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山梨の山と川と土と人とをテーマに自分にとって何であるのか?どのように関連付けて生きているのかを書いてみたいです。

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富士山に咲いていた花

2009.08.30 18:15  投稿者:ootaminoru

8月29日静岡県側のスカイラインから富士宮口登山道を登った。

写真1は富士宮口本五合目から七合目の間の草付きにムラサキモメンズル
   が咲いていました。
   ムラサキモメンズルはマメ科で春に咲くレンゲ(蓮華草)に近い
   植物です。
   レンゲとほぼ同じ大きさの花です。
   勿論、富士山だけの固有種ではありませんが関東甲信越には見かけ
   ない珍しい植物です。
   案外、私が知らないだけで浅間山などに生えているのかもしれま
   せん。そんな予感がします。

富士山五合目のネイチャガイドの人に以前、伺いましたところ、富士山に咲く花として最近は山梨県側ではトンと見かけないそうです。
私も何度かスバルライン五合目の上の御中道巡りをしていますが数年前まではかなり広く分布していたんですが、、、、。
どうした按配か判らないそうです。
静岡県側の須走り口登山道でも一昨年見ています。静岡県側は健在のようです。


写真2はヤナギランです。
   七合目下の草つきに咲いていました。ここだけしか咲いていません
   でした。
  ...


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富士登山(山梨百名山16-2)

2009.08.30 06:57  投稿者:ootaminoru

平成21年8月29日富士宮口登山道から頂上に登って来ました。

7月15日の山梨県スバルライン五合目から吉田口登山道に続いて今度は静岡県富士宮スカイラインから富士登山をしました。

前回、吉田口からの登山は強風の悪天候に加え同行した登山初心者が本八合目(3400㍍)で高山病に罹り、そこから下山をしました。
それ以来、2899mの八ヶ岳の赤岳、2967mの甲斐駒ケ岳等を経験して、再度の富士登山挑戦でした。
その結果、やはり軽い高度障害に罹りましたが何とか富士宮口頂上の富士山頂奥宮へお参りが出来ました。
生憎、頂上到着した午後2時頃は霧が掛かり大粒の雨が降り出しました。
30分滞在しただけで大急ぎで下山して来ました。
お鉢も剣が峰も何もかも霧の中で見えませんのでお鉢巡りを諦めました。

この8月29日は夏休み最後の土曜日だったのです。
富士吉田の8月27日の火祭りを終えて夏山は終ったと判断したのが甘かった。
こんなに登山者が多いとは予想していませんでした。
沢山の登山者が詰め掛けました。
中央市の自宅を5時に出発したのに...


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北沢峠テント泊(その2)

2009.08.29 07:39  投稿者:ootaminoru

北沢駒仙小屋の周囲に野生のヤナギランと鳳凰三山の代表的名物タカネビランジが咲いていました。

両者とも種を撒いてその昔植えたものでしょうが毎年同じ場所に咲きます。
なかなか素晴らしいロケーションです。

写真1は竹沢長衛のレリーフです。

写真2はヤナギランです。

写真3はタカネビランジです。
  鳳凰三山に8月上旬からお盆にかけて沢山咲きます。
  色がピンクが濃いので、しかも群生してブーケのように集団で咲きま   すので遠くからでも認識できます。
  とても綺麗な花です。

  北岳にも咲きますが色が薄く白に近いです。
  叉南アルプスの中部の塩見岳付近にも咲きますがやはり色の濃さは鳳凰  三山には敵いません。


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北沢峠テント泊(その1)

2009.08.28 17:06  投稿者:ootaminoru

テント泊も旅行の一つの文化的形態です。
観光の一つの生活形態です。

平成21年8月25日午前中の仕事を終えて芦安駐車場へ直行し、広河原行き山梨交通バス最終便に乗り込む。広河原で南アルプス市営バスに乗り継いで北沢峠の終点着。

峠から100㍍手前に下った北沢駒仙小屋のテントサイドに幕営する。
料金一人一泊500円です。
今年5月から山梨百名山を一緒に廻っている友との一泊二日の旅です。
友にとってテント泊は初めての経験です。
あんまり寝れなかったそうです。

テント泊(露営)の映画は昔、映画で西部劇でよく見たものです。
荒野に野営して荒くれガンマンが旅をする。
最近は映画の定番、チャンバラに西部劇が少なくなった。無くなった。

テント泊も一つの旅行の形態です。
最近ではテント泊は流行らなくなった。
小奇麗に、荷物を軽く、お金で勝負して、山小屋の食事を何の手間も掛けずに美味しく頂く。山小屋の据え置きの布団に包まって寝る。
お客様です。
大部屋に並んで雑魚寝なので殆どお話も歌も喧嘩も酒盛りも出来ない。
一方、テント泊は自分で調理して...


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北沢峠

2009.08.28 10:26  投稿者:ootaminoru

「北沢峠」懐かしい名前ですね。

北沢峠(2032㍍)が脚光を浴びたのは昭和40年から55年頃でしょうか。
自然保護団体の反対を押し切って山梨県は広河原から北沢峠まで野呂川に沿って林道を開削し自動車通行可能道路を作り昭和56年にとうとう共用を開始した。
この区間の林道は南アルプス林道と称します。
もっともこの区間は当初から自家用車を締め出し、代わりに旧芦安村の村営マイクロバスを登山者の足として有料で共用した。
名目は林業の振興ですが一度も林業に関係する造林や伐採などの作業車の通行を見たことがありません。
標高の高い場所は一度伐採すると何百年も経過しないと蘇生しないそうです。伐採した場所は保水力が失われて崩壊しがちです。
建設当時から大義名分の妖しい林道開発でした。

通るたびに何時も何時も路線の何処かで道路を補修工事していました。
重機が稼動し土砂積載用トラックが時折通行していました。
深いV字形の渓谷の側壁に道路を開削するとは側壁を穿ち垂直な崖面を作りコンクリートの吹き付けで固定しますが何時も何処かで崖が崩れ...


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富士山精進口登山道

2009.08.24 16:34  投稿者:ootaminoru

「精進口登山道」の名前を聞いた事があるでしょう。
最近の富士山のガイドマップ等には掲載されています。
しかし、実際に歩いたことのある人は稀でしょう。
富士山は眺めるものではありません。歩いて登ってみるものです。

精進湖の湖畔から青木が原樹海を突っ切って中道往還を越えて寄生火山大室山を迂回してほぼ真っ直ぐにスバルライン五合目に向います。
そして五合目のロータリーの駐車場に顔を出します。

富士五湖観光連盟発行の09~10エリアガイドマップ
「富士の国やまなし」富士山、富士五湖の魅力が満載2009,5,100
にも実線で途中の合目経過の標準時間を記載してあります。
この精進口登山道は北口浅間神社を起点にした吉田口登山道と同等とまでは行きませんが、それに次いで整備された道です。10年前の状況ですが。
歩道の路面や路肩も整備されていますし、道路標示も要所要所に設置されていて山梨県、土木事務所の管理が行き届いています。

写真1はスバルライン五合目の駐車場から精進口登山道に下る入り口に設置されている道路標識です。
グログ文字...


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船津口登山道追録

2009.08.23 07:42  投稿者:ootaminoru

船津口登山道は富士講が盛んになる元禄時代以降に急速に衰退するようです。
その原因は江戸及び関東八州の庶民に熱狂的に人気が出た富士講は町人であり農民でした。庶民を対象にした観光産業だったのです。
それ以前の船津口登山道は江戸から甲州街道で笹子峠を越えて甲府叉は石和に至りそこから御坂峠を越えて鎌倉街道を歩いて河口に至る武士を対象にした富士登山でした。
富士講が盛んになる以前は武士が主な対象だった。

富士講組織は庶民を対象にしていて客層が異なりました。武士階級は人口の10パーセントと言われています。
大月から谷村を経て下吉田から上吉田に至る通称富士山道が盛んになりました。
この方が富士山に近く途中の宿泊数も少なく便利だからです。

写真1は国道139号線のスバルライン入り口交差点です。
   船津口登山道は別の登山道として識別されている事が解かります。

写真2は河口湖の北岸の河口浅間神社です。吉田口の北口浅間神社に相等す   る場所です。ここを起点にして船津口登山道がありました。

写真3は河口湖口登山道三合目のバス...


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船津口登山道を行く

2009.08.23 06:50  投稿者:ootaminoru

8月4日船津口登山道を実際に歩いてみました。

国道139号線でスバルライン入り口交差点から本栖湖方面へ300㍍の次の交差点名は「船津登山道入り口」です。
交差点には固有の名称があります。それが「船津登山道入り口」交差点なのです。
そしてその交差点の示された道路標識は写真1の通りです。

皆様、「船津登山道入り口」交差点から道路標識に従って「船津口登山道」を進むと何処へ行くのか?どうなっているのかご存知ですか?


結論から言えば昭和38年以前にスバルラインが出来る前の河口湖口登山道三合目までのバス道路がありました。それが道路標識の船津口登山道と言っているらしい。
そのバス道路を探し当てて迷いに迷い終点の三合目バスターミナルまで行って来ました。そこから上は今回、時間がなくて行けませんでした。

が10年ほど前に精進湖の湖畔から徒歩で精進湖登山道を五合目まで三往復しています。その精進湖登山道と三合目で合流してスバルライン五合目の駐車場に到着します。
スバルライン駐車場から先は昔も今も現在の吉田口登山道の六合目に合体...


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法螺貝と護摩焚き

2009.08.20 15:04  投稿者:ootaminoru

法螺貝と護摩焚き

法螺貝と護摩を焚く行事は密教の真言宗と天台宗系に多い。
護摩焚きの宗教儀式の核心部分で長谷寺では法螺貝吹きが行なわれました。
一方、法螺貝は山岳宗教にとって、野山に散らばった修験者に連絡や広報の手段だった。
法要が始まる前に本堂外の境内に出て近隣の山岳(主に春日居の里方面)に向けて法螺貝を吹いておられました。
法要が始まるよ、の合図だと思う。

護摩を焚く行事は大乗仏教の密教系にだけ伝わった仏教行事の一つです。

①供物を薪木の火炎で焼いて姿を変えて煙として天におわします仏様に供物を差し上げます。
そして仏様から現世ご利益を授けていただくようにお願いする為の儀式です。外護摩。

②煩悩や邪悪の業を薪木の火即ち仏の智慧の火で焼き払う。拘らない空の世界に至る宗教行事でもあるそうです。内護摩。

護摩焚きはそれら外護摩、内護摩二つの性格を踏まえた五つのご利益を求めて行なうインドのバラモン教から取り入れられた儀礼で大乗仏教の一派に取り入れられ、それが日本に伝えられたものだそうです。真言宗と天台宗で行なわれ...


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菩提山長谷寺の笈焼き

2009.08.20 14:59  投稿者:ootaminoru

笈焼き(おいやき)

旧春日居町の菩提山長谷寺のお盆のトレードマークは笈焼です。
笈焼きの物語は昔々、勝沼の大善寺と諍いになり、相手の僧侶や修験者の笈を剥ぎ取って焼き払っい懲らしめてやったとする証だそうです。
相手の大善寺では長谷寺及びそれを応援した山岡神社の鳥居を焼き払って懲らしめてやったとするのが大善寺側の鳥居焼きの説明です。

そうした物語は観光向けの味付けであって、お盆を盛大に祝う為の風物詩の物語として捉えたい。もう昔々の説話なのです。
長谷寺は真言宗で本来の山岳宗教の香りが強く残っているように思います。
山野を修行の場として修験道に励む山伏に近い。

私は無知で密教の解説書や曼荼羅の本を読んでもちんぷんかんぷん。
密教の難解さ奥の深さを日頃感じているものでして、あまり大口は叩けませんが加持祈祷を行い、護摩を焚いたり、法螺貝を吹いたり、、、、自然崇拝のアミニズムと習合した部分の強い仏教のように思う。一方、大日如来を頂点とする宇宙哲学には難解そのものです。
唯一つ般若心境のお経は日本人にはかなりポピュラー...


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真言密教(長谷寺)盂蘭盆会祖霊御迎えの儀

2009.08.19 17:31  投稿者:ootaminoru

旧春日居町鎮目の山の中、真言宗(長谷寺)の盂蘭盆会祖霊御迎えの儀に
参加させて戴きました。

この寺は寺伝に依りますと大変古い歴史を持ちます。
僧行基(*1)や空海(*2)の名前が出てきます。
しかし、寺が出来るもっと以前から、ここは斎場であり縄文時代から弥生時代を経て古墳時代に至る上代、古代の神聖な場所として地域社会から恐れ多く畏敬の念をもって崇められた地域だったのではないかと思います。
したがって寺が建立される以前から自然崇拝アミニズムの地であり、先祖の霊が宿る神々の境内だったでしょう。
飛鳥時代になり物部氏と曽我氏の対立を経て曽我氏により仏教が政治の要に着きます。以後律令政治には国教となります。
長谷寺は山梨岡神社、物部神社、大蔵経寺と関連を持つ古代の一大勢力の神の国ではなかったか。
それに拮抗した新文化勢力として三枝氏の勝沼の大善寺が本格的に仏教を導入して来た。
神社(アミニズム)と寺の文化の違いにより棲み分け以前の時代の衝突が笈焼きと大善寺の鳥居焼を象徴するものではなかったか。
物部氏と曽我氏の争い...


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甲府城17メートル石垣補修工事

2009.08.18 18:36  投稿者:ootaminoru

甲府城の稲荷曲西側の石垣を現在補修工事をしています。
工事監修は山梨県埋蔵文化センターです。
8月11日縁あって工事現場を見学させていただく機会に恵まれました。

この石垣は1592年から1600年にかけて築かれたお城です。
従いまして築城以来420年の年月が経過しています。
築城以来殆ど完全な姿で残っている、今になって関東地方では珍しい野面積(のずら積)工法の石垣です。
野面積とは野性的即ち自然石に近く加工度の少ない岩を組み合わせて築く工法です。

石垣の岩は長い間荷重が掛かりひび割れているもの、岩と岩の隙間を埋める詰め石の抜け落ちた箇所、石垣の裏の割栗石が顔を出しているもの。更に裏側の砂や粘土が表面に顔を出しているものなどなど。
やはり、相当痛んで来ています。

それらの問題点に対して一つずつ対策を講じます。
先ず全ての岩をナンバーリングします。
その記録された岩に対して、叉はその周囲の隣り合った岩との間の取り合いを具体的にどのようにするかを対策設計しそれを記録します。

叉石垣にわかりやすく対策工事の概要をマーキ...


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雪国のマンホールの蓋

2009.08.17 17:19  投稿者:ootamonoru

 
雪の降る町、北陸の富山市の下水、汚水道のマンホールの蓋です。
下水と汚水の区別が付きません。同じなのか違いのか。
都市として最低限度のインフラの施設が下水や汚水施設であろう。
汚いものには蓋をして目立たないようの隠したり遺棄する時代は過ぎて今やそれを看板にして取組みをアピールする時代に至った。

写真1は雪国の裏通りなどの雪消し促進スプリンクラーのない道路のマンホ   ールです。雪が残りやすいので人間の転倒防止用にコンクリート製の   コーテングが施してあるマンホールの蓋です。
   この技術は甲府市の愛宕山下の英和高校付近の急坂道のマンホール
   の蓋と同じです。

写真2は駅前とか繁華街で車道と歩道が分離されている歩道にあるマンホ
   ールの蓋です。
   凹面に焼く着けのカラー塗装が施されています。


写真3は自動車道路叉は交通量の多い道のマンホールです・


 
マンホールのデザインを含めてカラー化が観光客誘致に熱心な地方自治体に進んでいるようです。私のつたない経験では神戸港の神戸市、横浜、大和郡山市などで...


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蝉のいない郷土

2009.08.17 16:23  投稿者:ootaminoru

甲府盆地、取り分け盆地南部の旧田富町や玉穂町は地下水位が高く、少し地面を掘ると、そこは釜無川叉は笛吹川の旧河川敷の一部分であり清水が流れています。
パイプを5㍍も叩き込みますと地下水が自噴(自噴井戸)してきます。
この地下水は周囲の山々からの伏流水が盆地の中央付近の地下で水圧が加わっているからです。

恐らく地下水位が高いので蝉の幼虫が住めないのだろうと思います。
この界隈は蝉が少ない。
早朝に蝉時雨を聞いた事がありません。

山間部ではなく、広い平地で地下水が自噴して来るのは全国的に大変珍しいそうです。

「蝉のいない里」
このキャッチフレーズで観光商品化に結びつかないだろうか?
関西や東海地方の人には信じられないほど静かな夏の朝です。
関西や東海地方はクマゼミが集団で早朝から鳴き叫びます。
その鳴き声は物凄いものです。
クマゼミは60年ほど昔には九州地方に生息し関西では油蝉が主力でありクマゼミは少なかった。然るに最近ではクマゼミが殆どに置き換わっています。地球温暖化の影響だろうと思います。

蝉のいない里。それは地下...


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赤岳の花ー8ヤツガタケキスミレ

2009.08.10 12:24  投稿者:ootaminoru

ヤツガタケキスミレ(スミレ科)

亜高山~高山には何種類かの黄色い花を付けるスミレがあります。
高山のスミレはどれもみんな黄色なのです。
標高の低い低山地や低地の野良には白~ピンク、紫のスミレが咲きます。黄色いスミレを見たことがありません。
どうして高山では白やピンク、紫ではいけないの?
花の色素としては黄色はカロチノイド系、赤や青はアントシアン系、白はフラボノイド系。夫々の色素を合成する体内メカニズムは果てしない長い時間の中で進化してきたものであろう。

言い方を変えれば高山では黄色いスミレのほうが生活がしやすいか子孫を残す確率が高いのだろう。だから徐々に黄色いスミレにシフトしてきたのだろう。何十万年、何百万年、否何千万年を掛けて。
確率の連続の結果、黄色いスミレが残ったのかもしれない。
高山のスミレに集まる昆虫は何か?虫媒花としてのスミレに集まる昆虫への集客メカニズムは何か?

高山にも赤い花や青い花や白い花の植物があります。
スミレの場合、どうして黄色でなければならないのだろう?
その因果関係を証明した人はい...


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赤岳の花ー7マルバノイチャクソウ

2009.08.10 06:59  投稿者:ootaminoru

マルバノイチャクソウ (イチャクソウ科)

このマルバイノチャクソウは高山帯から亜高山帯に生息し、広い範囲に分布しています。
県境尾根の小天狗から大天狗にかけて沢山咲いていました。
ですが、沢を挟んで心教寺尾根にはほんの僅かしか見られませんでした。
同じ火山の岩質であり同じような地理条件にあるのに植草が異なるのは不思議です。

このイチャクソウにはシロバナでジョウヨウイチャクソウやコバノイチャクソウなどがありますが、当マルバノイチャクソウは花茎がやや赤みを帯びているのが特徴です。花冠はやや赤みを帯びています。
吉田口富士山7合目には花茎も花冠も濃い桃色を呈するベニバナイチャクソウがあります。

お盆頃の季節に吉田口から富士登山をして、ベニバナイチャクソウの花を今回も見れたとリッチな気持ちになり幸せを感じて登りました。
これは人から聞いた話ですがお中道巡りをすると沢山出会うそうです。


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赤岳の花ー6カラマツソウ

2009.08.09 17:34  投稿者:ootaminoru

カラマツソウ(キンポウゲ科カラマツソウ属)

直径20ミリ位のあまり大きくない花ですが真っ白で繊細な花弁は針のようです。
名前のカラマツソウはカラマツ(落葉松)の葉の展開と花弁の展開が似ているからです。
富士山にはなかったかもしれませんが2000㍍以上の山であればこの辺りの関東甲信越では何処でも見られるポピュラーな花です。
 


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お招来(神明の花火)

2009.08.09 07:46  投稿者:ootaminoru

お盆の花火は祖先の霊を自宅に呼び戻す、お招来の儀式なのだと思う。
遠い西の国や極楽浄土から無事に我家に帰って来られる様に明かりをつけて我家への道案内をしているのだ。
父母の故里の富山は浄土真宗の国で阿弥陀様に導かれて極楽浄土でお暮らしの祖先の霊を1年に一度、松明を掲げて家族みんなで自宅の門に立って松明を振り回し、お招来、お招来、お招来、、、、、と大きな声で連呼します。
亡くなった父母や祖父母を呼び戻す、それがお盆の仕来りの行事になっていました。

そのお招来の儀式を公共的にしたのがお盆の打ち揚げ花火だと思う。
市川、神明の花火もしかる歴史の言われを持っているのだろう。

市川の神明の花火は今年21回目だそうです?がそれまでは市川の幾つかの寺院で檀家と檀那寺の主催で別々にお招来の花火を挙げていたのを市川三郷町(旧市川大門町)が纏めて町の行事としたらしい。

私は中央市市民ですが例年、三郡橋近くの釜無川の土手まで自転車で河川敷のサイクリングロードを通り会場の土手で鑑賞させていただいていました。
今年は遠方から3歳...


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赤岳の花ー5ミヤマキリンソウ

2009.08.09 07:14  投稿者:00taminoru

写真1,2ミヤマキリンソウ ベンケイソウ科キリンソウ属
写真3  イワベンケイ   ベンケイソウ科イワベンケイ属

今回の八ヶ岳登山コースでただ一箇所(県境尾根の六合目に濡れた岩場)にのみ、ミヤマキリンソウがあった。

写真3は親類のイワベンケイ


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赤岳の花ー4タカネシオガマ

2009.08.08 17:27  投稿者:ootaminoru

タカネシオガマ ゴマノハグサ科シオガマギク属です。

コマクサは砂礫地に孤立して咲きますがシオガマ類は草地に他の植物と混在しています。緑の草地に赤い花なので存在感があります。
タカネシオガマの他、ヨツバシオガマ、ミヤマシオガマを八ヶ岳で見ます。
今回はミヤマシオガマ(硫黄岳付近にあります)を見ませんでしたが葉は羽状に深裂していて北岳や白馬岳にもありとても美しいです。
北海道礼文島の海岸の草地や丘陵地では白いシオガマを見ています。
ネムロシオガマです。

タカネシオガマ、ヨツバシオガマ、ミヤマシオガマは八ヶ岳でけの植物ではないませんが自然がプレゼントして呉れたお宝です。

8月6日赤岳にて


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赤岳の花ー3ハイマツ

2009.08.07 08:06  投稿者:ootaminoru

這い松(ハイマツ)

山を登っていてやがて這い松に出会うと嬉しい。
その出会いの標高は凡そ2400m付近だろう。
一本に出合って暫く時間と距離があってやがて二本目の出会いがあって
三本、四本目と間隔が狭くなってくる。気が着くとすっかり這い松帯の樹海の中に入っている。
ここが森林限界で本州の関東甲信越では標高2500mなのだ。1本目の出会いの2400mは逆算なのだ。
ここから上には高木が繁茂しない。樹木としてはミヤマハンノキや這い松、ママカマド、ツツジ科の樹木、柳、そうした潅木のみの世界です。

這い松帯の這い松の空きスペースには草地となって丈の低い高山植物の草本や草が繁茂しています。
7月中旬からお盆前の時期は沢山の種類の花が咲いています。

写真1は右側に昨年受精した松ポックリ(球果)です。
今年の新枝の付け根に赤い豆状物(雄花)があります。雌花は写真では見えませんが新枝の先端にあります。今年これから受精する蕾です。
這い松は5本の葉から構成されています。即ち五葉松の一種です。

這い松は里で庭木にする五葉松のように...


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赤岳の花-2(ムシトリスミレ)

2009.08.06 17:27  投稿者:ootaminoru

ムシトリスミレ(タヌキモ科)

高山に生える食虫植物です。平たい葉の表面は粘液を出していて小昆虫を捕まえて葉を巻き込んでしまうそうです。
ムシを掴まえるのを見たことがありません。

花はスミレに似ているのでムシトリスミレの名前が着けられていますがスミレの仲間ではありません。
花では昆虫を捕まえられません。

植物図鑑には分布として北海道、本州、四国と記載されていますが私はこの八ヶ岳の赤岳の岩の壁と頂上直下の草付きの二箇所以外見たことがありません。
私の偏見と世間知らずなのでしょうが、この辺りにはあまり、生息していない植物だろうと思います。
そうした意味から八ヶ岳の赤岳を代表する植物としてこのムシトリスミレを挙げたい。


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八ヶ岳(赤岳)の花-1

2009.08.06 13:39  投稿者:ootaminoru

コマクサ (ケシ科)

昔、修験者によって発見されたこの草が、薬草として用いられた。
彼らによって巷にもたらされた薬草は霊草としてあがめられたためにお百草(おひゃくそう)と称して、明治期以降も採集されて来ました。
漢方薬の薬種として沢山の種類の中の一つだったでしょう。
この近くでは木曽の御嶽付近の木曽路国道を移動していると現在もお百草漢方薬の看板を見ます。コマクサがその昔は配合されていたのでしょう。
もっとも、現在はコマクサではなく別な種類の薬草を採取するように代って来ていると聞きます。もうコマクサを採取するような潤沢な群生地は無くなって来たことに依るでしょう。
しかし、この草は一種の軽麻痺効果を得るのみで阿片やモルヒネに近い成分で一時的に痛みを緩和する効果が得られるが治る訳ではないとするのが現代の定説になっているようです。

漢方薬にはその昔、このコマクサの薬種が配合されて使用されていたらしい。
漢方薬で有名なのは「富山の売薬」が挙げられますが富山の売薬はその昔、立山信仰が花盛りの時代、富士講と...


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八ヶ岳の赤岳(山梨百名山13-2)

2009.08.06 11:51  投稿者:ootaminoru

八ヶ岳の主峰、赤岳(2899m)に登って来ました。
赤岳は山梨県と長野県の県境になっています。

富士山と同じ火山の山です。
生成の時期が大変古く凡そ(40万から10万年)位と言われていま。氷河期を何度も乗り切ってきた山なので富士山とは異なり高山植物の種類が多い山です。


梅雨が明けたのに毎日雨の降る確率が高く8月5日も天候が不安定で予報では「午前中は曇り、午後雷を伴う雨が降るでしょう。」でした。
雷雨こそ降りませんでしたが、予報どうり雲の多い一日でした。

旧高根町の清里から県境尾根を登り、赤岳頂上へ。帰路は真寺尾根を下りました。沢山、高山植物が咲いていて、目出度し目出度しでした。
私は正直に書きますと殆ど長野県側から八ヶ岳を登山しています。
今回は山梨の山、そして山梨百名山の主題の為でしたので本当に久しぶりに山梨県側から登りました。

7月下旬からお盆前のこの時期、高山植物が一番たくさん咲いている季節でして、期待どうりでした。
特集として別のブログで八ヶ岳(赤岳)の花シリーズで配信しますので見て下さい。
この花シ...


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海岸寺の石仏

2009.08.03 16:01  投稿者:ootaminoru

北杜市上津金の海岸寺の石仏

この寺には高遠の石工、守屋貞治が刻んだ100体?の観音菩薩石造仏があります。
中世、そして近世において木製や石製の仏は低く見られていた。
その中で形式化せず自由奔放に仏の姿を刻んだものとして
①山梨県の木喰明満
②美濃の円空
③信州高遠の石仏
があります。
何れも山深い関東甲信越から従来の因習に捕らわれない作品を創造した。
何処にそんな創造的な力や感覚が備わっていたのだろうか。
その中で高遠の石工に依る石仏で際立った存在が守屋貞治の作風であり、従来の古典的な仏教の作風を継承しながらも形式化せずに精神美を石に表現した。
叉別な石仏群の見方をすれば
①万治の石仏
②信州麻績の修那羅安宮の石造仏群
③信州安曇野の双体道祖神
④高遠の石工、守屋貞治の石仏
に近世の芸術性や精神文化を育む石仏表現の場が花開いた。

海岸寺は臨済宗妙心寺派の寺です。本尊は釈迦如来でしょうが、観音堂には木造千手観音菩薩です。
国宝でしたが昭和6年に盗難にあって現在はお留守だそうです。
その昭和6年当時に既に国宝になるくらいだから、...


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旧津金学校のロシアの松

2009.08.03 14:15  投稿者:ootaminoru

8月2日山梨県考古学博物館第42回史跡文化財セミナー「津金学校から海岸寺」への野外研修に行って来ました。

北杜市須玉旧津金学校の明治校舎前の校庭に一本の松があります。
ストロープ松だそうです。
明治38年日露戦争終結によりロシアと国交回復を記念してロシアから贈呈を受けて植えたと書いてあります。

この看板を書いたのはつい最近、教育委員会関係者だろう。
第二次世界大戦の戦後民主主義の日本国憲法下の現代風の文言であり、言い回しに相当苦労した文言だと思う。
恐らく、日露戦争終結当時の風潮からは、かけ離れた内容ではないだろうか。
少なくとも明治38年当時に植えた張本人や関係者は「国交回復を記念して、、、」なんてこれっぽっちも思ってはいなかったのではないでしょうか。
ロシアに勝った。国際的には全体的に不利とみなされていたロシアに勝った。一等国になった。それだけではなかったでしょうか。

歴史的事実即ちこの場合の歴史的事実は歴史的心情であり、それをどうのように書くか?
どのように表現するか?
当時の心情を正確に書くのも歴史認...


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草原の花

2009.08.02 07:54  投稿者:ootaminoru

草原型の花の代表はヤナギランやコウリンカ、ノコンギクやシモツケソウ等ですが、鹿の害でヤナギランは数を減らしているそうです。ここでも鹿が増えすぎて草原の草を食べ荒らしているようです。
潅木は幹状剥離のように皮をむかれている立ち木を見かけました。
落葉樹の芽吹き以前、草原に草が芽を出す以前の冬季に鹿が食べたものでしょう。

写真1はやや半日影を好むダケブキです。
写真2はホタルブクロです。
写真3はショウブの野生種です。ハナショウブはこの原種を改良したもの
   でしょう。
   黄色い部分に綾目状の網が描かれていません。綾目があるのが菖蒲
   (アヤメ)です。

賽の河原には紡錘型のケルンが幾つか並んでいました。
2000㍍クラスの山には珍しい岩石帯です。
この周辺にコウリンカが沢山ありました。

大菩薩峠、大菩薩嶺付近にて。平成21年8月1日撮影


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大菩薩峠(山梨百名山19)

2009.08.02 05:38  投稿者:ootaminoru

大菩薩峠(1897m)はその昔、江戸に出る青梅街道の峠道でした。
明治11年(1878年)に藤村紫朗県令が街道を整備する事業を立ち上げました。青梅街道の大菩薩峠付近はあまりにも険しすぎるという理由で現在の柳沢峠に移して開削し峠道を完成させました。
従って大菩薩峠は青梅街道の旧道になります。

この大菩薩峠は山梨百名山の内で三番目に人気度があって制定されたようです。「山梨百名山」発行、編集:山梨日日新聞社、平成10年3月30日初版によると、山梨百名山の公募で人気度がナンバーワンは三ツ峠。二位は富士山。三位が大菩薩嶺(2057m)だったそうです。
首都圏から近く二千メートルを越える山として、中里介山の小説大菩薩峠の書き出しは有名で全国区に知れ渡った地名である事等だそうです。

私はそれらに加えてあたり一面が草原である事が人気度を高めているのではないかと思います。
日本の山や高原は雨が多く森林を形成します。殆ど草原は見られませんが、ここ大菩薩峠付近は草原が広がっているのです。
即ち、非日常の世界が広がっています...


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