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山梨の山と川と土と人とをテーマに自分にとって何であるのか?どのように関連付けて生きているのかを書いてみたいです。

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ナナカマド

2011.09.29 06:20  投稿者:ootaminoru

お山にナナカマドが熟れる季節になりました。
ナナカマドにも幾つかの種類がありますが、実が一番大きく上を向いているのがウラジロナナカマドです。葉の裏側に目に見えないような細かい毛が生えていて白くなっている事からの命名でしょう。

もう2週間もしたら葉が紅葉するでしょう。
平成23年9月23日槍沢の大曲にて


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南アルプスにないもの(槍穂高岳縦走)6

2011.09.28 16:59  投稿者:ootaminoru

前穂高岳(3090.2m)頂上から富士山が見えました。
故郷の山が見えて嬉しかった。
富士山の右側手前に見えるのは位置からして南アルプスだろうか。
しかしその岩峰は何だろう。
もしかして八ヶ岳だろうか?八ヶ岳の可能性が高く八ヶ岳だとすれば赤岳だ。

写真2 前穂高岳頂上  越えて来た槍ヶ岳からの縦走路です。
写真3 前穂高岳頂上  昨晩から今朝に掛けてお世話になった穂高岳山荘           とその後ろに聳える涸沢岳です。
           ですが、大キレット同様、切り立った岩峰と岸壁
           のトラバースで気の抜けない集中力を持続しなけ
           ればなりません。
           時折休憩には信州側の眼下に涸沢カールと
           キャンプ場を見て飛騨側には笠ヶ岳を眺めて
           三点確保の連続で進みます。
   
           これだけ長い切り立った三点確保の必要な縦走路
           は南アルプスにはありません。強いてといえば鋸岳  ...


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南アルプスにないもの(槍穂高岳登山)5

2011.09.28 15:04  投稿者:ootaminoru

自然と人の交差点
人と人との交差点
場所と場所との交差点

景勝地で巧みな最小限度の人工物で人と物(川の水)を交差させ、しかも行動の基点として人心を捉えて離しません。

お江戸日本橋七つ立ち、、、、、。

写真2  梓川の向こうに聳えるのが明神岳です。河童橋から梓川沿い
     に1時間歩きますと明神の山小屋に達します。明神と言う地名
     から発していると思う。
     その後ろに聳える岩峰が明神岳です。
     梓川を渡って穂高神社に出ます。
     松本平、穂高、安曇野の守護神である穂高神社の山宮が
     ここです。
     もともと、この松本平一帯は安曇族の地だった。
     明神池で湖水に平安時代の船を浮かべて年に一度の御祭りを
     する儀式が今も続いています。
     歴史時代以前の昔、この地方は南方の海洋族が北上して、ここに
     海洋民族の集落を形成した証だそうです。
     船を浮かべて儀式をするのは海洋族であった名残だそうです。
     安曇族と出雲族はほぼ同義語であり、諏...


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南アルプスにないもの(槍穂高縦走)4

2011.09.28 11:37  投稿者:ootaminoru

上高地の魅力は清流を観光する事だろう。
私達は便利な文明社会の恩恵を受けて都市に集中し都市生活を快適に過ごしています。
しかし、その文明社会を形成する為に失われてしまったものや、捨ててきたものがあります。
それの最大のものは自然だろう。
自然とは 空であり 山岳 土 水であり 樹木 動物や昆虫や植物の花 などなどでしょう。

上高地に沢山の観光客が入ると言います。年間100万人とも言われた時期がありました。
その観光客の人達は昔、子供の頃、地方の田舎で生まれ育ち、里山や小川や鎮守の森で遊び水田の風景の中で労働もし生きてきた。
その生活は完全に自然の風景のままの環境ではないけれども自然と人間が共存する中で暮らして来た。自然が再生可能であり維持できる人間の知恵とシステムの中で暮らして来ました。
現在の高齢者は自分の生まれ育った故郷探しで観光地を巡礼し上高地にも来るのだろう。そして自然にめぐり合い故郷をそこに見て堪能しているのではないだろうか。
生まれ育った農村の原風景を上高地の空気や清流や山岳や樹木とダブらせて...


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南アルプスにないもの(槍穂高縦走)3

2011.09.28 08:37  投稿者:ootaminoru

山小屋はどこも綺麗になった。
これは北アルプスだけではなく、どこの山岳の山小屋にも共通して言える事だろう。
従来の山小屋は 暗く汚く臭い の三Kだと言われた。
男共はそれが山小屋だと粋がっていた。そんなものだと思っていた。
しかし、これではご婦人は山小屋、そして山を敬遠してしまう。

昨今、登山者の大半を占めるのは高齢者だ。そしてその過半数を占めるのはご婦人なのだ。即ちおばさんなのだ。

その一番の変わりようは便所の改革だ。どこも清潔になった。


今回の登山は宿泊した事のない槍沢ロッジ、南岳小屋を利用した。それから三日目は定番の穂高岳山荘を利用しました。
いつもであれば上高地に朝一番に入り午前7時ごろから歩き始めるのですが、今回は朝3時半から8時半まで甲府中央卸売市場の仕事を終えて出発したので上高地の歩き出しが13時になってしまいました。通常ならば槍沢を登り詰めて槍ヶ岳の頂上に立ちその直近の槍ヶ岳山荘に入るのですが、今回は途中のコースタイムで5時間の槍沢ロッジに入った。
ここはお風呂に入れる山小屋です。槍沢の豊...


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南アルプスにないもの(槍穂高縦走)2

2011.09.28 06:30  投稿者:ootaminoru

氷河地形は南アルプスの仙丈ケ岳にも残っています。
しかし、積雪の量の多い北アルプスは氷河地形が沢山見られます。
氷河地形を見ながら登って行くのは実に楽しいし写真撮影スポットでもあります。
今回は立ち入りませんでしたが涸沢カールは穂高岳の中心的なベースキャンプ地で五月の連休にはテント村が出来るほどの賑わいです。
又秋の紅葉の頃は涸沢カールからのナナカマドの紅葉そして流線型のカール斜面そして奥穂高、涸沢岳、北穂高岳の峰峰が聳えてその上には深い青の空が引き締めています。
恐らくカレンダーでポスターで誰もがこの涸沢カールの紅葉写真を見ていることでしょう。
アルピニストはここでテントを張って滞在し、一時ではありますが生活をする氷河地形なのです。
懐かしく涙が出て来そうになる青春のベースキャンプです。若い仲間とテントの中で沢山の愛唱歌を歌いました。「雪よ山よ、われ等が宿り、、、、、、」
今は文化として失われてしまった、ある時代に生きた若者の青春のエネルギーを形成し発散したベースキャンプ地でありました。



ここでは槍沢に...


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南アルプスにないもの(槍ヶ岳穂高縦走)

2011.09.27 20:20  投稿者:ootaminoru

南アルプスの山の稜線は丸い。それは岩石が砕けているからだ。岩石が砕けているので土壌化が進み植物が標高たかくまで生えている。
一方、北アルプスは稜線が尖り衝立の上を歩くが如し。峰はピラミッドのように突き出ていてヨーロッパアルプスの景観に似ている。植物相が貧弱である。若い地質年代の火山性の岩質(250万年前)で覆われている。
本当はヨーロッパアルプスどころかどこへも筆者は外国に行った事がありません。

北アルプスと南アルプスの違いはどうした造山活動と岩質から形成されているのだろう。
南アルプスは直下型の地震の原因となる断層地帯のひずみによって隆起した地層なのだ。ホッサマグナに沿って南アルプスが繋がる。
それは伊豆半島が太平洋上から北上して日本列島にぶつかり圧力を掛けているので日本列島は糸魚川静岡構造線で割れて東北日本と西日本にへし折れるような姿を形成しています。
又ホッサマグナは南アルプスの水成岩質(1億年前)の隆起の原因となっている。山梨県はホッサマグナの真上に位置しています。

南アルプスが九州、四国、紀...


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お山は冬の支度

2011.09.26 21:39  投稿者:ootaminoru

夏から冬への移動の季節が秋だと思う。
秋は急ぎ足で通り過ぎてしまう。

北アルプス槍ヶ岳~穂高縦走で小さい冬を見つけた 9月22日~26日



写真1 霜   平成23年9月23日     槍沢大曲

写真2 薄氷      9月23日     槍沢坊主岩屋下

写真3 霜柱      9月25日     南岳小屋下  

北アルプスを南アルプスの借景と思うか?
南アルプスを北アルプスの借景と思うか?
共存共栄のパートナーと思うか?競争相手と思うか?

日本百名山のくくりは都道府県を越えたパートナーの思想だ。 


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もう、お山は秋の装い(仙丈ケ岳)

2011.09.19 20:28  投稿者:ootaminoru

稜線にウラシマツツジが秋の装いを着飾っていました。

9月19日仙丈ケ岳(3032m)


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秩父街道、雁坂峠(2)

2011.09.18 14:34  

江戸時代文化11年(1814年)に編纂された地誌である甲斐国志によれば
雁坂峠付近で古銭や土器等が見つかっていると書かれています。
その時見つかったと言うのではなくこの峠を往来する甲州側の麓の住民によって語り継がれてきている事らしい。

峠を越すときに旅人は旅の安全を依願して、道の神や山の神にお供え物を手向けたものと思われます。

現在の峠の場所が江戸時代の峠であったかどうかは疑わしい。と私は思っています。
それは久渡沢に沿って登って行きますが途中から久渡沢を峠沢と名前が変わります。
登山道は峠沢を途中から大きく離れて左の山腹に巻いて登ります。
森林が切れて笹原になる頃今度は等高線沿いに水平移動をして峠沢の位置に接近して来ます。
そこからジグザザグに山腹の草原を登ります。
笹原は何らかの原因で峠沢の女流部分で土石流などにあって崩壊した過去があるのではなかろうか。
その急坂の草原のジズザグ道はそれまでの樹林帯の道に比較して急ごしらえの貧弱な道に思えるからです。荷物を背負った生活道、信仰の為に往来する道はもっと安全...


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秩父街道、雁坂峠(1)

2011.09.17 16:49  投稿者:ootaminoru

峠とは「手向ける=たむける」の動詞が「手向け=たむけ」の名詞に変化して更に室町時代以降「たうげ」に変化し、更に「とうげ」に転じたものです。古代において峠の事を「坂」と言った例が多い。
又、「峠」の漢字は和製語であり中国から伝わった漢字には無い文字です。国字というらしい。中国語の同意語は「嶺」です。
現在の雁坂峠(2082m)の近くに雁坂嶺(2289m)があります。どうなっているんだろう。

手向けるとは神仏や死者の霊に物を供える意味の言葉又は旅立つ人や別れていく人にはなむけをする言葉。
峠には道の神がいると信じられていて通行者が旅路の安全を祈って道の神に物を供えたので、たむけをした場所が峠となったと考えられています。

武田信玄の時代に他国に出る道を整備した軍用道路九筋の一つが雁坂口です。
雁坂口は秩父街道、秩父往還とも称しますが、甲斐の国と武州を隔てる峠、即ち雁坂峠に平成23年9月14日行って来ました。雁坂峠越えのこの道は勿論、歴史的には日本武尊の伝説があり、4世紀の大和朝廷成立前後の時代から7世紀頃に東...


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夏の王者、蝉

2011.09.14 05:28  投稿者:ootaminoru

9月13日現在、甲府城に蝉の声が聞こえなくなった。季節は確実に秋に向っています。
山梨県の甲府盆地にはニイニイゼミが7月中旬頃から鳴き始め、次にお盆頃から油蝉、ミンミンゼミが鳴いてお盆を過ぎた頃から9月に入る頃から、つくつくぼうしが鳴く。
これが甲府盆地内の平野部分の蝉の時間差の鳴き声だ。
その他にも夏の蝉として蝉の種類があるのかも知れませんが詳細は知りません。  春蝉などなど。

ここで注目されるのはミンミンゼミです。
20年、そして10年ほど前に比較して盆地内の低地にミンミンゼミはいなかったと思う。いても鳴き声が少なかったように思う。甲府盆地でミンミンゼミに初めて出合ったのは20年ほど前に愛宕山こどもの国で聴いた。
最近では油蝉を上回るほどの密度になってきています。
ツクツクボウシは昔も今も少ないようです。

一方、甲府盆地内にはクマゼミがいません。山梨県でも南の身延や南部ではいるのかもしれませんが未だ少ないのではないでしょうか。

クマゼミは九州、関西、近畿、東海に広く沢山います。東京には未だいないのかも...


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浅利与一公ゆかりの諏訪神社で彼岸花見つけた

2011.09.10 21:35  投稿者:ootaminoru

今年初めての彼岸花見つけた。

9月10日(土)中央市豊富地区の諏訪神社境内で彼岸花みつけたー。
旧八代郡豊富村は浅利与一の縁の地です。
その浅利地籍にある諏訪神社へ行って来ました。
境内で、彼岸花が咲いていました。

浅利与一は甲斐源氏清光の10男で1185年平家追討で出陣し壇ノ浦で遠矢で殊勲を上げた弓の名手です。浅利地区には何時の頃か田見堂に信州諏訪の諏訪神社から勧進し諏訪神社が建っていました。
1191年に源頼朝が鶴岡八幡を改宗したのに倣い、浅利の荘総鎮守産主神として田見堂から移転しここに諏訪神社を勧進し社殿を築きました。


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内藤新宿

2011.09.04 15:50  投稿者:ootaminoru

甲州街道は徳川家康によって幕府を江戸に設置した時に五街道の一つとして整備したものだそうだ。
1601年(慶長6年)に街道を整備しはじめ1603年(慶長8年2月12日)家康は征夷大将軍に任命されて、1604年(慶長9年)から日本橋を基点に一里塚を設け、一定距離ごとに宿場を置き伝馬制度を発令し本格的な整備に掛かった。
甲州街道の基点は江戸の日本橋であり、宿としては内藤新宿から高井戸、府中、八王子、小仏、上野原、大月、黒野田、駒飼、勝沼、石和、甲府、韮崎、台が原、上諏訪、下諏訪までの街道です。(概要)
時代により違いがあるが全部で38宿であった。
江戸から甲府まで2泊3日(路銀が支給される武士の公用は3泊4日位)の旅行だったそうです。その最大の難所は笹子峠です。

甲州街道は現在では国道20号線(1885年明治17年制定)として継承されています。東京の日本橋を基点として塩尻まで225kmです。
甲州街道の名称はその基点は新宿区四谷交差点であり、(1962年4月25日東京都は通称道路名として甲州街道として指定してい...


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空海と密教美術

2011.09.03 17:19  投稿者:ootaminoru

現在、「空海と密教美術展」が開かれています。
東京上野の東京国立美術館です。

山梨県内にも沢山の宗派の仏教があります。
鎌倉仏教が入ってくる以前は天台宗と真言密教が山梨県に古い時代から入って来ていて国宝、重要文化財クラスのものが幾つもあります。

奈良仏教は国を守る礎として、鎌倉仏教は人を救う仏教としてその道程を歩んで来た。
その過渡期ともいえる9世紀初頭の時代に空海が中国の唐の長安から持ち帰った真言密教です。護国として、そして人を救う道としての教えです。

上野の東京国立美術館で空海と密教美術展が開かれています。
会期    7月20日~9月25日まで
観覧料金  1500円
時間    9時半~17時まで

ほとんど、98㌫が国宝、重要文化財です。



8月31日(水)張り切って朝早くから高速バスに乗って行って来ました。

当初の目論見は真言密教の教義を少しでもより知ろうと思っていましたが、それはほとんど空振りでした。
仏具、曼荼羅、(如来、菩薩、天、王などの)諸像、空海直筆の書もありましたが、それらは美術品として展示さ...


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若彦路の大石峠で出会った花たち3

2011.09.03 15:00  投稿者:ootaminoru

古代からの官道である若彦路の森林の中に小さく開けた峠は草原になっています。
峠の草原に咲くこれらの花は他所から持ち込まれたものではなく、この付近の山中に目に触れることなく秘かに生き伸びて来たものでしょうが、環境が整えば姿を現します。
日本のホットスポット(多様な生命がいっぱいいる所)は雨(冬は雪)がもたらした環境で多様な生態系を作っています。


写真1    クルマユリ
写真2     カワラナデシコ
写真3     若彦路  


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