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山梨が好きなのに、とっさには山梨の
良さを言えなくて、少々焦る甲府在住
の人間です。
山梨に関する事、甲府に関する事を
調べてレポートしてゆきます。
そうした中で、山梨の魅力を見つけ伝
える事が出来れば、と、考えています。
 ジャンルは? ....いろいろデス☆


     

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探索 甲府城跡

2012.09.26 19:55  投稿者:ぶどうおばさん

かふふ歴史倶楽部の野外学習会に参加しました。

甲府駅の東側に隣接する甲府城跡は稲荷櫓と白壁の塀が復元されていますが、他は石垣だけという印象で、今まで何回か訪れても足早に通るのが常でした。
今回山梨県埋蔵文化財センターの職員の方々が案内人を務め丁寧に説明して下さるのを聞いて、少し考えが変わりました。

甲府城の見どころは
     1 石垣
     2 城主となった人物の変遷と城内の移り変わり
     3 復元整備の過程
のようです。


甲府城は豊臣秀吉の時代1590年代に造られたそうで江戸時代の前・中・後期に渡って焼失・再建を繰り返してきましたが、明治時代に財政難で建物が解体され売り払われたため現在は城に相当する建物はありません。
甲府城最古の絵図(1623~1641に描かれたとみられる)には城内の建物(櫓・御殿・蔵・番所)や堀・石垣の他城下の建物も描かれにぎわっていた江戸時代前期の城と町の様子がうかがえます。現在は甲府駅や県庁が在る場所も、江戸時代を通して外堀に囲まれた甲府城内だったことが中期後期の絵図からも分かります。



そういう変化の中で石垣は420年前のものから現存しています。天守台・本丸・外周等広い範囲で築城期の石垣が残っていることが最大の文化財的価値だそうです。甲府城の石垣は、自然石または粗く割った石材を積み上げた野面積み(のづらづみ)で石材の横使いを基本とし要所に縦使いを入れ大小の石を調和させ積み上げて造られています。隅角部(かどの部分)には大きな石材を井桁状に(石の中心をずらし左右交互に長めに出す)配石する算木積み(さんぎづみ)という工法がとられていますが、所々で不規則になるのが甲府城の特徴だそうです。
甲府城は北側に在る愛宕山から続く小さい丘を利用して安山岩の岩盤の上に築城したため地盤が強固で揺れに強いそうで、それが築城当時の石垣が現存する理由のようです。
石垣の勾配は反りの付け方によって3種類
         ▶直線勾配
         ▶ある一定の高さまで直線勾配で徐々に反りが強まる勾配
         ▶一定間隔で反りが変化する勾配
に分けられ、甲府城はこれら3種類が同時期に共存していることから石垣構築技術の変化期にあったと思われているようです。
かつては甲府城内に石切り場があり、安山岩が露出している石切り場跡は今でも見られます。



甲府城は関東の徳川家康勢力に対して境目に位置する重要な城だったため、豊臣時代は秀吉の腹心の家来や親族が城主になりました。江戸時代は将軍の子弟、後に大名柳沢氏が城主となり、その後は幕府直轄で甲府勤番が支配しました。中でも柳沢吉保は1704年甲斐国主になり甲府城や城下町の整備をし、甲府に繁栄をもたらした優れた政治家と言われます。甲斐源氏の末裔で武田信玄への崇敬の念を持っていて信玄の法要もとり行いました。恵林寺には武田信玄の墓の後方に柳沢夫妻の墓が祀られています。柳沢家は約20年間甲斐国を統治しました。



県は平成2年から平成16年にかけ整備事業の一環として3つの門(稲荷曲輪門・鍛冶曲輪門・内松陰門)と1つの櫓(稲荷櫓)の復元を終了し、現在は鉄門(くろがねもん)を復元工事中です。本丸の南側に位置する鉄門は2階建ての櫓門で明治初年までは存在していたことが歴史史料から分かっているそうです。
工事中の現場を特別に見学させて頂きました。大きな観音開きの扉の両脇の柱は幅75cm程のヒノキ、天井に渡されている丸い梁は直径50cm程のマツとのことで、補強のための頑丈な鉄筋も背後に見えます。
鉄門は平成25年国民文化祭に合わせて公開する予定とのことです。



今回の学習会で思いがけず石垣をまじまじ見る機会に恵まれ、知る事は楽しきことかなを実感しています。有意義な時間を過ごさせて頂きました。


    (1枚目の写真 甲府城天守台跡
              ここの石垣は築城時のもの)
    (2枚目の写真 銅(あかがね)門跡
              礎石の丸い穴は扉を支える柱を固定するのに使う)
                                2012年9月25日撮影
    (3枚目の写真 稲荷櫓
              甲府城跡の石垣を出て中央線側から見た姿)
                        2011年8月撮影
               
    


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