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山梨の山と川と土と人とをテーマに自分にとって何であるのか?どのように関連付けて生きているのかを書いてみたいです。

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竜ヶ岳(山梨百名山26)

2009.12.31 14:50  投稿者:ootaminoru

大晦日の早朝、本栖湖の傍に聳える竜ヶ岳に登って来ました。
竜ヶ岳は1485メートルの山で本栖湖の水面が900㍍ですから標高差585メートルになります。頂上までは約2時間掛かりますが富士山撮影には途中の吾妻屋以上の中腹から沢山の撮影適地があります。

数年前からほぼ毎年、元旦か大晦日に、この山からダイヤモンド富士の撮影に来ています。
今日もそのダイヤモンド富士の撮影でした。

登山口は本栖湖畔のキャンプ場からです。
今日、12月31日はすごく空いていました。
大きな駐車場に20台ぐらいしか自動車がありませんでした。
明日の元旦は大勢の人が詰め掛けるでしょう。
例年関東方面から観光バスが5台から10台くらいツアーで来るそうです。
大阪からも名古屋からも来るそうです。

本栖湖キャンプ場に年間契約でもう10年以上バンガロウを借り切っているT氏の弁です。彼は町田方面に居住していますが週末になると金曜日の夕方からほぼ毎週このバンガロウのセカンドハウスにやって来て寝泊りをしています。此処を基点に旅をされています。
かなりの富士...


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仕事納め(2)

2009.12.30 21:20  投稿者:ootaminoru

卸売り市場の朝は早い
午前4時から売り買いが始まります。
次々と山が崩されて行きます。
6時から8時頃がピークです。此処へ来るお客さんは中小の食料品屋や鮮魚店の店主が主す。9時を過ぎるとお客さんは汐が引くように減ってゆきます。
10時を過ぎる頃には中卸し店はそろそろ店じまいに掛かります。11時から12時には店を閉めます。
仕入れた小売店は自分の店に帰って10時頃から開店に掛かります。

甲府市中央卸売市場は年々取引量及び金額が減ってきていると言います。
特に魚介類は此処の市場を経由しないで水揚げ漁港の漁協や水揚げ港の近隣市場から直接取引きが行なわれて陸送されて場外の中卸や大型チェーンのスーパーマーケットの加工センターに一括搬入されるケースが多くなっています。
消費者は郊外の駐車場のある大型スーパーマーケットにドンドン集中してゆくようです。

大型スーパーは自動車の時代で駐車場完備なので便利で寡占化が進んでゆきます。
しかし、どの店に行っても同じような品揃えで季節感に乏しいきらいがあります。
それは安定供給、売れ筋...


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仕事納め

2009.12.30 18:15  投稿者:ootaminoru

晦日の甲府市中央卸売り市場です。


きょう、12月30日で今年の仕事はおわりました。
今日ばかりはどの卸し中卸しの店も大忙しで関連する私の仕事も普通ならば11時には終るのですが今日は14時まで即ち3時間も残業をしてしました。

普段はあまり見受けない酢蛸のバケツ売りがどんどんさばけて行きます。
でも昔に比べて季節感が薄くなりました。
各家庭に冷蔵庫があり食べるものは通常と変わらないものとなり、スーパーやファーストフーズ、コンビニなどが正月でも営業しているので買い溜めは少なくなりました。

塩鮭も鰤も蒲鉾も昆布の佃煮も何もかも今では一年中出回っているからです。

平成21年12月30日午前6時半、外は未だ薄暗くようやく夜明けを迎えます。


今年1年働かせていただいて有難う御座いました。


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太宰治&松本清張&山崎豊子

2009.12.29 16:15  投稿者:ootaminoru

今年も残すところ、あと二日のみとなりました。
明後日は大晦日と言います。1年の大仕舞いの日です。
生きとし生けるのの命が滅する日です。蛙もヘビもトカゲも地上からいなくなり、植物は枯れて、小さな小さな硬い種子になりました。
その滅した命から再び生命が蘇ってくるのが元旦です。
12月31日恒例の行事として本栖湖の傍の竜ヶ岳に早朝登りに行きます。
富士山の頂上からのご来光の写真を撮りに行きます。
元旦は混み合いますので大晦日に行くことにしています。
静かにつつがなく平成21年は暮れようとしています。
元旦は生命の再生の日です。歳神様をお迎えする日です。
やがて春の七草粥を食べる日を迎えます。野には雑草の青い芽がちらほら萌えるようになりオオイヌフグリのサファイヤの宝石が見え出します。
まずは無病息災を祈りたいものです。

最近厚い本が読めなくなりました。
途中で居眠りをしてしまうからです。
テレビを見ていても居眠りをしてしまいます。


映画を観ていて居眠りをする事は一度もありません。
そこで段々映画を観に行く回数が増えてきました...


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最終講義

2009.12.28 21:30  投稿者:ootaminoru

今の山梨を語るジャーナリストは多くない。
その多くないジャーナリストの中で県民の立場(=利益)にたって山梨県内の時事問題を論説し提言を展開してきた人がいます。
その人は椎名慎太郎先生です。その先生の最終講義を偶然聴く機会に恵まれた。

先生は本来は学者です。
山梨学院大学法科大学院教授。法学部政治行政学科教授
椎名慎太郎先生です。
ですが、先生は山梨県の現代の時事問題をも語る貴重なジャーナリストでもありました。


平成21年12月18日
山梨学院生涯学習「山梨学研究2009」
{山梨における合併の「成果」と今後の自治体改革}が先生の退官最終講義となりました。

県民の一人として自分が生きている地域社会の現代。そして日本の近代、特に現代を認識し自分が時代の中で生きている証を築きたいと願う者ですが、光陰矢のごとし学なりがたしでこのまま朽ち果ててしまうではないかと焦りを覚える昨今です。
現代を認識出来ない者はその鏡の反射として自分を映し出す事が出来ず自分が見えていないと思います。
根無し草の浮き草だ。


椎名先生は現代の山梨県...


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クスノキ

2009.12.27 08:59  投稿者:ootaminoru

舞鶴陸橋のある側の県庁の門には大きなクスノキが数本、道路に沿って並んでいます。この庭の部分はその昔、甲府中学があった場所だそうですが移転させて、昭和5年に山梨県庁を此処に新設しました。

その前の山梨県庁は現在の甲府市役所近辺にあったそうです。

昭和5年に現在の旧館である山梨県警察本部及び教育委員会が入っている建物が完成しています。当時はこの建物が本館でした。
そして昭和8年に現在の議事堂が完成しています。

山梨県にあって近代的な本格的なコンクリート建築として旧館(当時は山梨県庁の本館)は貴重な存在だと思います。
それと並んで道路際のクスノキもほぼ同じ頃に植樹されたのではないかと私は推測しています。
山梨県にあってクスノキ(楠木=楠=クスノキ)の古い時代の植樹は少ないと思う。恐らく生育の北限に近いのでは?
緑ヶ丘スポーツセンターにも大きな株が1本ありますが陸軍の練兵場のあった場所であり、同時代からのものではないだろうか?

今では樟脳に順ずる合成のナフタリンが出回っていますが当時は衣類虫食い防止忌避剤として...


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クラッシュ&ビルド

2009.12.27 06:31  投稿者:ootaminoru

風林火山博があったビル、その前は西部デパートのビルが解体撤去されようとしています。
平成21年12月26日現在

もう2年前になりますかねNHK大河ドラマ「風林火山」の山本勘助で人気が出て沢山の人が訪れた駅前「風林火山博」を収容したビルですが、それをフィナーレに、このビルが壊されます。
御苦労様でした。

この建物で印象に強いのは西部デパートが営業している時にビルの角にエレベーターがガラス越に上下したのが印象的でした。
写真1の左側コーナー部分です。


写真2はデパートの下の通路「フアンシーロード」と名前が付けられていた歩道です。甲府市で一番プライドの高かった場所でした。
今となってはその名前さえ記憶にないのではないでしょうか。
ビル解体工事の準備の為にシェルターのようになっています。


写真3は西部デパート全景

クラッシュ&ビルドです。
新しい時代に相応しい街角に蘇って欲しい。
30年いや50年更に100年を越えても色褪せることなくプライドの高い甲府一の街角であって欲しいものです。


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法人村民税86㌫減少

2009.12.26 15:59  投稿者:ootaminoru

国母工業団地には団地を紹介する看板で26社の工場があるようです。
ですから1社や2社の工場稼働率低下や撤退でも団地全体としての雇用数や生産高、しいては自治体に入る法人税などの税収に大幅な打撃が来ないだろう。
しかし、多種多様な工業の寄せ集めとは言え海外との関係において輸出工業立国の日本の現状を考えると将来的には同じ釜の飯を食う者同志の栄枯衰退が考えられます。
国母工業団地の工場は山梨県に企業城下町を形成していないようだ。即ち沢山の下請けを県内の周辺地場産業に持った頂点としての企業ではなく、部品や原材料を他所の工業地帯から搬入し加工したり組み立てるだけの工場らしい。

12月26日の山梨日日新聞P21に
山中湖村の法人村民税86㌫減少の記事が出ています。
昨年の法人税が18億7千万円だったものが今年は3億円に留まるそうです。
村全体の税収入は半減の20億円程度に留まる。
景気低迷による産業ロボットメーカーの業績悪化に依るものだそうです。
村全体の税収の約半分の20億円に留まるそうで来年以降についても村税収入が見...


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国母公園

2009.12.26 06:31  投稿者:ootaminoru

国母工業団地は昭和51年9月16日に造成がなされたそうです。
以来山梨県甲府盆地内の主要な工業団地として活躍してきました。
既に30年の歴史があることになります。


その面積は
総面積     95.8ヘクタール 即ち95.8町歩
工場敷地    81.4ヘクタール   61.4町歩
国母公園    3.4ヘクタール    3.4町歩
その他道路河川水路11ヘクタール   11 町歩です。

1町歩は3000坪です。現在の甲府城の総面積は7町歩です。
江戸時代の甲府城の内堀の内側の面積は21町歩です。県庁も甲府駅も内堀の内側の場内でした。
国母工業団地の大きさがお解かりになるだろうと思います。

工業団地の真ん中に国母公園があります。
野球場広場、テニスコート、子供遊園地、などなどで構成されています。

公園は工業団地の従業員のスポーツや国母地区周辺の地域社会の人達の憩いの場所でもあり、非常時の退避場所、避難場所やヘリコブター発着所などの救急用にも使われるであろう甲府地区南部の広場です。

釜無工業団地、国母工業団地は工業団...


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国母工業団地

2009.12.25 21:46  投稿者:ootaminoru

戦後の山梨県の経済を引っ張ってきたのは工業だった。
その工業に蔭りが出たのはバブルの崩壊の時期だったでしょうか。
日本の工業は中国へ引越し本社機構だけが東京に残る構図が増えた時期だった。
現在、山梨県の工業もやや活発さはないらしいが、国母工業団地だって現在尚頑張っています。昭和51年の工業団地造成当時から創業した企業と比べて多少の入れ替えはあったものの、ほぼ空き地はないようです。
問題は稼働率であり出荷額だけれども、、、、、、。
甲府市、昭和町、旧玉穂町(中央市)に跨る85.8ヘクタールの巨大工業団地です。
平成の大合併時に昭和町がどことも合併しないで単独で存続すると決めた背景は釜無工業団地と国母工業団地を持っていたからだ。法人町民税は昭和町の財政を潤しているのでしょう。

工場の海外移転などで国内の工業に蔭りが出た頃から観光、観光と言い出した。
観光観光と掛け声を上げたって、それだけで県民全体が生活できる訳には行かない。

山梨県の将来を語る時、工業の占める位置はやはり主幹産業であるに違いないと思う。そうあ...


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ミステリーツアー

2009.12.24 21:31  投稿者:ootaminoru

12月に入ってほぼ毎日の午後、甲府市国母の20号線沿いの甲府市中央卸売市場に隣接する中卸しのビルの前に観光バスが停まるようになりました。
一台の場合や二台の場合もあります。

中卸しビルの1階は凍結品や塩蔵品、乾燥品などの魚介類がいっぱい並べられていて、そこへお客さんを誘導し買い物をしていただいています。皆さんは沢山買い物をされています。
ナンデこんな内陸部の甲府盆地で魚介類の買い物を?
考えてみたら山梨県内で買い物をする特色ある特産品売り場は極めて少ないように思う。葡萄の丘、カイテラス?インデン屋?豊富道の駅鳴沢道の駅?

バスの前に廻ってみますと「ミステリーツアー二つの夜景を競う」とありました。
バスのナンバープレートは神奈川であったり品川であったり世田谷であったりです。

有名な観光拠点を外し訪れた事のない場所へ。
行き先も秘密にしてご案内する。それがミステリーツアーなのだろう。

二つの夜景の見える甲府盆地の場所はどこだろう?
この冬の時期、午後5時過ぎには暗くなります。
三珠の湯であったり、上積翠寺の要害温...


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食育のすすめ

2009.12.23 07:17  投稿者:ootaminoru

講演「食育のすすめ」
ー大切なものを失った日本人ー

講師:(学)服部学園 服部栄養学園専門学校 校長 服部幸慶

こんな講演が12月16日にありました。



スローフーズから山梨の観光を考える。
違った。山梨の観光からスローフーズを考える。
??? やっぱり、スローフーズから山梨の観光を考えるかな?
短絡的に観光に結びつけるのではなく県民自らの健康と安全と安心と食文化の為に食を考え直しましょう.
大切なものを失って来た日本人。

その先の先に観光山梨が見えて来ます。
中央市とよとみの道の駅が今年、道の駅甲子園グランプリで優勝したと言います。
この事は従来の道の駅の農産物販売は農協の集荷の規格外になった出荷不能品を道の駅に安い価格で出すのが農家の意識構造だったが、消費者と向かい合っている内に本気で消費者に販売したい。その為には好まれる農産物生産に転換し始めたことが底辺にあるらしい。
食材にこだわり、健康で安全で安心な地元の材料で家庭料理を作り、家庭料理のメニューと我家の味を作りその食文化の上に郷土料理が花開くものと思う。
...


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舞鶴城公園(甲府城址)の初冬(7)

2009.12.22 17:28  投稿者:ootaminoru

晩秋から初冬、ブロンズの舞鶴について

甲府城址の鍛冶曲輪の舞鶴橋(堀の内側)の袂にブロンズの舞鶴がいます。
写真1参照

その昔、大正7年に大正天皇の即位を記念して本丸に池を造りその中にこの舞鶴を置いて口から水を出して噴水にしていたそうです。
恐らく甲府城(舞鶴城)の愛称として舞鶴城公園のシンボルマークが鶴の噴水だったのでしょう。
その場所は舞鶴が口から噴水している写真が稲荷櫓二階の写真パネルに展示してあります。本丸の謝恩塔の東側です。
そもそも舞鶴城公園は明治37年に陸軍からの借地でしたが山梨県立公園として庶民に開放されました。
ですが県は明治時代末期の二度の大洪水で復興費にお金が掛かりお金が無かったので国から買い取る事が出来ませんでした。
大正時代になって再度県は国に払い下げの交渉をしたが多額のお金が必要であり、叉国は日露戦争の後遺症としてイギリスから多額の国債(借金)を抱えていて無償譲渡には出来なかった。
大正6年に山梨県は甲府市内の豪商村松某氏の寄付を得てそのお金で国から甲府城址を買い取った。
大正4...


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卸売り市場

2009.12.22 07:23  投稿者:ootaminoru

食育。地産地消。自給率などなど食に関する環境に対して関心が高くなってきています。しかし生活慣習病の如くなかなか実情を変えられない構造的な問題が横たわっているようです。

甲府中央卸売り市場が2年先に民営化する事に決まっています。

甲府市による公営卸売り機能を解消し、一般市場として一般消費者が誰でも購入可能な地方市場になるそうです。
大きなスーパーマーケットのチェーン店は産直で仕入れて生き残れても県内の小さな個別の小売店は生き残れず、大資本のチエーン大型小売店に集約されてしまうでしょう。


交通網の整備発達、コールドチエーン、それから大型スーパーの進出、それも系列のチェン店等など食材の流通網は大きく変わってきました。

即ち魚介類は甲府中央卸売市場を通さずに東京築地市場や漁港に近い魚介類の卸売市場、青物で言えば産地の卸売市場や直接産地農協などから大型チェーンスーパーは直接仕入れる割合が増えて来ているようです。

食の問題を今後も注視して継続して行きたいと思います。

写真は甲府市卸売り市場のマグロの競


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山梨インバウンド観光講座プログラム発表

2009.12.21 21:25  投稿者:ootaminoru

インバウンド観光講座企画力養成講座プログラムの2009年度第三期生企画提案発表及び全体のブログ表彰式に出席しました。

12月18日県立大学飯田キャンパスにて今年度の最終の講義で過去の受講生を含めて行なわれました。一期生、二期生からも数名参加しました。

第一部は2009度年の受講生による企画提案の発表です。
  4件ありました。
①来て、見て、食べて、山梨満載ツアー
②湯村温泉と甲府駅をつなぐ周辺地図の作成
③個人観光客が甲府のまちを自由に見て歩くためのレンタルサイク活用と受 け入れ構築
④ユニバーサルデザインのおもてなし館内表示、指差し会話帳
 

第二部はこの三ヵ年のブログ(山梨観光わいわいねっと)の優良グロガーに対する表彰とブログ記事投稿後アクセス数の増減の傾向と考察の解析です。後者は県立大学の国際政策学部学生田村直哉氏が十名を代表して発表して下さいました。

第三部は三年間の山梨インパウンド講座の総評と今後の展望
(主催者側からの発表)

1 山梨のインバウンド観光に対して底辺の底上げになった。受講者の意識  ...


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甲州金研究(1)

2009.12.21 18:05  投稿者:ootaminoru

湯の奥金山博物館公開講座
「甲州金研究ー4つの金座の消長」

私も12月19日この講座を受講しました。
この湯の奥金山博物館は武田信虎時代以降の甲州での金の採掘、製錬、精錬、鋳造に関する常設展示と甲斐を中心に日本の金山開発や金貨幣に至る中世、近世の学術的な最先端の研究発表や広報講座が行なわれています。
今回の講座は63回目のものです。

この金山博物館はおそらくどこの都道府県にでもあるような総合博物館ではなく独自のテーマである中世近世の鉱山や精錬、貨幣鋳造に関する全国からの研究者の学術発表の場であり啓蒙活動として一般公開で学術的な講座を継続的に実施している特記すべきオンリーワンの場であろう。
何故其処までして山梨県で、しかも身延町下部で行なうのか?

今日の講座内容の紹介の前にその事を知って頂きたい。
一言で言えば日本の鉱山開発は15世紀に始まります。それ以前は砂金や風化した土壌からの分離精製が主でした。
石見銀山が開発されて次にその技術が甲州に流れて受け継がれて武田信玄の時代に花開きます。そして武田滅亡と共に...


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長禅寺と若尾逸平御廟

2009.12.17 18:20  投稿者:ootaminoru

レンタルサイクルの出発点に最も近い観光拠点と思われる長禅寺(甲府市愛宕町)は武田晴信の母君である大井夫人の菩提寺です。
長禅寺の場所は甲府駅から徒歩で15分くらいでしょうか。
中央線の線路に沿って東に北側の道を歩けば五重の塔が見えます。

大井夫人は1552年(天文21年)に死去しその時に母君を傍で供養する為に息子の晴信によって創建されたと言います。大井夫人の名前は分っていません。大井家から嫁に来たので旧姓の大井から嫁に来た夫人と言っています。
絶対に花子だとか晴子だとか固有の名前があったはずです。
晴信の正室である三条夫人も天皇につながる公家の三条家から嫁に来たので三条夫人と言っているのと同じです。

元々長禅寺は甲西町鮎沢に大井氏の菩提寺として長禅寺があります。真言宗でしたが1316年(正和5年)に臨済宗妙心寺派に改宗しています。大変古い寺です。
大井夫人は国人大井信達の娘です。武田信虎と勢力を二分するくらいの勢いの大井氏は駿河の今川氏の重臣福島正成の加勢を得て飯田河原、上条河原で争います。
信虎が勝っ...


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北山野道

2009.12.15 20:42  投稿者:ootaminoru

甲府市の北側山麓を取り囲むようにして観光の古道コースが設けられています。
甲府市教育委員会が制定したもので、歴史と文化と自然が織りなす散歩道です。
西側から志摩の里、、、、、湯村山、湯村温泉、緑ヶ丘スポーツ公園周辺
    小松の里、、、、、躑躅ガ崎の館、積翠寺及び武田五山周辺
    板垣の里、、、、、甲斐善光寺、東光寺、カイテラス周辺
    表門の里、、、、、酒折宮周辺  です。

このコースを徒歩で周遊するのが今までの基本設計でしたが、今年から甲府市観光協会が「レンタルサイクル甲府」を立ち上げて電動自転車の貸し出しをしています。その貸し出し事務所は甲府駅北口の山の手御門に隣接する夢小路です。

新たに電動自転車を利用してこれ等の北山野道をサイクリングして廻るのも楽しいと思います。
私は徒歩でのこれ等のコースを巡回していますが、電動サイクルでは未経験です。
来春早々にに実際に体験取材をしてみる予定です。

既にこのブログに電動サイクルでカイテラス、甲斐善光寺へ行かれた方のレポートがありました。
今後、この電動...


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白根三山

2009.12.08 22:46  投稿者:ootaminoru

山梨県を代表する自然遺産は何か?
富士山にはコンセプトが見つかりません。
人類にとって何のための富士山文化世界遺産登録なのでしょうか。
オリンピック候補地がブラジルに決まって東京が落選したのと同じように。

ひょっとしたら遺産登録に落選するのではないかと思う。
私は白根三山だと思う。
開発や活用、利用をしようとは思わない。
自然そのものをキッチリ保護するのが一番のお宝を持続して活用する事になると思う。


ここには氷河期の生き残りの植物が沢山残っている。
氷河期の氷河地形だって残っている。
富士山にはいない動植物が生き残っています。

山梨に縁あって滞在している者、山梨に縁あって生を受けて育った者よ。

リニア新幹線が甲府盆地に停車するようになれば東京から15分で白根三山の登山基地に来れます。
高尾山が東京に、こんなに近く自然が残っているという理由で都会人に、そして外国人観光客が押しかけて来るそうです。三ツ星の評価だそうです。
富士登山者数と同等だそうです。

白根三山は誰でも登れる山ではない。しかしこんなに近く東京に接近して自...


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忘年会

2009.12.08 21:17  投稿者:ootaminoru

街は忘年会の真っ盛りでしょうね。
昔は大きな職場単位で大宴会をしたものです。
昔とは高度経済成長真っ盛りの時代です。
社長や部長に仕事の愚痴や自分を売り込む為に自慢話をしたり、上司の悪口を告げたり、うさ晴らしやゴマをする場でもありました。
社長に杯を返杯してもらうのが名誉な事でありました。
無礼講という言葉が付きまといました。
忘年会にグジグジと仕事の話をしたものです。

今では小さな職場単位で上下関係をあまり意識しないで親睦の一環として和やかに行う風潮が主流になりましたね。

私達日本人にとって社員旅行や忘年会は当たり前の季節の風物詩ですが、これは日本独特のものではないかと思います。
海外に一度も出たことがありませんので耳学問ですが、明治時代以降、近代化の嵐の中で組織に忠誠を誓う、組織の輪を重視した日本式労務管理のなせる業らしい。
特に戦後の高度成長時代に発達したものらしい。
組織丸抱えで組織に染まり組織に奉ずる愛社精神を培うものでした。

今は仕事はマニアルに従い個別に行なう。マニアルに対して忠誠心を持てば宜しい...


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舞鶴城公園(甲府城址)の晩秋(6)

2009.12.02 17:23  投稿者:ootaminoru

木瓜の狂い咲き

甲府城址の鍛冶曲輪日本庭園の植え込みに木瓜の花が結構沢山咲いています。
木瓜は春先から長い枝を真っ直ぐに伸ばすのでそのままにして置くと来年、樹形が乱れてしまいます。
庭園なので毎年同じ姿になるように樹形を固定しています。
そこでお盆が過ぎた秋口に伸びた枝を剪定したものと思われます。

そしたら木瓜は既に来年の為の花芽をお盆前に付けていますが今年の子孫繁栄のための果実を落とされたと判断して、もう一度今年の分として花を咲かせて大急ぎで果実を成らせようとしたのだと思います。
世に人間が勝手にいう「呆けて狂い咲き」したのだと思います。
植物の側からすれば子供を盗られて当然の子孫繁栄の為の生理であり呆けてはいないのです。
お盆を過ぎてからの強い切り替えし剪定は狂い咲きを起こりやすい。

写真3は花の右側に毛虫がいます。赤い花弁を食べていました。
自分の庭ではないので冷静に見ておれます。毛虫を撮影してそのまま、その場を去りました。
今頃、毛虫とは?無事に蛹となって越冬できるのでしょうか。
ここにも季節に遅れそう...


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シクラメンの出荷最盛期

2009.12.02 11:44  投稿者:ootaminoru

南アルプス市旧白根町今諏訪の花卉栽培フレームに行ってシクラメンの撮影をさせていただきました。

今から20年ほど前はここも果樹園だった。
サクランボ、桃の果樹園が広がっていました。
その前(昭和30年頃)は一面桑畑だったそうです。
昭和20年8月15日以前にアメリカ軍偵察の飛行機から撮影した航空写真を見た事があります。
この辺りは全面桑畑でした。
どうしてそんな写真を米軍が撮影したかだって。
私の想像ですがこの桑畑の中に日本の立川航空廠があったからではないでしょうか。
暗号で「ロタコ」で、ロはイロハニのロで第二工場、タは立川、コは航空廠だったかな。飯野と有野地区に跨る広い範囲で昭和20年の春(1945年)に急遽本土決戦の為に立川航空廠(航空機を作る工場)の疎開工場としてここに工場を建設していたのです。完成まではしていなかったと思いますし、飛行機を製造する材料も、航空機を避難隔離する機体もなかったと思いますが、長野県松代に大本営を疎開させるとか最高責任者達は本気で首都圏移転と軍需工場の疎開を考えていたようです。...


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