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山梨が好きなのに、とっさには山梨の
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の人間です。
山梨に関する事、甲府に関する事を
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そうした中で、山梨の魅力を見つけ伝
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東光寺仏殿 修繕予定

2015.05.20 17:52  投稿者:ぶどうおばさん

東光寺は蘭渓道隆によって鎌倉時代に再興された臨済宗の寺です。
甲斐善光寺の西側、愛宕山のふもとにあります。


仏殿は山梨市の清白寺仏殿と共に中世禅宗様建築を代表するもので、方三間裳階付(ほうさんげんもこしつき)・入母屋造・檜皮葺(ひわだぶき)の1階建てで室町時代の建立と言われています。

織田信長の兵火及び甲府空襲の戦火を免れて今日まで存続していますが、屋根の損傷が激しいため檜皮葺の屋根全面が葺き替えられる事になりました。
仏殿は約60年前に解体修理が行われており、屋根の葺き替えは約30年ぶりとのことです。


蘭渓道隆は鎌倉建長寺を開山した僧ですが、中国のスパイと疑われ甲州に流され東光寺に滞在し禅宗文化を広めました。
室町時代には武田家の保護を受け、厚く帰依した信玄により甲府五山が定められ東光寺はその一つとなり隆盛を極めました。
武田家滅亡後、織田信長は恵林寺の山門に70人の僧を集め火を放ちましたが僧達の中に東光寺の和尚もいたそうです。
江戸時代には柳沢家の保護を受け、仏殿・薬師如来・十二神将像が修理されたそうです。
明治の廃仏毀釈の令により、広い寺領や山林は政府に上納されました。


東光寺と武田家の関わりを見る時、その歴史の影の部分も見えてきます。
信玄と正室の三条夫人との間の嫡男義信は、信玄が駿河に侵攻することに反対したため怒りをかい東光寺に幽閉されました(義信の側近が信玄暗殺の密談をしていたことが露見し企てた者は謀反の首謀者として処刑され義信も東光寺に幽閉される事になったという説も)。義信は妻(今川義元の娘)と離縁させられ後継者としての地位を失います。信玄の跡を継いだ勝頼は庶子で四男でした。1567年に義信は亡くなりますが、自殺とも病死とも言われ真相は定かではないそうです。 義信が結婚した際は躑躅が崎の館に居所として西曲輪が増設されたり、4回目の川中島の戦いでは出陣し武功を挙げていた経緯から見ると180度変わってしまった運命でした。
これに先立つ1542年、信玄は諏訪氏を滅ぼし妹ねねの嫁ぎ先である諏訪頼重を捕らえ東光寺に幽閉しました。まもなく頼重は27歳の若さで自殺します。
2人の墓は寺内に並んで建てられています。弱肉強食の戦乱の時代だったゆえの慟哭の歴史が寺の歴史にも見え隠れします。


今回の修繕で仏殿に安置されている木造十二神将立像も修復されるとの事です。今月初旬に訪れた際は十二神将には近寄れず仏殿の扉の外からの拝観という方式でしたが、寺の方のお話では像の傷みが多いゆえ遠くからの拝観になっているとのことでした。

工事は9月中に終える予定だそうです。

    (1枚目の写真 東光寺仏殿
              国の重要文化財)
    (2枚目の写真 東光寺
              左から仏殿、鐘楼、奥に本堂)
    (3枚目の写真 仏殿内部
              十二神将立像の一部)
                2015年5月3日、9日撮影)


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