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江戸彼岸桜の枝垂れ

2010.03.20 20:30  投稿者:1ootaminoru

今年もサクラの季節になりました。
桜の古木度によって人気が左右される。

このエドヒガンサクラの枝垂れは山梨県中央市の妙泉寺境内のものですがこの程度のものであれば、あちらこちらにあって観光客からの対象外だ。

寺院仏閣や神社で境内に一本もサクラの植わっていない宮代があるだろうか? あるかもしれない。
更に学校はどうだろうか?
特に小学校でサクラの花の咲かない学校は日本にあるだろうか。
感覚的にはなさそうに思う。


そう考えてみると日本人にとってサクラは意味深長な存在なのだと思う。
人生の節目に出会う花のようだ。こうした美意識は何時頃定着したのだろうか?

梅と桜が逆転するのは平安時代で武士の時代になると新都鎌倉には沢山の桜が植えられて歌などに詠まれています。時代は下がり南北朝時代には「花は桜、人は武士」と言った清さに変身します。その観念は以来第二次世界大戦まで引きずる観念になります。
公家から武士へ広がった桜見文化ですが庶民への花見嗜好はそんなに古くはない。
江戸時代になってからだそうです。特に寛政年間(1789年)から天保(1844年)年間の約50年に園芸品種が沢山開発されて市中にも植えられ花見文化の庶民への普及に拍車が掛かったようです。
恐らくこの時代に申し合わせたように寺院仏閣、神社(当時の公共の施設の最右翼)や公共の場所、堤や池之端などへの植樹が施されたものらしい。
そのころから花見文化は「花より団子」に変身してゆくようです。
江戸市中の年中行事は「芝居見物」「両国の花火」「花見」が1年の中で庶民の楽しみとして定着して行きました。

しっかりとおらが地域のサクラを眺めよう。
そうした日本人の共通性を持つことが山梨へインバウンド観光を呼び込む原動力になるはずだ。
桜の裏側にはそれを眺める人が居て始めて成立するのだから。

江戸時代中期にソメイヨシノが開発されますが明治時代に入らないと普及しなかった。明治時代以前は山桜系の江戸彼岸桜が桜の品種としては主流派だった。そして1780年以降は八重桜の品種改良や新品種が創出され人気が移ります。
その時代の名残が現在も寺院仏閣、神社に古木として残っているのだろうと思います。

その流れを汲むと思われる妙泉寺の江戸彼岸桜枝垂れです。
ご堪能下さい。


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