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山梨の山と川と土と人とをテーマに自分にとって何であるのか?どのように関連付けて生きているのかを書いてみたいです。

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叉来る日まで北岳

2009.09.28 17:05  投稿者:ootaminoru

サヨナラ、サヨナラ叉来る日まで、、、。
来年も叉登って来ます。
振り返り振り返り北岳を下山して行きます。


県内の山はまだまだ登れる体力と経済力があります。
殆ど日帰り登山ですので宿泊費はタダで交通費は知れたものです。
もう今年が最後で、これっきりとは思わない。

県外の山、海外の山には行きたいけれどもお金と暇がない。
海外へは一度も行った事がない。
槍穂高縦走や東北の山々、北海道の大雪山系、日高山系の山々は今度登りに行った時がラストランになるだろう。

本当は仕事は嫌いだけれども、したくないけども山には登りたい。
時間給1000円ではもったいなくて山小屋に泊まる気が失せてしまいます。

先立つものはお金。勿体ない、勿体ない。
アー官僚の天下りになりたかったなー。普通の再就職の28倍の給料だって。
誰かスポンサーになってくれないかなー。
お金が落っこちていないかなー。ネコババするのにー。ネコババは犯罪だからこれは取り消しします。

時給の仕事と登山の二足の草鞋。
何時までたっても抜け出せません。

高齢者元気印手当金として月額2万5千...


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雀は何処へ行った

2009.09.28 14:30  投稿者:ootaminoru

気が付いたら雀が田圃にいません。
案山子が一人暇そうに立っています。

稔りの秋、稲穂が日に日に黄金色に染まって行き、田圃一つ二つと刈取られて行きます。同じ風景を今まで何度も見て来ました。
毎年見飽きる事もなく今年も和やかな気持ちで眺めています。

しかしトンとスズメの姿を見かけません。ネットも張って無いし、不評だったカーバイトの音脅しだって最近は聞いた事がありません。

雀は一体何処へ行ったのでしょうか?

考えてみると水田にはドジョウ、メダカや小鮒、タニシ、ミズスマシ、アメンボー、ゲンゴロウ、ヤゴ、蜻蛉、カエルなどの魚貝類、昆虫や両生類を見かけなくなりました。
それらは何となくズイムシ、ウンカやヨコバエなどの害虫駆除や除草剤の影響と考えていましたが、どうもそうではないらしい。それだけではないらしいと思うようになって来ました。
梅雨から初夏に掛けて燕は子供を孵化し育てています。

一年を通じて雀の餌となる食べ物がなくなったということだろうか。
食物連鎖だろうか?
それとも繁殖に際して巣造りの場所がなくなったということ...


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北岳の二俣

2009.09.28 06:20  投稿者:ootaminoru

広河原から大樺沢を二時間強登りますと右俣沢との分岐点に差し掛かります。

ここは三叉路です。
大樺沢をそのまま登って行き八本歯のコルへ行くのと右叉沢から草すべりを上がって小太郎尾根へ。
もう一つ、白根お池小屋への交通分岐点です。
しかも正面に北岳の全容が眺められる場所です。写真は大きな北岳をワイドで撮影していますので高度間が表現されていませんが正面に高度800メートルの壁、バットレスが立ちはだかっています。

しかもと書いたのはこのような分岐点は休憩場所になります。登り始めて2時間、それまでは樹海の中をひたすら登るのみの苦痛の連続でした。
大方の人がここで休憩を取ります。
登山者にとって滞在時間が長ければ長いほどその場所でのロケーションや友人との会話の記憶が残ります。
そうした意味からここ二俣は北岳登山の大切な舞台になっています。

今回早朝の3時40分に広河原のテントを抜け出し歩き始めましたので、休憩方々二俣で朝焼けの北岳を撮影出来ました。
このような北岳の写真をあまり?殆ど?全く見た事がないでしょう。
今回たま...


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北岳のお賽銭は何を語る?

2009.09.27 08:26  投稿者:ootaminoru

北岳の頂上に誰が置いたか陶器のお地蔵様が置かれています。
昨年まではこのお地蔵様はなかった。
そのお地蔵様にハンカチで袋を括ってその中にお賽銭が入っています。
自然発生的に出来上がった現象であり、誰の所有物でもなさそう。
改めて日本は仏教国なのだなーと思う。

大乗仏教は平和と共存を根底にしている。共生なのです。
どんな立場の人でも善人も悪人も賢い人も馬鹿な人も男も女も、生きとし生けるもの全てが救われる。
十一面千手観音菩薩がその思想を表現しています。
それに対し他の世界宗教は自分の神を信じたものだけが救われる。即ち選ばれた者だけが幸せになれる。選民思想なのだ。派閥から外れたものは排斥される。
弱肉強食の生き残りを掛けた宗教なのだ。

限りなく地球が広く自由に力を発揮し自己実現できる時代はそれでも良かった。仏教もそうですが世界の宗教は紀元前5世紀頃に形成されている。
その時代は限りなく地球は広く無限大に自然は偉大で大きく強かった。
人間は弱く小さい存在だった。強く敵対するものを排除する思想を持たなければ自然に負けて...


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源義清館跡に咲く彼岸花

2009.09.25 12:24  投稿者:ootaminoru

お彼岸が過ぎました。彼岸花が咲いています。

昭和町西条に源義清館跡があります。
堀と土塁で囲まれた遺構らしい中に義清社があります。その境内に彼岸花が咲いていました。

義清は武田氏の先祖で常陸の国から追放されて甲斐の国に流れ着いた最初の人です。ここからその息子の清光が北巨摩郡の逸見荘に勢力を拡大しそこで沢山の子供を設けて甲斐の国一円にばら撒きます。
甲斐の国の豪族は武田氏の祖先の義清、清光を清和天皇の流れをくむ高貴な血統とみなして娘を差し出しその血筋の配下に入ろうとしたのでしょう。
20人以上の子供を設けています。
清光の在命は1110~1168年と言われています。

その中の一人が武田を名乗り韮崎の武田の館、武田八幡を根拠地にした武田信義がいます。その信義が甲斐源氏の祖となる訳です。

尚、市川大門の平塩の岡にも義清の館があります。
どちらが正しいのか私には分かりませんが、武田氏の研究には両者共見て置くべきポイントです。

毎年、昭和町の源義清社へこの時期彼岸花を見に行きます。


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北岳の水が綺麗

2009.09.24 16:13  投稿者:ootaminoru

北岳の水が綺麗

山梨の宝物は「水、山、空気、太陽だ」とある作家がシンポジュームで語ったそうです。9月12日?「水と緑の講演」で「山梨の自然の魅力」の演題でその感性を披露したそうです。
その作家は甲府に何年か実生活をしているのでその言葉は嘘がないだろうと思う。作家なのでその感性を披露しなければエッセイや小説が出来上がらないのですがしかしそのシンポジュームの内容を伝えた山梨日日新聞9月18日の小欄「風林火山」は話の筋を総括して引用しただけなのでその具体的な作家の経験談とか感性が描かれていません。

大切なのはそこに居住する住民が「山梨県は水、山、空気、太陽が宝だと実感しながら生きている」かどうかです。
本当に山梨県民は実感として生活の内に「山梨の宝物は水、山、空気、太陽」を感じていますか?と問いたい。
その実感なくして他者に山梨の魅力を伝える事は出来ないと思う。即ち人間が感じ取って始めてそのものが実存するのであって、認識していないのであればその実態が存在しないのですから。
絵空事のマスメヂアの流行に踊らさ...


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北岳のノコン菊

2009.09.24 15:53  投稿者:ootaminoru

北岳を登り終えて満足して北岳の下山道を歩いているといろんな花が咲き乱れているのが目に留まります。
大樺沢沿いの踏み跡の細い山道は精々幅1メートルに満たない細いものですが道の両脇に草花が咲いています。
奥は樹木が茂っていますので草花は咲きません。
日光の当たり具合で咲く植物の種類が異なります。
ノコンギクは一番太陽を必要とするらしく樹木が付近になくて日向に咲いています。

ノコンギクは何も北岳の登山道だけに咲く花ではありませんが本当に私が綺麗と思ったのでここに掲載しました。
伊藤左千夫の「野菊の墓」に出て来る「野菊のような君なりき」を思い出します。

北岳は登山バスの始発と最終便が決められていて乗用車が入れませんので今は日帰りが出来なくなりました。もう若くはありません。
10時間の時間がありますので急げば間に合いますが、68歳の年令では急げば転落事故に繋がる危険性がでて来ますので時間を気にしない計画を心掛けています。前夜広河原にテント泊をします。そして早朝から歩き始めます。

北岳に挑戦し今年も自分の健康を確認出...


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北岳の吊り橋

2009.09.24 11:52  投稿者:ootaminoru

北岳登山は吊り橋を渡る事から始まります。

広河原は野呂川の左岸にバスの発着場があります。そこから歩き始めて右岸に渡ります。
渡った場所が広河原山荘です。そこから今度は野呂川の支流である大樺沢に沿って細い登山道を登って行きます。
渓流の音を聞きながら樹海の中を進んだり、小さな枝沢を渡渉したり、河原に出たりしながら高度を上げてゆきます。
未だこの段階では喘ぐほどではありません。

この吊り橋は生活の為の橋ではない。
所詮、登山は直接生活に密着しない遊びの世界ではありますが一つの文化なのだ。
しかし、庭園や園地のようなやらせの世界の遊びではなく、これから登山といった気張った行動を起こす日常の世界と非日常の世界の接合点、即ち三途の川に似た緊張感が走ります。ここで気合が入ります。
叉その事は下山して来た場合は心の武装解除をする場所なのです。

その昔、徒歩で旅をする時代にお江戸日本橋から上方へ歩き始める日本橋の橋の袂がこのような心の武装、武装解除の場であったでしょうし、蒸気機関車の鉄道の時代は上野駅や青函連絡船がそうで...


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北岳のフジアザミ

2009.09.24 08:57  投稿者:ootaminoru

北岳の登山口である広河原に富士アザミが咲いています。
河原のかなり広い範囲に分布しています。
特に広河原山荘の幕営地には沢山生えています。

富士アザミは北岳固有の植物ではありませんし、ここ広河原は標高1500㍍の亜高山地帯に生えています。ですからキタダケソウみたいに高山特物とは云えないしそれ程有名ではないのかもしれません。
名前の通り富士山周辺の亜高山地に生えてその範囲は関東甲信越に分布しています。

ですが不思議な事に同じもの叉は近縁種が関東甲信越以外の地域では見つかりません。
現在の状況では地中から突然湧き出した植物という事になります。
何処から来たものか大変興味があります。


昨年も富士アザミを取り上げましたがそのルーツに興味があります。
山梨県の花、南アルプス市の花に指定しても好いのにと思う。
これだけ沢山咲いている場所は珍しいのではないでしょうか。
荒地に繁殖しますので周囲の景観や植物相が変わりますと群落に栄枯盛衰が出て移動するようです。

写真3はその向うに四張りのテントが見えます。
私のテントは別な場所に...


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北岳の雪渓

2009.09.23 14:05  投稿者:ootaminoru

北岳大樺沢の雪渓

日本三大雪渓は槍沢の槍沢雪渓、針の木岳の針の木雪渓、白馬岳の白馬雪渓です。

何れも北アルプスに存在しますが、南アルプスの北岳大樺沢の雪渓も負けてはいません。
9月22日でこれだけ残っています。

寒冷地、豪雪地帯であることに加えて、古い時代の造山で浸食が激しく壮年期の沢で深いことが雪崩れの雪を集めて蓄えやすいからです。
北海道には雪渓が発達しません。それは殆どの山は火山であり歴史が新しく、叉火山性噴出物の堆積は浸透性があり沢の発達が少ないからでしょう。

北岳は6月下旬から登山バスが動きますが、夏山登山の6月から8月までは大樺沢の雪渓を踏んで登山をします。雪渓は雪が硬く圧縮していますので大変滑りやすいです。アイゼンと名の付いた鉄の爪を履いて登ると歩きやすいです。

今から20年程前には大樺沢の深い雪渓のある場所では万年雪があると言われていました。
前の年の雪が溶けなくて翌年の雪が積もる。その繰り返しですが古い雪は暫くは層を成して堆積している様ですがやがて地熱で溶けてなくなるそうなので氷河のよ...


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夜明けの北岳

2009.09.23 07:09  投稿者:ootaminoru

広河原を3時40分に出発しライトを点灯し約1時間半歩いて二俣下部で夜明けを迎えました。
朝焼けの北岳です。

写真1北岳
    左側の大樺沢に雪渓が残っています。
    手前の潅木は紅葉が進んでいます。

写真2は対岸の鳳凰三山の夜明けです。雲がとても綺麗でした。
   

写真3は陽が登りました。
    これから登る二俣の草すべり方面の空です。
    こんなに晴れていたのに午前7時頃から雲の中にすっぽり入って
    しまいました。


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二種類のナナカマド

2009.09.23 03:31  投稿者:ootaminoru

ナナカマドにも種類がありその代表のナナカマドとウラジロナナカマドが北岳にあります。

写真1はナナカマドです。林檎と同じバラ科です。
美味しくはありませんがほのかに林檎の味がします。甘味は感じられません。
果実は大きく林檎のように下向きに生ります。
葉の表面は光沢があり周辺部全体に小さな切れ込みがあります。

写真2はウラジロナナカマドです。
苦くてとても食べるられる代物ではありません。タンニンを含んでいるのだと思います。
果実が小さく先端が窪んでいます。
果実は上を向いて生ります。
葉は全体に白っぽく特に葉の裏側は白いです。そこからウラジロナナカマドの名称が付いたと思われます。


両者とも紅葉の発色が良く樹性や果実を見なければ遠目には区別がし難いです。
富士山にはありません。
昔々の北方からの贈り物です。

平成21年9月22日北岳八本歯沢


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北岳の紅葉進む

2009.09.22 21:19  投稿者:ootaminoru

ナナカマドが紅葉を開始しました。

広河原にある広河原観光プラザを覗いてみますと9月15日北岳頂上付近で雪が舞ったんだって。
それから里でも早朝は寒い日が何日もありましたね。
その為か頂上に近い尾根付近のナナカマドは紅葉せずに葉が枯れていました。

今年の夏は短くて秋の訪れが早かったので紅葉が進んでいるようです。
はたして発色はどうだろうか?


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北岳(山梨百名山21)

2009.09.22 20:32  投稿者:ootaqminoru

観光は戦国時代です。
どの地方自治体も観光客の誘致にしのぎを削っています。
食うか食われるか?
高速道路土曜日曜1000円の恩恵は山梨県には少ないようですね。
山梨県を通過してもっと奥へ。

山梨県にしかないもの。他県と比較して他県にはないもの。
これは強い味方ですね。

北岳は富士山に次いで日本で二番目に高い山です。3193㍍です。
そしてキタダケソウがあります。
9月22日だというのに雪渓が残っています。
これだけのコンセプトがあれば全国から沢山の登山者が集まって来ます。

更に、実際に登山をしますと多種多様な魅力溢れる自然の地形的造形やそれに付随する植物の分布に出会います。
大樺沢の深い渓谷が中部山岳地帯としては南部に属しますが雪渓を沢山蓄える理由です。

平成21年9月22日


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美しい甲州種葡萄

2009.09.20 19:01  投稿者:ootaminoru

甲州種葡萄は美しい。

逆光で透かしてみると宝石のように美しい。
この葡萄をぶどう棚の下で眺めるだけでも来た甲斐があるというものです。

甲州種葡萄の勝沼起源を東京の親戚に説明しました。そして近年この葡萄を原料にした和食にあったワインの製造が進んでいる事を話しました。
生食用としては味が薄いので販売力の延びがありません。作付面積減少が続いているそうです。
ワイン用として今後大いに活路を開いてほしいものと思います。


平成21年9月20日  勝沼にて


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ぶどう狩り

2009.09.20 18:45  投稿者:ootaminoru

ぶどう狩りは楽しい。

大きく重たい葡萄の房を左手で受けて右手のハサミで蔓を切って籠に入れる。
幾つも切ってテーブル、ベンチへ持ち帰る。
切るのが面白く沢山切って結局食べ切れなくてお土産として自宅に持ち帰ることになりました。
量り売りの方を選びました。

家族で時間を忘れてゆっくりと談笑する。
食べる事は理屈ぬきに楽しい。
子供も大人も。

甲州種は未だ少し早いが色付き始めました。
逆光に透かしてみるとワインレッドの透かしの中に種が見えるようになりました。
今はピオーネと早生甲斐路その他ETCが中心です。

平成21年9月20日(日)勝沼の観光ぶどう園にて。
5連休の二日目です。中央自動車道通行料1000円で朝から下り線大渋滞。
東京から4時間半掛けて来甲した親類家族をおもてなししました。
涼しい風の吹きぬける葡萄棚の下で半年振りの四方山話でしばし談笑し、そして仕上げにホウトウを頂きました。
子供たちはブランコをしたり玩具の自動車に乗ったり。

観光ぶどう園は東京に近く山梨の素晴らしい観光資源です。
渋滞がなかったらなー。
もっとも...


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国民的風景

2009.09.17 13:56  投稿者:ootaminoru

東京タワーの役目は電波塔です。
しかし東京タワーは電波塔だけの役割にとどまらず戦後の日本経済及び国民生活の繁栄を象徴するもので、しかも国民の殆どの誰もが一度は見て来た実存の風景で、そして脳裏に浮かぶ記念碑だと思います。
日本にとって日本人にとって恐らく計り知れないくらい莫大な経済的効果と文化的な効果があったでしょう。効果は正と負の両面を持ちます。
東京タワーは新幹線と共に戦後日本の懸引車だった。
戦後最大の国民的風景は東京タワーだと思います。

もう一方の自然を代表する日本の普遍的風景は富士山だと思う。
昨年、今年と吉田口六合目通過者24万人を突破した。歴史的な
富士山ブームだ。

21世紀の日本をそして世界に通用する文化、平和と安全、環境面を総括する実用的でしかも象徴的な21世紀東京タワーを山梨県に建設しましょう。
22世紀に跨る懸引車であらねばなりません。
それが観光面について言えば山梨県のオンリーワンの観光資源だと思う。

鳩山内閣の発足は日本にとって明治以来の政治、行政のシステムを変える歴史的転換点だ。
民主...


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二重橋と大奥

2009.09.11 21:03  投稿者:ootaminoru

江戸城(皇居)と言えば二重橋と大奥

二重橋は遠くから写真を撮るのみで素通りしました。
写真1です。

写真2本丸
本丸には沢山の建物があったそうです。その建物を廊下で繋いでいたそうです。赤穂浪士の忠臣蔵の原因となった松の廊下の刃傷沙汰の松の廊下もこの付近にありました。松の絵が描かれていたそうです。
芝生の真ん中に見えるのは大砲です。
明治時代に正午を大砲の空砲「ドン」で丸の内の周辺の人々に知らしめました。ここから「半ドン」という文言が出来たそうです。
この隣の芝生が大奥のあった場所です。

写真3は二の丸の雑木林です。
昭和天皇が武蔵野の面影を偲んで雑木林を二の丸に築庭しました。
その片隅に秋の七草の萩やおばなや桔梗そして女郎花(オミナエシ)が植えられていました。丁度季節は秋です。
陽だまりのオミナエシに留まるアカタテハを撮影しました。
オミナエシはその昔、武蔵野の雑木林や原野に沢山野生のものが見られたそうですが現在ほぼ絶滅状態だそうです。
山梨県でも野生のオミナエシを見ることは殆ど出来なくなりました。
近くでは明野の...


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江戸城天守台

2009.09.11 17:42  投稿者:ootaminoru

江戸城へ遠足に行って来ました。
お目当ては皇居東宮御苑です。
2時間の滞在でした。

無料です。公開されています。大変広くて二の丸庭園や雑木林もあり何箇所か休憩所があり売店もあります。おにぎりを持参でゆっくり食事も出来ます。
月曜と金曜日が休園日です。午前9時から午後4時30分までです。
祝日により季節により公開日と公開時間が替わる事があります。予め確認してからお出掛け下さい。
電話宮内庁:03-3213-1111(代表)


江戸城の本丸の天守台は三度の建て直しがありました。
最初に家康が作った天守は数奇屋多聞櫓の前あたりでした。
二代目秀忠は現在の天守台の位置に立て直しました。
三代目家光は父秀忠が築いた天守台も含めていったん撤去して寛永14年(1637年)に改めて新しい天守台と天守を築きました。しかし明暦の大火で焼けてしまい翌年の万治元年(1658年)に加賀藩前田家が新たに天守台を作りました。
現在私達が見る天守台はこの万治元年のものです。しかし家光以降、この天守台に天守が築かれたことはありませんでした。
その...


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北沢峠から甲斐駒ケ岳

2009.09.09 18:25  投稿者:ootaminoru

長蛇の列でおばさんグループの一行が甲斐駒ケ岳に登って来ます。
登山客の多くは高齢者で更に主力が女性です。


頂上の石室は山梨県側の竹宇駒ヶ岳神社の本社です。
石室の中にはブロンズの主祭神 大己貴神(オオナムチの神):オオクニヌシノミコトが鎮座しています。
その石室の外には草履が括りつけられています。
元気にこれからも行脚をしたい。健康を祈願する神頼みだと思います。
馬頭観音と含めて旅の安全を祈願するようになったものか。

写真3では小さくて見えませんが石室の周囲に幾つかの石造がありますがその多くは馬頭観音道です。
駒ヶ岳の名前にかけて(馬頭)観音菩薩が祀られるようになったのでしょう。

写真1は登り始めの北沢峠に咲くヤナギランです。

写真2は長蛇の列のグループ登山です。おばさんが元気です。
    花崗岩の風化した白砂を歩いてきました。ざら目のようで滑り
    ます。

平成21年8月26日


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甲斐駒ケ岳(山梨百名山20)

2009.09.09 17:27  投稿者:ootaminoru

六根清浄。気持ちが良い登山でした。
甲斐駒ケ岳に平成21年8月26日に登りました。

甲斐駒ケ岳(2967㍍)は日本百名山そして山梨百名山に指定された山です。
ですから、百名山巡りに一度取り付かれた人は必ずここへ登りに来ます。
有り難い事です。

駒ケ岳と名前の付く山は全国で18座あるそうです。
その内、一番高い山は甲斐駒ケ岳(2967㍍)で二番目が長野県にある木曽駒ケ岳(2956㍍)です。
全国の駒ケ岳は夫々駒ケ岳信仰を持っていると聞きます。そしてその最初の発祥の地が甲斐駒ケ岳だと聞いた事がありますが如何なものでしょうか。

駒ケ岳の代表を北から10座を列記してみます。
雪形が、山の形が馬に似ている。叉巨摩の牧場?からであったり馬にまつわる命名でしょう。

北海道駒ケ岳(1131㍍)蝦夷駒ケ岳 渡島駒ケ岳
秋田駒ケ岳(1637㍍)
藤里駒ケ岳(1157㍍)
会津駒ケ岳(2133㍍)
箱根駒ヶ嶽(1356㍍)
越後魚沼駒ケ岳(2003㍍)
木曽駒ケ岳(2956㍍)
甲斐駒ケ岳(2967㍍)
越中駒ケ岳(2002㍍)
赤城山駒ケ岳(1...


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船津口登山道の探険敗退

2009.09.08 18:34  投稿者:ootaminoru

河口湖船津口登山道を探険してきました。
平成21年9月7日

下から登って行き凡そ標高1850㍍付近で道が判らなくなり敗退して来ました。
四合目の小屋跡(2060㍍)まで高度差約210mです。
今度は五合目から下り四合目の小屋跡から探険して下ってみようと思います。


船津口登山道は河口浅間神社を基点に江戸時代の中期(西暦1700年頃)まで富士登山道として使われて来ました。
富士講が発達する以前は河口の御師は神社付近に軒を連ねていたそうです。
しかし時代が下がり甲斐国志の編纂(文化11年、西暦1814年)された頃には富士登山道は下記の四登山口のみで船津口登山道の記述がありません。
吉田口(北口本宮富士浅間神社を基点に)
須走り口(須走浅間神社を基点に)
村山口(大宮口にほぼ平行して村山浅間神社を基点に)
大宮口(現在の富士宮口登山道の旧道で富士山本宮浅間大社を基点に)  

即ち甲斐国志が編纂されたその時代には民衆に依る信仰登山の対象としての登山道が認められなくなっていたものと思います。しかし、道自体は細々と関係者によ...


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吉田口登山道(三合目)

2009.09.06 20:03  投稿者:ootaminoru

富士山三合目は三軒茶屋がありました。
茶屋の裏には道了、秋葉、飯綱の三神を祀った三社宮と称する社があったそうです。
上吉田の御師宅を早朝出立して来ると、この辺りは昼食の時間帯だったそうです。

小屋の廃墟が道路を挟む両側に残っています。

既に戦後のある時期から河口湖登山道が開削されてバスで三合目(標高1786m)まで入れるようになっていました。
スバルラインが昭和39年に完成するまではこの吉田口登山道は未だ人通りがあって小屋は営業をしていたものと思います。
スバルライン開通によってめっきり少なくなり廃業に至ったでしょう。


スバルラインの開通は東京オリンピックと関係があります。
東京オリンピックは昭和39年に開催されますがそのオリンピックに間に合わせる計画で東海道新幹線が開通します。

東京、大阪、名古屋から大都会圏からの富士登山者は東海道新幹線に乗って静岡駅で下車して東海道線に乗り継いで富士宮駅で下車する時代に至りました。
ここから表登山道の富士宮口富士登山道スカイラインが新五合目の標高2400mまで開設されま...


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吉田口登山道(二合目)

2009.09.06 16:30  投稿者:ootaminoru

富士吉田口二合目は勝山村にある御室浅間神社の本宮がありました。
現在は管理上の問題で本宮の本殿を河口湖南岸の里宮御室神社に移してい
ます。

写真の建物は写真1登山道に面した拝殿の廃墟です。
   本殿の様式は慶長17年(1612年)に建築されたもので桃山時代   の様式を備えているそうです。

写真2は拝殿の内部です。廃墟と化しています。

写真3は本宮の本殿の置かれた地にミニチアの本殿が置かれています。


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吉田口登山道(その3)

2009.09.06 07:41  投稿者:ootaminoru

吉田口登山道は今も生きた道です。

吉田口登山道は毎年毎年専門土木業者によって補修点検をしています。
補修点検をして富士登山競争に耐えられるように路面をフラットに維持する、叉道路が雨水で彫れて浮石が出て荒れて変形する事のない様に維持管理しています。

登山道は歩けばその部分が周囲の地面よりも低くなる。
凹んだ道の底に沿って雨水が流れる。
小さな土砂が流されて路面が更に掘れる。
対処療法として所々で溝を掘って所々で谷側へ排水する。
その溝も石で築いた側溝であったりします。
しかし、それでは路面の荒廃が停まらない。
急斜面の勾配では積極的に道路に沈砂曹と水抜きの槽を構築してあります。

流水を道路の真ん中に池に溜めて流速を落として砂礫を沈砂する。その上澄み液を次の枡に導きゴロ石の間から底に空けてある排水溝へ水を自然浸透させる構造になっています。ゴロ石の隙間は微細な土砂の堆積する場所でありその底は大きな砂礫層になっていて雨水を浸透させる構造です。
更に激しい雨水の場合はオーバーフローした流水は枡を出て側溝から谷側へ溝を切...


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吉田口登山道(一合目)

2009.09.04 20:32  投稿者:ootaminoru

富士山吉田口一合目の山小屋大日堂

馬返しに隣接した突き当たりに禊所がありました。
写真3がその跡地です。
禊所(みそぎしょ)は富士山を神聖な山域としていましたのでここから先へは禊をしました。
これより先に進む道者(信仰のために富士登山する人)は大正期より御禊を受けて身を清めてから登った。
禊所はオハライさん(御祓いさん)とも呼ばれていました。
恐らく有料だったと思う。
実質的な山役銭(入山料)です。
その時代は上吉田の御師の家で禊とオハライの儀式を済ませてから登山開始して来たであろうし、北口浅間神社にも詣でてきている筈です。
何度も何度も場を改めてお金を徴集しています。
ここには禊社がありました。

順序が逆になりましたが写真1と2は一合目です。
馬返しから約五分登った場所が一合目です。石の鳥居の先に山小屋がありました。
富士山の神様は浅間大権現でありますが、それは古代の天皇系の神話ではコノハナサクヤヒメであり仏教では大日如来であるとこを印象付けています。
その二つが習合した姿が浅間大権現とされていました。

本来は火山...


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吉田口登山道(その1)

2009.09.04 15:40  投稿者:yosidaguti

吉田口登山道は富士吉田の国道139号線にある北口本宮富士浅間神社(省略して北口浅間神社と以下、称する)が基点になります。

現在は富士吉田市役所が富士山登山競争の基点となっていますが江戸時代は上吉田の金鳥居が基点だったようです。それは金鳥居に改め場があり入山料(山役銭)を徴収して切手を発行していたようです。その切手を受け取って先達に引率されて宿舎となる御師の家に向いました。
多くの場合は予め連絡が先達と御師の間で取れていて、富士講の一行を金鳥居で御師の案内人が出迎えていたようです。
フリーの客以外は既に富士講別に専属の宿舎となる御師の家が決まっていたので客引きはしませんでした。この御師からの出迎えは一般の宿場町の客引きとは異なり全て男性でした。
神聖な宗教行事の入り口で穢れた女性(私が言っているのではありません。)に案内されることはあり得ませんでした。
当時の儒学の思想?で女性は全て穢れていると思われていたようです。

余談ですが私は女性は穢れているとは思いませんが魔物だと思う節があります。
男を惑わすか...


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