーに山梨交通のバスが入って来ました。
ここからの写真は冬季でないと欅の葉が邪魔をして撮影不可能です。

そんな事もありここからの甲斐駒ケ岳は山梨県の内外で殆ど知られていないでしょう。

写真2は平和通の県庁前の門の部分から撮影したものです。
写真3は荒川に掛かる千秋橋からのものです。

これ等の写真、特に前者二つは殆ど見過ごされてきている風景です。

着地型の観光の企画や立ち上げに有効な資源の発掘に役立つ価値観は何か?
①地域社会で見慣れた当たり前の価値観だけでは駄目。
②都会を覆うグローバルスタンダードの価値観だけでは駄目。

③両者のせめぎ合いの中でやり取りすることによって始めて発生する両者を包含する構造的な価値観だと思う。


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右左口宿の早春

2009.03.05 15:09  投稿者:ootaminoru

一本の街道の両側は宿場町の家屋がびっしり並んでいます。
間口はほぼ10間くらいで家屋は5間(10メートル)ほどの間口で奥行きが物凄く長い。
75メートルくらいあると思いますが街道と平行して裏道が付けられていてその裏道の外れは畑になっています。

白菜と大根が日の光の中にありました。自家消費用だろうと思います。
越冬野菜です。
草むらに仏の座の赤紫の花が咲いています。


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中道往還右左宿

2009.03.04 14:27  投稿者:ootaminoru

中道往還は甲斐の国から駿河の国に至る最短距離の街道でした。
ですから駿河湾で獲れたマグロなどの鮮魚はこの道を通って甲府の商人街の繁華街へ運ばれました。一昼夜で馬の背に積まれて寿司屋、鰻屋その他飲食店、旅籠屋に魚介類が卸されました。
甲府盆地と富士五湖地方を隔てる御坂山塊の盆地側のドン詰りの宿場町が右左宿です。
街並みを拝見しますと繁栄した様が偲ばれます。

上宿の浄土宗の和尚さんに伺いますと昔ながらの右左口峠を越えて古関に出てそこから更に精進峠を越えて精進湖に至る街道はもはや、通行できないらしい。右左峠までの間が失われているらしい。
よおし、今年の夏は失われた峠道を探検してみよう。

1582年武田勝頼が新府場から小山田を頼って敗走する時に二手に分かれて勝頼を追って甲府盆地に乱入した織田信長と徳川家康軍でしたが家康の侵入路がここ中道往還であり、いち早く、右左宿の人は家康に従順します。
ここに家康の仮の陣屋が置かれたらしい。

この右左口宿は山崎ホウダイの生誕そして居住した地であり、現在は更地になっていまして住...


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間道、遊び道、正面道

2009.03.04 13:58  投稿者:ootaminoru

道にもいろんな用途と目的があります。

ここは県立文学館の道です。

①正面の道から周回道路への誘導路です。
周回道路の奥まった場所から駐車場に直接出られます。
職員駐車場や業者の搬送車などが出入りする場と裏門があります。

②遊び道です。散歩道です。
回廊式の日本庭園風になっていて緑が多い。

③正面の道です。
近代化とクラシックをミックスしたような重厚さを売り物にした玄関道です。左手に噴水と右手に芝生の丘があります。


小瀬のスポーツ公園は都市型のヨーロッパタイプの公園でここ、文学館と美術館の公園は日本庭園風になっています。
チマチマとした日本庭園樹木が植えられています。


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桑畑(右左口宿)

2009.03.03 15:15  投稿者:ootaminoru

手入れの行き届いた桑畑を見るのは久しぶりだ。

お雛様の節供に右左口を訪ねてみました。
中央往還の右左口宿の街道にびっしり家が並んでいます。その街道に平行して裏道が走っていてその間に間口は5間奥行きは75メートルくらいの横長の区画にびっしり家屋が並んでいます。
宿場町特有の地割がそのまま残っています。
裏道は山を背にした畑が広がっています。

この右左口宿の一番高い場所にあるのが上宿で、そこのお寺は浄土宗だった。
境内で生垣を治している住職さんに伺いますとこの辺りでは浄土宗は珍しいそうです。多いのはやはり禅宗だそうです。


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甲府城の柳門

2009.02.23 18:39  投稿者:ootaminoru

廃藩置県後の甲府城と柳門
甲府城は明治維新後は廃藩置県で無用の長物となりました。三つの代官所が管轄地を治めたりしましたが明治4年に山梨県が誕生しその初代県知事は藤村紫朗であり当時は県知事のことを県令と称しました。その時、藤村紫朗は28歳だったそうです。熊本出身で明治維新の立役者(官軍)の一人でした。明治維新の立役者はみんな若かったんですね。

甲府城は中央政府の陸軍が接収しまたが聯兵場には不向きであり、その後陸軍から県が借り受けて実質的には県が使っていたようです。鍛冶曲輪には各種の勧業試験所が建設された。明治9年には県立の葡萄酒醸造試験所が建設されてワインの製造が行なわれた。城内の曲輪は葡萄栽培農園となった。
話は逸れますが、ワインの発祥の地は山梨県でこの県立葡萄酒醸造所から技術者が育ちました。

ほぼ明治10年頃までに城郭内の建物や門、塀は壊されてしまいました。
時代は下がりますが明治36年に中央線が東京から開通します。
城内の北半分は中央線の甲府駅舎やホーム、線路になり東側は明治33年に甲府中学校に...


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県外の観光案内

2009.02.22 18:23  投稿者:ootaminoru

県内外を含めて甲府駅周辺は観光情報の集中拠点です。

甲府駅ターミナルの改札口中央の広場にはJRのデスネーションキャンペーンの舞台あって簡単な飾り付けがしてあります。なかなか楽しい雰囲気に包まれています。
三月(ミツキ)毎変わって行きますが今は春の菜の花房総と雪深い北東北でした。周囲に沢山の関連する観光冊子が置いてあります。

その他、遠距離用の伊切符売り場にも沢山の観光キャンペーンチラシや冊子があり更に北口へ抜ける通路にも沢山の種類の冊子がおいてあります。

それらのチラシや冊子は単独の県だったり、北東北の岩手、青森の二県合同であったりします。
一部づつ頂いて来て家で編集方法などを参考にします。
どれも素晴らしい出来です。写真が多くカラフルで綺麗です。
売りとするその季節のイメージを明確に出して特徴的な観光拠点やスポットを紹介しています。そしてそこでどんな楽しみが味わえるかを。

どの県も観光客誘致に一生懸命である事が分ります。
生きた教科書です。


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甲府市民が失った山々

2009.02.19 13:38  投稿者:ootaminoru

百年後に残さなければならない甲府市民の財産は何でしょうか?

近代化、便利さ、忙しさに目を奪われて山の都が残さなければならない掛け替えのないものを沢山失って来た。

富士山も北岳、間の岳、鳳凰三山も甲斐駒ケ岳も失った。
甲府駅界隈からこれ等の山の眺望を見たことがありますか?
これ等の山々と一緒に毎日の生活の中で暮らした事がありますか?
甲府市民の心の中に富士山も北岳も間の岳も甲斐駒ケ岳も皆消えてなくなってしまった。

歌川広重の富岳三十六景は庶民の生活を正面に描きその遠く向こうに小さく富士山が描かれています。
富士山は小さく線描きされているだけにすぎません。
富岳三十六景の主題は富士山と一緒に暮らす庶民なのです。
県立美術館のミレーの作品と同じなのです。
描かれた時期も同じです。
どうして甲府市民はミレーの絵画(自然主義)を大切にして、山の都の掛け替えのない自然を大切にしないのでしょうか。
本当はミレーの絵画を何も分っていないのだろうな。
時価何億円かの絵画。金、金、金、金、金、金。金が全て。
金だけが全ての価値基準。金...


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2月16日沸騰都市東京

2009.02.16 14:19  投稿者:ootaminoru

2月16日沸騰都市東京

NHK総合テレビPM10~ 第8回沸騰都市 東京(最終回)

繁栄する都市。
今日はその8回目で最終回です。
このシリーズは昨年4月からの放送でした。
国境やイデオロギーを越えたグローバル市場経済、金融経済の渦巻く世界規模の波の中で煮えたぎる都市を追って来た報道でした。

国境やイデオロギーの枠を超えて経済がグローバル化しています。そしてそのことによって人間の暮らしそのものが大きく変貌して来ています。

文明や文化を考える上で個性や地域性を焼き尽くす炎のようなグローバルニズム。
その事は観光立県山梨は、やがてグローバルスタンダードの尺度で値踏みされてその個性の輝きを失うのだろうか?衰退し過疎化して自然に戻ってしまうのか。
乱開発に酔った清里の繁栄。そして衰退。そして現在の新たな試み。
改めて都市とは何か?都市と地方の機能を考えて見たい。

山梨県立美術館のミレーの絵画はフランスの郊外バルビゾン村の1850年代の農村風景だ(正確には1830年~1870年)。日本では明治維新前の時代なのだ。既にその頃フランス...


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精進湖宿場町

2009.02.15 06:30  投稿者:ootaminoru

精進湖宿場町

甲州街道。この名称は駿河側から甲州への街道を示す名称で正に甲州街道なのです。
甲州側からは一般に中道往還と言っています。

駿河側からその街道の宿場町を列挙しますと
吉原ー大宮ー北井出ー人穴ー根原ー本栖ー精進ー右左口ー甲府です。

この街道は古代からあったと思われ、河口湖畔の大石から大石峠を越えて甲府に至る若彦路と共に大和朝廷の侵入路であり中道から曽根にかけての曽根丘陵の古墳群が当時の甲府盆地の中心だったと考えられています。

時代は下り戦国時に天正10年(1582年)武田勝頼は織田信長と徳川家康軍に攻められ笹子峠から大月の小山田氏に助けを請い敗走します。しかし途中の天目山で小山田氏の裏切りにあい進退極まり自害して果てます。
その甲州を平定し凱旋して帰る道として織田信長や徳川家康はこの中道往還から駿河に出いています。
即ち右左口から女坂峠を越えて精進湖宿場町に至り本栖から駿河に出たと考えられます。途中御殿場方面で癒やしたとも聞きます。

近世に至りますと駿河から海産物の搬入の最短距離であり甲府の商人...


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船津口登山道案内板

2009.02.13 18:17  投稿者:ootaminoru

道路標識「船津口登山道」案内板

国道139号線の交差点に船津口登山道の案内板があります。
この案内板に従って進みますと行き止まりになったら腹が立ちませんか?

昔々、私は一度案内板に従って進みました。そしたら行き止まり出した。
旧道の船津口登山道から歩いて五合目まで行こうとして果たせませんでした。

今度、もう一度確かめて行き止まりなら警察に文句を言いに行きたいと思います。途中から徒歩だろうが何だろうが車は途中で停めておいてそこから徒歩で昔の三合目バスロータリーについて、更にそこから昔なりの道を五合目まで歩けなければ船津口登山道と道路標識を出すな。と言いたいです。

この案内板は昭和39年スバルラインが開通する以前に河口湖から富士山三合目行きのバス道路だったのですが、スバルラインが出来て料金所の先でクロスするのでスバルラインの抜け道防止の為に行き止まりにして通行止めにしたのだと思います。此処で徒歩だったら先に進めるのかな?

もう一度、しっかり確認してからイチャモンを付けに行きたいと思います。
今回は忙しくて確...


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精進湖の狛犬様

2009.02.13 16:39  投稿者:ootaminoru

本栖方面から精進湖に入り精進湖畔から女坂峠を経て右左口峠に至り更に間か道から甲府に至る中道往還の街道が残っています。昔は甲府盆地から駿河への街道だった。

此処は精進湖から女坂峠への入り口です。
湖畔から暫く村落を歩きその山道に掛かる手前に村社諏訪神社があって樹齢1200年の杉があります。本当に1200年前からの木かどうかは分りませんが西暦800年は奈良時代です。
目通り周囲12mです。この杉は昭和3年に国の天然記念物に指定されています。
多くの旅人や武士がこの杉を見て通過したでしょう。
今では精進トンネルが出来て女坂峠は物好きなトレッキング愛好者以外全く通行されなくなりました。
峠には石仏があります。
昔は甲州から駿河へ出る一級道路でしたが寂れてしまいました。存在さえ忘れられてしまいました。

狛犬様が村社諏訪神社の入り口にあります。
やや小ぶりですが、可愛らしい狛犬さんです。
悪霊やならず者を追い払う狛犬さんです。
善人には優しく威張っていないのが嬉しいです。

平成9年10月の建立です。


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武田神社の三葉松(その3)

2009.02.11 08:49  投稿者:ootaminoru

三葉の松は日本の松には見られない性質を持っています。

①松毬に鋭い棘があって松毬を手で持てません。
その性質は4種類の三葉の松に共通しています。
写真の一番小さい松毬がリギダ松です。
武田神社や甲府城にあるものです。
若い未熟な内に種子を動物や鳥類に食い荒らさせない為の防衛の役目をしているのかな?

②松毬が10年くらいそのまま枝にぶら下っています。
受精して翌年には種子が実りますがそのままで松毬が落下しません。
受精するのが春です。1年後の翌年の春に熟成します。日本の松と同じです。ですが何時までも松毬が枝から離れないのは不思議です。
何時行ってもいっぱい煤けて黒くなった松毬がぶら下っているのは見栄えがしません。

③ 一番注目するのは不定芽が出ることです。
即ち、突然胴から芽吹き枝が発生することです。
日本の黒松、赤松、五葉松、這い松に至るまで皆同じで決して古い枝や胴から発芽する事はありません。
松は成長点を止めてしまうと決して不定芽が出てこないので庭木の松の剪定には特別の技量が入ります。
松の剪定が出来る...


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武田神社の三葉松(その2)

2009.02.09 17:06  投稿者:ootaminoru

三葉の松は日本には自生していません。
その状況証拠には三葉の松があるのは神社仏閣や学校などに殆ど限れています。
学校もその昔は神社仏閣だった場所が多いです。
日本の野山には何処にも生えていません。
数百万年前に絶滅してしまったそうです。

地球上で三葉の松は北米大陸の東部地区に生えていてそこが原産地です。
武田神社と同じ種類の三葉の松が甲府城の稲荷曲輪にも植えられていますが
この松はリギダマツという種類のマツです。
私が知り得ただけでも三葉の松は4種類あります。
写真1を参照されたい。
リギダマツは北米大陸のアメリカ五大湖付近に自生しているマツです。

アメリカ大陸がヨーロッパに発見されたのは1492年です。
アメリカがイギリスから独立したのは1783年です。
アメリカが南北戦争を終結したのは1865年です。
アメリカのペリーが浦賀に来たのが嘉永6年(1853)年です。
日本が明治維新を迎えたのが1868年です。
躑躅ガ崎の館跡に武田神社を建てたのは大正8年(1919年)です。

武田勝頼が躑躅ガ崎の館を破棄したのが1581年12月...


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武田神社の三葉松(その1)

2009.02.08 06:02  投稿者:ootaminoru

武田神社の三葉の松

武田神社の境内に葉(針)が三本の松が沢山あります。
普通の赤松や黒松の葉は二本ですし、五葉松の葉は五本です。
立て札には奇木「三葉の松」とあり次のような略歴が武田神社社務所名で書かれています。
「武田信玄公は信仰が厚かったので奈良県の高野山(真言宗)から種が飛来してこの地で実生から生えた」と書かれています。
更に、「大変、縁起の良い木で葉を身に付けているとご利益があり招福必来と言われています。」

この同じ松が舞鶴城公園の稲荷曲輪にもあります。
ご案内するお客さんに財布に入れているとお金が減らないと言って、松葉を拾ってお渡ししています。

これを読まれて武田神社にお参りの方は是非財布にいてれお持ち帰り下さい。

信仰と科学的な事実とは異なります。
次回掲載の武田神社の三葉松(その2)をお読み下さい。


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嘉永2年頃の中央市

2009.02.07 14:18  投稿者:ootaminoru

笛吹川と釜無川の合流する内側の股、三角州のような場所が中央市です。
嘉永2年(1849年)頃の絵地図に当時の村の位置と名前が記載されています。
既に現在と変わりません。

この付近は武田信玄の時代から釜無川の川筋を徐々に南側に変えながら現在の甲府市の水害を防ぐ土木工事が採られてきました。
それらの工事は江戸時代も継続して行なわれてきましたが一括して信玄堤に代表される信玄の川除け工事としての名称で呼ばれてきました。

竜王の信玄堤工事以後徐々に川筋が南進させられましたのでその下のほうの村は水害に見舞われました。
そうした負の現象もあったことを含めて史実として明らかにしなければならないと思います。

現在、そのような研究が進んでいません。
元になる資料が不足なのでしょうか。

この川除けについてもマダマダ明らかになっていないことがいっぱいあります。
中央市は釜無川と笛吹川の氾濫で悲惨な生活を余儀なくされた地です。
中央市今福新田では今でも二階の軒下に和船(川崎船)を吊り下げてある家があると言います。


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幕絵

2009.02.05 14:11  投稿者:ootaminoru

何故幕絵が?

江戸時代の末期に甲府城下の商業地(二の堀の内側)で小正月に幕絵が商家の軒下に飾られた。
スポンサーは商家で、有名な絵師による幕絵も沢山あっただろう。

今回、商工会議所が主催し公募した幕絵の大きさは縦1.63メートル。横10.6メートルです。
当時の寸法に合わせたものです。

五穀豊穣
子孫繁栄
無病息災
家内安全
商売繁盛

の願掛けだったでしょう。

幕を張る事の意味?
幕は戦国時代の本陣を表し本陣に大将がいて勝ち戦を指揮した。
その本陣に商家があって商家の繁栄を祈願したものだろう。
(山梨県博物館の学芸員による解釈)

しかし、そもそも幕絵を張る風習は極めて珍しく甲府の城下町独特の風習だったと考えます。
他でこんな行事をしたことを聞いた事がありません。
当時の甲府城下の商人たちの心意気と団結があって始めて成立する事であり
驚嘆します。

何故そんな風習が発生したのか?
史実としては判りません。

ここからは私の推定です。ミステリーゾーンです。
①防火対策
ドンド焼等の火を焚く小正月の行事は町から離れた村落にあっては当時盛んに行...


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武田神社の狛犬さん

2009.02.03 17:39  投稿者:ootaminoru

武田神社の狛犬さんは昭和13年でした。

今日、確認しに武田神社の狛犬さんの裏側に彫られている年号を見てきました。
そんな訳で「ブログとは?」に記載した昭和16年は誤りです。お詫びして訂正します。
尚、時代背景はほぼ合致しています。

どうぞ、武田神社の狛犬さんの胸を大きく膨らませて威張っている姿を見て下さい。あんまりにも威張って顔が上を向いていて目玉の位置が判りません。45度上空を睨んでいます。あれでは足元が全く見えないでしょう。

一方、酒折宮の狛犬さんは水平線の遠くを見ています。

参考までに申し上げますと武田神社は大正8年に出来ました。
従って昭和13年までの15年間?14年間かな?狛犬さんが居なかった事になります。


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日本語教室

2009.02.03 12:34  投稿者:ootaminoru

マスメヂアーでの報道では派遣社員、期間社員、研修生、外国人労働者は真っ先にリストラの対象とされていると聞きます。
ここ中央市でも、既に失業して母国に帰らざるを得ない人も出始めていると人伝で聞きます。
本当にいたわしい事です。

外国籍の人の日本語教室では日本語の習得に以前より積極的に取り組んでいます。

それは日本で失業しない為には職場の技能修得や真面目さの上に日本語によるコミニュケーション能力が問われていると言います。
本当に生活をかけた涙ぐましい努力が続いています。

写真は入門コースで今日は、ひらかなの「拗音」と「い形容詞」を学習しました。

一方、外国人に日本語を教える上で大切なのは日本語の取得も大切ですが母国語をキッチリ忘れないで所持しておいて欲しい事です。
日本社会と交流しながらもその人のアイデンテーです。


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酒折宮

2009.01.31 19:22  投稿者:ootaminoru

連歌発祥の地、酒折宮

第12代景行天皇(西暦111年)の御代に皇太子の日本武ノ尊が東方征伐に出て帰路になまよみの甲斐の国に仮宮を設けて逗留したのが甲府市酒折でそこで、歌会を開いた。

「新治、筑波を過ぎて幾夜か寝る」
その問に対して随行の武士は誰も返す者がいなかった。
火の番をしていた老人が「日々並べて夜には九夜、日には十日を」と答えたそうです。日本武ノ尊はこの片田舎に連歌を返す老人が居ようとは感激し相当な人物だとして褒美に東の国の造りにした。

後世編集された「常盤風土記」の故事から引用したとされる「古事記」「日本書紀」等に少し内容は異なりますが、上記の様な内容が記載されているそうです。

この話は上代の東征神話であり日本武ノ尊が実存し事実かどうかは判りません。
神話伝説に祀り上げたものと思います。
江戸時代の寛政3年(1791年)に国学者本居宣長が古事記や日本書紀を翻訳して判ったようです。

しかし、酒折宮の裏山は三輪山に似た山がありその麓には古墳があります。
こうした事から甲斐の国の曙の時代に関東の群馬県や茨...


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宝石の加工技術

2009.01.19 13:43  投稿者:ootaminoru

宝石の加工技術

山梨県には宝石加工の地場産業があります。
宝石関連製品の出荷額は業界で凡そ30㌫と国内トップの座を占めています。
叉100万円以上の商品の50㌫以上をこの山梨県から出荷しているとも聞いた事があります。人から聞いた話ですが、、、。
そして凡そ400億円に迫る経済貢献だそうです。

でも、それって県外の人は誰も知らないと思うよ。
だって、宝石にも宝石の箱にも山梨県で加工しているとか、山梨県の工房で作っているなんて何処にも書かれてないもん。

この地場産業を支えるに至った歴史的背景は山梨県の北部山岳地域に水晶が沢山産出した経緯から発しているようです。
しかしその加工技術や研磨技術は山梨独自に開発されたものではなく地域外からもたらされたようだ。
石和にある地場産業会館に技術取得の経緯や発達の過程が説明されています。

私の推測ですが第二次世界大戦時に戦場で使う無線通信機の発信機に水晶発信装置が組み込まれていましたがその水晶発信チップ製造に引き続き山梨県は戦時下を通じて細々ながら水晶の採掘や葡萄酒からの酒石...


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富士山の物語

2009.01.13 18:14  投稿者:ootaminoru

富士山が出てくる記述として一番古いもの三点は次の通りです。

日本霊異記(にほんりょういき)
富士山記
竹取物語

何れも平安初期に書かれたものらしい。

山梨県立富士ビジターセンターの奥にパネルの説明板がありました。
アーそうなんだ。

この内、日本霊異記は僧景戒が編集した仏教説話集ですが民衆が迷信や神々から離れて仏教を信仰してゆくさまを描いています。
行基などの仏教高僧の名前が出てきますが全国の山々をスーパーマンのように飛びまわりお寺を次々と開山してゆきます。

富士山記は頂上の様子を具象的に記載されていて火口には青い水が溜まり火口壁から蒸気が出ていて虎のような大岩が火口壁にあると記載しています。虎岩と言います。その頃は富士山は爆発を繰り返していた時期ですが既に頂上まで登った人がいたことになります。
編者は都良香(みやこのよしか)ですが書記官みたいな仕事をする高級官僚です。
富士山に登った誰かからの言い伝えを書き記したものらしい。

竹取物語はかぐや姫が月に帰ってゆく物語ですが帝に不老長者の薬をプレゼントします。帝はか...


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信玄堤

2009.01.08 08:49  投稿者:ootaminoru

釜無川が御勅使川と合流する竜王の高岩付近以下の下流域の護岸を信玄堤と言います。
御勅川には石積み出し、将棋頭、十六石大岩などの石積遺蹟があり、信玄堤には霞提や聖牛や蛇籠などなどの土木工事の遺蹟や資料が残っています。


昨年12月17日から1月19日まで御坂町の県立博物館でシンボル展「信玄堤」をしています。
私は隣の市ですし釜無川下流域の住人なのでかなり知っているつもりでしたが、改めて展示物の科学的発掘の成果及び文献を網羅した総合的且つ微細な展示や解説には目から鱗の部分が多い。


今日1月8日博物館に行って来ました。
3時間ゆっくりとみて来ました。
まだ見ていない方は是非ご覧になって下さい。
叉信玄堤は山梨の歴史拠点の一つです。現地も機会がありましたら是非、、、と思います。


写真は信玄堤です。
①は釜無川本流の聖牛(ひじりうし叉はせいぎゅう)です。流速を減じて砂礫を沈降させて護岸を守ります。
②は堰から取り出した分流です。
③は明治以降の洋式堤防です。


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八ヶ岳天狗岳(その4 雪の中を歩く)

2009.01.05 12:11  投稿者:ootaminoru

北杜市に宿泊する、長期滞在する登山者を大切にするとは交通手段を保証する事だと思います。
北杜市の観光に関する繁栄の鍵を握るのは交通問題だと思います。

現在地域社会の交通問題としては高齢者社会が進むにつれてそこに居住する高齢者の移動や買い物、等などの地域の公共交通が取りざたされていますが、観光の繁栄条件として交通問題の認識はほとんど無いだろう。

北杜市は山梨県内で一番広い面積を有する市です。602.9平方キロメートル。
その76.4パーセントは森林だそうですから残りの23.6パーセントは非森林地域です。従来は芦安村が一番広い面積を誇っていたと思います。南アルプスの北岳周辺の山岳地帯を全て包含しているからです。

北杜市は人口4万9千469人で世帯数1万9千765世帯です。
明野村、高根、長坂、小淵沢、須玉、大泉、白州、武川の8村が合併して出来た市です。
私の住む中央市は31.8平方キロメートルで人口3万2千136人です。
人口一人当たりの比率では中央市の12.3倍の面積を北杜市が持っている計算になります。

地...


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北岳巡礼

2009.01.03 07:44  投稿者:ootaminoru

北岳(3193㍍)は不幸な山です。
日本で富士山に次いで高い山にも係らず、山梨県民から顧みられません。
全国からの日本百名山を登る登山客が一度は訪れる山です。
登山者の巡礼の地なのです。

山梨県側では毎年そのほとんどが、南アルプス市の芦安から公共交通で、広河原に入り、そこから登山して北岳山荘や肩の小屋で一泊して下山しそのまま帰られる山です。
ほとんど甲府盆地の里には宿泊しません。
甲府盆地の民には北岳を含む白根三山を崇める文化が成立していなく、おもてなしの心が欠如しているからだと思います。

北岳の山容は甲府市内のほとんどの場所からは鳳凰三山が手前に立ちはだかり見えないか叉は見えても頂上の一部しか見えません。
北岳の特徴をはっきり見える場所が甲府盆地の里で一点しかありません。
もっと富士山のように周囲から広く眺められ愛でられる山だったら県民にも人気が出たでしょう。

ただの一箇所だけ北岳らしい特徴を見せる位置があります。
それは甲府盆地の中でやや南部の中央市地籍で桃林橋の橋の上及び中央市側の土手の上です。
県道市川...


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卸売市場の晦日

2009.01.02 16:50  投稿者:ootaminoru

市場年末最後の晦日に思う

卸売市場は平成20年12月30日で昨年最後の商いを終えました。
今年は1月5日から初競です。
山梨県の食料品の多くはここから配送されます。
しかし、年々その商い高、量とも減ってきていると言います。

その理由は流通経路が変わって来たことが一番大きな原因です。
即ち、甲府中央市場を経由しないで契約栽培、産地直送、県外のJAと直接交渉、叉は東京築地や秋葉原の中央市場経由で中間流通を中抜けする傾向が強まってきた事です。大型スーパーマーケットは殆どこの傾向が強いようです。
叉物流経路は道路事情が良くなり物流はチルドチェーン、フローズンチエーンが確立してきていることです。
このままの傾向が続けば先々山梨県で消費される食材は県内の中央市場を経由しないようになるだろう。叉は地方市場経由で細々と末端の小売に供給されるにすぎません。

叉、山梨県内の生産農産物は甲府中央市場に還流されません。それは如何なる理由によるものか私には解かりません。
大変不思議な事です。
道の駅や農の駅だけで県内の農産物が還流され...


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御来光

2009.01.01 10:15  投稿者:ootaminoru

明けましておめでとう御座います。
昨年は大変お世話になりました。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
益々私達が幸せになるように、そして山梨県の地域社会が発展するように頑張りましょう。

平成21年元旦

写真は20年12月31日竜ヶ岳にて撮影しました。


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下部温泉駅

2008.12.27 19:00  投稿者:ootaminoru

下部温泉のあるJR東海の下部温泉駅です。

昭和25年乗車数  697人/日
昭和55年乗車数  555人/日
平成17年乗車数  226人/日

昭和2年12月17日開業する。開業当初からの駅舎で木造平屋建て黒い瓦葺。
井伏鱒二もこの駅から乗り降りしたであろう。
下部温泉街は1km上流側にあります。
「信玄の隠し湯」と宣伝したり、ひなびた温泉のイメージから大型バスで大人数が直接宿泊施設に横付けは似合わない。
コトコトと身延線のドンコ電車に揺られて下部温泉駅に下りて、駅前からタクシーに乗って旅館なりホテルへと向うのが似合っているように思う。


私は宿泊したことがありません。
湯の奥金山博物館で年間5回の公開講座を聞きに来ます。
自家用車で富士川に沿って52号線を南下して鉄橋を渡って下部温泉駅に来ます。
踏切を渡って暫くの湯の奥金山博物館にやって来ます。

武田時代を代表する金山史研究公開講座が平成9年から継続してここで開かれています。12月13日は58回目でした。
今年のテーマは「湯の奥金山とその周辺。河内地方の原風景を追...


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八ヶ岳天狗岳(その5 歩く オマケ)

2008.12.26 15:44  投稿者:ootaminoru

人が歩いた踏み跡をなぞって歩く。
それは道路だ。
こんなに安全で安易な事はない。
人にぶら下って生きてゆくのは楽チンだ。
作業手順書、取り扱いマニアル、規格書、人の道、女の道などなど行動の多くはガイドラインで守られ規制され導かれて安全に安心に行動しています。

新雪が積もって、まっさらの雪の原を歩く時、後を振り向くと自分の足跡が付いています。
なんともゾクゾクとする快感を経験されたことがあるでしょう。
開拓者としての緊張感、孤独、そうした非日常の清清しさを感ずるでしょう。

登山、取り分け雪山はそうした凛とした気持ちで行動します。
毎日の生活の中ではほとんど失われてしまった感覚です。小さな試みですが自分の存在を再認識します。
フロンテア精神を取り戻す事も有益です。


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4月まで咲き続けるシクラメン

2008.12.26 15:24  投稿者:ootaminoru

ジベレリン未処理のシクラメンは4月頃まで咲き続けます。

以前はそうではなかったのですが、最近のシクラメンは花屋さんで買い求めた時がもっとも豪華で沢山花が咲いていますが時間を経るに従い先細りの傾向になりませんか?ひと月も経つと葉ばかりになってしまう。

花屋さんで売られているシクラメンは花卉市場で取引されているものを花屋さんが仕入れて来ます。
花屋さんはどんなシクラメンを仕入れてくるかと言いますと現在そして近い将来もっとも沢山開花する株の鉢を仕入れてきます。
花屋さんの店頭でお客様によく売れるからです。

花卉栽培農家はどんなシクラメンを花卉市場に出荷するかといえばジベレリン処理をして一斉に開花するように肥培管理した株を出荷します。
クリスマスとかお正月にピークをもって行き一斉に開花させる花作りにします。

ジベレリン処理は蕾を一斉にほぼ同時に開花させる成長促進剤なのです。

ですから花卉市場を経由しないで、即ちジベレリン処理をしないシクラメンをコダワリの栽培農家から直接買って来るか、若しくは花卉市場経由の花屋さ...


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南アルプス市のシクラメン

2008.12.24 11:31  投稿者:ootaminoru

現在、南アルプス市は花卉栽培が盛んです。
特にハウスでのシクラメン栽培が盛んです。

その昔は水がなく月夜の晩も焼けると言われた原野だった。
徳島堰が出来て水を得て畑や水田も出来た。
しかしその多くは桑畑だったそうです。昭和20年以降は果樹栽培へ転換した。

更に資本を投下して集約的な農業へ起業家への道を歩んだ。

メリークリスマス。
そしてもうすぐハッピーニュウイヤー だ。


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八ヶ岳天狗岳(その3 雪の中を歩く)

2008.12.23 17:24  投稿者:ootaminoru

八ヶ岳は南北に繫がっています。
東南部分は山梨県、それ以外は長野県の地籍から連なっています。

観光客にとって、叉登山者にとって八ヶ岳や八ヶ岳高原は山梨県や長野県のどちらに属していようが構わない事であり、そこへ行けばどんな場所でどんな楽しみがあるかということが大切な訳です。
長期的には山梨県と長野県の連合体で八ヶ岳及び八ヶ岳高原の楽しい場所と楽しい遊びを提供しあって一泊二日を更に二泊三日、三泊四日に移動して点から面へ楽しめる八ヶ岳、南アルプス北部、瑞垣山、金峰山、茅ケ岳含むエリアとした観光ポイントを連ねて連泊をしていただく構想が将来的に必要な事だと思います。

八ヶ岳の長野県側にはスキー場やリゾート施設、宿泊施設が完備しています。
ですから、山梨県側にこれから高度な社会資本をつぎ込んだリゾート施設を仮に建設しても太刀打ちできないでしょうし、稼働率低下で苦しい経営を強いられる事でしょう。
しかし、長野県側のそれらの施設は住民の住む地域社会と住み分けた高原の林の中に施設があって地域社会と隔離した姿でリゾート...


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八ヶ岳天狗岳(その2 雪の中を歩く)

2008.12.22 09:28  投稿者:ootaminoru

山梨県は押し並べて申しますと長野県に比較して雪の生活を通して雪の文化が少ないと思います。

しかし、北巨摩郡はその雪と触れ合う唯一の山梨県側の地域社会であろうと思います。大切にしたい地域の資産です。
富士山天神ノ森や御坂のスキー場や富士急アイススケート場もありますが例外です。
富士五湖も昨今ほとんど結氷しなくなり、ワカサギ釣りも期待できなくなりました。又、山中湖の白鳥も鳥インフルエンザで人気が出ません。

冬を楽しむイベント、その根っこの部分は積雪の風景であり雪遊びだと思います。

北八ヶ岳の天狗岳であれば歩いて2時間半から3時間の黒百合ヒュッテまでなら誰でも来れます。防寒具とそれなりのトレッキングシューズ、スパッツなどなど足回りや手袋などの防寒対策を施していれば大丈夫です。
一泊二日の雪の中を歩く旅は素晴らしいでしょう。

同様に山梨県側の八ヶ岳高原でゲレンデスキーにクロスカントリースキーやバードウオッチングや森の中の動物達探し、トレッキングなど冬を楽しむイベントやコース作りを沢山出して欲しい。

すぐに観光客...


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金峰山への道

2008.12.21 14:39  投稿者:ootaminoru

牧丘で花豆を見て北海道開拓移民の苦労を思い出し、大弛峠から樹林帯を歩きます。
樹木の壁で隔てられて先がまるで見えません。黙々と辛抱強く先を信じて歩きます。
樹林帯が切れて明るい世界に飛び出しました。
這い松の緩やかな起伏の丘に至り金峰山の頂上へ。
金峰山を極楽浄土の世界と見立ててしばし下界を見渡します。
持参した御握りと水を出して一休みしました。
近代化以前の人の心と人が集まる集団社会の変遷の歴史を透視し垣間見ます。

山梨新報(平成20年12月19日)
当世の山梨県下の状況を見出しから探ってみます。

①特集「甲府中心街」オギノ撤退。再生に赤信号。行政支援に限界も

②県林業公社「どうする負債265億円」採算の見通しが立ちません。
 
③倒産予備軍が増加。全国最低レベルへ。背景に構造的(人口減少や人材が集まらない)問題が。
帝国データーバンク甲府支店長談。

④地方復活。間伐材プロジェクトの始動を

⑤暴力団移転で反対集会「指定暴力団稲川会系山梨一家」の移転問題で増坪地区協議会は総決起集会を開いた。

⑥防衛省職員(自衛隊北富士...


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金峰山

2008.12.20 13:22  投稿者:ootaminoru

金峰山は信仰の山だった。
中世以前に遡るのだろう。
複数の里宮があると聞きます。そこから登山道が付けられ金峰山に導かれます。金桜神社もその一つです。

古来から人は何を求めて山に向ったのでしょうか。

写真は7月28日、大弛峠から往復しました。
途中の牧丘(山里)では花豆の赤い花が咲いていました。
高冷地、寒冷地で育つ豆です。

明治時代末期(40年と43年)の山梨県を襲った大洪水で全県下から沢山の被災民が家族単位で北海道へ農業移民しました。
甲府城の本丸にある恩賜林記念碑は洪水で荒れた天皇御用山を県に無償で譲渡していただいたとする当時の県知事が天皇に対して感謝の念を表敬した謝恩碑です。が、被災者の多くの苦難を印した記念碑は何処にもありません。
全てが忘れ去られようとしています。

羊蹄山の麓に入植した被災民は夫々頑張りました。しかし結果的に失敗に終りました。
甲府市出身の下山嘉吉はこの花豆を栽培する事で一家の生計を立てようと頑張りました。
しかし、土地や家屋を同郷の移民に譲渡し一家は東京に出て更に甲府市に戻り昭和20年...


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地域観光戦略

2008.12.19 12:17  投稿者:ootaminoru

観光は地域なり。
宿泊旅行統計調査が平成17年から実施されて、旅行者の行動が始めて明らかにされた旅の実態を分析した地域活性化戦略の教科書が出版された。

インバウンド観光に係る仕事に従事したり、関連の地域興しに従事するには
企画力養成講座で渡された「地域におけるインバウンド観光マーケッテング戦略」総合研究所、研究代表:溝尾良隆 が詳細で且つ全てを網羅されていて最適のテキストに違いない。
しかし、私の能力からは詳細であるが故に体内に血となり肉となり滞留することなく未消化で殆どが排出してしまいました。
これは一つには、インバウンド観光の具体的な就職口が今のご時世で不透明な性でもあると思います。叉私自身が本気ではない部分だろうと思います。
要するに「猫に小判」なのだ。

ところで、2008年11月25日発行の「観光統計から見えてきた地域観光戦略」著者:額賀信 はインバウンドに対象を絞ってはいませんが観光に関するまさに教科書だと思う。

サブプライムローンの破綻から世界経済は失速し、日本でも製造業、一際自動車産業やカ...


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甲府城内武徳殿のイチョウ

2008.12.14 09:00  投稿者:ootaminoru

茶碗蒸に銀杏(ぎんなん)の取り合わせ
これって、どうして?

茶碗蒸。これって薬膳料理の一つらしい。
薬膳料理って何?
否、精進料理から茶碗蒸しは生まれたのでは?
そもそも銀杏(いちょう)の原産地は?


インバウンド観光にはあまり関係がないのでは?
しかし、外国人が日本料理の一品として茶碗蒸しを食べている時、そして銀杏(イチョウ)の樹を見ている時に日本の伝統料理の茶碗蒸しと銀杏(ギンナン)にまつわるお話をするのも食の文化の紹介になると思います。

そうした諸々の意図からイチョウについて調べたことを書いてみることにします。

①銀杏(イチョウ)の原産地は中国(安薇省宣城県)
 イチョウは原産地が中国で平安末期から鎌倉時代に渡来したらしい。
 中国でも、ある特定の地域の山中に細々と自生していたらしく11世紀に 発見されて宮中や仏教寺院に植えられ人気が拡大して広く大切に育てられ たらしい。
 その後、中国から新しい仏教(禅宗)が平安末期から鎌倉時代に伝えられ 中国から禅宗の僧侶や日本人の中国帰りの留学生が沢山日本へ渡ってきて...


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里垣地区の英霊の碑

2008.12.13 17:42  投稿者:ootaminoru

里垣地区(善光寺、酒折)の里山を藪漕ぎ同様にして歩いていたら突然目の前に高いコンクリート製の記念碑が現われた。

先般、酒折宮を尋ねたついでに不老園の間を通り抜けて里山の入り口にある連歌の記念碑を見に行った。そして更にそこから奥の里山に入っていった。

連歌の碑の場所は古墳時代の横穴式古墳群の一つであり上部に覆われていた土砂及び天井部分の岩を取り除いた石棺のあるお墓そのものが露出している場所のように思う。考古学の古墳には素人なので誤っているかも知れませんん。
二世紀頃?東国支配の為に大和政権が駿河の国から房総を経て前線基地であった関東平野へ戦線を拡大して蝦夷支配を強める時期だったでしょう。あるいはもっと奥の東北まで行ったとする説もあります。
皇子日本武尊は筑波より帰途について甲斐の国のここ、酒折宮で暫く滞在されて癒された。しかし日本武尊自体、実在の人物とは思われなく、後世に創作されたフイクションだと思う。しかしそのような東国支配へ戦いが繰り返し行なわれたことは事実であろう。
その折に連歌を詠まれたとす...


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八ヶ岳の魅力(その3 山岳)

2008.12.11 07:47  投稿者:ootaminoru

冬季に皆が皆、山麓に暮らしている人が山岳に登ることはかなわないでしょう。
しかし、杜や林の中を散策する事は出来ます。

写真は平成19年2月10日八ヶ岳の天狗岳への道すがらです。
八ヶ岳は沢山の峰の集合体です。
体力に合わせてその時期、その時の気象状況などからかんがみ沢山の山岳登山ルートから選択する事が出来ます。
無理なくコースを選択して楽しむ事が出来るのが八ヶ岳の特徴です。

この日は吹雪いて天狗岳の頂上直下で引き返しました。
手前の山の奥に東天狗岳が隠れています。

先に進みましたがここから先は写真を撮影できませんでした。


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高野山の観光取組み

2008.12.10 12:03  投稿者:ootaminoru

ない物ねだりをしてもしょうがない。
他と比較してもしょうがない。

しかし、何かを立ち上げる時はマーケッチングの手法で、ターゲツトや競合品、差別化、ブランド、価格等など市場の動向を観察する必要がある。
即ち、都道府県、市町村単位に観光の戦国時代であることを忘れてはならない。

内閣府政府広報室発行のCAB(キャビ)ネット「暮らしに役立つ政府情報誌」の11月号に特集、私の町を見て下さい。高野山と出雲の観光記事が出ていました。
*私は中央市役所総務課のカウンターに置いてあり頂いて来ました。


高野山
フランスやスペインからの外国人観光客が増加している高野山。
僧侶や宿坊の人々から町の喫茶店に集う人まで、町の様々な人達が外国人観光客をもてなしています。

英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語を使い外国人観光客に高野山を説明するクルト厳蔵さん。高野山在住11年、スイス出身の役僧。
海外にいて仏教や日本のことを学びたい人からのメールに毎日4時間掛けて返信しています。その他etc。


出雲
此方はインバウンド観光ではなく国内観光だ...


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八ヶ岳の魅力(その2 杜を歩く)

2008.12.10 06:50  投稿者:ootaminoru

杜や林は人類の長い間暮らしていた生活空間です。
理屈を越えて掛け替えのない場所なのだと思う。

八ヶ岳の山や山麓そのものが素晴らしい。
しかし、その素晴らしさを現実的にどのようにして北杜市の繁栄に結びつけるか?
抽象論ではなく具体案で示せと質問が飛ぶでしょう。

私はまず地域の人たち皆が山や山麓に親しむ事から開始されるべきだと思う。
北杜市人口50,011人(平成19年1月1日現在)の人達が杜や林の中を歩き叉山に登ることから開始されるべきだと思う。
四季を通して、コースを変えて、仲間を変えて、毎年生活の一部分として繰り返し繰り返し山や杜と親しむ事だ。夏のキャンプも素晴らしい。

そうした行為から、生活から山や杜を崇める事が心の中で自然に醸成して来るでしょう。

絵画に描いたり、俳句にしたり、音楽を奏でたり、写真に表現したり、、、、歌を歌ったり。山や杜がいとおしくなるでしょう。故里の山河が愛しくそして朝夕眺める山河を通してそこでどっぷりと自然と共に暮らしている自分たちが掛け替えのない時間の流れの中で幸せを感ずる事で...


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外国籍児童生徒の学習支援

2008.12.07 07:42  投稿者:ootaminoru

平成20年12月6日から毎週土曜日の夜、7時から9時まで中央市外国籍児童生徒の学習支援教室を立ち上げました。

市民として在籍する児童は小中学生を合わせて153人です。その内の130名が中南米(ブラジル、ペルー)です。

インバウンド観光で訪れる外国人に魅力ある日本であることは、そこに住む住民が幸せで暮らしやすく安全で安心できる郷土である事が絶対条件だと思います。
そこに住む人々全てが誇りをもって自分たちの郷土を愛し、幸せに暮らしていると思う実感を伴っていることが何よりも必要なことです。

山梨県の甲府盆地の真ん中に小さな地方の自治体があります。
人口3万1千人の中央市です。
歴史的には釜無川と笛吹側の合流点の内側に出来た砂州であり明治時代を含めて洪水の常習地でした。
平成の大合併の時期に旧田富町、旧豊富村、旧玉穂町が合併して市になる最低の人口3万人をクリアーして出来上がりました。

山梨県下で人口比率で最も外国人が多く住むのは中央市です。約7㌫、2,200人の外国人が市民として暮らしています。
グローバルな社会...


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対面販売と言う商取引の形態

2008.11.24 21:04  投稿者:ootaminoru

商取引の形態は人間関係をも育む。

物のやり取りはその物の価値を相互に認め合う事のような気がします。
交換価値と経済学でいうらしい。アダムスミスはその他に使用価値とか稀少価値なんて言っているらしい。

ここでは交換価値について話をします。
交換価値、それはその商品を作った人への感謝の念だと思う。

その昔々、物々交換の時代は物のやり取りは物の交換価値を相互に認め合う事だったと思う。
そこには物を通して相手への努力の感謝があった。

貨幣経済に移行して物のやり取りから造り手に対する感謝の念が希薄化し始めた。
商業が発達して中間業者が介在するシステムになって捉物化が進み効率化が進み富の蓄積と合理性が進んだ。
情報、流通システムが発達して、例えば自動振込みになってお金にも人へも感謝が消えた。


感謝を取り戻す手立があるのだろうか。
そもそも日本の近代化は明治維新に始まり合理性を追求する洋学を学び宗教が省みられなくなった。祈り、信仰の原点は感謝に始まると言います。
ありがとう御座います。いただきます。を言わなくなって来た。
関西の...


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槍ヶ岳と富士山

2008.11.20 13:57  投稿者:ootaminoru

槍ヶ岳

槍ヶ岳。アー槍ヶ岳。
日本人の登山者なら一度は登ってみたい憧れの山です。しかし登山者以外の一般人には縁や所縁の遠い山です。中部山岳の深山に聳える山です。
東京や名古屋、大阪から幾つか列車を乗り継いで内陸地の信州に分け入ります。日本の秘境とまでは行きませんが信州の田舎に至りそこから山に分け入ります。非日常の地域であり非日常の世界です。しかし信州の風景はかつて子供の頃住んだ故里と似たところがあります。
叉そそり立つ岩の堆積はスポーツ登山の聖地の感がします。大人を対象とした高度のアスレチック遊具の様でもあります。
現在の高齢者には子供の頃に生まれ育った田舎の山河を彷彿させる郷愁を持っています。心の故郷探しでもあります。
私は人を替え季節を変え、ルートを変えて10回以上登って来ました。
平成17年9月23日の写真です。

外国人にとって富士山は登山者でなくても登ってみたい観光地です。浅草の雷電門や新宿歌舞伎町、京都御所と同じ名所だからです。
東京と大阪のゴールデンルート上にある旅の途中の観光地です。
名所旧跡...


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山の旅(ユッタリした時間の流れ)

2008.11.19 13:30  投稿者:ootaminoru

ユッタリした時間の流れ

円高で海外旅行が容易になった。
そうでなくても、航空賃が安くなった。昔は365円の時代に本当に限られた人だけが円をドルに替えて海外旅行に出たそうだ。
その頃の若者たちの憧れは涸沢で連泊してゆっくりする事だった。
ここの世界は氷河期の名残のカール地形でヨーロッパアルプスを彷彿させるものであり、槍ヶ岳、穂高岳を背景とした山家だけが味わえる特権だった。
槍ヶ岳、穂高岳登山をする者だけに与えられた別天地だった。

動があって静がある。
上高地の河童橋からの美しさも槍ヶ岳、穂高岳を登山して帰ってきて振り帰る者だけが味わえる、一塩の感慨が宿ります。
友と同時代に同じ景色を生きた共感を得ます。


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生キャラメルは何を売っているのか

2008.11.17 05:00  投稿者:ootaminoru

マーケッテング戦略で何を誰に何処で売っているのか?その値段は。

平成20年11月16日NHK総合テレビAM8時半の羅針盤「生キャラメルの秘密は」を見ました。牛20頭だけの小さな牧場を中心に花畑牧場は年商40億を売り上げる企業となった。
生キャラメルは原料や加工賃や経費を積み上げる価格決定ではなく、誰に何を何処で売るか?その付加価値を売る商品の値段付けが12個850円だそうです。

北海道を売っているそうです。従って売り場は飛行場であり北海道物産展だそうだ。
社長の田中義剛氏は元タレントで酪農学園大学を卒業して農業そして酪農を知っている。更に芸能界での激しい競争の中でマーケッテング戦略を身につけたものと思われる。

叉、十勝の花畑牧場は豚を飼育しているそうだ。
その豚は周囲の大型の酪農工場?から副産物で分離されるチーズホエーを飲ませているそうだ。それらの北海道ならではの自給飼料を多くして独特の飼育方法によって独特の味の豚肉を生産するに至った。
それを一杯1400円くらいだったと思いますがドンブリ御飯にして売...


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発泡スチロールのリサイクル

2008.11.16 07:20  投稿者:ootaminoru

発泡スチロールは石油の塊りです。

スチロール樹脂は他の樹脂と比較してペレットの比重は同等です。しかし発泡化した製品は嵩が増えます。
とても軽く嵩張るので一般ゴミとして混ぜられて焼却されてきました。
今でもカップ麺などの容器は焼却されているのではないかと思う。
魚を入れる魚箱は使用後の回収には輸送コストがかかり、今までリサイクルがどちらかと言えば遅れていました。

発泡スチロールは気泡を沢山均一に含んでいますので保温性に優れて断熱作用と機密性、断水性があり魚介類のチルド冷却品の輸送に多く使われています。

そこで卸売り市場の近くにステーションを設けて流通業者、小売業者が使い終わった発泡スチロールの箱を持ってきて頂きリサイクルの為の熱溶融施設を設けて処理してペレット(焼き芋状)に固化します。
それらの固化品は350㎏単位で纏められて、数が集まれば大型トラックで樹脂メーカーへ搬送されます。勿論有価商品です。
樹脂メーカーでは更に純度を上げるために加工してスチロール樹脂としてペレット化します。

しかし処理費用は水産組...


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甲府市中央卸売り市場の消費者感謝デイ開放

2008.11.12 08:20  投稿者:ootaminoru

今週の土曜の11月15日に12時から15時迄、甲府市中央卸売市場を開放します。お買い物が出来ます。
場所は20号線沿いの国母です。20号線から叉は県道市川大門線からが便利です。

普通は鑑札を持つ業者しか入れませんが1年に一度午後からですが消費者謝デイと称して一般の方が場内に入り買い物が出来ます。

インバウンド観光に興味がある人や関係する人は一度覗いておくのも何かの参考になるかもしれません。何かを感ずるかもしれません。
観光にとって、地域の食文化高揚にとって、地域の循環型経済にとって食材の問題は将来とも地域社会の大きなテーマだと思います。
このような基幹産業の充実があってその頂点に観光があるのだと思います。



マグロの競(せり)は午前6時に行なわれます。
一般の方は見学できません。

魚介部門で現在競が行なわれているのはマグロだけです。
昔のことは解りませんが現在ではこのマグロだけです。
他の魚介類は競では売り買いがなされていません。指値が決められいてそれを卸が買うシステムになっているようです。それだけ取引が少な...


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昭和5年県庁旧本館(その2)

2008.11.08 12:14  投稿者:ootaminoru

このような近代化のための行政府の建物として有名なのは札幌の赤レンガ北海道庁だろう。
明治政府にとって北海道の開拓に掛ける意気込みは政府の存亡を掛けたものであり国家プロジェクトだったはずだ。
その権力の象徴が北海道庁だった。

山梨県庁など目ではなかっただろう。
それでも階段の登り口には大理石の欄干があった。
壁は白い漆喰で固められているが当時は唐草模様などの極彩色の壁クロスに廊下は赤い絨毯だっただろう。


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昭和5年山梨県庁旧本館(その1)

2008.11.07 11:40  投稿者:ootaminoru

県庁旧本館をウロウロする。

ある時代、山梨県庁の下部組織として郡庁(郡役所)があった。
山梨郡庁、巨摩郡庁、都留郡庁があってその下に町村役場がありました。
県庁の役割と郡庁の役割はいかがなものだったのかと不思議に思ったことがありました。
それはさておき現在、岐阜県の犬山に明治村がありますがそこに山梨郡庁舎が移築して保存されています。

郡庁の存在は少なくとも明治40年以前の建築です。
私は明治40年の山梨を襲った大洪水の記録を調べる為に県立図書館で当時の行政資料を閲覧した時に韮崎の巨摩郡庁の数年間にわたる受発信文書を閲覧出来たからです。

山梨県庁旧本館に比べると犬山の山梨郡庁舎は実用よりも明治時代の装飾が派手になされた権威付えお目的にした建築のイメージが強い。
正面庇の下には菊の御紋章が付けられています。

郡庁もそうだったと思いますが山梨県庁は当時、勝手にウロウロ出来ない場所だったと思います。菊の御紋章の下には髭を生やした守衛が常時見張っていたでしょう。

何しろ、県庁や郡庁は下々の市民が出入りする用事などはな...


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身延山久遠寺のお会式

2008.11.06 19:20  投稿者:ootaminoru

10月13日は教祖日蓮聖人様の命日だそうです。

10月12日は前夜(祭?)でお会式が行なわれる。
お会式のメイーンの行事はこの万灯行列が全国から本堂に集まって日蓮宗総本山に参上した事を報告する大僧正様に謁見する儀式をさすのであろう。

この写真も山梨わいわいネットにはなかったので掲載しておきます。

正面奥のムラサキ色の袈裟を着ておられる方が大僧正様とお見受けしました。
前列にマトイを持った代表が立ちその後ろに団扇太鼓を叩いて踊った老若男女が立ちその後ろに枝垂れ桜の灯かりが整列します。


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日本最古の擬洋風木造建築物 旧見付学校舎

2008.11.06 12:44  投稿者:ootaminoru

写真1が日本最古の擬洋風建築物旧見付学校舎です。
明治8年(1875年)の建築です。
HPから写真をお借りしました。

山梨県内の明治時代初期の擬洋風木造建築物を藤村式と命名していますが、
藤村紫朗が現在の山梨県知事(県令)に該当するので山梨県ではそのように言いますが、その頃全国に明治政府から擬洋風木造建築のモデルが示されたものと思います。
ですから、あくまでも山梨県内だけの言い方で藤村紫朗がこのようなデザインを考案したのでもありません。

ただ藤村県令は教育に熱心で学制発布後直ちに学校を作ることを命じたものと思われます。
当時の学校は国や県がお金を出すのではなく(県が一部補助する場合があったかもしれませんが)住民が土地を含めて出資して建てるやり方でした。国や県にお金がなかったからです。戸長役場を各村落単位に設けて税金の取立てや学校建設の為の寄付金を取り立てる末端行政府機能を設けたそうです。
もう一昨年になりましたが吉永小百合様が主演した「北の零年」で憎たらしい悪徳戸長と戸長役場が出て来ます。村で発言力の強...


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久遠寺の五重塔竣工式

2008.11.06 11:47  投稿者:ootaminoru

今日11月5日五重塔竣工式が行なわれた。

夕食を食べながらテレビのニュースを見ていたら身延山久遠寺の五重塔竣工式の様子を報道していました。

そうなのだ。そんな事を言っていたな。今日だったのだ。

身延山久遠寺にとってこの五重塔再建に掛ける思いや、経済的負担に多大なエネルギーを通やしたことだろう。

山梨わいわいネットにはこの五重塔を写した写真が1枚もなかったように思う。誰かがその内に掲載するだろうとたかを括っていました。
これは久遠寺に対して礼儀を失する行為だろう。

そこで、昼間写した写真もありますが、これから嫌という程、見せられる事だろうから10月12日夜景の万灯行列の到達点、本堂前での儀式での写真を掲載しておきます。
本来ならば縦位置の写真を掲載したいのですが画像が小さくなりますので横位置をのみ選別しました。ご照覧下さい。

明治3年に喪失して以来のお披露目です。過去何度か建てられて前回は江戸時代の建設で190年前位になるそうです。

五重塔に対する講釈を致します。御用のない方と時間を持て余している御仁のみお...


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近代化建築物(その2 峡南の増穂最勝寺の旧小学校舎)

2008.11.05 18:06  投稿者:ootaminoru

山梨県に藤村式擬洋風木造建築物としての学校舎が五つ残されています。
その内、峡南地域にあるのが増穂町最勝寺の旧小学校舎です。
明治9年(1876年)の建築です。
写真1です。

甲府市古府中中町の武田神社境内にに明治8年(1875年)の藤村記念館があります。写真2です。
、、、、が現在、移築中で甲府駅の北側の新県立図書館や生涯学習館等の敷地に移すそうです。

参考までに日本で一番古い擬洋風木造建築小学校舎は静岡県磐田市見付にある旧見付学校です。明治8年(1875年)です。建築が出来上がった月が早いのでしょうか。横一線である事は間違いなさそうです。

叉牧丘町室伏の道の駅に明治8年(1875年)の旧室伏小学校の校舎が移築して置いてあります。

写真3は旧甲府商工会議所です。現在は甲府法人会館となっています。
これは大正15年(1926年)の建造物す。
写真3です。


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線路は続く何処までも

2008.11.04 12:00  投稿者:ootaminoru

南甲府の住吉本町踏み切りから(写真2と3)の景色です。
身延線は赤字路線ですが、その昔はどうだったのでしょうか。

この富士身延鉄道当初日本で一番乗車券が高い鉄道だと言われていたそうです。全線開通しては暫くして国有鉄道となった。それは太平洋側の東海道線は艦砲射撃に弱いので迂回路として内陸の鉄道を充実させる為の国有化がされたと聞いています。昭和一桁頃の国防は未だ艦船によるものが主力と考えていたからだ。国の買収は1933年正式に国有化は1941年だそうです。
だから始めから採算を度外視した路線だったと思う。恐らく黒字だった事は一度もないのではなかろうか。

それから1927年から電化された。従って甲府から身延が開通した1928年(昭和3年)は電化でスタートした事になります。


写真1は保線区の工事現場へ入れていただいて撮影しました。
レールが直角に曲っているのは引込み線です。線路が赤く錆びています。
甲府方面を向いています。

写真2は身延方面です。


写真3は住吉本町の踏み切りです。


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南甲府駅

2008.11.02 13:16  投稿者:ootaminoru

鉄道に乗って、ドンコ電車に乗って、ローカル線に乗って、ゆっくり旅をしよう。
山梨県人を始め国内観光者はゆっくり週末をひなびた峡南の地域を歩いてみましょう。宿泊は下部温泉があり、文化は日本の宗教、身延山久遠寺があります。その昔は建築材そして、パルプの原料である樹木の切り出しに、電源開発の為に鉄道が引かれて、観光には寺院仏閣の身延山久遠寺参拝が主な開鑿のエネルギーだった。
富士川に沿った村々の営みの変遷を辿っていただきたい。

これは中国や東南アジアの開発真っ盛り及び途上国の30年後、50年後の姿になるかもしれません。既になっているのかもしれません。
地方と都市。過疎と過密。温故知新。
峡南の歴史や風物から此れからのアジア諸国の開発途上国の建国に参考になるかも知れないと思う。

こんな地方鉄道に乗って旅するインバウンド観光の商品化が生まれないだろうか?


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甲府城山の手御門の砂利敷き?

2008.10.23 17:34  投稿者:ootaminoru

ある人が「甲府城の西側に基礎となる石垣に石を使っていない。あれは砂利です。」とグログで書かれています。「砂利の積み上げですね」とも書いて「古人の作ではない」とも言っておられます。
私にはその部分が特定出来ません。
そのブログの発信者に場所を特定して教えて下さいとコメントを書いたのですが公表していただけません。
改めて是非その場所を教えていただきたいと思います。
私は県庁職員ではありませんし、工事関係者でもありません。
ただ県の観光部観光振興課の依頼で甲府城御案内仕隊としてボランテアで甲府城をガイドする仕事をしています。
ですから、不具合と思われる?部分を知りたいのです。
ブログに書き入れなくても良いですからからどうぞご連絡をお願い致します。

甲府城は最近10年間に発掘調査や復元工事や補修など100億円以上を投入して行なわれています。
全て県の費用で賄われています。
その工事主体は山梨県です。中央線の南側(県庁側)は県の史跡で県有地です。
工事は全て山梨県庁の土木部が責任主体で管理運営しました。
私にはそれ程、原...


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大日陰トンネル(明治35年2月5日)

2008.10.23 14:50  投稿者:ootaminoru

明治35年2月5日、中央線勝沼大日陰トンネル貫通式

明治36年から中央線は営業を開始します。
勝沼から東京へ汽車に積み込んでブドウが出荷された。
近代化に貢献した大日陰トンネルは94年間働いて新トンネルにバトンを渡しました。
現在は静かに近代化遺産として遊歩道で公開されています。
当時のレンガ積みのままの姿で残されています。

このトンネル見学はブドウの丘のワイン等の催し物とセットでインバウンド観光の商品として売り出す事が出来るだろう。
私は家内と桜の花とセットで今年の4月9日に訪れました。
トンネルの出口は満開でした。


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身延山の歴史と文化(その5 万灯行列の影を観る)

2008.10.20 04:30  投稿者:ootaminoru

身延山久遠寺は信仰の山だ。
宗教はお題目「南無妙法蓮華経」、他の宗派では「南無阿弥陀仏」を唱える事に始まり唱える事で完成する。
即ち、信仰とは信ずる事から始まる。

一方、自然科学や社会科学は「百回お題目を唱えても何も進展しない。具体的な対策を講じよう。」で始まる。お題目は何の力にならない。
即ち、疑う事から始まる。
疑いそして仮説を立てて推理して実験をして証明しようとする。
疑うことから全てが始まります。その繰り返しの結果が少なくとも高度の文明やノーベル科学賞へと結びつく。

歴史学や政治学それらの人文科学も社会科学の一分野だ。
科学だから疑うことから始まり仮説を立てて証明しようとする。

無神論者の私は全く異質な次元の勉強を一泊二日で体験しようとしていた事になる。
楽しみでさえあった。
私は無神論者だと胸を張って居直っている訳ではない。先祖代々の宗派があって祖父母や父のお葬式の時に葬式仏教としてお付き合いさせていただいています。毎年お盆にはお墓参りをしています。

インバウンド観光客として日本の文化を知りたい外国人...


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西島和紙の里は花盛り

2008.10.19 06:30  投稿者:ootaminoru

西島和紙の里は花盛り

10月12日富士川に沿って国道52号線を身延の久遠寺へと車を走らせていた。
1泊の野外研修の日です。

トンネルを抜けたらそこは田園風景の西島の里だ。
その西島の里は稲穂の田圃の間に何区画かピンクに染まっている場所がありました。
美女を見初めた如く、久遠寺行を忘れて中富(西島)和紙の里入り口の信号を右折してピンクの区画へと急ぐ。
久遠寺はもう二の次となってしまいました。

写真二枚目の遠くの橋は富士川に掛かる峡南橋です。

峡南の地場産業として、叉かつての産業として和紙製造は特筆すべきものだ。
その歴史は古く中世の武田信玄の時代に遡るそうです。
文献では1598年徳川家康がまだ幕府を開く前の慶長3年に伊豆の修善寺の製紙工文左衛門にジンチョウゲ科の三椏を製紙用に伐採する事を許可しています。家康は職人を保護し紙漉き産業の専売制を敷いていたらしい。
叉1559年元亀2年に伊豆の修善寺の紙漉き技術が入っていたとする山梨側の記録があるそうです。
山梨県の製紙業は江戸時代に天領だった事に由来していると思いま...


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身延山の歴史と文化を探る(その4 万灯講行列)

2008.10.18 06:37  投稿者:ootaminoru

日蓮聖人は10月13日(西暦1282年)に今の東京、池上の地でお亡くなりになりました。61歳だったそうです。
その命日の10月13日の朝4時に掛けて祖師堂で前日の20時から徹夜でお説教が行なわれました。門限が22時でしたので残念ですが前座の部分で研修宿へ引き揚げました。

それに参列する全国の支寺から参詣の講が万灯行列です。
万灯行列は総門から門前市の商店街を経由して三門に至る2km間で行なわれます。
そして更に自動車にダンジリ?を積んで本堂前に集合して大僧正様の前で参加したことの証の練り供養と奉納式が行なわれます。
今年の参加は50講だそうです。

枝垂れ桜をイメージし、お神輿風の本体(ダンジリ)?に飾り付けられたもの。そして江戸の下町の火消し装束、その毛槍を振り振り、白装束の法被姿に団扇太鼓を叩きながらのお題目「南妙法蓮華経」をリズムに合わせて連呼します。

万灯行列に参加している人も私達のような見物客もリズムに合わせて拍子を取り身体を動かします。

このような灯かりを付けたダンジリを引っ張って歩き団扇太鼓...


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身延山の歴史と文化を探る(その3 熊王丸光長36代目)

2008.10.17 10:30  投稿者:ootaminoru

久遠寺門前街の西谷と東谷に分かれる三叉路の角にある「熊王土産店」の看板が目に入った。

そこで店主と思われるご婦人に聞いてみた。
増穂町に直木賞候補作家になった「熊王徳平なる小説家がいて沢山の農民文学作品を残していますが、此方様の看板の熊王様とご親戚ですか」

「親戚ではありません。、、、が熊王家は鎌倉時代の文永11年(1274年)に日蓮聖人様に随行して鎌倉から当地にやって来た家柄です。初代は徳永熊王丸光長で現在、夫は36代目になります。増穂の熊王徳平様は親類ではないけれども遠い昔は親戚縁者の可能性があるかもしれない。」との事でした。
更に「夫は身延山信徒総代を務めていて毎年続いている御年頭の会:1月13日」等などの行事では古式の長袴姿で出仕しております、とA4版の写真を見せていただきました。

熊王徳平さんは既に故人となられています。増穂町で散髪屋(床屋)さんをされていて小説も書かれていました。代表作に「狸と狐」等があります。
山梨県の人はこの作品群を低くしか評価していないようですが、私は高く買っていま...


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身延山の歴史と文化を探る(その2 菩提梯)

2008.10.16 08:40  投稿者:ootaminoru

三門と本堂をつなぐ287段の石段です。この急な階段の事を「菩提梯:ぼだいてい」と名前が付いて約40段で踊り場(テラス)があり叉次の階段群へと続いて行きます。
踊り場は六個あって一つの石段群×7は「南 無 妙 法 蓮 華 経」を一つづつ登るのだそうです。
そのように語呂合わせを施してあり、そして登りきった場所は悟りの境地の入り口に位置しているそうです。
これも始めて知りました。

写真1 287段を登り切り息が揚がったままの状態で振り返った階段下。
写真2 これから登りの石段に取り掛かる前の長い石畳。闘志がフツフツと    湧いてきた。
写真3 石段を登り始めの位置で躊躇する群像。登るのか登らないのか?

尚、この正面の石の階段が正式の登り口です。他に男坂と女坂が左右に配置されています。


登山者の石段の登り方
楽に一番早くこの階段を登る登り方を教えます。
そのコツは287段をいちども途中で休むことなく登り続けることです。
即ち、休まなくても石段を登り続けられるスピードで登り続けることです。
そのスピードはその人に依っ...


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身延山の歴史と文化を探る(その1 門前街から三門)

2008.10.15 12:04  投稿者:ootaminoru

インバウンド観光関連現地実習「身延山の歴史と文化を探る」に参加して。

10月12~13日身延山久遠寺において実習を受けました。
身延山大学の望月真澄教授からレジメを含む座学と実際の場にて説明を受けました。

歴史の部分では身延山に日蓮上人が入られてからの日蓮宗の歴史です。
文化では大伽藍を支える身延山総本山の大伽藍の建物や階段のガイドと総本山を支える支寺や坊との有機的な関係など。
樹齢400年の枝垂れ桜、今年11月に落成式をする五重塔の紹介、御会式と万灯行列について実地で研修を受けました。

この研修の結論としては、私達が体験した1泊2日の研修そのものがインバウンド観光の商品としてほぼ利用できるとのではないかな、、、、と思いました。
研修を終えてのレポートでも同じ事を書きました。

どっこい 恣意的に書かなかった部分を残してきました。
このシリーズの最後に薀蓄を披露させて戴きます。


写真1は三門
写真2は門前街のお饅頭やさんの蒸籠の水蒸気
写真3は門前街のお土産屋さんの水晶の置物


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北岳で出会った花達(その25 ナウマン象を探しています)

2008.10.14 18:25  投稿者:ootaminoru

ナウマン象を探しています。

北岳への第一歩は広河原に架かる吊り橋から始まる。
最近はテントを背負って登山をする事が少なくなった。
今思えば、夫婦で新穂高から一気に飛騨側から槍ヶ岳の肩の小屋まで。
叉新穂高から笠が岳のテント場まで登ったりして来た。
叉立山の雷鳥沢のテント場に幕営しベースキャンプ地として何泊もあちらこちらの山に雪中行軍して周辺の雪山に登ったりしたものです。


広い範囲の山域を歩いてきたが、その山を代表する植物に出逢うと嬉しい。
北岳ではキタダケソウでありキタダケヨモギでありタカネビランジ、
キタダケトリカブト、タカネマンテマであったりする。そして私達の郷土の八ヶ岳にはコマクサとツクモグサとウルップソウがある。
そして隣の長野県白馬岳に行けば裏日本の雪深い地方を代表するシラネアオイやキヌガサソウに出会う。

これ等の多くの高山植物はその植物のルーツとそこに分布するに至った経緯が分っている。そのものずばり、叉は少し変異した兄弟種や近縁種、母種が北海道を経由して北方領土へと繫がっているからです。
その一例...


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コマクサ雑記

2008.10.08 17:48  投稿者:ootaminoru

コマクサ雑記


1 コマクサの毒成分
 コマクサはケシ科ですからアルカロイドの毒成分を持っています。
ジセントリン、プロトピンで眠気、嘔吐、体温低下、呼吸麻痺、腎臓麻痺を起こします。しかし、少量であれば逆手にとって薬となり霊験あらたかなる御嶽山のご利益の表れだとして腹痛の妙薬として今でも製造発売している「御嶽百草」*の配合材として使用されてきた経緯があります。*長野県木曽郡大滝村 長野県製薬販売部
このように御嶽山の和漢方薬に配合されていたり、コマクサのことを「オコマグサ」と名付けて一株1銭で登山者に売られていたようで「一銭草」とも呼ばれていました。

 木曽駒ケ岳などにも昔は沢山コマクサがあったのかもしれません。
御嶽山同様、薬草として採取され少なくなって、最近は保護育成して元々あった株からの増殖に懸命だそうです。

 蝶の幼虫は天敵の鳥に対して武器を持ちません。
体力で立ち向かうには弱小であり無防備です。
そこでコマクサの毒成分を濃縮し身にまとい鳥から身を守る事で生き延びてきたのだと思う。彼らウス...


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ツアー企画案の発表

2008.10.08 05:30  投稿者:ootaminoru

インバウンド観光教育プログラム第7回10月20日は受講者各自のツアー企画案の発表なんだって。
受講志望者募集要綱に書いてある。

エーそうなんだ。知らなかったなー。
夏休み中に自習期間として自主的に各地の観光地を訪れるなどしてそれをブログにまとめて発表する。叉情報を相互に提供し刺激し合う。それらを総合して夫々がツアー企画案を作成し10月20日に発表する場なのだそうです。

その為のブログだったのか。
受講者の皆は知っているのかなー。

えらい事になった。登山はしたけれどもインバウンド観光の旅行企画のための取材旅行には何も行っていない。
ブログで遊んだだけで何も準備していない。
オイラはイソップ物語のキリギリスみたいだ。

どうしょう。

今日、甲府城御案内仕隊の出勤日でしたので、ついでに観光プラザへ行って「るるぶ FREE 秋/冬 08-09  山梨 秋冬の魅力」 を貰って来ました。参考までに。
これ等は既に発表されている観光スポットだ。
これだけでは何の知恵も取り得も無い。外国人を呼び込むための新しい観光スポット及びア...


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ウスバシロチョウ

2008.10.06 12:15  投稿者:ootaminoru

高山植物コマクサに関連してウスバシロチョウとその食草ムラサキケマン

北海道の大雪山系のウスバキチョウを別項で紹介しました。
食草はコマクサでした。

本州の各地、そして山梨県の山地や山間部の果樹園などにもいるウスバシロチョウを紹介します。
ウスバシロチョウはウスバキチョウと同様、羽に鱗粉が少なく透けて見えます。
その食草はムラサキケマン(ケシ科)です。

このチョウは食草が畑や果樹園などの低山帯、高原等にムラサキケマンが雑草として生えていますので、人里に近い農地と山林の境目などで見られます。私は明野のフラワーセンター裏の果樹園で5月の連休頃に見ています。
シロチョウ科の代表、モンシロチョウと大きさが同じなので混同して認識していらっしゃらない方が殆どだろうと思います。
モンシロチョウに比べて飛び方が弱弱しくフワフワとした飛び方です。
このチョウも氷河期を乗り切って来て間氷河期の今、繁栄しているチョウです。幼虫の餌となるムラサキケマンが低山や農地に生えるので涼しい甲府盆地の周辺でも見ることが出来る蝶です。

写真1,...


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ウスバキチョウとアポロチョウ

2008.10.05 11:30  投稿者:ootaminoru

高山植物の女王コマクサに関連して


ウスバキチョウ(アゲハ蝶科)写真2参照
北海道の大雪山系だけに生息します。
天然記念物に指定されています。
大変個体数が少なく環境省の準絶滅危惧種に指定されています。
コマクサのみを食べて成長します。
氷河期の生き残り動物(昆虫)です。
採取が禁止されています。


コマクサ(ケシ科)のみを食べて育つ蝶にアゲハ蝶科のウスバキ蝶とアポロ蝶がいます。
ウスバキチョウは漢字では薄羽黄蝶です。羽が透けていて黄色いからです。
コマクサ自体氷河期の生き残りでその植物のみを食べるウスバキチョウやアポロ蝶も食草と同類の起源をもっています。
この他に日本には近縁種のウスバシロチョウがいてケシ目ケマン(ケシ科)を食べています。山梨の山岳地や高原にいます。明野のフラワーセンター奥の農地と山林の境で大発生したウスバシロ蝶の発生を見ています。頃は5月の連休後だったかな。
叉私は大雪山系でウスバキチョウも見ています。


アポロチョウ  
アポロ蝶のアポロはギリシャ神話の太陽神です。太陽の赤い日の丸が羽に付いているか...


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小林多喜二「蟹工船」

2008.10.05 08:30  投稿者:ootaminoru

蟹工船が読まれていると聞きます。

しかも働き盛りの人が多く読んでいるそうだ。読者層は新潮社に依ると30代から40歳代が45パーセント10代から20歳が30パーセントだそうです。

私は遅まきながら6年前に北海道旅行をする前に読みました。
叉彼の書いた「東倶知安行」も読みました。
明治40年と43年に山梨県を襲った大雨で洪水、土石流が発生し、死亡者多数、山林、田畑が流され山梨県及び県民は疲弊します。
明治38年日露戦争に表向きは勝利した事になっていますが莫大な借金をイギリスにしての停戦でした。国にお金は全くありません。地方がどんなに困っても、災害からの復帰に援助の手を出せません。
被災民を多数、北海道へ集団農業開拓移民として転出させます。
その開拓地が富士山に似た後志羊蹄山の麓、数箇所です。
東倶知安行に出て来る場所です。
入植15年、大正末期から昭和初期のその辺りの農民の生活が記録されています。それは間接的に山梨から追われた山梨県人の苦難の姿でもありました。

どの書店にも「蟹工船」は新刊のベストセラー並みの扱...


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高所からものを見る

2008.10.03 14:47  投稿者:ootaminoru

高所からものを見る。
聞こえが悪いかもしれませんが高所から大局を見て構造的全体像を知る事も必要です。

中山国土交通相が着任後5日目で辞任した。
新聞は上手いこと表現している。
「自爆テロ」

麻生新内閣発足して補正予算を編成をして駆け足で解散総選挙に打って出る。
それが自民党の短期決戦でご祝儀相場内閣の着任後の人気で早い段階で総選挙を行なう戦略を考えていた。
それなのにそれなのに。
自分の主義主張もあるかも知れませんが、閣僚なのだ。個人の主義主張の内容はここでは問いませんが中山国土交通相は新内閣のそんな空気も読めないお人柄なのだ。
長年与党、勝ち組のおごり、自転車操業の議員生活惚けなのか。
野党からだけではなくて与党からも批判続出。

山登りをしていると日常の目の前の事象から離れて物事を見ることが出来る。古来山岳仏教が栄えたのも、悟りを開く為に修行の場を山岳に求めたのも同じだと思う。
サラリーマン生活は自転車操業で上がってきたぺタルを踏みつける事で始めて生活が成立する。ぺタルを踏まなかったら倒れてします。がむしゃら...


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蔵造りの街並み、川越

2008.10.01 13:30  投稿者:ootaminoru

小江戸川越の街を散策してきました。

9月25日(土)日帰りで川越へ行って来ました。
買いたくなる物は何もなかった。蔵造りの家を写真に撮りながらそぞろ歩きをしました。
それなりに楽しかった。
けれども背中がスースーした。
当時は生活物資が集積し江戸(東京)へ、そして日光街道を奥地へ配送する中継点だったでしょう。
今は流通販路と経路が広域化し高速化して川越を経由しなくなった。
観光地として蔵造りの街を売り出しているけれども物流は殆どなく箱物を見せる街となった。

姿形は異なりますがどこにでもある地方都市の空洞化、シャッター街の変形と見ました。デズニーランドみたいであり映画のセットを見て歩くツワーの様でした。


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平塩寺跡の彼岸花

2008.09.23 12:30  投稿者:ootaminoru

9月20日旧増穂町民が立ち上げている「峡南の歴史と文化を学ぶ会」の主催で野外研修第6回「市川代官所と峡南の地域」に参加しました。
この会はもう6年の実績があり野外研修の他に年間10回程度の座学があります。
今回は市川代官所を中心に市川大門の昔から伝わる街並みや道祖神、商家建造物、先人たちの暮らし向き、平塩寺跡地、甲斐源氏旧跡、宝珠院などを廻って研修してきました。

70名に及ぶ参加で大変な熱気です。余りにも多数なので二班に分かれての散策となりました。
案内される方も案内する「市川マップの会」の講師の面々も和気藹々の中に真剣な取組みでした。

旧所名跡での新しい知識はここでは割愛します。
自分の住む地域社会に誇りと愛情を持っている方々に深い感銘を覚えました。
排他的なお家自慢や狭い狂信的な自己愛ではなく広くその時代の歴史を認識し位置付けた上での郷土の歴史観を培っています。

こうした人達が地域を支えているのだなーと思いました。
地域社会を支える人のその熱気が文化だ。

観光は町づくりが原点だと言います。
原点を支える人...


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貝化石

2008.09.04 21:10  投稿者:ootaminoru

恐竜の化石は福井県は有名だ。
山梨県には貝化石や鮫の歯など海中の生物の化石が見つかっている。
恐竜の化石が欲しいなー。

富士川の支流、早川の川沿いに県道37号線(県道南アルプス公園線)で奈良田へ道路を進んでいると崖に白い小さな貝化石が自動車の窓からでも目に付きます。

中新世後期から鮮新生初期の暖流に住むモミジツキヒラガイ、タマキガイ、ツノガイなどです。
凡そ2300万年~500万年前のものだそうです。

その他、身延町、大月市初狩、猿橋、西桂などでも見つかります。

叉秋山村、丹波山村、大月笹子町から四万十層の地層から白亜紀の化石が出るそうです。これは中世代後期の白亜紀(1億4500万年~6500万年前)のノイセラムや六射サンゴ、コケムシが出るそうです。
ホームページで調べました。

陸上生物としてはナウマン像の化石が甲府市相川、旧山梨市兄川で発見されています。これは地質年代では新しく新生代第四紀洪積世です。氷河期の動物です。

絵は古生代末期から生き続けて白亜紀までの3億5千万年のアンモナイトをイメージしました。

...


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昭和13年製の狛犬サン威張るな

2008.08.29 21:33  投稿者:ootaminoru

武田神社の造営は大正8年に完成しています。その時の鳥居は正面の堀を渡って階段を登ったところにある石の鳥居がそうです。
拝殿前の鳥居は昭和13年に、それから、先ほどの階段を上がって大正8年の鳥居の前の狛犬サンは昭和13年に設置されています。
裏側に夫々年号が彫られています。
昭和13年の狛犬サンは物凄く胸が大きく威張って見えます。
私は神社へ行くと狛犬サンのスタイルを見るのが趣味です。
昭和10年以前の年代の狛犬サンは色々のタイプや流行がありますが、こんなに胸を張って威張っていません。
昭和12年に中国戦線が本格化し昭和13年には国民総動員法が制定されました。即ち、赤紙で兵役を指定する徴兵制度が出来ました。
天皇陛下は神様です。明治天皇は絶対です。国民は天皇陛下の僕です。
明治国家は絶対君主制議会民主主義と言うそうです。
天皇と国民の係りを明確化するシナリオがこのような狛犬サンのスタイルを作ったと思う。時代の申し子だ。

武田神社の宝物殿の前にキテーちゃんが居ました。
先ほどの狛犬サンとはイメージが違いすぎます。
...


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要害山城からの抜け道

2008.08.28 16:51  投稿者:ootaminoru

8月27日武田神社(躑躅ガ崎の館)から山中を巡り岩堂峠を越えて兜山を経て山梨市のフルーツライン(公園付近)へ行って来ました。
9月5~6日に北アルプス立山の剣岳登山をするので足慣らしに山中を巡ってきました。
8月27日はお盆以後秋めいた気候とは打って変わって暑い一日でした。無風で気温が高くしかも低山で、すっかり疲労困憊してしまいました。フルーツラインから下って春日井町駅にやっとこ到着しました。木偶の棒でした。
JRで甲府(180円)まで、そしてバスで武田神社(180円)へ。

武田神社にマイカーを駐車し、拝殿で道中の安全祈願をして大手門から竜華池に出ます。躑躅ガ崎の尾根を少し登り武田の杜遊歩道を等高線に沿って森林の中(国有林)を歩き上積翠寺へ。道中は森林の杜でツクツクボウシとミンミンゼミの合唱の嵐です。深沢園地に出て山ノ神、道祖神、水神様に合掌をして要害山城の西隣の尾根を登り熊城史跡へ。そしてその尾根を登りきり山腹に着けられた要害山城からの抜け道に合流して西に進み観音霊場深草観音を経て奈良時代から...


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街づくり

2008.08.12 17:57  投稿者:oortaminoru

「観光資源」とはそこに住んでいる人間にとって誇り高く素晴らしい街や風土や歴史、文化、景観等があって始めて成立するのでしょう。
特に人間及び人間社会が、かもし出す歴史、文化は何よりの大切な要素だと思います。
「おもてなしの心」とは「相手の立場や心になり切れる心」を言うと思います。
うわべの外交辞令で観光客からお金を巻き上げる手段ではありません。相手の喜びを自分の喜びに出来る心であり、一体になる心が無くて何が「おもてなしの心」でしょうか。

甲府盆地の真ん中、釜無川と笛吹川の合流点、その中州の様な内股の州に出来た平地が私達の住む中央市です。
3年前に田富町と玉穂町と豊富村が合併して3万500人の小さな市です。

富士山があるわけではなく、八ヶ岳があるわけではなく、南アルプスもありません。過去、中世の時代の信玄堤建設以前は釜無川が蛇行して川の河原でした。江戸時代以降も何度も洪水に苛まれる地でした。明治以降も洪水と地方病に悩まされる地でした。
物質的にも文化やインフラの蓄積の薄い農村地帯でした。高度経済成長期以降...


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旧道の御坂峠

2008.08.07 13:20  投稿者:ootaminoru

鎌倉街道と言われる旧御坂峠は古の時代から昭和5年に天下茶屋の所に国道137号のトンネル(新御坂峠と称する)が掘られ開通するまでは人馬のみ通行可能な旧御坂峠を越えて往来しました。この峠が河口湖、富士吉田、山中湖への幹線ルートでしたし、甲斐の国から出て駿府や横浜や江戸へ出る一級の街道でした。
7月28日、御坂の藤野木から昔ながらの街道を歩いて峠まで行って来ました。御坂の最終の村落、藤野木からはもう人家はありません。峠に掛かる最終の人工物、神社に御参りして旅の安全を祈願しました。昔もここで祈願した事でしょう。
この道は幕末に上萩原から夜中、手に手を取って駆け落ちした樋口一葉の父の母の逃避行路でもありました。追っ手を巻く為にこの街道を選択しました。篭坂峠を越えて御殿場に出て横浜経由で江戸に落ち着きました。

旧御坂峠には1582年(天正10年)武田勝頼滅亡後、空白となった甲斐の国の争奪戦、北条と家康軍が戦った黒駒の戦いの北条方の砦が御坂城址として今日まで保存状態が極めて残っています。

御坂峠道は森林の中を...


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