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山梨の山と川と土と人とをテーマに自分にとって何であるのか?どのように関連付けて生きているのかを書いてみたいです。

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ヒマワリと蜂

2009.07.31 18:18  投稿者:ootaminoru

♪ブンブンブン♭蜂が飛ぶ♯

ヒマワリ畑は曇っていました。カッと暑くはありませんが、忙しそうにちょこまかと蜂が蜜か花粉を集めているようです。
人が近づいても目もくれずに花から花へ飛びまわりヒマワリの花を歩き廻っています。忙しそうです。
人のことはどうでも良い。自分のするべき仕事をキチンと一生懸命しているようです。目的がキッチリ決まった行動です。

一つの花に複数匹停まって居るものもあり、かなり沢山いました。

写真1は胴が黄色の蜂です。
この1匹だけでした。

写真2は例外の1匹を除いて頭と胴が黒くて尻尾の先だけが黄色の蜂です。
この蜂が全てでした。

写真3は頭が黒く胴の白い雄の蜂でした。雌の蜂を撮影しています。

平成21年7月31日明野ヒマワリ畑にて


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明野のヒマワリ

2009.07.31 17:43  投稿者:ootaminoru

明野のヒマワリが咲きました。

写真は綺麗に越した事はありません。見た目が肝心です。
花は常に綺麗ですがその美しさをどのように引き出すかが問題です。
ここでは広い畑に沢山のヒマワリを表現してみました。

明野は丘陵地で日照時間が長いのが特徴でその昔は養蚕、現在は野菜や果樹などの栽培が盛んな農村です。
明野の大根と明野の最終処分場問題で有名です。

茅が岳の火山灰土壌で水源に難儀した地域であったでしょう。
訪れた7月31日は桃の収穫はほぼ終了でこれから葡萄と林檎の時期に入る端境期のようでした。
帰りに農の駅で最後の桃を買って来ました。

明日から八月です。今日も朝と夕方雨が降り蒸し暑い一日でした。
実質的な梅雨明けは8月2日の日曜頃でしょうか。

私は昨年度受講の二期生です。
三期生のブログを楽しみにしています。
どうぞ、よろしくお願いします。


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コケモモの花

2009.07.25 05:57  投稿者:00taminoru

金峰山は奥秩父の山域の主脈にあります。
秩父多摩甲斐国立公園に指定されています。
江戸時代までは富士山と同様、信仰登山として登られた山でした。
富士山にそして吉野熊野の金峰山信仰とリンクさせて甲斐の国の金峰山、金桜神社を浮かび上がらせてみてはどうだろうか。

金峰山の頂上付近の這い松帯にコケモモとミネズオウとキバナシャクナゲが咲いていました。
金峰山は標高2599メートルでやっと森林限界以上の這い松帯を持つ山です。
這い松の分布が少なく高山植物の分布も少ない。

写真1 コケモモ
写真2 ミネズオウ
写真3 キバナシャクナゲ

何れもツツジ科です。


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金峰山(山梨百名山18)

2009.07.24 05:20  投稿者:ootaminoru

金峰山は金桜神社の本宮です。
起源はヤマトタケルノミコトの伝説があったり奈良時代の行者の言い伝えがあったり次第に仏教とも習合し吉野熊野の大峰山の蔵王権現を勧進したものです。


押し並べて物申すならば南北朝時代(鎌倉時代の後期)に南朝が吉野にあった時に飛躍的に全国へ吉野熊野の修験者を派遣して勢力を広げる運動を展開しその影響の下で甲斐の国の金峰山信仰が出来上がった。
出羽三山、石鎚山、戸隠山の修験も同様の経緯であったと思う。

その南北朝時代に金峰山への修験者の往来が形成されたものだったでしょう。
その後金峰山へ最も沢山の人が登ったのは江戸時代の後半の時期だったらしい。それは富士講の集団が富士登山をしたついでに、関東の信仰登山として富士山と双璧である金峰山を登って帰る風習が出来上がっていたようです。
金峰山信仰は富士登山にリンクしていました。

更に際立っての繁栄は日本百名山、山梨百名山に指定された現在のスポーツ登山である百名山巡りとしての巡礼者の往来です。
その事は富士山に付いても同じだろう。
吉田口から昨年2ヶ...


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国師ガ岳(山梨百名山17)

2009.07.20 18:55  投稿者:ootaminoru

国師ガ岳(2592㍍)は現在では楽に登山ができます。
川上牧丘林道を自動車で上がって行き、峠の大弛み峠から衝立のような尾根道を歩いて1時間以内です。

この川上牧丘林道は何時開削されたものなのか、興味があります。それはこの峠を反対側に尾根道を2時間ほど縦走すれば金峰山に行けるのですが、この長野県の川上に至る林道が開通する前は元々林道に沿った信仰登山の踏み分け道があって、山梨市側からの登って来る金峰山信仰への登山道が大弛み峠に接続する尾根ルートがあったのではないかと推測するのですが、現在それらしい資料が地図や資料を見つけることが出来ません。
私の拙い調査の段階では、山梨市側からの金峰山の信仰の登山道は笛吹川流域から山越えをして荒川流域に出て水晶峠から登るルートだけだったらしい。荒川流域に出るには琴平川を遡り焼山峠、叉は鳥居峠を越えて荒川側に下ったものだろうか。

国師ガ岳へは信仰登山の時代も笛吹川の上流三富の乾徳山や黒金山経由で奥仙丈ケ岳へ登るルートがあったと想像されます。
そして国師が岳を経て尾根を縦...


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那賀都神社の狛犬さんと国師が岳(山梨百名山17)

2009.07.20 15:27  投稿者:ootaminoru

山梨市三富の大嶽山那賀都神社の狛犬さんです。
写真1と2がそれです。

写真3は山梨市の大井窪八幡神社に奉納されている木造の狛犬さんです。
山梨県の有形文化財です。昭和60年8月登録。
大井窪八幡神社は貞観元年(859年)清和天皇の勅願によって笛吹川の川中島の大井俣に創建されています。その後、源義家、義光が奥羽の前九年の役で戦いますが弟の新羅三郎義光が帰り道に現在の窪地区に移転したものです。凡そ1062年頃です。武力の神様です。

その大井窪八幡神社は九州の宇佐八幡神社を勧請したものと言われています。創建の川中島の大井俣の八幡神社は甲斐源氏が山梨に入ってくる以前のものです。山梨を司る国司若しくは在管人によって建設されたものでしょう。

時代は下がります。
後年、武田晴信が天文10年(1548年)信州侵略の時期に村上義清によって敗れました。その戦いで腹心の板垣と甘利を失います。その同年に武運長久、国土豊饒、社壇安穏を祈願してこの狛犬さんを晴信が寄進奉納しています。
戦いの前に奉納して戦勝を祈願したが戦に負けたと...


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六根清浄富士登山(山梨百名山16)

2009.07.18 21:28  投稿者:ootaminoru

富士山は眺めるだけのものではない。やっぱり登るものだ。
7月15日(水)、早朝自宅を出て自家用車でスバルラインから富士山スバルライン五合目に至り午前5時45分から歩き始めました。

登山初心者であり、始めて富士山に登る人に同行し引率しました。
彼はこの4月から私と山梨百名山を廻り始めた友人です。それまで全く登山を嗜むことがありませんでした。


残念ですが、八合目の3200メートル付近から、その友は高山病の症状が出始め、本八合目(標高3400メートル)で症状が著しくなり、限界と判断してそこで引き返しました。
吐き気、胸が痛い、眩暈、そして頭痛の症状が顕著になって来ました。
脱水症状、熱射病に近い症状だと聞いていますので水をガンガン飲ませて1時間弱小屋の前で休憩しましたが解消しませんでした。
下山道に出て7合目まで下って来たら頭痛以外の症状は解消しました。
しかし、頭痛だけは富士スバルライン5合目まで降りてきても完全には治りませんでした。
健康で、肺活量も大きく、私より若い65歳の男性です。
高等学校時代まではアマ...


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山の神、富士講の石碑、馬頭観音

2009.07.08 19:08  投稿者:ootaminoru

写真1は山の神様に挨拶をして山に分け入ります。
昔はもっと複雑で丁寧な儀式や仕来りがあったかもしれませんが、私は少し立ち止まり頭を下げて通過します。
それしか知らないからです。

写真2は富士講の石碑です。頭に富士山マークが彫られています。
身延線市川大門の駅から歩いて僅か45分足らずの山腹に富士講の石碑があります。正確には富士講ではなく個人の修験者叉は繁栄を願った麓の村の衆による道標建立だろう。富士山からはかなり遠い場所です。

写真3は寛政五年の馬頭観音像です。西暦1752年だと思う。

このような人工物がある山道は当時も誇り高い里山の景観だったのではないだろうか。
麓の村の団結と公共精神を表明するものであろう。


四尾連湖への山道より


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四尾連湖、コノハナサクヤ姫(山梨百名山蛾ガ岳)

2009.07.08 14:17  投稿者:ootaminoru

インターネットの配線接続が外れて6月15日から受発信が不能でした。
にっちもさっちも解からず、鳥も通わぬ陸の孤島にいました。
遠方に居る息子に来てもらって原因が解かりましたので再開します。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
今になって振り返りますと多くの間違いを記載して恥の上塗りみたいなブログを沢山発信してきました。本当に恥じ入るものが多いです。
しかし心温かい皆様の寛大な心に助けられて何とか継続してきています。

市川大門からの見所は樹を伐採して里に下ろした木橇の道、山ノ神、富士講の石碑、狼煙台、四尾連湖と子安神社です。

地図を広げて見て下さい。甲府盆地の富士川への落ち口に近い市川大門は富士川舟運の船着場として大いに栄えて来ました。江戸時代代官所があった行政の地でもありました。
江戸からの人の最短距離は甲州街道ですが、物資の街道は富士川舟運であり
多くの物資、経済の繁栄を築いて来ました。
人と物資と富の集まる場所は文化の繁栄をもたらします。鰍沢、増穂、市川大門は甲府盆地の文化の中心地でした。

今は林道が発...


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