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プロフィール

山梨が好きなのに、とっさには山梨の
良さを言えなくて、少々焦る甲府在住
の人間です。
山梨に関する事、甲府に関する事を
調べてレポートしてゆきます。
そうした中で、山梨の魅力を見つけ伝
える事が出来れば、と、考えています。
 ジャンルは? ....いろいろデス☆


     

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甲府城下町 今昔

2013.07.15 11:45  投稿者:ぶどうおばさん

先週日本列島は猛暑が続き、甲府は5日間の気温が38℃超え、勝沼は3日間39℃超えになりました。全国的に観測史上記録的な高温になった場所も多く梅雨明けそうそうの酷暑に熱中症で搬送された人も多数でした。


38℃台が少しおさまった7月13日(土)、江戸~昭和の頃の甲府の街並みを探して歩くぶらり旅が開催されました。 歩くルートは

   甲府市役所新庁舎
       ↓
   徽典館跡(甲府警察署の南側)
      寛政8年に設置された学問所。
      始めは武士に後に庶民に門戸が開かれた。
      現在は碑があるのみ。
       ↓
   春日通り・銀座通り
      甲府銀座と呼ばれたこの一帯は昭和初期から繁華街だった場所。
      映画館・芝居小屋・飲食店・老舗専門店・百貨店が立ち並ぶ
      一大ショッピングゾーンとして多くの人で賑わった。
       ↓
   柳町通り(NTTがある辺り)
      江戸時代には宿場として本陣が置かれた。大名・公卿・幕府役人
      が宿泊した。金座も本陣近くにあった。明治時代に県で最初に
      新聞を発刊した温古堂の碑がある。洋風建築の銀行や老舗洋菓子
      店もあった。
       ↓
   魚町(うおまち)
      県内の海産物の供給地として江戸~昭和48年まで賑わった。
      沼津から馬車で魚介類が運ばれたので夏でも生魚を食べることが
      出来た。
      印傳屋上原勇七商店の洋風建築は2階の白いバルコニーが人目を
      引いたとのこと。印傳屋と印伝博物館は現在も同じ位置。
       ↓
   甲府城跡
      明治時代になり甲府城の建物は壊され城内には葡萄酒醸造所が造
      られた。これが県産ワインの礎となった。
      甲府城が”舞鶴城”と呼ばれるゆえんは本丸東側にあった鶴の像
      に起因すると言われる。鶴の像は戦時中の金属供出のためなくな
      った。
       ↓
   市役所新庁舎
      明治~現在までの通りや建物の写真をスライドで鑑賞。
      10階展望ロビーから現在の甲府の街並みを展望。


建物は、壊されると通りの様子を一変させてしまい地名や通り名で当時をしのぶしかないのですが、時の移り変わりの抗いがたい力を感じます。

   (1枚目の写真 魚町
            アワビの煮貝で知られる創業四百年の「みな与」)
   (2枚目の写真 本陣のあった辺り
            近くには金座もあった。
            後方はNTTのビル。現在道路拡張工事中)
   (3枚目の写真 古い問屋街の通り
            スライドから)
               2013年7月13日撮影



        


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