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山梨の山と川と土と人とをテーマに自分にとって何であるのか?どのように関連付けて生きているのかを書いてみたいです。

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武田信玄書状

2010.01.31 09:16  投稿者:ootaminoru

武田信玄書状

元亀3年(1572年)信玄が上洛に際して越中の一向宗に出した書状です。
(財) 前田育徳会蔵

所用で1月26日富山市へ行って来ました。
富山城跡の郷土歴史資料館で富山城の歴史を垣間見てきました。

写真1の信玄の「花押し」が懐かしいでしょう。


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甲府銀座通り

2010.01.30 21:14  投稿者:ootaminoru

甲府銀座通りです。
平成22年1月24日(日曜日)午後1時半

商いとは価値あるものを売買する行為だ。
交換価値、希少価値、使用価値。
そうではなくて別な表現では近代化や近代文明や最新の文化(流行)や東京の代替ステータスを売っていたのだろう。
その頃は東京は未だ遠かった。
それが今から二十年以上前の甲府駅界隈へ、たむろする山梨県人の幸せだったのだろう。

この甲府市銀座通り界隈は今、何を売っているのでしょうか?
そしてこれから先、何を売ろうとしているのでしょうか?
売ろうとする以上、買う側に何らかの価値を提供しようとしているのだと思うが。

もう近代化や近代文明や最新の文化や東京の代替ステータスを追従するのを止める時期に来ているように思う。
東京の尺度で価値観を測定するのは止める時期かもしれません。


そこんところを桜座が辛うじて理解し頑張っているように思えます。
しかし全体としてまだまだそこん所が見えません。
徹底的に没落して破却する事が再生への近道だと思えるようになってきた。

結局のところ、地方の尺度で、山梨の尺度で甲府...


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山梨の歴史文化公園

2010.01.25 12:56  投稿者:ootaminoru

甲府市教育委員会がやまなし歴史文化公園の甲府地域として北山野道を指定しています。
北山野道は四つの地域に分けて中世の郷の名前をとって東から表門(うわと)の里、板垣の里、小松の里、志麻の里として歴史散歩道を設定しています。

東の端から1番目 武田逍遥軒信綱の位牌のある逍遥院から西の端の志麻の里(湯村)の52番加牟那塚(かんなづか)古墳をメニューに入れています。
今回は表門(うわと)の里を廻って来ました。


甲府市の東に隣接する笛吹市は古代の律令国家時代から山梨県で最も栄えた地域だった。叉武田信虎以前の中世は笛吹市、山梨市、甲州市が栄えた地域でこれ等を併せて歴史文化公園の広域として活用すれば有意義な巡礼の旅が出来上がります。

既に歴史散歩道として隣の笛吹市は笛吹市のコースを指定していまして甲府市の北山野道と合体させてレンタルサイクを移動媒体を使うならば新しい観光モデルが出来上がります。心配なのはバッテリーの容量です。
現在の甲府駅北口のレンタルサイクだけでは到底無理があります。
なるべく早い機会に石和、山梨...


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ドバイ

2010.01.24 07:03  投稿者:ootaminoru

今,私が最も行って見たい観光地
もっと欲張って正直にいうならば1年間位滞在してみたい場所です。

地下資源も水も食糧も無い砂漠の楼閣のドバイ都市、グローバル経済の金融資本を背景としたドバイ経済が今後どうなるかは私には解かりませんが人類の歴史の中で未経験のバブルがもたらした最もエキサイテングな建築物だと思う。

かつて万里の頂上やインカ帝国、エジプトのピラミッド等など巨大な都市と建造物が建てられましたがそれはそれなりの言い訳と必然性があったと思う。
金余りの投資の対象としてのマネーゲーム。
人間の欲の塊。
ドバイ都市の出現は無冠の世界文化遺産だと思う。


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山崎の処刑場

2010.01.22 18:03  投稿者:ootaminoru

甲府市城下の人で悪い事をすれば捕まって牢屋に入れられ、白洲に引き出されて、お裁きを受けて極刑の場合は山崎の刑場で露になったでしょう。

嘘は泥棒の始まり。風邪は万病の始まりと申します。
家内にだけは嘘を言わないようにしたいものです。

親殺しや火付けが最も重い刑であり、見せしめの為に磔(はりつけ)や火あぶりを受けたみたいです。ばっさりと斬首ではなかった。

山崎の処刑場跡は甲州街道(旧20号線)を善光寺方面から東に進むと酒折駅のすぐ先に山梨学院大学のキャンパスが右側にあります。
もう少し東に行くと三叉路があって直進すれば石和方面の甲州街道で、左折すれば青梅街道です。
その交差点の左側が山崎の刑場跡です。現在は甲府市内です。
現在、住宅密集地ですがその当時は閑散としていたのでしょうか。
山梨学院大学の向い側に石屋さんがありますが昔は街の外れだったのでしょう。
ですが、甲州街道と青梅街道の分岐点でもあり、どうしてこんな場所に刑場がと不思議でなりません。
市川の刑場のように街道から引っ込んだ場所で笛吹川と芦川の合流点の...


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甲府御代陣屋

2010.01.22 14:26  投稿者:ootaminoru

甲府陣屋即ち甲府代官所だったところは現在は甲府市立富士川小学校です。
名前と機能を変えていますが大切な場所として公有地として保存されています。
ナンセ江戸時代の代官所は山梨県庁程ではありませんが明治時代の郡役所に相当する場所であり年貢米の調達を管理し、警察権、裁判権を兼ね備えて持ち刑法や(民法)を司る役所だった訳です。
住民にとっては江戸幕府の幕府直轄権力の最前線の機関だった訳で恐ろしい場所でした。
そして悪い事をすれば捕まって牢屋に入れられ、お裁きを受けます。
極刑の場合は恐らく石和代官所管内の山崎の処刑場(現在は甲府市)で刑の執行を受けたでしょう。

先に八代郡の市川の代官所を掲載しましたが今回は甲府の代官所です。
町方支配とも言われたようです。
写真3 甲府城の東に商人街の外側を区画した三の堀があります。
戦のときは内堀そして二の堀内は武士の屋敷そして三の堀内は町人や商人の家を含む住人を一切合切含む守りの陣営で城を守るように城下を構築してあります。
江戸時代の城が全てこのような構造になっていた訳ではあり...


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双体道祖神

2010.01.20 21:35  投稿者:ootaminoru

双体道祖神

長野県安曇野へ行きますと昔の村落ごとに道祖神があります。
その多くは村の入り口にあります。
その殆どが双体道祖神です。
中でも東筑摩郡の朝日村や山県村には素晴らしく美しい双体道祖神があります。

道祖神の石造芸術の極みまで村落ごとの競争で競い石工の腕が上達したものと思います。
もう40年以前になりますが何度か写真を撮影する為に松本平、安曇野の村落を廻った事がありました。

山梨県にも双体道祖神がありますが、仏像を彫る専門の石工がいなかったのでしょうか。芸術作品とまでは行きません。どちらかと言えば泥臭く素朴な彫りこみです。
顔を描くとその石工の技量が明確になります。
海岸寺の守屋貞次の観音菩薩像が有名なのはその為です。守屋貞次は信州高遠藩の石工で海岸寺の甲州におけるステータスを今に高めて残しています。


中央市にある道祖神の中からモデルを紹介します。

写真1 双体道祖神 中央市新町    平成元年    

写真2 円球石道祖神 中央市東花輪  文政八年

写真3 自然石道祖神 中央市布施   明治二十三年

その他...


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道祖神祭(幕絵3)

2010.01.19 17:04  投稿者:ootaminoru

春日モールに10張りの応募作品幕絵があります。
その内2張りが県内の作品です。

櫛形中学校からのエントリーで高尾山穂見神社のお祭りです。
昨年は富士川舟運を増穂、鰍沢、市川から河岸から静岡県の駿河湾までを描いた大作でしたが今年もなかなかの力作です。

付近の地名が記載されていて親近感が抜群です。


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道祖神祭(幕絵2)

2010.01.18 22:02  投稿者:ootaminoru

大阪の天神祭り

大阪天満宮のお祭を描いた作品です。
三枚で一つの作品です。

お神輿が河の船に乗って花火をみています。
天満宮は菅原道真をお祭した天神祭りで淀川に船を浮かべて花火を観るのだそうです。
出品者は大阪市の 板谷重宏 氏です。


甲府(甲斐府中)の幕絵も歌川広重の江戸の東都名物「目黒不動之滝」等で各地のお祭などの絵が描かれています。

何故?甲府の城下町は幕絵を商家の軒下に張って道祖神祭りとしたのでしょうか。
県立博物館がオープンした時の一番最初の特別展は甲州の道祖神祭りでした。
道祖神祭りは甲州だけでもいろんな行事の仕方がありますが、この甲府の幕絵が極めて珍しいデスプレーな訳ですが、どうして幕絵なの?の説明がありませんでした。
私は学芸員の方に質問すると繁華街でドンド焼きなどの火を焚くと火事になりやすいから代官所から禁止したのだろうとの事でした。
幕張は良いにつけ悪いに付けて神聖な場所を表します。
昔、子供の頃に紅白の幕、白黒の幕がありましたが最近は見なくなりましたね。入学式や卒業式も紅白の幕が張られてい...


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道祖神祭り(幕絵)

2010.01.18 21:14  投稿者:ootaminoru

幕絵

江戸時代、甲府市中の繁華街は小正月に道祖神祭が行なわれ商家の軒下に丈1.6メートル幅10.6メートルの長い幕絵が飾られた。
その幕絵が現在山梨県博物館に保存されていてレプリカが常設展で見ることが出来ます。
歌川広重作の東都名所「目黒不動之滝」です。他に「東海道五十三次」「洲崎の潮干狩り」も保全されているそうです。
当時は物凄く沢山の幕絵が飾られたそうですが明治時代に入ると道祖神は呪いみたいな邪教として政府で禁止したので町場では廃れてしまいました。
時代が移るに従い幕絵も処分されていったようです。

小正月の道祖神祭りに幕絵を飾る風習は最上川の酒田に残っていて現在も尚続いているようです。私の調べた範囲では日本広しと言えども甲府と酒田だけみたいです。
酒田は西回りの北前船の港で大変栄えた船着場でした。

現在甲府市の繁華街、春日モールで甲府市の商店街の復活を祈願して第三回幕絵コンテストを開いています。
1月8日から2月14日までで応募した10張りが飾られています。


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鳥もつ隊頑張って

2010.01.17 19:45  投稿者:ootaminoru

1月16日(土)の正午過ぎに甲府駅に行ったら鳥もつ煮の幟を2旗持った一行に出くわしました。
ご存知、鳥もつ隊です。
正式名は「みなさまの縁をとりもつ隊」だそうです。
甲府市を元気にする為に結成した甲府市職員のボランテア団体で名物「甲府とりもつ煮」の美味しさと魅力を全国に広める活動をされています。


東京から七名お客さんが来られるので改札口の外で待っているのだそうです。


改札口の近くの甲府市観光協会に置いてあるパンフレットを久しぶりに手にとってみたら1年前に見た時のパンフレットを改版してあってレンタルカーとの連携を深めて「とりもつ巡り」に利用していただくように、割引広告が印刷されていました。

「みなさまの縁をとりもつ隊」の活動は多岐に渡るんですね。
頑張って下さい。
ホームページもあるそうです。


写真2と3は改版されたパンフレットです。


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レンタルサイクル(電動自転車)

2010.01.17 08:25  投稿者:00taminoru

やまなしの歴史文化公園、北山野道を尋ねて

電動自転車に乗って北山野道を巡り観光しようとするテストです。
電動自転車は甲府駅の北口を出てYBS会館叉は甲府城大手門に隣接する夢小路の建物で貸してくれます。

やまなし歴史文化公園、北山野道は甲府市と甲府市教育委員会が設置した歴史をテーマにした徒歩で廻る散歩道(遊歩道)です。
東は春日居、石和に隣接する和戸町(表門の里)から甲府善光寺を中心とした板垣の里、そして甲府駅を中心とした相川扇状地、藤川扇状地の小松の里、更に西は湯村温泉の志摩里に至る広範囲な山辺を歩くものですが一度に全部は無理で四つのブロックに分かれていますので一つずつ廻れば楽しいです。
しかし、歴史施設をゆっくり観光するには一日で一ブロックを廻る事も難しいです。何回かに分割してゆっくり廻って楽しむほうが好ましく思います。

今回は徒歩ではなくレンタルサイクルの電動自転車で廻ることをテストしてみました。
私は始めて電動自転車に乗りましたが大変機動力があってこんなに楽に楽しく観光が出来るなんて思いもよりま...


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青洲堤

2010.01.16 12:33  投稿者:ootaminoru

史跡、青洲堤(市川三郷町)

芦川が笛吹川に合流する堤を青洲堤と言います。
その堤に市川代官所の押し切り処刑場がありますが今回は堤そのものをご案内します。

中巨摩郡は明治時代に入っても何度も洪水に見舞われました。
大きなものだけでも明治31年、明治40年、明治43年特に明治40年の水害は山梨県下全域を覆う有史以来と表現される程の大洪水となりました。田畑や橋、家屋家畜が流され多くの人命が失われました。
ここ芦川と笛吹川の合流地点も姿を変えてしまうほどの被害を受けました。
その水害があってここの堤を徹底的に改修されたらしい。
その時期の前だと思いますが渡邊青洲が私財を投げ打ってこの合流点の改修を行なった故事を記念して青洲堤と言います。

市川の市街地は芦川の旧河川敷であり芦川の堤防決壊は市川の街の壊滅的な流出に繋がりかねない場所です。
併せて河の合流点は水位が上がり笛吹川の土手の決壊にも繋がりかねません。

写真1 青洲の堤から芦川の上流方面を望みます。
   河原には流速を減ずるブロックが敷き詰められています。
   ...


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押し切り処刑場(文化財史跡)

2010.01.15 20:17  

市川代官所管内押し切り処刑場

悪い事をすると牢屋に入れられ、お裁きを受けて、その最も重い刑として市川代官所管内では押し切り処刑場にて刑を執行されました。

場所は芦川が笛吹川に合流する合流点の河原の土手です。
代官所は市川の五丁目にあり獄舎は一丁目にあった。
刑の執行になると縄を付けた罪人が処刑場に連れられてきました。
言い伝えでは芦川の南側にあったと言われますが幾たびかもの洪水による河川改修によって現在は位置を変えて北側にあります。
処刑場跡には安政3年(1856年)の供養塔が残されていますが倒壊の危険性があり横に寝かせてあります。

文書が長くなりますが市川大門町誌の「押し切りの処刑場跡」P517~518を原文のまま掲載しておきます。昭和42年2月1日発行、市川大門教育委員会発行。
尚、現代では使われていない用語を含みますが江戸時代の封建社会の身分制度の出来事として歴史的事実の為に市川大門町誌をそのまま記載しておきます。ootaminoru 


幕政中、代官所で罪人に向って死刑の宣告をした場合は、...


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浅原橋からの八ヶ岳

2010.01.14 21:11  投稿者:ootaminoru

冬の八ヶ岳は美しい

中央市は釜無川と笛吹川の合流点の内側の砂洲の上に出来た平地が元村です。
明治時代の終わり頃までの過去、雨が降ると洪水常襲地であり、旧田富町今福新田の村落には今でも二階の軒下に和船をぶら下げてある家があります。
有事の脱出用です。
江戸時代の絵地図に今福新田の村の中央を釜無川の本流が流れているものも有ります。
中央市の釜無川の川沿い左岸及び右岸の村落は過去水との戦いでした。
信玄堤が築かれて釜無川の流路を次第に西に振り向けて現在の流路となりましたが、その為に昭和町、中央市それから釜無川の右岸の旧若草町は流路になり、叉は氾濫原になりました。

臼井沼は昭和の終わり頃までありましたが埋め立てられてリバーサイトタウンが出来ました。埋め立てにより甲州の風土病に絶滅宣言が出されました。

その臼井沼も信玄堤が出来てからの湿地帯でした。
武田信玄による流路変更は有名ですがそれは旧武田城下町及び江戸時代の甲府の城下町を安定させるもので、その為に新たに洪水に見舞われ苦しむ民も居た事実を知る人は少ない。

かつて...


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市川代官所

2010.01.13 18:32  投稿者:ootaminoru

私は市川三郷病院へ年数回通院しています。
市川の街の中を通りますので今回は市川代官所を撮影して来ました。

甲斐の国が天領だった時期、即ち柳沢吉保(既に死去)、吉里親子が大和郡山へ転封(享保9年=1724年)した後、甲斐の国は幕府直轄地となり甲府勤番支配となりました。
その支配体制は市川代官所と石和代官所と谷村代官所と甲府勤番で管理されていました。甲府勤番はその配下に町方支配がありその機能は代官所そのものでした。
即ち4つの代官所で支配されていました。
それでは甲府勤番の役目は何かと言いますと甲府城を守ることが主たる仕事だったようでした。
有事に対して軍事施設を守るのが仕事でした。
代官の主な仕事は農民から年貢を取り立て管理する仕事でした。

市川代官所は現在街に埋もれていて門を残すのみになっています。
市川の江戸時代の中心的役割を担った場所でして後世に残しておきたい場所のひとつです。

市川を訪れたら是非立ち寄っていただきたい史跡の一つです。
それから代官所は今の警察権も司法権を持っていて犯罪の取り締まりも行なっ...


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山梨学院サッカー優勝

2010.01.12 19:18  投稿者:ootaminoru

山梨学院サッカー優勝おめでとう
平成22年1月11日国立競技場にて全国制覇を果たす。


高校サッカーも装置工業の時代はとっくに去り、組み立て工業の時代になったことを改めて認識させられた思いです。

地の素材を煮て焼いて晒して干して加工し箱に詰めて製造する装置産業構造から、今や全国から光る優秀な素材を選抜し部品を集めて組み立てる。その優秀な部品は優秀であるが故に有機物であるから組み立て部品の納まりや連携や取り合いに物凄く苦労するだろう。そして組み立て製品は物凄く高い総合力を発揮する。
そんな組み立て工業の時代になったのだろう。

横森監督は韮崎を率いて1980年から5年連続のベスト4入りを果たした。その後鳴かず飛ばずの時期に入った。どうしても装置産業では全国レベルに達する製品の製造が出来なくなった。
そこで製品製造から商品開発に切り替えた。

地の素材にこだわることを諦めて山梨学院から初出場を果たし県政として26年振りにベスト8を果たして更に勝ち進んで優勝に結びつけた。県勢初の全国制覇。現在67歳だそうです。
今...


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寅年

2010.01.11 16:52  投稿者:ootaminoru

寅年にちなんで山梨県立考古学博物館が遺蹟から発掘した遺物のなかで寅を描いた青銅鏡などが展示されていました。
1月末頃までの展示ではないでしょうか?
博物館を入って広いロビーの正面切符売り場の前に展示されています。


写真1 青銅鏡は御坂町成田 亀甲塚古墳(円墳)からの出土品。
盤竜鏡と言うそうです。
青銅鏡は中国の後漢後期(2世紀)頃のものだそうですが古墳は5世紀前半のものです。
古墳には竪穴式と横穴式があり前者は3~4世紀に、後者は6世紀~7世紀に盛んに築かれたそうです。そうするとこの亀甲古墳はどちらに属するのだろうか?説明表示には書かれていませんが何となく竪穴式古墳だと思う。
間違っていたら御免なさい。
此処で竪穴式と横穴式はその背景が異なり竪穴式は一人だけのお墓で、横穴式は埋葬する遺体を追従出来る構造で現在の先祖代々の墓に性格が似ていて複数収納出来ます。親、その子、孫と次々に収納できるタイプで経済的です。但し親、子、孫などのの血族なのか大王や王などの役職なのかは知りません。

写真3 あとの陶器類は富士...


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日韓の架け橋に

2010.01.10 20:15  投稿者:ootaminoru

人気が出ないかな?ひし丸君。

1月8日に門松の写真を外し1月15日の小正月のドンド焼きにくべて燃やす。旧田富地区のドンド焼き祭りが近づきて来ました。
鏡餅を割って小豆を煮てぜんざいとして食べます。

1月10日は甲府市も中央市の成人式でした。晴れ着を身に纏った新成人が誕生しました。

1月10日(日)午後から甲府城でボランテアガイドでしました。
どうしてだか沢山の人がお城に訪れました。
特に午後3時を廻った頃からサンサンゴゴ、夫々関東地方からの家族連れです。勿論別々です。泊まりの人もいますが日帰りの人もいます。
昨日、今日、明日と連休でかなりの人が観光で山梨県に来ていただいたのだと思いました。
その中で1ヶ月前に単身で甲府に来日して、向こう1年間日本語の勉強の為に甲府の日本語専門学校へ通学している韓国女性がやって来ました。
一通り甲府城に関するご説明をしてから、日本と韓国の歴史を含めた日本文化に話が移りました。
その人は韓国で大学まで修学し、1年間韓国で就職したが辞めて日本語の勉強の為に更に単身で甲府にやって来...


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うわとの郷物語(2)

2010.01.07 21:15  投稿者:ootaminoru

甲斐国山梨郡表門と線刻の入った銘皿(平安時代:凡そ西暦1000年)

写真1  大坪遺蹟(甲府市横根町)11世紀初頭の平安時代。
     1982年に出土しました。1994年の調査では土器を生産した
     と思われる跡が確認されています。


奈良時代の甲斐国分寺、国分尼寺の瓦室跡等が発見されています。
奈良時代の聖武天皇が全国に国分寺及び国分尼寺の勅令を出しています。
写真2と3
此処で焼かれた瓦が笛吹市一円の寺社(国分寺国分尼寺)に供給されました。
上土器遺蹟(甲府市桜井町)

山梨県考古学博物館の冬季企画展「表門郷ものがたり」より。


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表門郷ものがたり

2010.01.07 19:17  投稿者:ootaminoru

うわとの(表門)郷物語が面白い。

むかしむかし、甲斐の国のうわとの(表門)郷では、沢山の人が暮らしていたそうだ、、、、、。職人は土器や瓦を焼き、身分の高い人は仏様をおがみ、甲斐の国の生産や文化を支えていたそうだ。
表門郷での暮らしを覗いてご覧。,,,,,パンフレットより引用しました。

1月31日まで県考古学博物館で冬季企画展をやっているよ。
「うわとの(表門)ものがたり」です。無料なのがあり難い。

甲府市の東部、川田、横根町や桜井町の平野部分は古代の「甲斐国山梨郡表門」である事が1982年に発掘された土器に刻まれた文字から明らかになりました。
この地域は7世紀後半の春日居にある寺本廃寺へ瓦を焼き供給しました。叉今から1300年前の白鳳時代即ち8世紀に建設された律令国家の地方版、甲斐国分寺、国分尼寺の瓦も此処で生産していました。
夫々の瓦がこの地域から沢山出土しているからです。
更に8世紀後半から10世紀後半に胎土と制作技法に独自の特徴を持つ甲斐型土器を生産し甲斐国内を始め、関東や駿河、信濃方面に沢山交易品...


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甲斐の古道、市川道(2)

2010.01.05 21:25  投稿者:ootaminoru

甲府方面から精進湖線を登って行きますと右左口トンネルの出口が古関です。
江戸時代の前、此処に関所があったものと思われます。ですから古関です。
江戸時代、この方面は女坂峠(阿南坂)を越えて精進湖に出てそこから本栖湖に進みます。これが中道往還です。
その本栖に江戸時代の関所がありました。

古関は平成の合併によって上九一色村から分離して甲府市に編入して甲府市古関となりました。
その古関から芦川渓谷沿いに細い自動車道路が下っています。
行く先はJR甲斐上野駅であり市川大門駅です。


この道が市川道で富士川(釜無川)との出会いは約10kmです。
古関の三叉路を芦川に沿って下り300メートルほどの所に旧中道往還右左峠(迦葉坂)への下九一色側からの登り口があります。
峠を越えて甲府盆地側の里が右左口宿です。
あまり峠道は歩かれていませんので崩落地もありますが比較的保存状態が良いです。石仏があります。


写真1古関の永泰寺です。
   釈迦堂の欄間に極彩色の天女が太鼓を打っています。

写真2は途中の観音城です。
    城壁のように切...


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歴史の道(市川道)

2010.01.03 07:29  投稿者:ootaminoru

平成21年12月31日、ダイアモンド富士撮影の本栖湖から芦川渓谷沿いの道を下って帰って来た。
この道が市川道なのだ。

歴史の道、市川大門に終結する道は数本あります。その数本の道を総称して市川道と言います。
その事はその昔、鎌倉に幕府が合った時代から鎌倉に向う幾つもの道を鎌倉街道と言うが如しです。


若彦路の上芦川から分枝して芦川渓谷に沿って下り中芦川から古関に至り此処で中道往還と交わり右左隧道の手前で分かれて更に芦川渓谷に沿って下芦川を経て市川大門に至る街道が今回の市川道です。
現在の道路名称は県道36号線、笛吹市市川三郷線です。平成の合併前は八代芦川三珠線でした。
その古道を探索して来ました。

この街道の終着点は市川です。
市川大門は江戸時代、天領となった時期から代官所が置かれ、市川代官所、甲府代官所、石和代官所、都留代官所の四つの行政の分割統治の中心地の一つでした。
叉産業や交通の要所として富士川舟運の黒沢河岸(市川代官所管内)が置かれていました。民間の商人の荷物の他、お蔵米としては八代管内の年貢米を扱...


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回転寿司

2010.01.02 07:20  投稿者:ootaminoru

中央市に大型スーパーモールが昨年出来ました。
ロックタウンと言います。
家電量販店やスーパーマーケットや回転寿司や洋食屋などが取り囲むモールです。

その中の回転寿司屋に昨年の暮れに家族で入りました。

回転寿司は日本の寿司なる生の魚介類を食べる食文化とゲーム感覚を取り入れた新しいショウ?ビジネスとして近年日本でも定着した感があります。
海外で江戸前寿司系の日本資本の回転寿司が次々と開業しているそうです。
ですが、アメリカに渡りそこでアメリカ流に進化したアメリカ式のメニューを揃えた和洋折衷型の寿司がアメリカそしてヨーロッパに広がり今や二大勢力として覇権を競っているようです。
覇者の寿司の味はその地域の将来の食文化として定着するので負けられないと言います。

昨年の春にテレビで中東のドバイで回転寿司の日本資本とヨーロッパ資本が競っていることを放送していました。
ドバイを制する者は中近東を制する。そこで激しい食文化の覇権争いを繰り広げられているそうです。
その後の世界的な金融破綻による経済不況でドバイの消費経済はどう...


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太陽誕生 

2010.01.01 00:15  投稿者:ootaminoru

太陽誕生

21世紀の地球規模の手詰まりな時代には新しい枠組みや新しい問題解決のルールが必要になって来た。
先進国が後進国をリードする。南北対立、宗教対立、東西対立、超大国、覇者の論理、核の傘、核の抑止力、など選ばれた国家によるルールから総当りの新しい時代の到来をCOP会議が証明していると思う。いまだ騒乱期だと思う。

昨年の暮れ、12月30日と31日にNHK総合テレビで合計6時間の「遙かなる絆」原作:城戸久枝 を観ました。
好むと好まざるとにかかわらず グローバルな社会に住む現代人にとって、叉直近の我が国のインバウンド観光に係わりを持つものにとって国際感覚が大切だ。
国と国を隔てるわだかまりを持つ国民感情と人間愛の絆の相反する両面を同時に同一の人が持っている。

東アジアからの外国人観光客、そして東アジア諸国の海外への観光やビジネス、国際協力などその交流はドンドン増えて行くだろう。

観光の世界で政治、歴史(戦争)と宗教の話しは厳禁だ。
その通りだと思う。

しかし、場を選んで将来は分かり合う努力と言うよりも折り...


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ダイアモンド富士

2010.01.01 00:01  投稿者:ootaminoru

賀正

平成22年元旦

謹んで新年のお喜び申し上げます。

山梨県本栖湖竜ヶ岳にて撮影 


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