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山梨の山と川と土と人とをテーマに自分にとって何であるのか?どのように関連付けて生きているのかを書いてみたいです。

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若彦路の大石峠で出会った花達2

2011.08.30 21:32  投稿者:ootaminoru

大石峠の標高は1511メートルです。
ちなみに
鳥坂峠の標高は1084メートルです。
御坂峠    1523メートル
女坂峠    1372メートル
右左口峠   860メートル


写真1 フウロソウ  ハクサンフウロ
写真2 ウツボグサ
写真3 ノギク(白)    詳細の名前不明



平成23年8月25日撮影


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若彦路大石峠で出会った花達 1

2011.08.30 18:22  投稿者:ootaminoru

大石峠は富士山北麓の河口湖と甲府盆地を隔てている御坂山脈の山脈越えの尾根の一部分です。冨士北麓から甲府盆地へは古代から三つのルートがありました。
1 御坂を越える鎌倉街道。
2 そして曽根から中道を経て右左宿を経て右左口峠から下芦川の梯へ下りそこから古関を経て阿難坂(女坂)を越えて精進湖畔に出る中道往還。
3 そして今回の若彦路の三つのルートです。

甲府盆地側に築かれた古墳群の形式やその出土品などからは中道往還が最も古く、その次が若彦路という順序になるそうです。
ちなみに若彦とは日本武尊の息子、稚武彦王(わかたけひこのみこと)が通ったという東鑑(13世紀初頭)の記載によるものですが、その真否はどうでしょうか?
その元になっているのが古事記、日本書紀の日本武尊の東方遠征に絡んだとみられます。

若彦路は甲府盆地側からは八代の奈良原から鳥坂峠を越えて芦川渓谷(新井原)に下り、上芦川から大石川を遡上して途中からは山腹を蛇行しながら登って行きます。
樹林帯の中を幅1.8メートル位の整地された坂道...


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北口浅間神社の火祭り、ススキ祭り

2011.08.30 05:54  投稿者:ootaminoru

8月27日(土)午後から富士吉田に北口冨士浅間神社の火祭りを見物するつもりで出掛けていった。
しかし、火祭りは前日の金曜日即ち8月26日に行われていて、もう終わっていました。
8月27日はススキ祭りなのだそうです。
火祭りとススキ祭りが祭礼としてどのように意味が違うのかは現在も知りません。

冨士北麓の最大のお祭りとして地方紙、山梨日日新聞に8月26日に2ページにわたって前宣伝が掲載されていた。
それに触発されて、心が動き甲府盆地の真ん中、中央市から御坂山塊を越えてお祭るに初めて参加したのです。

富士山をかたどったお神輿ともう一基は普通のお神輿が街中を巡幸し夕方北口浅間神社の諏訪ノ森に帰ってきます。
26日は夕闇迫る頃に市内に大きな松明に火を点すそうですが27日はそれはありませんでした。
一番の違いと興味を持ったのはを北口冨士浅間神社の本殿とその右側横にある諏訪神社の地続きの広場の真ん中に林が在って、即ち広場の真ん中は高天原と称して聖地になっていて杉の樹木が立っています。
午後7時にそこを7回りお神輿が廻っ...


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若彦路の大石峠

2011.08.28 18:44  投稿者:ootaminoru

若彦路の大石峠まで行って来ました。
前回は八代側の竹居、門林、奈良原を抜けて県ライフル射撃場から鳥坂峠への旧道を。
そして今度はその先の上芦川の新井原から芦川を遡上してすずらん群生地近くから大石川を遡上して大石峠までです。時間がなくて峠から先の河口湖側へは今回は行けませんでした。
次回は河口湖側へ回り込み逆に大石峠まで。そして治右衛門屋敷から淵坂峠を越えて長浜へ、、、、。このコースが国中から八代郡、都留郡への若彦路の峠越えの街道です。
街道の保存状態が大変宜しいです。
平成23年8月28日


写真1 峠への道
写真2 途中の空峠の道祖神   天明3年9月9日(1783年)の記載あり
写真3 大石峠


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櫛形山のコウリンカ

2011.08.27 13:31  投稿者:ootaminoru

コウリンカ(紅輪花) 菊科キオン属
絶滅危惧Ⅱ類(UV) 絶滅の危険性が増大している種です。


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櫛形山の森

2011.08.27 12:30  投稿者:ootaminoru

昼なお暗い櫛形山の森を昼なお暗く撮影する。
どうだ、暗いだろう。

本当に森の中は暗いのだ。


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櫛形山の花達

2011.08.27 06:22  投稿者:ootaminoru

櫛形山の頂上部分は台地状に平になっています。
雨水の流下が緩やかなために湿潤な環境にあります。
そこで、湿り気の多い環境にはアヤメなどのどちらかと言えば湿性の草原と唐松が威勢よく密生した森が混在しています。
しかし、ここ数年、鹿が増えて来ています。
鹿の異常増殖はその草原の草を食べるものだから草原の本来あった植物は絶滅状態になって禿山のようになって来ています。
異常な増殖と書いた根拠は長い間、草原や湿潤な森を維持してきた環境がここ数年で生態系のバランスを崩して変化してきているからです。
森林部分はあまり顕著な現象は出てきていませんが草原部分の変わり方は顕著です。

今回、私はレンゲシュウーマを撮影に行きましたが一枚も写真に収めることが出来ませんでした。
写真1と2のダケブキも若い新芽の時期に1度ならず2度も鹿の食害に遭った形跡が残っていて、丈が短くひ弱なダケブキの花しか見られませんでした。又ダケブキの群生地では以前と比較して個体数を減らしています。

鹿の増殖はどうも全国的な傾向らしい。
人為的に狩猟によって個...


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櫛形山の巨木

2011.08.25 06:20  投稿者:ootaminoru

日本に原始林若しくは原生林は少ないといいます。
確かに一度も人為的な伐採が行われた事がない場所は少ないだろう。

櫛形山には200年以上と思われる一度も伐採が行えられていない針葉樹の巨木があります。
その多くは天然の唐松ですが、幹が途中から分枝したり曲がっているために建築資材として使えないからだろうと思う。
一度も枝打ちがされていなくて低い位置から横枝が張り出しています。

櫛形山に限らず、甲府盆地周辺の山岳は鹿が増えて鹿の食害に遭っています。
櫛形山の看板であった天然のアヤメの草原はほぼ絶滅状態になっています。
鹿の増えすぎを何とかしなければならない状態になってきています。

それはそれとして
櫛形山はもう一つ、昼なお暗い巨木の密生した森があります。


平成23年8月6日撮影


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タカネビランジ

2011.08.24 16:04  投稿者:ootaminoru

花の色は 移りにけりないたずらに 眺めせしまに

お盆を過ぎて鳳凰三山のタカネビランジもほぼ咲き終えただろう。
私が登って行ったのは8月4日だった。
あるなしの耳学問ではなく、本当の姿をごらんあれ。
フオートアルバム及びカタログに写真を添付しておきました。


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甲州街道駒飼宿に滝

2011.08.24 06:30  投稿者:ootaminoru

甲州街道の勝沼側駒飼宿から笹子峠に掛かる山中に滝がありました。
駒飼宿の本陣、脇本陣を経て人家が途絶える所に笹子沢川を右岸から左岸に渡る橋が掛けられています。その端の名前は天狗橋ですがこの橋及び対岸に渡る道は昭和13年に自動車道として開削した当時の国道(現在の道路の名称は県道日陰笹子線)です。
それ以前の徒歩及び牛馬が通った甲州街道は天狗橋を渡らずに右岸を笹子沢川に沿ってそのまま登ってゆきます。
約100メートル位先に写真2の一里塚の指示柱があります。その少し上には写真1の滝があります。街道から滝が見える位置にあります。
この滝はほとんど地元の人以外には知られていないと思う。
一里塚のすぐ先が行き止まりになっているから笹子峠の旧道を探索で歩く人も入ってこないからです。
当時の甲州街道は旅の行程中、ほとんどが自然豊かな景勝地でそんな風景に分け入って往来したのだなと実感しました。

この道は一里塚の手前に右岸の河岸段丘と思われる畑があります。その畑に通ずるために現在も一人の農家の人には利用されているようです...


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甲州街道、笹子峠

2011.08.17 15:30  投稿者:ootaminoru

甲州街道の駒飼宿(勝沼側)から笹子峠を越えて黒野田の宿(大月側)10kmを平成23年8月12日歩きました。
実際には現在の国道20号線を新笹子トンネルを通過して国中地区と郡内地区を結ぶバス路線がありません。峠を往復しなければ帰ってこられません。
仕方がなく、JR中央線の甲斐大和駅の駅北側の駐車場に自家用車を駐車しておいて、そこから少し逆に戻って旧甲州街道入り口から駒飼宿を経て旧道を出たり入ったりしながら歩きました。追分から現在の国道20号線を歩いてJR笹子駅まで歩き笹子駅から電車に乗って甲斐大和駅まで戻ってきました。
この旧道は昭和13年に自動車道路として開削されて道であり江戸時代からの歴史の甲州街道とは別物です。
従って明治天皇は明治13年に諏訪地区に巡幸された時の道は昭和13年の旧甲州街道ではなく旧旧甲州街道を駕籠で越えたことになります。
注;馬車で巡幸されましたが笹子峠は急坂であり険しかったので黒野田の宿泊場所(本陣)から駕籠に乗られて峠越えをして駒飼宿の(江戸時代の本陣)である宿泊所に入っ...


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蓮の花

2011.08.17 09:34  投稿者:ootamonoru

蓮の花が咲いています。
場所は笛吹市砂原地区です。
笛吹川と平等川の合流点から少し西の笛吹川沿いの果樹園の間にあります。
笛吹川の対岸は白井粟原です。
明治40年の山梨県を襲った大洪水ではこの付近は河原状になった場所です。

この地区は砂原と言います。
現在では暗渠が充実し排水がとどこうりなく行われているので湿地帯でありませんがその昔は湿地帯であったり、中州の場所は砂原であったりしただろう。

甲府盆地の中央を流れる釜無川と笛吹川は現在では中央市で平行に整流し甲西町と市川三郷町の三郡橋で富士川として合流する。
しかし、中世の後期、武田信玄の時代以前は釜無川は竜王で信玄堤と一般に言われている釜無川の南進化工事はされていなくて、流路は竜王から東進
し、現在の甲府市中央から大津や下条や落合方面に分流して笛吹川と合流していたものと思われます。

現在でも荒川は下條で平等川や濁川は落合いで笛吹川で合流して入りのですが、その辺りは釜無川とも合流下であろう湿地や河原で中洲には砂原がある耕作不適地だったでしょう。

そうした名残を示...


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鳳凰三山登山記(8 イワインチン)

2011.08.11 18:45  投稿者:ootaminoru

登山の楽しみの一つは花を見ることです。
山によって、場所によって、高度によって、季節によっていろんな種類の花が見られます。2500メートル以上の非日常の世界に生息する生命です。

写真1
   イワインチン(豆科)です。

写真2
  ミヤマコゴメグサ
  ゴマノハグサ科です。

写真3
   タイツリオオギです。
   豆科です。

平成23年8月4日撮影する。

お盆を過ぎて登山をしますと秋の花が咲いています。
トウヤクリンドウ、ウサギ菊、アズマ菊、イワギキヨウ、アキノキリンソウトリカブト等など。


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鳳凰三山登山記(7 ハクサンシャクナゲ)

2011.08.11 18:24  投稿者:ootaminoru

高山の石楠花でキバナシャクナゲとこのハクサンシャクナゲがあります。
鳳凰三山ではキバナシャクナゲは見ませんでした。

ハクサンシャクナゲは白に近いものからピンクの濃いものまであります。
小潅木です。


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鳳凰三山登山記(6 コメツツジ)

2011.08.11 18:10  投稿者:ootaminoru

コメツツジです。
白鳳峠と高嶺付近で豊富に見られます。
ここだけの植物ではありませんが、少ない植物です。
花崗岩の山、甲斐駒ケ岳や瑞垣山の乾燥した礫や岩の割れ目等に根を張り他の植物が生えない場所に見られます。
白又は少し赤が混じった小さな花です。
8月4日撮影する。


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鳳凰三山(5 北岳大樺沢)

2011.08.11 18:02  投稿者:ootaminoru

白鳳峠からの北岳です。
北岳は里からは見難い。
前衛の山が邪魔をしてその容姿をなかなか見せてくれません。
鳳凰三山の縦走の旅はこの北岳を見ながらの旅となります。


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鳳凰三山(4タカネビランジ)

2011.08.11 17:45  投稿者:ootaminoru

タカネビランジ

ナデシコ科のタカネビランジはこの山だけの植物ではありませんがこんなに密度が濃く咲いている場所を私は知りません。

この花を見に8月4日に登山を決定しました。
結果的にはあと数日が満開だったでしょう。

ナデシコ科の花は花付が良くて満開時にはブーケのように丸く株全体を覆いつくします。


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鳳凰三山登山記(3唐松)

2011.08.11 17:30  投稿者:ootaminoru

鳳凰三山の尾根筋には太くて曲がりくねった幹の唐松が見られます。
植樹されたものではなく天然林です。
唐松は幹が柔らかく物理的な荷重が掛かると柔軟にしなったり曲がったりします。その結果面白い造形となります。
風化した白い花崗岩の砂と岩と唐松は独特の景観を作っています。


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鳳凰三山登山記(2)

2011.08.08 20:30  投稿者:ootaminoru

鳳凰三山はやはり信仰の山だったそうです。
恐らく中世の時代だろうと思いますが、修験道者が富士山に登って、次は御坂峠を越えて山梨郡に入り、室伏から柳平を経て荒川を渡渉して水晶峠、御室小屋から金峰山に登り、千代の吹上から金山平に下り増富から塩川に沿って韮崎に至る。次は私の想像の域を出ませんが恐らく武川から地蔵岳に登り尾根を縦走して観音岳へ。更に縦走して薬師岳に。ここから更に縦走して現在の南御室小屋を経て辻山から千頭星山から甘利山に下り韮崎に、、、、。
辻山の名前を過大評価しているかもしれませんが。

地蔵岳の賽の河原に、お地蔵様の石碑がある他は赤抜けの頭に時代物の石碑が一つあるだけで信仰登山を表わすものは少ないようだ。
賽の河原のお地蔵様に願を掛けて(子宝を授かる)願いがかなったら、新しいお地蔵様を寄進したのだそうだ。

近世の江戸時代にも登られたのかと思いますが、この頃はもはや、修験道の衰退期であり、富士山のような講組織での観光登山としては花開かなかったものと思う。地元の人の細々とした信仰の山だったので...


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鳳凰三山日帰り登山記(1)

2011.08.07 05:48  投稿者:ootaminoru

鳳凰三山を日帰りで登山して来ました。
コースタイム11時間30分ですが、山小屋へ泊まる程でもないので何時も私は日帰りとしています。
その方法は夜叉神峠入り口に乗用車を駐車しておいて、そこから山梨交通の広河原行き定期バス又は乗り合いタクシーに甲府発朝一番の便(夜叉神峠入り口5時30分発)に乗って広河原に6時11分に到着します。
広河原から白鳳峠へ登って鳳凰三山を縦走して積算11時間半で自家用車のある夜叉神峠入り口へ降りてきます。
コースタイム通りであれば17時41分の到着予定です。

さて、甲府盆地を形成している外輪の山の中で一際存在感のある山脈に南アルプスの北辺に位置する鋸岳、甲斐駒ケ岳から連なりアサヨ峰そして鳳凰三山(地蔵岳、観音岳、薬師岳)を経てなだらかに辻山、大崖頭山の樹林帯の尾根通しに下って1500メートルの夜叉神峠から夜叉神峠入り口に降りてきます。登山時間は日帰りとしては長いのですが広河原から急登で白鳳峠を経て地蔵岳に登り切りますと後はなだらかな尾根を水平移動又は低傾斜の下り道を時間を掛け...


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