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菩提山長谷寺の笈焼き

2009.08.20 14:59  投稿者:ootaminoru

笈焼き(おいやき)

旧春日居町の菩提山長谷寺のお盆のトレードマークは笈焼です。
笈焼きの物語は昔々、勝沼の大善寺と諍いになり、相手の僧侶や修験者の笈を剥ぎ取って焼き払っい懲らしめてやったとする証だそうです。
相手の大善寺では長谷寺及びそれを応援した山岡神社の鳥居を焼き払って懲らしめてやったとするのが大善寺側の鳥居焼きの説明です。

そうした物語は観光向けの味付けであって、お盆を盛大に祝う為の風物詩の物語として捉えたい。もう昔々の説話なのです。
長谷寺は真言宗で本来の山岳宗教の香りが強く残っているように思います。
山野を修行の場として修験道に励む山伏に近い。

私は無知で密教の解説書や曼荼羅の本を読んでもちんぷんかんぷん。
密教の難解さ奥の深さを日頃感じているものでして、あまり大口は叩けませんが加持祈祷を行い、護摩を焚いたり、法螺貝を吹いたり、、、、自然崇拝のアミニズムと習合した部分の強い仏教のように思う。一方、大日如来を頂点とする宇宙哲学には難解そのものです。
唯一つ般若心境のお経は日本人にはかなりポピュラーになって来ていて、
読経の中でそのフレーズに出会うと地獄で仏に出会ったようにホッとします。
笈とは修験者が山中で歩行したり、長い間山中に滞在し修行する為に携帯し背中に背負って仏や仏具を収納する箱です。食糧や飲料水なども入れたのかもしれない。

お盆のときに提灯を並べて笈の形にして立てます。
鳥居焼きからヒントを得たお盆の風物詩と考えたい。
長谷寺の境内に灯して春日居の里から祖霊の魂を山の中腹に見上げる風習が出来上がったのは何時頃でしょうか。
御住職の説明に依りますと暫く途絶えていたのを最近復活させたのだそうです。
提灯の灯かりは祖霊の魂です。お盆の季節に山に宿る祖霊を呼び寄せて中継地の菩提山長谷寺にお集まり願い、そこから家族に迎えられて自宅にお連れする儀式が盂蘭盆会祖霊お迎え儀なのです。
大変趣のある解かり易いお祭のように思いました。

仏教国以外の外国人も是非体験学習に向いていると思います。
日本の観光は神社仏閣巡りから始まり、自然の風景を味わう物見有山が観光の主体でした。
現在、体験型の学習観光にスポットライトが当り始めました。
私はお盆の頃の打ち揚げ花火(元祖は精霊を迎えする御精霊の松明)を含めて日本の仏教の原点を探り深める菩提山長谷寺の盂蘭盆会は日本の文化を伝える観光資源となると確信します。
日本人の仏教観、宗教観の奥にある萬の神々とも共に協調する融通性は仏教以外の宗教にはない。
異質な文化とも協調して共存する事が必要とされる地球規模時代が差し迫ってきました。
そうした地球規模、及び国際的な平和な関係を構築するその原点となる共存の思想や心(哲学)は大乗仏教に備わっています。
このことに多くの日本人は気が付いていない。

必ず、大乗仏教の思想が地球規模の人類に必要とされる日がくると思います。
その何らかの礎に菩提山長谷寺が係り、人作りに貢献することを願わずにはおれません。
それだけの広がりと価値を秘めていると思います。


平成21年8月12日。

写真1は笈焼が手持ちフラッッシュなしの撮影で写真がぶれしてしまいま
   した。ですが、祖霊の魂を感じましたので掲載しました。
   抽象芸術表現のつもりです。

写真2は本堂で火入れした提灯です。真暗闇の空間に祖霊の魂が光を
   放っています。

写真3は笈焼を麓の春日居の里に向けて立てた写真です。
   里からきっと山中の笈焼が見えるでしょう。
   この写真の見所はぼんやりとですが笈焼きの下に佇む参詣者とそれ
   から、はるか遠くの春日居の里の明かりです。


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コメント(2) | この記事のURL | カテゴリー:イベント・祭

コメント

御住職様盂蘭盆会の御迎の儀ではお世話になりました。
有難う御座いまました。

宗教と政治は山梨ではあまり、殆どと言ったら適切でしょうか日常会話や井戸端会議では話題にしません。
しかし本来、宗教観や政治観、歴史観は大切で、もっと話題にするべきものです。鍛えるべきものです。
最終的には個人の自由であり社会的に拘束されるべきではありませんが殆ど其処の部分が鍛えられていないように思います。
ある知人が言っていましたが山口県ではいろんな集まりや雑談の中に政治の話題が出て議論が盛んだそうです。
そうした県民性がかなり心の部分を左右しているかと思います。山梨県はどちらかと言えば実利として、即ち金が中心です。
金で動く県民性です。
選挙も金に支配される傾向が強いです。

賢い国民、賢い県民、賢い地域社会人になることが住みやすい郷土であり地域社会なのですが。

観光の極意は結局人であると思います。

私は平成の市町村大合併の年に地域の自治会長を仰せ付かりました。
地域社会が動くタイミングと思いました。
多くの改革を試みましたが受け入れられませんでした。

難しいものですね。
支離滅裂。叉訪ねて行きます。
どうぞ宜しくお導き下さい。
ootaminoru



投稿者:ootaminoru: at 2009/10/29 05:01
太田稔様。こんばんわ。
長谷寺の住職の黒川です。
やっと記事を見つけました。遅くなりました。
 素晴らしい文章に、感激しました。
密教、面白いでしょ。密教は、生きています。時代時代に、合わせ人々を救っていく教えです。
 ちなみに外人さんも、たまに来ます。言葉が通じない分、素直に心で感じてくれているようです。
物にあふれ、物で心を満たした時代も、そろそろのようです。「ない」ということの素晴らしさに、気づいてほしいと思います。
 時代という大きな流れに、流されながら、ときには、価値観が正反対になったりもします。
なかなか難しいところですが、生きる価値観を、考えるときのようです。
 今、境内地にある学校林の整備をしています。なれない重機を使い、土建屋の社長さんに、怒られながらの作業です。ツリーハウスも製作中です。癒しのお寺、救いのお寺、育みのお寺を目指して奮闘中です。
 来月は、紅葉の見ごろを迎えます。ぜひお出かけください。これからも、お力添えよろしくお願いします。
                  合掌
投稿者:長谷寺の住職: at 2009/10/26 21:02

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