TOP > ブログ一覧 > 山と川と土と人と > 歴史文化産業

プロフィール

山梨の山と川と土と人とをテーマに自分にとって何であるのか?どのように関連付けて生きているのかを書いてみたいです。

ブログ内検索

カレンダー

<< 201705  
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

バックナンバー

最近の記事

カテゴリー

最新のコメント

関連リンク

ガブリエルさようなら

2011.11.04 20:56  投稿者:ootaminoru

3.11以降、沢山の在日日系ブラジル人家族とその生徒がブラジルへ帰って行った。
11月2日も2年生のガブリエルが最後の授業を受けて少し早めに迎えに来て両親と一緒にお別れの挨拶をして帰って行った。

この後も11月末に2人が帰国する。他に一人迷っている家族があると言う。
ブラジル人学校は11月末が学年末になります。

ここ南アルプス市藤田にあるアルプス学園は母語であるポルトガル語で授業をしています。その両親もポルトガル語を母語としています。
在日外国人に安全と安心の正確な情報を流しているとは言えないと思う。
だから風評被害なのか否かは日本人以上に判断が難しいらしい。

これは全国的な傾向なのかどうかは分からない。
たまたまの局地的な現象なのかもしれません。


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

リニア新幹線山梨中間駅

2011.11.04 09:22  投稿者:ootaminoru

11月2日甲府市大津に山梨中間駅の候補地が決まった。

山梨県が地元地方自治体の意見として候補地を決めたもので、リニアの経営主体であるJR東海が幾つかの資料を参考に今後最終的に決定する権限を持つものだ。
しかしながら、JR東海は、ほぼ山梨県の候補地の線で決めるだろうと予想される。
いよいよ、リニアの建設が現実味を帯びて語られるようになって来ました。

山梨県民の関心ごとはリニアが建設され開通して、果たして山梨県として、又自分の居住する市町村レベルで経済的効果があるのか、逆に過疎化がいっそう深まるのか?
そこが知りたいとこなのだ。

経済的効果が上がって山梨県はいっそう繁栄するかもしれないし、ストロー効果で空洞化が進み過疎化に拍車が掛かる可能性もあるだろう。
しかし、そのキーポイントは両極へのどちらかへの道を決める綱引きは、これからの県民の取り組み次第であり、県民の総合力だという事だろう。
その最後の決め手は県民の熱いソフト面だろう。

私は唯一つリニア新幹線の技術面で責任ある立場の人にお聞きしたいと思っているのは...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

赤沢宿

2011.10.29 19:57  投稿者:ootaminoru

身延山と七面山を繋ぐ道、その中間に赤沢宿があります。
身延線が東海道から身延まで開通した大正時代、この赤沢宿は最も繁栄したそうです。
未だ自動車の時代ではなく身延駅から徒歩で身延山久遠寺へ参拝し、更に身延山奥の院に徒歩で登り、そこから裏登山道を歩いて感井坊に下山し七面山への尾根を歩き赤沢宿へ一泊。そして翌日、七面山へ。
最も繁栄した時代は年間10万人を超えたそうです。

モータリゼーションの時代に入り赤沢宿はその役目を終えました。
七面山への参拝者は現在もいますが、便利な自動車で七面山登山口の角瀬、最短距離の羽衣まで車で入ります。
伝統ある信仰の道も自動車社会には例外ではありません。

現在では一軒だけ民宿があるそうです。
近い将来、身延山から七面山へ歩いてみたいと思う。

写真1は七面山の登山道途中の展望台から赤沢宿全景を撮影しました。
写真3は赤沢宿の軒下に飾られた講元の札です。


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

自然に身をゆだねる(七面大明神)

2011.10.28 06:21  投稿者:ootaminoru

七面山の二の池に石塔があって「大自然妙法神力」と彫られていました。
その言葉が身にしみて感じられ、自然に身をゆだねる事の大切さを改めて教えられた登詣でした。

10月26日七面山に一泊で出掛けた。
87歳の年輩者と同伴で羽衣から敬慎院まで5時間40分で到着しました。
12時00分羽衣出発、敬慎院17時40分到着。夕闇が迫り足元が暗くなりはじめての到着だった。
羽衣の標高は300メートル位と思われ、敬慎院の標高は1700メートルであるから1400メートルの高度さを登った事になります。
途中4つの坊を通過しての登山でしたが参道は全て山の中で自然豊かなものです。

敬慎院では6時半から七面大明神のご開帳式、それまでに精進料理をいただいて入浴を済ませて。7時から1時間夕のお勤めに参列。9時消灯。
翌日27日は御前5時半起床。6時半から1時間の朝のお勤めに参加しました。
そして朝食。

ご開帳式及びお勤めは日蓮宗の儀式及び読経によって行われますが、僧侶12名で行われ、他宗では味わえない迫力満点の積極的なもので感銘しました。

...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

東花輪駅

2011.10.25 05:39  投稿者:ootaminoru

甲府駅北口の擬洋風建築(通称、藤村記念館)へ先般10月初旬に行ったら全国の古い駅舎モデルの写真展示がありました。
その写真展を眺めていると、ほぼ同じデザインであり、そのデザインは現在の身延線東花輪駅と似ている事が分かりました。

身延線の全線開通は1928年(昭和3年3月30日)で、市川大門と甲府間が最も遅く開業した事です。静岡県側から建設が進められ最初の開業は大宮(現在の富士宮市)から身延までの間を大正9年5月8日に開業している。
この事実に大変私は興味を持っています。
山梨県又は山梨県人にとって甲府盆地内の平野部分の甲府駅から市川大門間が身延線で最も遅く開業した事は嫌々ながらこの鉄道を建設したものと思われるからです。既に軽便鉄道が甲府と鰍沢間を走っていたからだろう。
鉄道利権の争奪、南甲府駅周辺の土地の値上がりを予測しての売り惜しみなどなど。

現在の東花輪駅は昭和3年の駅舎を建て替えてあるのかどうかは分かりませんが、恐らく開業当時の骨格をそのままにしたものであろうと推測します。
屋根瓦はスレート張り...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

南アルプスにないもの(槍穂高岳縦走)6

2011.09.28 16:59  投稿者:ootaminoru

前穂高岳(3090.2m)頂上から富士山が見えました。
故郷の山が見えて嬉しかった。
富士山の右側手前に見えるのは位置からして南アルプスだろうか。
しかしその岩峰は何だろう。
もしかして八ヶ岳だろうか?八ヶ岳の可能性が高く八ヶ岳だとすれば赤岳だ。

写真2 前穂高岳頂上  越えて来た槍ヶ岳からの縦走路です。
写真3 前穂高岳頂上  昨晩から今朝に掛けてお世話になった穂高岳山荘           とその後ろに聳える涸沢岳です。
           ですが、大キレット同様、切り立った岩峰と岸壁
           のトラバースで気の抜けない集中力を持続しなけ
           ればなりません。
           時折休憩には信州側の眼下に涸沢カールと
           キャンプ場を見て飛騨側には笠ヶ岳を眺めて
           三点確保の連続で進みます。
   
           これだけ長い切り立った三点確保の必要な縦走路
           は南アルプスにはありません。強いてといえば鋸岳  ...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

南アルプスにないもの(槍穂高岳登山)5

2011.09.28 15:04  投稿者:ootaminoru

自然と人の交差点
人と人との交差点
場所と場所との交差点

景勝地で巧みな最小限度の人工物で人と物(川の水)を交差させ、しかも行動の基点として人心を捉えて離しません。

お江戸日本橋七つ立ち、、、、、。

写真2  梓川の向こうに聳えるのが明神岳です。河童橋から梓川沿い
     に1時間歩きますと明神の山小屋に達します。明神と言う地名
     から発していると思う。
     その後ろに聳える岩峰が明神岳です。
     梓川を渡って穂高神社に出ます。
     松本平、穂高、安曇野の守護神である穂高神社の山宮が
     ここです。
     もともと、この松本平一帯は安曇族の地だった。
     明神池で湖水に平安時代の船を浮かべて年に一度の御祭りを
     する儀式が今も続いています。
     歴史時代以前の昔、この地方は南方の海洋族が北上して、ここに
     海洋民族の集落を形成した証だそうです。
     船を浮かべて儀式をするのは海洋族であった名残だそうです。
     安曇族と出雲族はほぼ同義語であり、諏...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

南アルプスにないもの(槍穂高縦走)4

2011.09.28 11:37  投稿者:ootaminoru

上高地の魅力は清流を観光する事だろう。
私達は便利な文明社会の恩恵を受けて都市に集中し都市生活を快適に過ごしています。
しかし、その文明社会を形成する為に失われてしまったものや、捨ててきたものがあります。
それの最大のものは自然だろう。
自然とは 空であり 山岳 土 水であり 樹木 動物や昆虫や植物の花 などなどでしょう。

上高地に沢山の観光客が入ると言います。年間100万人とも言われた時期がありました。
その観光客の人達は昔、子供の頃、地方の田舎で生まれ育ち、里山や小川や鎮守の森で遊び水田の風景の中で労働もし生きてきた。
その生活は完全に自然の風景のままの環境ではないけれども自然と人間が共存する中で暮らして来た。自然が再生可能であり維持できる人間の知恵とシステムの中で暮らして来ました。
現在の高齢者は自分の生まれ育った故郷探しで観光地を巡礼し上高地にも来るのだろう。そして自然にめぐり合い故郷をそこに見て堪能しているのではないだろうか。
生まれ育った農村の原風景を上高地の空気や清流や山岳や樹木とダブらせて...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

南アルプスにないもの(槍穂高縦走)3

2011.09.28 08:37  投稿者:ootaminoru

山小屋はどこも綺麗になった。
これは北アルプスだけではなく、どこの山岳の山小屋にも共通して言える事だろう。
従来の山小屋は 暗く汚く臭い の三Kだと言われた。
男共はそれが山小屋だと粋がっていた。そんなものだと思っていた。
しかし、これではご婦人は山小屋、そして山を敬遠してしまう。

昨今、登山者の大半を占めるのは高齢者だ。そしてその過半数を占めるのはご婦人なのだ。即ちおばさんなのだ。

その一番の変わりようは便所の改革だ。どこも清潔になった。


今回の登山は宿泊した事のない槍沢ロッジ、南岳小屋を利用した。それから三日目は定番の穂高岳山荘を利用しました。
いつもであれば上高地に朝一番に入り午前7時ごろから歩き始めるのですが、今回は朝3時半から8時半まで甲府中央卸売市場の仕事を終えて出発したので上高地の歩き出しが13時になってしまいました。通常ならば槍沢を登り詰めて槍ヶ岳の頂上に立ちその直近の槍ヶ岳山荘に入るのですが、今回は途中のコースタイムで5時間の槍沢ロッジに入った。
ここはお風呂に入れる山小屋です。槍沢の豊...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

南アルプスにないもの(槍穂高縦走)2

2011.09.28 06:30  投稿者:ootaminoru

氷河地形は南アルプスの仙丈ケ岳にも残っています。
しかし、積雪の量の多い北アルプスは氷河地形が沢山見られます。
氷河地形を見ながら登って行くのは実に楽しいし写真撮影スポットでもあります。
今回は立ち入りませんでしたが涸沢カールは穂高岳の中心的なベースキャンプ地で五月の連休にはテント村が出来るほどの賑わいです。
又秋の紅葉の頃は涸沢カールからのナナカマドの紅葉そして流線型のカール斜面そして奥穂高、涸沢岳、北穂高岳の峰峰が聳えてその上には深い青の空が引き締めています。
恐らくカレンダーでポスターで誰もがこの涸沢カールの紅葉写真を見ていることでしょう。
アルピニストはここでテントを張って滞在し、一時ではありますが生活をする氷河地形なのです。
懐かしく涙が出て来そうになる青春のベースキャンプです。若い仲間とテントの中で沢山の愛唱歌を歌いました。「雪よ山よ、われ等が宿り、、、、、、」
今は文化として失われてしまった、ある時代に生きた若者の青春のエネルギーを形成し発散したベースキャンプ地でありました。



ここでは槍沢に...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

南アルプスにないもの(槍ヶ岳穂高縦走)

2011.09.27 20:20  投稿者:ootaminoru

南アルプスの山の稜線は丸い。それは岩石が砕けているからだ。岩石が砕けているので土壌化が進み植物が標高たかくまで生えている。
一方、北アルプスは稜線が尖り衝立の上を歩くが如し。峰はピラミッドのように突き出ていてヨーロッパアルプスの景観に似ている。植物相が貧弱である。若い地質年代の火山性の岩質(250万年前)で覆われている。
本当はヨーロッパアルプスどころかどこへも筆者は外国に行った事がありません。

北アルプスと南アルプスの違いはどうした造山活動と岩質から形成されているのだろう。
南アルプスは直下型の地震の原因となる断層地帯のひずみによって隆起した地層なのだ。ホッサマグナに沿って南アルプスが繋がる。
それは伊豆半島が太平洋上から北上して日本列島にぶつかり圧力を掛けているので日本列島は糸魚川静岡構造線で割れて東北日本と西日本にへし折れるような姿を形成しています。
又ホッサマグナは南アルプスの水成岩質(1億年前)の隆起の原因となっている。山梨県はホッサマグナの真上に位置しています。

南アルプスが九州、四国、紀...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

秩父街道、雁坂峠(2)

2011.09.18 14:34  

江戸時代文化11年(1814年)に編纂された地誌である甲斐国志によれば
雁坂峠付近で古銭や土器等が見つかっていると書かれています。
その時見つかったと言うのではなくこの峠を往来する甲州側の麓の住民によって語り継がれてきている事らしい。

峠を越すときに旅人は旅の安全を依願して、道の神や山の神にお供え物を手向けたものと思われます。

現在の峠の場所が江戸時代の峠であったかどうかは疑わしい。と私は思っています。
それは久渡沢に沿って登って行きますが途中から久渡沢を峠沢と名前が変わります。
登山道は峠沢を途中から大きく離れて左の山腹に巻いて登ります。
森林が切れて笹原になる頃今度は等高線沿いに水平移動をして峠沢の位置に接近して来ます。
そこからジグザザグに山腹の草原を登ります。
笹原は何らかの原因で峠沢の女流部分で土石流などにあって崩壊した過去があるのではなかろうか。
その急坂の草原のジズザグ道はそれまでの樹林帯の道に比較して急ごしらえの貧弱な道に思えるからです。荷物を背負った生活道、信仰の為に往来する道はもっと安全...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

秩父街道、雁坂峠(1)

2011.09.17 16:49  投稿者:ootaminoru

峠とは「手向ける=たむける」の動詞が「手向け=たむけ」の名詞に変化して更に室町時代以降「たうげ」に変化し、更に「とうげ」に転じたものです。古代において峠の事を「坂」と言った例が多い。
又、「峠」の漢字は和製語であり中国から伝わった漢字には無い文字です。国字というらしい。中国語の同意語は「嶺」です。
現在の雁坂峠(2082m)の近くに雁坂嶺(2289m)があります。どうなっているんだろう。

手向けるとは神仏や死者の霊に物を供える意味の言葉又は旅立つ人や別れていく人にはなむけをする言葉。
峠には道の神がいると信じられていて通行者が旅路の安全を祈って道の神に物を供えたので、たむけをした場所が峠となったと考えられています。

武田信玄の時代に他国に出る道を整備した軍用道路九筋の一つが雁坂口です。
雁坂口は秩父街道、秩父往還とも称しますが、甲斐の国と武州を隔てる峠、即ち雁坂峠に平成23年9月14日行って来ました。雁坂峠越えのこの道は勿論、歴史的には日本武尊の伝説があり、4世紀の大和朝廷成立前後の時代から7世紀頃に東...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

夏の王者、蝉

2011.09.14 05:28  投稿者:ootaminoru

9月13日現在、甲府城に蝉の声が聞こえなくなった。季節は確実に秋に向っています。
山梨県の甲府盆地にはニイニイゼミが7月中旬頃から鳴き始め、次にお盆頃から油蝉、ミンミンゼミが鳴いてお盆を過ぎた頃から9月に入る頃から、つくつくぼうしが鳴く。
これが甲府盆地内の平野部分の蝉の時間差の鳴き声だ。
その他にも夏の蝉として蝉の種類があるのかも知れませんが詳細は知りません。  春蝉などなど。

ここで注目されるのはミンミンゼミです。
20年、そして10年ほど前に比較して盆地内の低地にミンミンゼミはいなかったと思う。いても鳴き声が少なかったように思う。甲府盆地でミンミンゼミに初めて出合ったのは20年ほど前に愛宕山こどもの国で聴いた。
最近では油蝉を上回るほどの密度になってきています。
ツクツクボウシは昔も今も少ないようです。

一方、甲府盆地内にはクマゼミがいません。山梨県でも南の身延や南部ではいるのかもしれませんが未だ少ないのではないでしょうか。

クマゼミは九州、関西、近畿、東海に広く沢山います。東京には未だいないのかも...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

浅利与一公ゆかりの諏訪神社で彼岸花見つけた

2011.09.10 21:35  投稿者:ootaminoru

今年初めての彼岸花見つけた。

9月10日(土)中央市豊富地区の諏訪神社境内で彼岸花みつけたー。
旧八代郡豊富村は浅利与一の縁の地です。
その浅利地籍にある諏訪神社へ行って来ました。
境内で、彼岸花が咲いていました。

浅利与一は甲斐源氏清光の10男で1185年平家追討で出陣し壇ノ浦で遠矢で殊勲を上げた弓の名手です。浅利地区には何時の頃か田見堂に信州諏訪の諏訪神社から勧進し諏訪神社が建っていました。
1191年に源頼朝が鶴岡八幡を改宗したのに倣い、浅利の荘総鎮守産主神として田見堂から移転しここに諏訪神社を勧進し社殿を築きました。


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

内藤新宿

2011.09.04 15:50  投稿者:ootaminoru

甲州街道は徳川家康によって幕府を江戸に設置した時に五街道の一つとして整備したものだそうだ。
1601年(慶長6年)に街道を整備しはじめ1603年(慶長8年2月12日)家康は征夷大将軍に任命されて、1604年(慶長9年)から日本橋を基点に一里塚を設け、一定距離ごとに宿場を置き伝馬制度を発令し本格的な整備に掛かった。
甲州街道の基点は江戸の日本橋であり、宿としては内藤新宿から高井戸、府中、八王子、小仏、上野原、大月、黒野田、駒飼、勝沼、石和、甲府、韮崎、台が原、上諏訪、下諏訪までの街道です。(概要)
時代により違いがあるが全部で38宿であった。
江戸から甲府まで2泊3日(路銀が支給される武士の公用は3泊4日位)の旅行だったそうです。その最大の難所は笹子峠です。

甲州街道は現在では国道20号線(1885年明治17年制定)として継承されています。東京の日本橋を基点として塩尻まで225kmです。
甲州街道の名称はその基点は新宿区四谷交差点であり、(1962年4月25日東京都は通称道路名として甲州街道として指定してい...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

空海と密教美術

2011.09.03 17:19  投稿者:ootaminoru

現在、「空海と密教美術展」が開かれています。
東京上野の東京国立美術館です。

山梨県内にも沢山の宗派の仏教があります。
鎌倉仏教が入ってくる以前は天台宗と真言密教が山梨県に古い時代から入って来ていて国宝、重要文化財クラスのものが幾つもあります。

奈良仏教は国を守る礎として、鎌倉仏教は人を救う仏教としてその道程を歩んで来た。
その過渡期ともいえる9世紀初頭の時代に空海が中国の唐の長安から持ち帰った真言密教です。護国として、そして人を救う道としての教えです。

上野の東京国立美術館で空海と密教美術展が開かれています。
会期    7月20日~9月25日まで
観覧料金  1500円
時間    9時半~17時まで

ほとんど、98㌫が国宝、重要文化財です。



8月31日(水)張り切って朝早くから高速バスに乗って行って来ました。

当初の目論見は真言密教の教義を少しでもより知ろうと思っていましたが、それはほとんど空振りでした。
仏具、曼荼羅、(如来、菩薩、天、王などの)諸像、空海直筆の書もありましたが、それらは美術品として展示さ...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

若彦路の大石峠で出会った花たち3

2011.09.03 15:00  投稿者:ootaminoru

古代からの官道である若彦路の森林の中に小さく開けた峠は草原になっています。
峠の草原に咲くこれらの花は他所から持ち込まれたものではなく、この付近の山中に目に触れることなく秘かに生き伸びて来たものでしょうが、環境が整えば姿を現します。
日本のホットスポット(多様な生命がいっぱいいる所)は雨(冬は雪)がもたらした環境で多様な生態系を作っています。


写真1    クルマユリ
写真2     カワラナデシコ
写真3     若彦路  


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

若彦路の大石峠で出会った花達2

2011.08.30 21:32  投稿者:ootaminoru

大石峠の標高は1511メートルです。
ちなみに
鳥坂峠の標高は1084メートルです。
御坂峠    1523メートル
女坂峠    1372メートル
右左口峠   860メートル


写真1 フウロソウ  ハクサンフウロ
写真2 ウツボグサ
写真3 ノギク(白)    詳細の名前不明



平成23年8月25日撮影


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

若彦路大石峠で出会った花達 1

2011.08.30 18:22  投稿者:ootaminoru

大石峠は富士山北麓の河口湖と甲府盆地を隔てている御坂山脈の山脈越えの尾根の一部分です。冨士北麓から甲府盆地へは古代から三つのルートがありました。
1 御坂を越える鎌倉街道。
2 そして曽根から中道を経て右左宿を経て右左口峠から下芦川の梯へ下りそこから古関を経て阿難坂(女坂)を越えて精進湖畔に出る中道往還。
3 そして今回の若彦路の三つのルートです。

甲府盆地側に築かれた古墳群の形式やその出土品などからは中道往還が最も古く、その次が若彦路という順序になるそうです。
ちなみに若彦とは日本武尊の息子、稚武彦王(わかたけひこのみこと)が通ったという東鑑(13世紀初頭)の記載によるものですが、その真否はどうでしょうか?
その元になっているのが古事記、日本書紀の日本武尊の東方遠征に絡んだとみられます。

若彦路は甲府盆地側からは八代の奈良原から鳥坂峠を越えて芦川渓谷(新井原)に下り、上芦川から大石川を遡上して途中からは山腹を蛇行しながら登って行きます。
樹林帯の中を幅1.8メートル位の整地された坂道...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

北口浅間神社の火祭り、ススキ祭り

2011.08.30 05:54  投稿者:ootaminoru

8月27日(土)午後から富士吉田に北口冨士浅間神社の火祭りを見物するつもりで出掛けていった。
しかし、火祭りは前日の金曜日即ち8月26日に行われていて、もう終わっていました。
8月27日はススキ祭りなのだそうです。
火祭りとススキ祭りが祭礼としてどのように意味が違うのかは現在も知りません。

冨士北麓の最大のお祭りとして地方紙、山梨日日新聞に8月26日に2ページにわたって前宣伝が掲載されていた。
それに触発されて、心が動き甲府盆地の真ん中、中央市から御坂山塊を越えてお祭るに初めて参加したのです。

富士山をかたどったお神輿ともう一基は普通のお神輿が街中を巡幸し夕方北口浅間神社の諏訪ノ森に帰ってきます。
26日は夕闇迫る頃に市内に大きな松明に火を点すそうですが27日はそれはありませんでした。
一番の違いと興味を持ったのはを北口冨士浅間神社の本殿とその右側横にある諏訪神社の地続きの広場の真ん中に林が在って、即ち広場の真ん中は高天原と称して聖地になっていて杉の樹木が立っています。
午後7時にそこを7回りお神輿が廻っ...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

若彦路の大石峠

2011.08.28 18:44  投稿者:ootaminoru

若彦路の大石峠まで行って来ました。
前回は八代側の竹居、門林、奈良原を抜けて県ライフル射撃場から鳥坂峠への旧道を。
そして今度はその先の上芦川の新井原から芦川を遡上してすずらん群生地近くから大石川を遡上して大石峠までです。時間がなくて峠から先の河口湖側へは今回は行けませんでした。
次回は河口湖側へ回り込み逆に大石峠まで。そして治右衛門屋敷から淵坂峠を越えて長浜へ、、、、。このコースが国中から八代郡、都留郡への若彦路の峠越えの街道です。
街道の保存状態が大変宜しいです。
平成23年8月28日


写真1 峠への道
写真2 途中の空峠の道祖神   天明3年9月9日(1783年)の記載あり
写真3 大石峠


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

櫛形山のコウリンカ

2011.08.27 13:31  投稿者:ootaminoru

コウリンカ(紅輪花) 菊科キオン属
絶滅危惧Ⅱ類(UV) 絶滅の危険性が増大している種です。


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

櫛形山の森

2011.08.27 12:30  投稿者:ootaminoru

昼なお暗い櫛形山の森を昼なお暗く撮影する。
どうだ、暗いだろう。

本当に森の中は暗いのだ。


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

櫛形山の花達

2011.08.27 06:22  投稿者:ootaminoru

櫛形山の頂上部分は台地状に平になっています。
雨水の流下が緩やかなために湿潤な環境にあります。
そこで、湿り気の多い環境にはアヤメなどのどちらかと言えば湿性の草原と唐松が威勢よく密生した森が混在しています。
しかし、ここ数年、鹿が増えて来ています。
鹿の異常増殖はその草原の草を食べるものだから草原の本来あった植物は絶滅状態になって禿山のようになって来ています。
異常な増殖と書いた根拠は長い間、草原や湿潤な森を維持してきた環境がここ数年で生態系のバランスを崩して変化してきているからです。
森林部分はあまり顕著な現象は出てきていませんが草原部分の変わり方は顕著です。

今回、私はレンゲシュウーマを撮影に行きましたが一枚も写真に収めることが出来ませんでした。
写真1と2のダケブキも若い新芽の時期に1度ならず2度も鹿の食害に遭った形跡が残っていて、丈が短くひ弱なダケブキの花しか見られませんでした。又ダケブキの群生地では以前と比較して個体数を減らしています。

鹿の増殖はどうも全国的な傾向らしい。
人為的に狩猟によって個...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

櫛形山の巨木

2011.08.25 06:20  投稿者:ootaminoru

日本に原始林若しくは原生林は少ないといいます。
確かに一度も人為的な伐採が行われた事がない場所は少ないだろう。

櫛形山には200年以上と思われる一度も伐採が行えられていない針葉樹の巨木があります。
その多くは天然の唐松ですが、幹が途中から分枝したり曲がっているために建築資材として使えないからだろうと思う。
一度も枝打ちがされていなくて低い位置から横枝が張り出しています。

櫛形山に限らず、甲府盆地周辺の山岳は鹿が増えて鹿の食害に遭っています。
櫛形山の看板であった天然のアヤメの草原はほぼ絶滅状態になっています。
鹿の増えすぎを何とかしなければならない状態になってきています。

それはそれとして
櫛形山はもう一つ、昼なお暗い巨木の密生した森があります。


平成23年8月6日撮影


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

タカネビランジ

2011.08.24 16:04  投稿者:ootaminoru

花の色は 移りにけりないたずらに 眺めせしまに

お盆を過ぎて鳳凰三山のタカネビランジもほぼ咲き終えただろう。
私が登って行ったのは8月4日だった。
あるなしの耳学問ではなく、本当の姿をごらんあれ。
フオートアルバム及びカタログに写真を添付しておきました。


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

甲州街道駒飼宿に滝

2011.08.24 06:30  投稿者:ootaminoru

甲州街道の勝沼側駒飼宿から笹子峠に掛かる山中に滝がありました。
駒飼宿の本陣、脇本陣を経て人家が途絶える所に笹子沢川を右岸から左岸に渡る橋が掛けられています。その端の名前は天狗橋ですがこの橋及び対岸に渡る道は昭和13年に自動車道として開削した当時の国道(現在の道路の名称は県道日陰笹子線)です。
それ以前の徒歩及び牛馬が通った甲州街道は天狗橋を渡らずに右岸を笹子沢川に沿ってそのまま登ってゆきます。
約100メートル位先に写真2の一里塚の指示柱があります。その少し上には写真1の滝があります。街道から滝が見える位置にあります。
この滝はほとんど地元の人以外には知られていないと思う。
一里塚のすぐ先が行き止まりになっているから笹子峠の旧道を探索で歩く人も入ってこないからです。
当時の甲州街道は旅の行程中、ほとんどが自然豊かな景勝地でそんな風景に分け入って往来したのだなと実感しました。

この道は一里塚の手前に右岸の河岸段丘と思われる畑があります。その畑に通ずるために現在も一人の農家の人には利用されているようです...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

甲州街道、笹子峠

2011.08.17 15:30  投稿者:ootaminoru

甲州街道の駒飼宿(勝沼側)から笹子峠を越えて黒野田の宿(大月側)10kmを平成23年8月12日歩きました。
実際には現在の国道20号線を新笹子トンネルを通過して国中地区と郡内地区を結ぶバス路線がありません。峠を往復しなければ帰ってこられません。
仕方がなく、JR中央線の甲斐大和駅の駅北側の駐車場に自家用車を駐車しておいて、そこから少し逆に戻って旧甲州街道入り口から駒飼宿を経て旧道を出たり入ったりしながら歩きました。追分から現在の国道20号線を歩いてJR笹子駅まで歩き笹子駅から電車に乗って甲斐大和駅まで戻ってきました。
この旧道は昭和13年に自動車道路として開削されて道であり江戸時代からの歴史の甲州街道とは別物です。
従って明治天皇は明治13年に諏訪地区に巡幸された時の道は昭和13年の旧甲州街道ではなく旧旧甲州街道を駕籠で越えたことになります。
注;馬車で巡幸されましたが笹子峠は急坂であり険しかったので黒野田の宿泊場所(本陣)から駕籠に乗られて峠越えをして駒飼宿の(江戸時代の本陣)である宿泊所に入っ...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

蓮の花

2011.08.17 09:34  投稿者:ootamonoru

蓮の花が咲いています。
場所は笛吹市砂原地区です。
笛吹川と平等川の合流点から少し西の笛吹川沿いの果樹園の間にあります。
笛吹川の対岸は白井粟原です。
明治40年の山梨県を襲った大洪水ではこの付近は河原状になった場所です。

この地区は砂原と言います。
現在では暗渠が充実し排水がとどこうりなく行われているので湿地帯でありませんがその昔は湿地帯であったり、中州の場所は砂原であったりしただろう。

甲府盆地の中央を流れる釜無川と笛吹川は現在では中央市で平行に整流し甲西町と市川三郷町の三郡橋で富士川として合流する。
しかし、中世の後期、武田信玄の時代以前は釜無川は竜王で信玄堤と一般に言われている釜無川の南進化工事はされていなくて、流路は竜王から東進
し、現在の甲府市中央から大津や下条や落合方面に分流して笛吹川と合流していたものと思われます。

現在でも荒川は下條で平等川や濁川は落合いで笛吹川で合流して入りのですが、その辺りは釜無川とも合流下であろう湿地や河原で中洲には砂原がある耕作不適地だったでしょう。

そうした名残を示...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

鳳凰三山登山記(8 イワインチン)

2011.08.11 18:45  投稿者:ootaminoru

登山の楽しみの一つは花を見ることです。
山によって、場所によって、高度によって、季節によっていろんな種類の花が見られます。2500メートル以上の非日常の世界に生息する生命です。

写真1
   イワインチン(豆科)です。

写真2
  ミヤマコゴメグサ
  ゴマノハグサ科です。

写真3
   タイツリオオギです。
   豆科です。

平成23年8月4日撮影する。

お盆を過ぎて登山をしますと秋の花が咲いています。
トウヤクリンドウ、ウサギ菊、アズマ菊、イワギキヨウ、アキノキリンソウトリカブト等など。


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

鳳凰三山登山記(7 ハクサンシャクナゲ)

2011.08.11 18:24  投稿者:ootaminoru

高山の石楠花でキバナシャクナゲとこのハクサンシャクナゲがあります。
鳳凰三山ではキバナシャクナゲは見ませんでした。

ハクサンシャクナゲは白に近いものからピンクの濃いものまであります。
小潅木です。


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

鳳凰三山登山記(6 コメツツジ)

2011.08.11 18:10  投稿者:ootaminoru

コメツツジです。
白鳳峠と高嶺付近で豊富に見られます。
ここだけの植物ではありませんが、少ない植物です。
花崗岩の山、甲斐駒ケ岳や瑞垣山の乾燥した礫や岩の割れ目等に根を張り他の植物が生えない場所に見られます。
白又は少し赤が混じった小さな花です。
8月4日撮影する。


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

鳳凰三山(5 北岳大樺沢)

2011.08.11 18:02  投稿者:ootaminoru

白鳳峠からの北岳です。
北岳は里からは見難い。
前衛の山が邪魔をしてその容姿をなかなか見せてくれません。
鳳凰三山の縦走の旅はこの北岳を見ながらの旅となります。


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

鳳凰三山(4タカネビランジ)

2011.08.11 17:45  投稿者:ootaminoru

タカネビランジ

ナデシコ科のタカネビランジはこの山だけの植物ではありませんがこんなに密度が濃く咲いている場所を私は知りません。

この花を見に8月4日に登山を決定しました。
結果的にはあと数日が満開だったでしょう。

ナデシコ科の花は花付が良くて満開時にはブーケのように丸く株全体を覆いつくします。


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

鳳凰三山登山記(3唐松)

2011.08.11 17:30  投稿者:ootaminoru

鳳凰三山の尾根筋には太くて曲がりくねった幹の唐松が見られます。
植樹されたものではなく天然林です。
唐松は幹が柔らかく物理的な荷重が掛かると柔軟にしなったり曲がったりします。その結果面白い造形となります。
風化した白い花崗岩の砂と岩と唐松は独特の景観を作っています。


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

鳳凰三山登山記(2)

2011.08.08 20:30  投稿者:ootaminoru

鳳凰三山はやはり信仰の山だったそうです。
恐らく中世の時代だろうと思いますが、修験道者が富士山に登って、次は御坂峠を越えて山梨郡に入り、室伏から柳平を経て荒川を渡渉して水晶峠、御室小屋から金峰山に登り、千代の吹上から金山平に下り増富から塩川に沿って韮崎に至る。次は私の想像の域を出ませんが恐らく武川から地蔵岳に登り尾根を縦走して観音岳へ。更に縦走して薬師岳に。ここから更に縦走して現在の南御室小屋を経て辻山から千頭星山から甘利山に下り韮崎に、、、、。
辻山の名前を過大評価しているかもしれませんが。

地蔵岳の賽の河原に、お地蔵様の石碑がある他は赤抜けの頭に時代物の石碑が一つあるだけで信仰登山を表わすものは少ないようだ。
賽の河原のお地蔵様に願を掛けて(子宝を授かる)願いがかなったら、新しいお地蔵様を寄進したのだそうだ。

近世の江戸時代にも登られたのかと思いますが、この頃はもはや、修験道の衰退期であり、富士山のような講組織での観光登山としては花開かなかったものと思う。地元の人の細々とした信仰の山だったので...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

鳳凰三山日帰り登山記(1)

2011.08.07 05:48  投稿者:ootaminoru

鳳凰三山を日帰りで登山して来ました。
コースタイム11時間30分ですが、山小屋へ泊まる程でもないので何時も私は日帰りとしています。
その方法は夜叉神峠入り口に乗用車を駐車しておいて、そこから山梨交通の広河原行き定期バス又は乗り合いタクシーに甲府発朝一番の便(夜叉神峠入り口5時30分発)に乗って広河原に6時11分に到着します。
広河原から白鳳峠へ登って鳳凰三山を縦走して積算11時間半で自家用車のある夜叉神峠入り口へ降りてきます。
コースタイム通りであれば17時41分の到着予定です。

さて、甲府盆地を形成している外輪の山の中で一際存在感のある山脈に南アルプスの北辺に位置する鋸岳、甲斐駒ケ岳から連なりアサヨ峰そして鳳凰三山(地蔵岳、観音岳、薬師岳)を経てなだらかに辻山、大崖頭山の樹林帯の尾根通しに下って1500メートルの夜叉神峠から夜叉神峠入り口に降りてきます。登山時間は日帰りとしては長いのですが広河原から急登で白鳳峠を経て地蔵岳に登り切りますと後はなだらかな尾根を水平移動又は低傾斜の下り道を時間を掛け...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

テント泊(雷鳥沢)

2011.07.29 16:39  投稿者:ootaminoru

日本は農耕民族であるので古から定住民族ですが、歴史的に見て多くの民族が遊牧生活で定住しない民族が沢山いたし、難民と言われる政治的なトラブルなどにより定住できない民族もいますし、遊牧民族もいることでしょう。

定住民族が土地という財産を持たない移動民族に焦点を合わせて描いた有名な絵画は甲府駅の構内の三角形の壁に描かれた「羊飼い」?であり画家はミレーです。

定住民族を抜け出して移動民族の真似事にしか過ぎませんがテント生活をする事は非日常の異質な文化を感受出来る気がします。


大自然のなかでキャンプ生活をすることは気持ちの洗濯になります。
7月下旬から8月のお盆の時期に掛けてキャンプ場周辺に残雪が残っている場所があります。
ここ富山県の立山の室堂平(2500m)の雷鳥沢にテントを張りました。周囲は残雪が残っています。
雪解けの場所から順に春を迎え高山植物が芽を出し花を咲かせる。
その事はいろんな季節の程度がが混在していることであり、いろんな花を楽しむことが出来るのです。

残念ながら山梨県には夏のお盆休みを残雪の中...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

ミヤマバイケイソウ 

2011.07.28 17:36  投稿者:ootaminoru

仙丈ケ岳にはミヤマバイケイソウがあります。
表日本に近い関東甲信越の山々にはミヤマバイケイソウがほとんどです。
日本海側の北アルプスにはコバイケイソウが多いようです。





ミヤマバイケイソウは花が黄緑だ。  写真1と2 仙丈ケ岳藪沢カール
コバイケイソウ     は白い。  写真3   北アルプス立山

両者とも北海道及び中部山岳の亜高山乃至は高山帯のやや湿り気の多い場所に生える多年草です。


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

雷鳥

2011.07.27 11:42  投稿者:ootaminnoru

仙丈ケ岳の小仙丈ケ岳付近の這い松帯に雷鳥の雌が一羽いました。
雷鳥の数が近年減ってきていると言います。その実態は分かりにくいのですが確実に数を減らしているようです。
この写真の雷鳥の雌はこの時期、雛を連れて歩いているのが本来の姿ですが雛を連れていません。
何らかの事情によって産卵、孵化、子育てが出来なかったのだろうと思います。
但し、生きている姿を確認できただけでも幸せかもしれません。
しばらく見ていると乾燥した砂礫地で砂浴びを始めました。
数メートルの先に複数の人間が見ているのに人間を恐れぬ行動です。

雷鳥の存在は高山に於ける生態系の頂点です。
いつまでも元気に世代交代を繰り返して種として生存して欲しい。

生態系の変化に由来する数の減少は対策が容易ではない。
簡単に手の打ちようがないからだ。
種の絶滅を私達の世代で起こしたくない。
祈るような気持ちで雷鳥をしばし見ていました。

山梨県に雷鳥が生息していることは掛け替えない資源の一つです。
雷鳥の存在は中部山岳地帯にしかいないのだから。
オンリーワンに等しい存在なのだ...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

北沢峠とリニア新幹線山梨中間駅を繋ぐもの

2011.07.27 09:27  投稿者:ootaminoru

甲斐駒ケ岳と仙丈ケ岳の登山基地である北沢峠の役割と機能を考察してみました。
北沢峠へのスパー林道開発は昭和43年工事着工し途中反対運動で中止もしたが昭和54年12月全線開通し翌55年6月からバスによる営業運転を開始した。マイカーは全面禁止。スーパー林道とは林業資源開発の他に林業以外の産業振興(観光)の開発を目的とした林道である。
林業開発がメインの大義名分だったが、2000mクラスの高地では一度伐採の手が入ると、再生能力が弱く、山肌が荒れて土砂崩れなどの災害がの危険性がある。スーパー林道を造ったものの林業に貢献している形跡は素人ながら私には見えない。
現在、登山者の甲斐駒ケ岳と仙丈ケ岳の登山基地の役割をしているのみだと思う。

北沢峠へは山梨県甲府駅から芦安を経て広河原への定期バスが運行されていて、更に広河原から北沢峠に南アルプス市営バスが運行している。
甲府市からお金を出せば何の努力もせずに北沢峠に立つことができます。
一方、長野県伊那側はJR伊那市駅から高遠へ。高遠から戸台にはJR関東長谷循環バスで戸...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

ミヤマシオガマ

2011.07.26 21:36  投稿者:ootaminoru

本州の代表的なシオガマとしてミヤマシオガマ、タカネシオガマ、ヨツバシオガマがありますが、仙丈ケ岳にはミヤマシオガマとヨツバシオガマがありました。
タカネシオガマは見つかりませんでした。どうもなさそうです。

ミヤマシオガマは八ヶ岳にも北岳にもあります。

タカネシオガマは白馬山と八ヶ岳の硫黄岳で見ることが出来ます。
ヨツバシオガマは高山帯を持つ山の多くに分布しています。この付近では八ヶ岳、北岳、仙丈ケ岳にもあります。

高山にあって赤い色が鮮やかで穂状に咲くので大型で存在感があります。

高山植物の起源を考えるとシオガマも又、氷河期に日本列島へ南下して来たがその後の間氷河期に北へ戻れなくなって取り残され高度を上げて何とか生存適地を見つけ出して現在に至っています。
その事は最後の間氷河期が始まった
1万年以上の昔に南アルプスと八ヶ岳と北アルプスのシオガマは兄弟や親子と離れてそれぞれの高山に上り詰め遺伝子を交換することなくその地域特有の環境に馴染んだそれぞれが独自に進化の道を歩んで来たと考えられ、愛しくなります。

写...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

仙丈ケ岳氷河跡地形で遊ぶ

2011.07.25 05:46  投稿者:ootaminoru

仙丈ケ岳には氷河跡地形が残っています。
北沢峠から真っすぐ小仙丈ケ岳への稜線を登って行くと這い松帯に入る頃から左側に小仙丈沢カールが見えてきます。下のほうには盛り上がったモレーンもみられます。
平成23年7月24日仙丈ケ岳に登って来ました。2年ぶりだろうか。

今度は小仙丈ケ岳に到達して右側の沢が藪沢カールです。
藪沢カールを上部から見下ろしながら仙丈ケ岳へと進みます。
帰り道はその藪沢カールの中に降りるようにしてモレーン部分の盛り上がった土手に建てられた仙丈小屋(山小屋)に降りてきます。
小仙丈ケ岳の稜線部分から仙丈ケ岳には乾性の高山植物が、そして藪沢カール部分にはやや湿性の花が沢山の花が見られます。

やや春から夏の花としては盛りを過ぎて端境期に差し掛かり種類はともかく花の密度は少なめでしたが写真に収めたものだけでも50種類を越えていると思う。

今回久しぶりに撮影できたのは馬の背で以前は群生していた黒百合をモレーンから馬の背の間で見つけることが出来ました。
馬の背は鹿に食べられてしまったのか現在全く花が見...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

立山

2011.07.21 06:20  投稿者:ootaminoru

昨年から今年に掛けて二つの山岳を舞台にした映画が上映された。
「点の記」と「岳」です。
珍しいことです。

特に前者は立山を舞台とした明治時代初期の地図作成用の測量隊の三角点設置活動を描いた映画だった。
その剣岳を含めた立山に7月17日18日に登ってきました。
立山曼荼羅では剣岳は針の山として描かれていて踏み込めない又は踏み込んではいけない山とされてきました。


立山は富士山と白山を含めて日本3大霊山と言われる信仰の山です。
江戸時代後期に富士山が富士講の定着と共に信仰登山が広く行われたのと同じように立山も講により立山登山が行われました。
立山信仰の特徴は立山曼荼羅による布教活動とその絵解きにあります。
大変分かりやすく、地獄極楽図の絵解きから浄土真宗の宗教観を彷彿します。

山梨県に住む人間にとってこの立山との関連は立山の冨士の折立から白山と富士山が見えることです。
残念ながら7月18日は八ヶ岳方面に雲が湧き富士山を見る事が出来ませんでした。


写真1は剣御前からの剣
写真2は剣沢キャンプ場からの剣
写真3は一服剣からの...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

ベニバナイチゴ

2011.07.20 17:40  投稿者:ootaminoru

山梨県には日本で標高が1番高い山と2番の山があります。又3000mクラスの山があります。
標高は十分高いのですが(富士山)、南アルプスや八ヶ岳や多摩秩父甲斐の山々に無くて北アルプスにある植物があります。
北アルプスのその多くは雪田からの雪解け水により、秋口まで低温湿潤な環境が形成されます。どちらかと言えば湿生植物が多い。その代表例がキヌガサソウでありシラネアオイだ。

ここでは日本海側の立山のベニバナイチゴを紹介します。
ベニバナイチゴは湿生植物ではないがやや湿潤な渓流筋や林縁に生えています。バラ科キイチゴ属の落葉低木です。高さ1mくらいでよく分枝して茂ります。
北海道の西南部と中部地方の日本海側の亜高山乃至は高山帯に分布しています。北アルプスならば比較的どこの山でも?見掛けるポピュラーな植物だ。
花が赤く果実も赤い。キイチゴ属の中で赤い花はこれだけかもしれません。花期は6月から7月にかけて、果実は秋に直径3センチ位のルビー色の透明な集合果を着けます。食べると美味しいです。

平成23年7月16日から18...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

金峰山で悪銭?を拾う

2011.07.14 17:35  投稿者:ootaminoru

7月13日甲府市南側ルートの御室小屋経由で金峰山に登りました。
金峰山の鳥居の横で悪銭(びたせん)?を拾いました。

五丈岩の信州側の広場に赤い鳥居があります。その鳥居の横の白洲で赤く錆びた銭らしきものを拾いました。
鉄銭で薄く悪銭(びたせん)ではないかと思っていますが。
拾った場所が場所なので私が持っていてもその内どこかへ亡くすのが落ちですから県立博物館に一応お持ちする予定です。
文字ははっきりと読めませんが下に永の文字だけが判読できます。

以前から学術調査や民間人が五丈岩の周辺で江戸時代以前の貨幣等を発見する話は時々聞いていました。
ですからそれほど珍しい代物ではありませんが、頂上でばら撒きように造られた私造銭だろうと思います。いつ頃のものなのか鑑定していただくと面白い。

信仰の山である金峰山は蔵王権現であり、中世頃までは修験者の山だった。
江戸時代に入って、今よりは信仰心があったと思いますが富士山同様大衆化して観光の山と化した。と思っています。富士山では富士講登山が盛んな折に火口の中へ銭を沢山撒くよう...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

修験道の修行場(蔵王権現)の旧羅漢寺木像

2011.07.13 06:37  投稿者:ootaminoru

昇仙峡の本流(荒川)から分かれて羅漢寺沢(実際には水はない)を登って行くと羅漢寺山の頂上との中間部分に旧羅漢寺廃寺遺跡があります。
現在は建物はなく寺社の石組みや石垣が残っています。

その周辺の岩場が修験者が修行をしたところで一嶽、二嶽、三嶽だそうです。
役の行者以来の在来の信仰である修験道は蔵王権現と称し、インド伝来の仏教と習合します。蔵王権現の本家筋に当たる吉野熊野の蔵王権現は仏教:特に天台宗の真言密教の影響を受けています。甲州と信州の境の金峰山及び金桜神社の江戸時代以前の名称は甲斐国誌に依りますと蔵王権現であり、吉野熊野の蔵王権現から分奉されたもので、天台宗の影響を受けている事は例外ではないだろう。
天台山羅漢寺の天台山の名称もここから出ているものと私は考えます。
但し、現在の羅漢寺は禅宗の曹洞宗であり真言宗ではない。
その改宗の時期は甲斐国誌に依れば大永年間(1521年~1527年)だそうです。慶安4年(1651年3月)火災で焼失したといいます。その経緯は明らかではないが既にその頃、修験道は...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

甲州街道 駒飼、鶴瀬宿

2011.07.12 19:47  投稿者:ootaminoru

明治13年、明治天皇も通行した甲州街道 駒飼宿、鶴瀬宿を歩く。

甲州街道を郡内地方から西に追分、新田宿を経って矢立の杉を経て笹子峠を越えていよいよ国中地方(甲府盆地)に入ってくる。
笹子峠は上り下り二里半(10m)の山道です。
その甲府盆地入り口の最初の宿場が駒飼宿で、すぐ隣の村が鶴瀬宿です。
その次は勝沼です。

駒飼と鶴瀬の宿は15日毎に交代して宿役を務めていたので駒飼と鶴瀬で一つの宿場と考えられます。
鶴瀬宿は国道20号線で分断されているのでやや面影が薄いのですが、駒飼宿は20号から離れて日川の支流の笹子沢川の少し上流にあるので、都市化や近代化の影響を直接受けていないので昔の村落がそのまま残っています。
しかし、日本は高温多湿で木造建築の宿命として現代風に立て替えてあります。
でも地割りは当時のままと思われ宿場町の雰囲気を出しています。
本陣、脇本陣も更地になって看板表示のみでした。

本当は平成23年7月10日午後、甲斐大和駅の北側の駐車場に車を停めておいて、旧甲州街道を鶴瀬、駒飼宿を経由して笹子峠を越...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

金峰山への道(猫坂峠)

2011.07.09 17:24  投稿者:ootaminoru

現在の甲府市御岳の金桜神社の鳥居から御岳川に沿って猫坂峠を越えて黒平へ。そして更に奥に入って水晶峠を越えて御室小屋から金峰山へ登る。
これが中世以来、近世に至るまで最も多く使われた金峰山への信仰登山道だったでしょう。

今回は金桜神社から御岳川に沿って猫坂峠まで探索しました。
前回の失敗に続いて2度目の挑戦です。
結果的には猫坂峠まで歩けました。
しかし、峠から75m位離れた場所の尾根に出てしまいました。
尾根伝いに移動して峠を見付けました。
峠直下の急坂をジグザグで登っていると思われるのですが、どうしてもその入り口が分からず直登で獣道を登りました。
帰路は峠から正規の峠道を下り始めましたが沢筋が崩落していて道を見失ってしまいました。
登り返して峠に出て、往路を下って帰って来ました。

昭和39年頃、甲府市営御岳林道が開通して自動車で金桜神社から黒平へ行けるようになりました。それ以来40年あまり使われなくなった古道を歩いてきました。

写真1  峠に立つ 山の神の祠
写真2  昭和37年完成の造林記念碑
    金桜神...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

ライチョウ

2011.07.05 23:28  投稿者:oota minoru

北岳のキタダケソウの群生地、八本歯の上部の岩場にライチョウの夫婦に出会いました。
平成23年7月6日撮影。

日本ライチョウの生活史は一般に
4月に番(つがい)を形成し
5月に繁殖行動を起こし、巣をつくり、産卵して
 卵を温めます。そこまでは夫婦で共同作業をするそうです。
22日間暖めて雛が誕生するそうです。
その時期は7月上旬が雛の誕生だそうです。

撮影時期は7月6日ですのに雛を連れていません。岩場を夫婦連れ立ってのんびり散歩をしています。
雛を連れて子育て行動するのは雌だけで、雄はその頃、雌と雛から離れて行きます。
この夫婦はどうなっているのでしょうか?産卵しなかったのでしょうか。心配でなりません。


ライチョウは昭和30年に国の天然記念物に指定された保護されていますが一般に日本に3000羽いると言われています。しかしここ数年、その数を急速に減らしているとも言います。
日本では北海道にはいません。居るのは中部山岳地帯の北アルプス、南アルプスだけです。南アルプスでは北岳を中心に白根三山、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

キタダケソウ

2011.07.03 19:03  投稿者:ootaminoru

山梨県でオンリーワンのもの。いくつかあるのかもしれませが。
それはキタダケソウです。

大切に、守られているから守りたい。


キタダケソウと兄弟分のヒダカソウとキリギシソウは北海道にあります。
同一の祖先から分化したものと考えられています。
氷河期が終わって間氷期にそれぞれの山に取り残され、その場所の環境に適応する進化が行われた。
しかし、素人目には区別がつかない程の変異です。

ヒダカソウはアポイ岳のかんらん岩、蛇紋岩地帯に、キリギシソウは夕張岳山系キリギシ岳の石灰岩地に。キタダケソウは北岳の局部的な石灰岩地に生えています。
共通しているのは超塩基性岩である事です。
他の植物が入り込めないほど塩基性が強い土壌で、他の植物との競争関係がない場所に生育を確保した。もしくは塩基性土壌を好む種の特徴があるのか?まだ、植物の生態は分かっていないようです。
キタダケソウは環境省のレッドデーターリストではⅡ類1Bに指定されています。(絶滅の危険が増大している種)
ヒダカソウとキリギシソウはもっと深刻で1A類に入っています。即ち...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

コノシロ池無残

2011.07.01 09:10  投稿者:ootaminoru

世の中には心無い人がいたり、行政の貧困が富士山頂上にあります。

コノシロ池の命名及びその存在を明らかにしたのは西暦870年頃の都良香であることを別項で示した。
この「富士山記」の記載は富士山頂の当時の様子を写実的に示したものと思われ、建築物であれば歴史年代からすると国宝クラスの存在だ。
特に虎岩とコノシロ池の存在は核心部分だ。

それなのに写真の通り池の中をブルトーザーが通り抜けている。両岸にブルトーザーのキャタピラの轍が残っている。
地形が変わったらどうする?
水は泥色に濁り汚い。
なんとも無神経な振る舞いに愕然としました。
昨年の8月31日にも富士山登山をしたがコノシロ池は季節的でもう涸れていたが、その窪地の場所はなんと資材置き場になっていた。

工事関係者の無知もさることながら監督関係者の無神経振りに驚かされます。

コノシロ池は三島岳の積雪が融けて火山噴出物のスコリアの間もしくは地下の浅い部分を通り抜けて窪地部分に湧水する半表流水だ。
硬いポーラスなスコリアの間隙を通過してくるので粘土部分なんか混入してくる...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(1) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

吉田ルート頂上の茶店

2011.06.30 21:25  投稿者:ootaminoru

吉田ルートを上り詰めますと久須志神社です。

その久須志神社の並びに4軒の茶店が並んでいます。
昔は石室と称していたらしい。
早朝にご来光を見てこの茶店で休憩します。大概暖かい飲み物を注文します。横になって仮眠する人もいます。大方の人は徹夜で登山道を登ってきているので疲労困憊に加えて睡眠不足で寒いです。
諸人がお世話になった茶店です。有難う。

6月29日大日岳から撮影しました。
画像の奥に鳥居が見えます。その鳥居をくぐって頂上が久須志神社です。背後の山が久須志岳です。
久須志神社の前の大きな石の標識には浅間大社奥宮と書かれています。
冨士宮口浅間大社奥宮の分社と言う事だろうか。
久須志神社の里宮である富士吉田にある北口本宮冨士浅間神社との関連がよく分かりません。


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

コノシロ池  祈武運長永  虎岩

2011.06.30 20:58  投稿者:ootaminoru

富士山なんか知っているよ

そうだろうか?
まず、山梨県人の何割が頂上を踏んでいるだろうか?
頂上に足を立てないと富士山に登った人の願いや気持ちが分からない場合だってあると思う。
県人の何割が登頂しているか?そんな統計数字は存在しないだろう。
しかし、私は50㌫を大きく割るだろうと思う。私の第六感では30㌫以下ではないだろうか。
県外者に「見て来たような嘘を言い。」である。
今年の夏は何万人登ったなんて自慢げに言わないで、まず山梨県人は自分が率先して登ってみましょう。

最初に富士山に登った人は誰でしょうか?
此花咲や姫、日本武の尊、聖徳太子、天智天皇、かぐや姫、役の行者?空海、桓武天皇これらは伝説上の人物でありその真否は分からない。

平安時代前半の学者で都良香(みやこのよしか)は富士山の頂上を見ていないと表現できないような写実的な頂上の風景を「本朝文粋」に富士山記 として書いています。凡そ西暦870年頃だろうと言われています。そのほんの少し前の貞観11年(864年)に北側斜面の長尾山付近から噴火し大量の溶岩が...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

猫坂峠延期

2011.06.28 20:40  投稿者:ootaminoru

6月25日(土)金桜神社から猫坂峠を探索する予定でしたが、仕事の都合で延期しました。

ここでは6月9日の前回の探索から得た感想と写真を添付します。

甲斐国史(文化11年1814年)によれば現在の金桜神社は蔵王権現と記されています。
蔵王権現の境内に仏式の00堂と金桜神社が並存しているように記されています。ですから僧侶と神官の両方が蔵王権現を御祭りしていたことになります。その蔵王権現の周囲の御岳村には門前町として僧侶と神官と恩師の家(宿坊)が軒を連ねていたようです。
明治維新になって現人神である天皇制を採用しましたので廃仏毀釈により蔵王権現は仏教及び修験道部分を廃棄して神社部分の金桜神社のみとした。
現在のように金桜神社という呼称は明治以降のものと思われます。



写真2
金峰山への登山道には全体として石碑が少ない。
それは富士山のように講組織が発達しなかったからではないか。

金桜神社を出発して御岳川に沿って30分くらい林道を進むと開けて御岳地区の甲府市の簡易水道処理場らしき場所に達します。
そこの草生した荒地に...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

金桜神社から猫坂峠越えで黒平へ

2011.06.25 05:06  投稿者:ootaminoru

今日、6月25日甲府市御岳昇仙峡の奥の御岳町金桜神社から猫坂峠を経て下黒平への古道を探索してきます。特に猫坂峠までを正確にトレースしてみます。

実は6月9日に同じ道を探索したのですが途中で分からなくなり間違えて古い伐採道路に迷い込み黒富士の取り付きまで行ってしまいました。
尾根を越えて何とか甲府市御岳線に出て舗装道路を歩いて燕岩を経て下黒平まで歩きました。
甲府市マウントピア黒平のオーナーの藤原さんにお伺いして教えてもらい帰路は御岳線の月見沢付近の造林地から取り付いて尾根に出て尾根筋を歩いて鞍部分と思われる猫坂峠を探しました。が見つからず尾根を乗り越えて黒富士側の窪地に出て往路の伐採道路に出てしまいました。
藤原さんは黒平の住人で40年前までは少年の頃から何十回となく猫坂峠を越えて金桜神社まで歩き、そこからバスに乗って甲府市の市街地に出たそうです。
しかし御岳線が開通して以来一度も猫坂峠へ踏み入れたことは無いそうです。
そして黒平側の月見沢からの峠道はもう特定できない状態になっているそうです。

今日は...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

キバナシャクナゲ

2011.06.23 05:58  投稿者:ootaminoru

高山帯に分布する石楠花です。
石楠花はツツジ科の樹木ですが高山にはツツジ科の植物が多いです。
いずれも低木で樹木かどうか分からないくらい丈の低い樹木が多いです。
実際、多年草の草と主張する学者が居るほどほど丈の低いものもあります。

キバナシャクナゲは花の色がクリームないしは黄色ですので花の時期は見間違うことはありませんが、花の咲いていない時期の同等の標高でのアズマ石楠花は姿かたちが似通っています。
一般にはキバナシャクナゲは葉が丸く卵形をしていると言われていますが写真の物を含めて楕円形の葉のものもあり、アズマ石楠花との区別が難しいです。
私はその場合、葉を裏返して葉の表と同じ色で緑のものはキバナシャクナゲ
茶色いものはアズマ石楠花としています。
茶色いのは細かい毛がたくさん生えているからです。
石楠花はキバナシャクナゲ以外は私の知る限り葉の裏に毛が生えています。
柔毛とでも言うのでしょうか。その毛が茶色いのです。
アズマ石楠花の花の色は高山帯ではほとんど白か、もしくは少し赤がスリット状に混じっています。亜高山...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

這い松

2011.06.22 09:46  投稿者:ootaminoru

高山帯の植物の代表が這い松です。
松の緑が地表を這って地上1メートルから2メートルくらいを覆いつくし樹海を形成しています。

その樹海の林縁にハクサンイチゲやチョウスケソウやオヤマノエンドウや黄花石楠花等などの低木や草が生えます。そこがお花畑です。

写真1と2は6月15日八ヶ岳の地蔵の頭付近で撮影したものです。
写真3は6月20日北アルプスの西穂高の独標下で撮影したものです。


両者には姿形は差異は分かりませんが恐らく1万年以上前に袂を分けてそれぞれの地で土着して世代交代を繰り返してきたものと思います。
見かけは同じでも1万年の年月を経て土着した環境になじむための努力が行われて遺伝的に変異していったものと思われます。
将来、遺伝分析が更に盛んになり植物についても容易にDNA鑑定をする時代が到来すれば、そうした高山の植物のルーツを鑑定することにより古気象学や植物叢の分布や移動などなどが解明されて行くだろう。

八ヶ岳は地理的には南アルプス北部と隣接し釜無川の狭いV字峡を隔てた甲斐駒ケ岳や鋸岳や鳳凰三山と繋がって...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

オヤマノエンドウ

2011.06.22 09:16  投稿者:ootaminoru

八ヶ岳の主峰赤岳の岩礫地に咲いていました。
花期はこれからで7月から8月初旬が最盛期です。
北アルプス、八ヶ岳、南アルプス、木曽駒が岳、御嶽山、飯豊山地に生えています。北海道には近縁種のエゾオヤマノエンドウがあります。大雪山で私は見ています。

東北地方には飯豊山地以外は見当たらないらしく中部山岳地帯に分布が集中しているようです。
秋に登山をしますとオヤマノエンドウの大きく膨らんだエンドウの鞘を見ることがありますが数は僅かで花がたくさん咲く割には結実が少ないようです。多年草ですので地下の茎部分は越冬しますが、地上部は枯れて毎年更新します。種子から発芽して新しい個体へと定着するのはものすごく少ないのではないかと思われます。

これも神様仏様が私達の郷土に与えたもうたお宝です。
郷土の山、北岳では白根お池から草すべりを登って北岳肩の小屋付近で出会うでしょう。

写真は6月15日八ヶ岳の赤岳頂上付近の岩礫地にて


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

イワカガミの花

2011.06.22 08:44  投稿者:ootaminoru

イワカガミ又はコイワカガミは山梨県の山にもあり特別珍しい植物ではない。
1500メートル以上の亜高山帯の森林の林縁や岩礫地に生えています。
標高が高くなるほど花期が遅くなるが凡そ6月から7月に開花する。
丁度梅雨の頃に登山をすると出会う花です。

横又は下を向いて咲き、なかなか雄しべや雌しべを見せてくれませんが花が終わり種になる頃は上を向きます。
花弁は花筒の中ごろまで細かく裂けて房状になっています。

自然が呉れた贈り物です。

写真は6月15日八ヶ岳の行者平にて撮影する。


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

岩鏡の葉

2011.06.21 22:50  投稿者:ootaminoru

イワカガミの和名である岩鏡は葉の形態から名付けられたものだそうです。
それは光沢のある厚手の丸い葉が鏡にイメージするからです。

イワカガミは北海道と本州の亜高山帯~高山帯の草地、岩礫地、這い松帯の林縁などに生える常緑の多年草です。

写真のものは6月15日長野県茅野側から入山し八ヶ岳の赤岳の麓の行者平で登山道脇に咲いていたものです。
イワカガミは珍しい植物ではなく、どこの山でも亜高山帯~高山帯でよく見かけるものです。
ですが、私達の住む低地には見かけません。少なくとも自然界の環境では見られません。

山に6月から7月にかけて濃いピンク色の花が咲きます。
花の種類や数が少ない梅雨期の登山を彩る花です。

イワカガミについての思い出として私のつたない経験ですが西沢渓谷の東沢を遡上して甲武信小屋へ突き上げる沢登りを7月上旬に行いました。
両門の滝よりも上部だったと思いますが一面にイワカガミがピンク色に染めて群生している半日陰の斜面に出くわしました。広い範囲に斜面に高密度に咲いていました。

又北岳の池山吊尾根コースで鷲住...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

神が与えてくれた自然遺産(ツクモグサ)

2011.06.16 17:38  投稿者:ootaminoru

八ヶ岳に生えているツクモグサは大変貴重な希少植物だ。
別項でもツクモグサについて書きましたが、氷河期の生き残りで北海道の利尻岳、ポロヌプリ山、ニセイカウッシュぺ山、二ペソツ山、芦別岳、ピパイロ岳にあって、本州では白馬岳と八ヶ岳の二箇所しかないそうです。
私は白馬岳でも見ています。
飛び地のように限定された離れた場所に細々と生息しています。
何故、白馬岳と八ヶ岳なのだろうか?神様仏様が与えてくれたとしか言いようのない氷河期からの歴史的自然遺産です。

特に八ヶ岳の場合は溶岩の岸壁に挟まれた極めて狭い範囲の草付きにしか存在しなくて絶滅の危険性がありそうに思う。
尾根筋にある草付のものは二十年以上前からそこはかとなく観察して来ましたが、ここ数年、極端に他の植生に負けて個体数を減らしているように思う。
小さな限定された草付にしか生えていないのだ。

植物図鑑に依ると、このツクモグサは日本固有種とあります。そうなんだ。
日本にしかないのだ。北方領土などに母種や近縁種の残存の可能性があるように思いますが詳細はわかっていな...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

ツクモ草を見に行こう

2011.06.15 21:30  投稿者:ootaminoru

今日、6月15日梅雨の間隙を突いて八ヶ岳のツクモ草を見に行って来ました。

山梨県で希少植物と言えば北岳に生えているキタダケ草がありますが、もう一つそれに匹敵する植物は八ヶ岳に生えているツクモ草があります。
現在満開状態です。
ツクモ草は北海道と本州では白馬岳と八ヶ岳の高山にしか生息していません。きわめて珍しい植物です。
キタダケ草もツクモ草もキンポウゲ科に属しています。後者はオキナグサ属です。

正確に言いますとその群生地の地籍は長野県になります。
しかしながら山梨県と長野県の境界線である赤岳頂上から峰を一つ隔てた尾根続きの地にあります。
植物には境界線がありません。
山梨県清里方面から牛首山経由と県境コースで赤岳に登れます。そこから尾根続きで横岳方面に40分くらいです。日ノ岳と言う場所です。

写真3は群生地から八ヶ岳の主峰赤岳(2899m)を望みます。


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

山梨市そま口の金桜神社

2011.06.10 18:12  投稿者:ootaminoru

吉野熊野の金峰山(蔵王権現)を中世の南北朝の時代に勧請したとされる甲州と信州にまたがる金峰山(蔵王権現)です。

古来、金峰山に登る登山道(山口)は甲州側に八つ、信州側に一つの合計九つあったとされています。
現在では古道の存在とは関係なしに自動車の入る林道が重機で奥まで開削されて、自動車道路の都合で大弛峠からと増富の奥の金山平からそして信州側では川上村の廻り目平からに習合して日本百名山巡りが行われています。
古来の道は現在では人が通わず忘れ去られて、崩壊が進み道筋さえ不明確になっている部分があります。
古来の登山道は金峰山(本宮)の里宮として山麓に里宮が設けられていてそこから登山道が伸びていました。
現在知られているのは南口登山道である塚原口 亀沢口 吉沢口(上道、外道)の合流点に甲府市御岳町の金桜神社があり、東側の登山道である山梨市そま口にもう一つの金桜神社があります。
現在、一般に知られている金桜神社はこの二箇所ですが、その昔はもっとあったのではないでしょうか。
言い伝えによると吉沢口(上道の入り口...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

金峰山

2011.06.08 21:39  投稿者:ootaminoru

しばらくブログを休止していました。
パソコンの不具合が発生し手も足も出ない状態が続いていました。

改めまして、山梨の観光そしてそれと両輪の地域活性化に関するブログを掲載してゆきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

5月25日山梨市側の金桜神社から柳平経由して峰越林道入り口のゲート迄自動車で入り、そこから歩いて荒川に下りて御室小屋経由で金峰山に登って来ました。
御室小屋の上の片手回し岩付近から雪が残り雪を踏んでの行軍でした。
御室小屋経由の金峰山登山道は甲州側から最も多く登られた道だったでしょう。
明治以後、登山はヨーロッパの近代アルピニズムの影響を受けてスポーツ登山として観光登山として繁栄を続けていますが、それ以前の長い日本の歴史の中で修験者を中心とした信仰のための修行のための登山の歴史が長く続いてきました。
そのメインルートが山梨市からのそして甲府市奥の両金桜神社からの御室小屋コースです。
金峰山は御嶽山とも言いますが蔵王権現山です。

写真1は 五丈岩
写真2は 御室小屋
写真3は 山梨市側の金...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(2) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

編笠岳

2010.10.26 20:51  投稿者:ootaminoru

編笠岳は何処から見ても同じ姿をしています。


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

八ヶ岳の編笠岳

2010.10.25 18:11  投稿者:ootaminoru

編笠岳の頂上に登るとその北側の権現岳、擬帽子岳を中心に阿弥陀岳、赤岳が見えます。

小淵沢の観音平から割合なだらかで短時間に登れます。
しかも展望が良いので若い女性を含むハイキング仲間が多い。

編笠岳頂上は這い松の海です。


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(1) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

巨摩地方

2010.10.25 17:18  投稿者:ootaminoru

巨摩地方のシンボル的存在の権現岳と擬帽子岳、編笠岳へ登って来ました。
古代人が居住した山麓の場所から見える山岳が自然崇拝の対処となる。

原始から古代社会に於いて、縄文人や弥生人が住んだ場所がやがて古墳時代、飛鳥時代、そして律令時代にも人の住む場所であり巨摩郡と名付けられた。
律令国家成立後の早い時期から在官人が逸見の牧として現地住民を支配したであろう。やがて口分田制度は崩壊し荘園経営となり荘園を豪族が支配した。

八ヶ岳の麓に居住した古代人は現代人よりも自然にもっと敏感であり季節と共に暮らしたであろう。お山はもう冬の支度に入っています。
2000mの山肌は落葉松の黄葉の盛りでした。何度も鹿の鳴き声を聞きました。猪が落葉のある土壌をひっくり返した跡が沢山残っています。
それらの獲物を古代人は追いかけ山中を駆け巡ったであろう。

編笠岳の頂上には僅かな這い松の群落があります。
2524㍍のこの山は周囲と孤立した状態で這い松が残っています。

写真1は右側から甲斐駒ケ岳、北岳、鳳凰三山が並んで山脈をなしています。
八ヶ...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(1) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

錦織りなす高山の景色

2010.10.13 20:09  投稿者:ootaminoru

上高地入り口の焼岳の景色です・
昨年の年末に膝の関節を痛めて養生を余儀なくされて殆ど登山が出来ませんでした。
やっと彼岸頃から痛みが取れて半年振りの登山として比較的楽に登れて紅葉を楽しめる北アルプスの焼岳にしました。復帰第一線です。
これから冬の時期は山梨県内の山梨百名山をひたすら回ることにします。

写真は長野県ですが高山帯は何処も私達の住む世界とは別天地です。
山梨県の2500メー散る以上の山へ行ってみましょう。
江戸時代、富士山の5合目の森林限界帯から上部は神の国ともあの世の国とも言ったようです。


写真1は焼岳の山体を飾る紅葉です。

写真2はナナカマド

写真3は黄色の岳樺とナナカマドの林の向うに右から明神岳のぎざぎざ、中央が前穂高岳です。

来年は来たアルプスにも登るぞ。


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

今福丸

2010.10.10 18:03  投稿者:ootaminoru

10月1日から甲府駅北口広場に藤村記念館がオープンした。

明治維新後の地方の姿を偲ぶ拠点が駅前に出来た。
尊皇攘夷、薩長同盟、大政奉還、明治維新となった。
文明開化で近代化(西洋化)政策と富国強兵、殖産興業、インフラ整備、官立工場の建設、地租改正(税制の見直し)、教育の徹底、戸籍制度の確立などなど改革が進められた。
その山梨県を引っ張る県知事(県令)として赴任して来たのが明治6年若干29歳の藤村紫朗であった。熊本藩の官軍側の人だったので中央政府と密接な関係を持っていた。
明治15年まで国家が地方へ補助金を出して殖産興業を進める地方近代化の尖兵として豪腕を振るった。公共土木事業などインフラ整備と県立の紡績工場や県立試験所を造り産業の活性化を目論んだ。しかし中央政府は国家財政が破綻を来たし地方に補助金を一切出さない政策を断行した。世に言う松方デフレ政策だ。
藤村県令は豪腕を振る金銭的な後ろ盾を失い、議会も補助金なしの事業には消極的で情熱を失いそれ以後は鳴かず飛ばずの時代に入る。
山梨県として藤村県令の前半...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

高速バスで大阪へ

2010.09.18 16:25  投稿者:ootaminoru

甲府駅~大阪(梅田)夜行便で今夜発ちます。


所用時間は夜行便で9時間16分
昼間便で7時間37分です。

やっぱり大阪へは遠いなー。
大阪への往来は少ないだろうし同じ経済圏に入らないだろうな。

そこで出て来るのがリニアー新幹線だ。
ストロー効果が心配だ。
今から心して鍛錬をしておくことなのでしょうが、、、、、、、。

大阪から山梨を眺めてみなす。


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

時代の顔

2010.09.18 15:16  投稿者:ootaminoru

武田神社に二種類の動物彫像があります。
その動物は武田神社に対するその時代の想いを塗りこんでいると思う。
時代の移り変りを山梨県民の身近な神社に見る思いがします。



写真1は 平成の世の作品だと思いますがキテーちゃん?です。
写真2は 昭和13年製の狛犬さんです。
     この昭和13年に国民総動員法が施行されて赤紙が発行されるよう     になりました。

キャラクターの異なった動物彫像が同じ武田神社の境内にあることの不思議さを時代の流れのなかに感じてしまいます。

写真3の鳥居は大正8年製のものです。この大正8年は武田神社が出来た年です。武田神社の創設は山梨県民の心を一つにしてモチベーションを高める為に郷土愛を共有する為のシンボルだったんだろう。

武田神社創設期の郷土愛育成時期、そして国家総動員法の最前線、戦意高揚の時期、そして平成のよき時代。
私達は何処から来て何処へ行くのでしょう。


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

水に流す

2010.09.12 16:49  投稿者:ootaminoru

水に流す。=無かった事にする。
これも山梨県の文化だと思う。


昔は人間同士のコミニュケーションだけでなくもっと多くの物資を水に流したのだろうな。

現在、都市部のお台所の洗い水、洗濯水、お風呂の水、トイレの水は浄化用水路に流されます。
この生活排水は終末処理場に暗渠で輸送されて浄化処理して河川に開放されます。
これが現在の一般的な都市部分の公共インフラであり、それに伴った生活規範になりつつあります。

しかし、人間関係の「水に流す」は元々川に物を捨てることだったのではないだろうか。その分野では未だ山梨県の近在の農家にその風習が生きています。
昔は圧倒的に自然が人間より勝っていた。物を流す慣習は下流域や他人のことを考え無くてもそれ程悪い影響を与えない程度だったのだろうと思う。
人糞以外の全ての生活排水は川に流されたのだ。

しかし、これは表面的な見方かも知れない。ここには一定の百姓同志の掟があったようで農作物の出来損ないの果実と桂川水系では木灰などに限定されていたようだ。
容易に腐って、融ければ姿が無くなるものであ...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

山梨が22世紀に繫ぐもの

2010.09.08 10:25  投稿者:ootaminoru

山梨県の北杜市清里周辺で最近外国人による土地の取得が盛んだそうだ。
主に中国系の顧客が多いようだ。
その購入目的は明らかではないそうですが、森林、耕作、水資源確保の為の先行投資とも考えられるとか?叉はそれらの資源のマネーゲームの対象として狙われ始めたとも考えられるそうだ。
外国人が個人の将来の住処として別荘地の取得であればグローバルな時代として好ましいかもしれないが、地域社会全体の公共に将来、影響しかねない不動産売買に外国人の取得に何らかの法的措置や使用制限なり公共性とのマッチングを考慮した処置が必要ではないかと思う。

昨日の9月8日NHK総合テレビ「クローズアップ現代」で外資が狙う森林買収目的は?はそうした最近の国内事情を取り上げたものです。
既に北海道などでは外資系の資本による森林を含む不動産の取得が進んでいるそうです。

山梨県の山梨県たる財産は空気と水と森であり東京に近くオアシス的な環境は今後益々付加価値が増す存在だと思う。

例えばの話であるが数年前にミナラルウオー税を県税として嫁すべきだと県庁...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

浄土真宗王国で日蓮宗のお葬式

2010.08.14 17:23  投稿者:ootaminoru

北陸富山県で日蓮宗のお葬式に行き会いました。

北陸三県、福井、石川、富山県は歴史的にみても圧倒的に浄土真宗が多い。
それなのに、何故富山市で日蓮宗なの?
遠い戦国時代の際に武田信玄は上杉と戦う時に川中島から日本海に抜けて上杉の北陸進出を阻みましたが一方、松本平から飛騨を経て神通川を北上して越前の一向宗と手を結び上杉勢の進出を阻みました。

初七日の時に和尚様にどうして富山に日蓮宗なの?と伺うと加賀百万石の前田家と富山の藩主の前田家は禅宗(曹洞宗)と日蓮宗を宗門とし夫々菩提寺を持っているのだそうです。
砺波平野の散居村が有名ですが一向宗(浄土真宗)の勢力を削ぐ為の政策だったとも言われています。その真否はここでは不問にしますが宗教集団を恐れた為政者は民衆とは別なもの、即ち浄土真宗以外の他宗派を採用したものと思う。更に二つの宗派を持つことは思想や哲学上は奇異な感じがするが政治的に二つの宗派を持つことに依って宗教に政治が利用されることのない体勢を敷いたものと思う。私の個人的な推測ですが。

多くの藩の多くの大名...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

ブラジルの高速鉄道入札

2010.08.05 19:58  投稿者:ootaminoru

産経新聞8月1日紙面に依ると8月12日にブラジル高速鉄道の入札が行なわれ落札者が判明するそうです。
日本からも入札に参加する(三井物産を幹事会とする日本聯合チーム)とみられますが、フランス、スペイン、中国、韓国が入札に参加します。
落札の条件は価格で、日本の高いと言われている技術力や安全性などなどは既に入札参加資格審査の段階で各国プロジェクトとも基準を通過したとみなされているそうだ。
日本は速度運行の正確性や新幹線の技術力で優位だけれども、入札の条件には生かされないらしい。
現在のブラジルは毎年8パーセントの経済成長し好景気だと言ってもこの多額なプロジェクトにはブラジル国内の世論としていろんな意見があり開発効果を疑問視する人も多いそうだ。その一つは既存の航空機網との競合だ。
そこで金額を抑える見地から一番コストの安い国が落札すると思われている。
価格だけの競争になった場合は中国が一番有力視されています。

日本円にして1兆7千300億円の大型プロジェクトですがブラジルの近代化には大きく重要なインフラ整備...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

富士山文化世界遺産推薦書原案提出1年延期

2010.08.01 19:24  投稿者:ootaminoru

世界遺産登録されることは一流の景勝地である事のお墨付きを得て商売繁盛に役立てる事が目的である。だから富士五湖地方の自治体や観光協会、各種団体は積極的になってきた。部外者にはその様に見えます。

そうではないのだ。
人類を代表する遺産の保存や管理に携わり永代まで人類の財産を守る運動なのだ。

ここに、現実の利益を追求する勢力と理想の理念との間の落差を感じます。

オリンピックの精神は勝つ事ではなく参加することであり、平和の祭典なのだ。戦争と戦争の狭間に叉は戦争の最中に一時停戦し平和のありがたさを噛み締める為の政治的な演出の共存へのショウなのだ。
しかし現在のオリンピックは勝つ事に意義があり開催国は国威掲揚でありその後の世界政治や経済への存在感を出す事に意義がある。国益のモーメントが高い。

なかなか建前と本音は一致しない。離反の程度が拡大している。

今、富士山世界遺産登録に際して山梨県と静岡県は二足の草鞋に生みの苦しみでもがいています。特に山梨県は著しい。
場合によっては富士五湖を遺産登録から外した認証とするのか...


>>続きを読む


コメント(1) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

私達はどこへ行くのか?

2010.07.28 10:25  投稿者:ootaminoru

2030年石油枯渇?!を想定せざる終えない状況だそうです。
どういう機関が言っているの詳細は分りませんが何れ遅かれ早かれ枯渇する事は確かと思われ信憑性を感じます。そうしたエネルギー不足の時代と化石燃料を燃やす事による環境の悪化、生態系を著しく損なう事を想定し、人類はシフトして行き事が望まれます。
叉今後地球全体の人類が南北問題や先進国と後進国などの地域や国による格差が是正されてどちらかと言えば均一に中間層として生存する傾向が強まるだろうがその場合、食糧問題が深刻になるだろう。
食糧が絶対的に不足なのだ。

富士川町教育委員会、県立山梨大学講座主催の富士川町民会館
7月24日午後1時半
第一回 私達は、どこから来て何処へ行くのか?
講師:山梨県立大学 学長 伊藤洋
*前回のこの講座の案内で伊藤洋学長を理事長と誤って記載しました。深くお詫びして訂正させて戴きます。

講義の内容は地球の誕生から生命の起源、太陽エネルギーを摂取する植物の誕生から植物を捕食する昆虫や動物の出現。更にその昆虫や装飾棒物を捕食する肉食獣の...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

私達はどこから来て、どこへ行くのか?

2010.07.23 17:48  投稿者:ootaminoru

第1回7月24日(土)午後1時30分から
 「私達はどこから来てどこへ行くのか」
  富士川町民会館(旧増穂町の青柳)
  講師:伊藤洋 (山梨県立大学理事長)

 この3月に増穂町は合併して富士川町となりました。
増穂町時代の6年間、「峡南の歴史と文化を学ぶ会」が峡南の歴史や人物について講座を開き温故知新に努めて来ました。
私は峡南地区の住人ではありませんが講座の質の高さ及び地域社会にあってスポットイベントではなく一貫した地域社会をテーマにして講座を継続して来られた事は他の地方自治体には皆無であり、関係者の地域への情熱と地域社会の融合と絆を深める地に付いた活動に引かれて常連として参加させていただいてきました。中巨摩郡の中央市在住。
この度の合併により峡南の歴史と文化を語る会は今年度[富士川町教育委員会と山梨県立大学の主催]との共催で「地域学講座」を発展的に解消講座を開くことになりました。
題して 学習会「富士川町起点の元気印やまなし」

第1回  7月24日 私達はどこから来てどこへ行くのか 伊藤洋
第2回 ...


>>続きを読む


コメント(2) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

鮎の塩焼き

2010.07.22 18:35  投稿者:ootaminoru

香魚、鮎の塩焼き

どうして山梨県にはお盆の時期に鮎を食べる風習がないのだろうか?
長年、私の不思議です。

地方のおもてなし、郷土料理と言えばお盆の時期は鮎の塩焼きです。
山梨県にも釜無川と笛吹き川がありますがお盆の親類筋の寄り合いや法事の料理として鮎をおもてなし料理として振舞う社会的風習がない様に思う。
石和の鵜飼は長良川よりも古く平安時代からだとの伝承があるそうですが、鵜飼の獲物は鮎だったでしょう。それともハヤなどの他の魚種なのだろうか。
その昔から鮎を食べる事は食べていただろうが地域の風物として何時の時代にか断絶し定着しなかったのかもしれません。

現在の鮎はその殆どが琵琶湖で生まれて育った稚魚を持ってきて放流したものだそうですが、その昔は各水系に定住し世代交代を繰り返してきた本当の地物だったのだろう。各水系固有のDNAを持つ鮎だったでしょう。
内陸地の山梨県にも鮎がいたはずだ。
それがどうして?

今の石和の鵜飼は故事を伝える為のただの見世物で鮎を食べる文化が地域社会の甲州から廃れてしまったと考えて良いの...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

富山駅前のシンボル

2010.07.20 20:08  投稿者:ootaminoru

富山県の県庁所在地、富山市のJR富山駅前の県のシンボルは売薬さんです。
富山県は中世の佐々成正以来、石川県の前田利家の支藩である前田の殿様(藩主)がいました。
しかし、富山県のシンボルは売薬さんです。

このブロンズ象は昨今の建設ではなく富山駅の整備、市街化区域の整備の時期のものです。凡そ昭和30年代後半から40年初頭かと思います。
庶民の商業活動を県のシンボルにしています。
現在、売薬が富山県の産業経済に占める割合がどの程か知りませんが、庶民を主役にしたことは例を見ないように思います。
7月20日の北日本新聞に依りますと伏木港からナホトカ行きの定期貨物、旅客便が韓国の水運会社の肝いりで決まりそうだとか。
ロシア向けの中古自動車の輸出はロシアの輸入関税引き揚げで低迷をして来ましたが部品輸出に切り替えるなどなどで活況を呈してきたのだそうです。
時代は更にグローバルな時代です。

どこの県もイメージ戦略にやっきになっています。
当地の地方新聞を読みますと、地域活性化、観光資源の紹介などなどに関する記事が盛りだくさん...


>>続きを読む


コメント(1) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

珍しい落し物から大洪水を予測する

2010.07.16 18:30  投稿者:ootaminoru

船津口登山道の昭和39年以前のバス道路を歩いて珍しいものが落ちていました。
二箇所に落ちていました。
何れも白骨です。
写真のものは最初のものから15分くらい歩いた場所のものです。
距離にして1kmくらい離れているでしょうか。
大きさは7センチくらいで先端が齧られて割れています。狐などの肉食動物がかじったものと思われます。

写真には撮影しませんでしたが最初のものは長さが30センチくらいあって両端は関節の部分で膨らんでいました。
距離は離れていますが同じ場所から狐などにより拡散し運ばれたものではないかと思います。

何れも新鮮なものであり、風雪に晒されて、炭酸カルシュームが酸との中和現象で表面がザラツイたりポーラスな状態になったものではなく光沢のある緻密で重いもので極最近、白骨になったと思われます。
恐らく鹿などの哺乳動物の骨と思われますが、万一そうでなかったならば事件な訳です。
私には鑑定眼がありません。
往路では帰りに拾って一応警察に届けようかと考えましたが、かなり遅い時間になってしまいましたので、調書を取ら...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

富士山麓オオム鳴く

2010.07.13 20:51  投稿者:ootaminoru

ルート5は富士山麓オオム鳴くです。
懐かしいなー。高校時代が最後でそれ以来一度だって富士山麓オオム鳴くに出会うことがなかった。恐らくこれからも死ぬまで出会うことはないだろう。
私にとっては無駄な学問だった。
受験のための選別される道具としての勉強だった。

一方今回の船津口登山の道探険では富士山麓吾妻シャクナゲに沢山出会いました。

人の通らない即ち人に見られることのない旧船津口登山道沿いのシャクナゲです。
山麓に沢山咲いています。

うっそうと茂る針葉樹の森に突然開けて明るい場所があります。
人為的に針葉樹林帯を伐採した跡だろうと思いますが火山噴出物のスコリアが露出して砂漠状になった場所を幾つも通過して行きます。
一度伐採したり何らかの力によって森が破壊されると、なかなか元には戻らない。
そうした明るい広場の周囲には吾妻シャクナゲがいっぱい咲いています。


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(3) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

犬が幸せな地域社会とは?

2010.07.11 07:35  投稿者:ootaminoru

本の広告だったか?犬は人間の三歳児の知能しかないそうです。
ですから都市化した高度な文明と文化を誇る人間社会にあって共存して生きてゆくには犬は人間から離れて自立生活を営む事は無理であり人間に依存して生きてゆくより仕方がない。そんな内容だったと思う。

現実には犬は個別の飼い主に依存しているので飼い主の考え方、飼育力が犬にとっての幸せ度を大きく決定しているだろう。

しかし、社会的な動物である人間に置き換えてみると解かるけれども、人間は職域や地域社会、家族の中で所詮生きてゆくものであり、自分だけ閉鎖された場所やの力だけでは生きて行けない。
犬が幸せに暮らす事の出来る地域社会とはどんな環境だろうか?
電信柱が多くあるだけでは不足です。

逆に考えると人間社会の中で共存し犬が幸福に暮らせる地域社会は人間にとっても幸せな地域社会であろう。
犬の本来の生命力を燃焼させるようなイキイキした生活が人間社会の中で保証されるならば、それが人間にとってもプラスに働く環境なのではないか。

人間の幸せは人間だけの尺度だけでは行き詰る...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

亀の甲羅干し

2010.07.09 10:36  投稿者:ootaminoru

亀の甲羅干しを見たことがありますか。

動物園に行っても意外と自然の生活環境で観察することが出来ないかもしれません。

甲府舞鶴城公園の堀には晴れた暑い日には石の上に沢山の亀が甲羅干ししている姿を見ることが出来ます。
晴れた暑い日でないと駄目です。
6月29日のこの日も30度を超える暑い日でした。

甲羅干しもそうですが首と手足をいっぱいに伸ばしています。
体温を上げようとしているのでしょうね。
変温動物といったかな。外の環境によって体温を変える仕組み。
寒いときにはじっとしてエネルギーの損失を抑える。
省エネなんですね。その分、長生き出来そうですね。


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

トビウオ

2010.07.09 09:30  投稿者:ootaminoru

トビウオの塩焼き食べたら夏がきぬ。
旬の味。昨晩のおかずはトビウオにしました。
甲府市中央卸売り市場から手に入れました。

山梨県は富士川河口から90km位しか離れていないのに近代化以前の要害の地を思わせる。それはこの時期の旬の魚であるトビウオを食べる慣習がない事だ。夏の鮮魚は甲斐の国には入ってこなかったのだろう。
たかがトビウオと思うかも知れませんがこれが地域社会の固有の文化なのだ。
マグロは沢山食べる。これも山梨県の歴史的な文化なのだ。

煮貝は山梨県の名物だそうです。しかし山梨県内の人は県外の人をもてなす為の贈答用に使うもので山梨県人は食べないものかもしれない。

トビウオはオイラの思い込みかもしれませんが太平洋の南海の孤島を想像します。

トビウオは外洋を回遊する魚です。春には八丈島付近で獲れるそうですが、現在のものは石巻からのものです。
トビウオにも種類があって全部で50種位あるらしい。
6月21日にも買って来て食べたのですが今回も塩焼きにして食べました。

ブラジル籍の子供達に羽を広げてトビウオが海上を滑空...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

7月7日暫定船津口登山道を登りました。

2010.07.07 21:40  投稿者:ootaminoru

標高1870㍍地点から四合目小屋跡まで往復して来ました。

生憎の雨、それも1870㍍付近から降り始めて四合目小屋跡付近では土砂降りの雨で結局その間の写真は一枚も撮影できませんでした。
ヤケクソデ小屋跡の廃屋の陰でザックから写真機を取り出し胸に写真機を押し当ててフードを屋根の庇にして数枚撮影したに過ぎません。
途中の行程を証拠写真として1枚も撮影できませんでした。

写真1枚目は踏み跡のハッキリしている1870㍍地点です。
     この付近から雨が降る始めました。
     ここから先は獣道同然のヤブ漕ぎの連続です。

写真2はヤブ漕ぎの潅木地帯です。
     古い時代に針葉樹と思われる大きな樹木を伐採した切り株が残っ     ています。
     ですからシャクナゲなどの潅木が密集して生えています。
     溶岩地帯で一度伐採してしまうとなかなか元には戻りません。
     密集した針葉樹と潅木の混交林です。

写真3は精進口四合目の合流地点の小屋跡です。
    


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(2) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

明日、船津口登山道を辿る

2010.07.06 21:41  投稿者:ootaminoru

人が通わぬ故に森林に埋没して失われてしまった登山道、富士山船津口に明日(7月7日)チャレンジしてみます。

私のブログを見ていただいた富士登山サイト「ルート5」のマサさんから先般有力な情報を含むコメントを頂来ました。本当に貴重な情報でありがとうございました。

彼は暫定ルートと名付けて共通認識の標高1870メートル地点からほぼ直登で、断続的にかすかに残る踏み分け道を辿り精進口四合目合流点の2060㍍(四合目小屋跡)に到達したそうです。
しかしこのルートは彼に言わせると、本来の古登山道から少し外れているかもしれないと。
その情報を元に私は明日7月7日、暫定ルートを辿ってみます。
現在7月6日午後8時、雨が降っています。
明日の天気予想は午前午後とも50パーセント降雨。
多少の雨は我慢するとして、、、、、、降雨が最大の敵になりそうです。
行けなかったら、行かなかったらどうしょう、、、、。雷雨、激しい雨で言い訳をしよう。

写真1は富士山周遊5万分の一山岳図
    明治19年~明治29年測量、平成2年~平成8年修正

写...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(1) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

サッカーワールドカップアフリカ大会の面白さ

2010.07.04 08:27  投稿者:ootaminoru

オリンピックは開かれた平和の祭典で多くの国が参加しています・
種目別に見た場合は必ずしも経済大国が金メタルを採るとは決まっていないが、国単位の総合成績で見た場合は経済力がメダル獲得数と相関関係にあるように思う。即ちスポーツのデパートではやはり経済大国がメダル獲得数が多い。
スポーツを一つの文化の尺度で見た場合、文化を国際的な共通のルールで表現した場合、富める国はここにも文化が高いという事になってしまう。
金が全ての尺度の中心、幸せは金がもたらす。
日本は近代化、西洋化に130年前から取り組んだ。途中一度の挫折を味わったが東洋では一番初めに近代化に取り組んで来た。
つい最近、中国は近代化に入った。北京大会では中国のメダル数が躍進した。

メダルの数は経済力だけではなく外国に対しては国の威信に掛けて、国内的には国威掲揚の為、国家戦略として組織的に取り組んでいる国もありそうです。


一方、サッカーワールドカップアフリカ大会の予選通過チーム16は次の通りです。
オリンピックとは別なチャンネルを見ることが出来る。
必ず...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

暑いときにはアイス

2010.07.02 10:42  投稿者:ootaminoru

「暑いときにはアイス」

野外授業だ、観光だ、地域活性化とか野生動物保護、地球環境の保護だとかいろんな理屈を言ったところで、やっぱり暑いときにはアイスなのだ。
どこのイベント、お祭に行っても、信玄公祭や十日市も例外ではない。
目新しい物やそこだけの限定品、特産物品なんて何もない。
子供たちは売店の前で動かなくなってしまいました。
カテゴリ「歴史文化産業」を超越した基本的な事なのだ。

女先生は仕方なくアイスを振舞う事になってしまいました。
生徒を介して男先生は何が欲しいかと聞いてきたので「私は要りません。」と答えました。生徒は女先生のところへ走って行った。
あれ程、ペットボトルの350mlに水を入れて持たせて下さいと頼んだのに。

子供は大きくなったら動物園で何を見たかは忘れてもアイスの味は覚えているだろう。それで良いのだ。人間は年齢と共に成長してゆくものだ・

甲府市遊亀公園附属動物園にて 
平成22年6月30日

追伸:暑い盛りにライオンのオスを正面から撮影できたことは奇跡に近い。
丁度、その頃に餌を食べさせるようにし...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

蛍と蓮をつなぐもの

2010.06.28 17:28  投稿者:ootaminoru

釜無川に近い昭和町の押原公園の蛍と甲府市の南部、笛吹川に隣接する落合の蓮をつなぐもの。
それは釜無川の水脈です。

「今回、落合の蓮は撮影できなかった。実際には蓮の写真は荒川、濁川を超えた笛吹市砂原のものですが、蛍と蓮を繫ぐものは水脈であり水系なのです。」

写真2で釜無川水系は本流は真っ直ぐ下っていますが今尚、水門から取り入れられた中小河川は左上の釜無川竜王から甲府盆地のほぼ中央を斜めに下り現在は荒川に遮断されて中央市の乙黒で笛吹川に合流しています。

中央のやや右側の上から縦に荒川流路、そしてその右側に濁川流路が夫々笛吹川に合流しています。

武田信玄が竜王で信玄堤を築き始めた事によって流路の南進化が始まり現在の釜無川の川筋の土台を作りました。実際は江戸時代に累々と工事を継続して完成させたものです。
それ以前の釜無川の流路は竜王から昭和町を流れる現在の中小河川(鎌田川、山伏川明神川など)が本流で斜め右下に下り荒川と合流して現在の荒川筋ではなくそのまま右下方向に進み濁川流路と合流して落合で笛吹川に合流して...


>>続きを読む


コメント(2) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

山梨県 蓮 蓮根

2010.06.27 19:05  投稿者:ootaminoru

「山梨県、 蓮 蓮根」の語彙を入れてインターネットで検索してみました。
たった一件だけ中央市の教育委員会生涯学習課で市内の見所紹介の広報用に出しているブログに中央市の妙泉寺の境内で観賞用に栽培している蓮の花の掲載記事がありました。それも2009年のものです。

山梨県には農として栽培する蓮根は馴染みがないこと改めて知りました。

甲府市中央市場の青果部門には蓮根が入荷しています。
食べる事は食べているんだ。
その多くは千葉県産や茨城県、群馬県産のものが多かったと思う。利根川流域や霞が崎のものだ。

山梨県でも農業として栽培している蓮田があります。
それは甲府市の落合地区と濁川を超えた笛吹市側の砂原地区です。
落合地区はその昔(20年ほど前)はかなり広い範囲で栽培していた記憶があって平成22年6月27日撮影の為に尋ねて行ったら蓮畑は消滅していました。

恐らく山梨県で現在蓮根を栽培している地域は笛吹市(旧石和町)砂原地区だけかもしれません。北巨摩の海岸寺付近でも見たような気もしますが1面だけだったような気がします。
...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

釜無川伏流水がもたらす源氏ボタル

2010.06.27 08:30  投稿者:ootaminoru

 昭和町鎌田川流域に広い範囲で源氏ボタルが沢山生息していた事は甲府盆地の形成や河川の流路に関係する歴史的な地史にかかわりを持ちます。
河川がもたらす過去の地質形成とその自然堤防や人口堤防の後背微高地に住む人々の村とのかかわりの上に成り立っている事であり今後の昭和町の源氏ボタル再発生地への取組みが地史を再認識するものと期待されます。
昭和町の源氏ボタル発生の要因は釜無川の伏流水がもたらした清涼な湧水が原因です。

甲府盆地はその昔八ヶ岳泥流等で何層にも堆積しその上に釜無川と笛吹川と荒川、濁川などなど周囲の山々からの急流が押し出す河川から吐き出した土砂が扇状地となって盆地の表面を形成しています。
その内、旧竜王町、甲府市南部の広い地域、昭和町、旧玉穂町は釜無川からの土砂層から出来ています。
中世の武田信玄が竜王河原宿、その後に竜王新町を作って川除けを行ないますが、それ以前は現在の信玄堤から釜無川の本流が東南方面に流れていたものです。
甲斐国志では次のように表現しています。
竜王の出崎より東に向かい志摩荘の南...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

昭和町鎌田川流域の源氏ボタル

2010.06.23 08:20  投稿者:ootaminoru

甲府盆地のど真ん中に源氏ボタルが沢山見られた地域がありました。
昭和町の源氏ボタル発生の地です。

県道市川三郷線(県道52号)で甲府市の最南端である国母地区に隣接する昭和町の西条、押越そして押原、紙漉阿原、常永地域に、かつて沢山の源氏ボタルが見られました。
過去形で書いたのは昭和5年に国の天然記念物として源氏ボタル発生の地として指定されますが昭和30年代から数を減らして昭和51年にボタルの発生地の天然記念物指定を取り消されています。その後も殆ど蛍が見られなくなりました。

しかし現在、かつての源氏ボタルの生息を取り戻そうと昭和63年から幼虫を放流し放流した蛍の幼虫が成虫になって卵を産み次世代に血の連係を伝えて世代交代を繰り返す天然の蛍の生息域を取り戻す取組みが行なわれています。
昭和50年代に完全に絶滅したと思われていた蛍ですが昭和62年に鎌田川の南の支流、山伏川に蛍が見つかりました。昭和町役場そして住民は元気百倍勇気が湧いて蛍発生の地の復活に向けて取組みが開始されました。
一度数を減らした源氏ボタル...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(1) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

梅雨の季節を楽しむ

2010.06.23 07:14  投稿者:ootaminoru

アジサイの花は梅雨の季節を楽しませてくれます。

県の内外にアジサイ寺があります。私も例年、増穂のアジサイ寺(小室山妙法寺)に行っています。癪の種は観覧料200円が必要です。

甲府城の稲荷櫓下の公園にもアジサイが咲いています。
観覧料は無料です。
ですが駐車場がありません。周囲の民間の駐車場に車を入れるともっと高い観覧料金になります。
ただ(無料)ほど高いものはない。こちらも癪の種です。

信玄公祭の時だけではなく四季折々の公園の風情を楽しんでいただきたい。
私は公園を管理する立場にありませんので偉そうな事は言えませんが毎週火曜日にお城に来るのをウイクリーの仕事としている者です。
ぜひ多くの市民が憩いの場所として都市公園を利用して頂きたいと願わずには居れません。
その市民の群像の向うに県外からの、海外からの観光客の人の存在が見えるからです。


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

お堀の生き物

2010.06.23 04:48  投稿者:ootaminoru

山梨県の最大の都市のど真ん中。
その都市のお堀の中にも生物が暮らしています。
人工的に造られた環境(入水排水)ですが極力人間が立ち入らなくてほったらかしにされていることが返ってその生き物にとって暮らしやすい環境を提供しているのかも知れません。

写真には写っていませんが水鳥の鴨や鯉の他ハヤなどの小型の魚がいます。

ただこんな事がありました。
5月25日、甲府城の東側に巽曲輪(数奇屋曲輪)と稲荷曲輪がありますがその曲輪の接合部分の外側には甲府城最大の17メートルの石垣があります。石垣の下はぐるりと取り囲んで、内堀があった場所ですが現在は道路になっています。
その道路の歩道部分にお堀の住人と思われる大きな亀がいるではありませんか。
現在残っているお堀の東の端から凡そ75メートルくらい離れている場所ですし、コンクリートとアスファルトですっかり舗装された場所です。
父の部分は全くありません。
お堀の排水場所は金網が施してあり安易に堀から逃げ出す事は不可能です。
恐らく、堀の東側に高さ50センチくらいの石垣がありますが...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

カメデス君は脱皮するんだそうです。

2010.06.22 19:31  投稿者:ootaminoru

「カメデス君」全国放送で紹介されすっかり有名になりました。
県都市計画課だったか土木事務所だったか捕獲作戦を繰り広げましたがなかなかすばしっこく捕獲が出来ませんでした。
先週の火曜日、タモ網では無理なので投網を使って捕獲すると言っていたのでその後に投網で掴まえたのでしょうか。


甲府城のお堀に誰かが放したカメデス君は在来種ではなかったらしく、生態系が破壊される危険性がある為にこのままお堀で暮らす事が出来ないらしい。
生態系が破壊されるとは例えば在来種との雑種が出来るなどのことなのだろうか。
背中のカメデス表示は脱皮すれば自然に消えるそうですが現在捕獲されて甲斐水産技術センターが暫く預かる予定だそうです。
県は飼い主の募集を検討するそうです。

以上が6月22日(火)の山梨日日新聞の記事の要約です。

写真は6月22日のお堀の在来種の亀です。
写真1は日向ぼっこをしている亀の居る岩に接近して上陸しょうとする水中の亀

写真2は二匹が重なるようにして日向ぼっこを始めました。上陸した亀の甲羅は濡れていて黒く見えます。
大き...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

甲府市中央卸売り市場

2010.05.29 18:32  投稿者:ootaminoru

甲府市中央卸売り市場風景です。

朝4時前から市場関係者は動いています。
仕事とは言え、冬も夏も変ることがありません。
冬の厳寒期、一番冷えるのは4時頃ではなくて夜明け前の午前6時ごろです。

山梨県人は魚と言えばマグロです。
しかし、そのマグロの消費量が減って来ています。
少なくとも甲府市中央卸売市場経由のマグロは減ってきています。

山梨県人が食べる魚介類の種類が少ない。従ってその加工メニューも少ない。
魚介類についてだけ言えば山梨県人は魚介類の食文化が低いと言えます。
地域の文化や風景がその地域の観光資源であって竹に木を継ぐ事は出来ません。
これでは観光客に食文化面からは、おもてなし出来る風土に不足していると思います。

マグロの消費が減ってきているのは無尽や忘年会などなどの大人数での会食が時代の流れで減ってきているからでしょうか。
叉は大型チェン回転寿司などなどの魚介類を食べさせる店は県外から直接仕入れている割合が高いからだろうか。

いろんな魚種をいろんな加工方法で料理して旬の時期に県民が季節の味として楽しんで食...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

マグロの目利きから見えるもの

2010.05.29 17:59  投稿者:ootaminoru

競(せり)の前に切り落としたマグロの尾に近い部分の肉が仲買人に公開されています。
仲買人はこの肉を見て、ピックで少しこの部分をほじくり肉片を指で潰してみて、食べてみてマグロ全体の品質を鑑定するのだそうだ。

懇意にしている仲買人に窺いますと外観は同じようでも肉質は千差万別だそうです。
肉質を分けるものは何なのでしょうかね。
鮮度。そんな基礎的なものではなさそうだ。

100グラム150円の牛肉と100グラム1万円のステーキ牛肉は飼料や飼育管理にありそうですが大洋を泳ぐ自然界のマグロに差が出るのは不思議です。

甲府市中央市場の魚部門のマグロ競場にて撮影
平成22年5月29日午前6時半

東京築地のマグロの競は観光客に大人気だそうで、連休は押すな押すなの見学希望者が殺到しそうなので立ち入り禁止にしたそうな。
一方、甲府市の卸売市場は観光客ゼロで関係者のみでスムースに競が行なわれています。オイラは仲買人でも競の関係者でもないけれどもほんの少しだけ関係者なのでお願いして写真を取らせてもらっています。ここのところを厳密に...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

お招来(おしょうらい)

2010.05.27 21:58  投稿者:ootaminoru

毎年、八月七日はハナ火の日で市川三郷町の神明の花火だ。
5月も、もう末でこれから一気に夏になる。そしたらお盆だ。

市川の花火を観てお墓参りを済ませると秋の風が吹く。

半年振りに群馬県から息子夫婦と四歳になる孫娘が来た。
今度は孫に何時会えるか分らないのでお墓の父にひ孫の健康を報告方々挨拶のつもりでお招来をした。
父は息子の結婚式に出席して間もなく他界した。

私は子供の頃、何度もお盆の時期に父母に連れられて大阪から父母の里(富山)へ行きお招来をしたものだ。
富山市の神通川の土手の上で夕方日が暮れてから「おしょうらい、おしょうらい」と連呼して松明を大きく廻すのだ。
それは花火の原型だと思う。
そのお招来の文言がどのような意味を持っているかを知ったのは随分後のことだった。

神明の花火は祖先の霊を呼び寄せる道案内の松明だと思う。
だから神明の花火なのだと思う。
今年も神明の花火を観に行こう。

祖先の霊は通常、山に居て私達末裔の生活を見守ってくれています。
年に一度の里帰りがお盆の儀式なのだ。


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

嫌われ者

2010.05.26 07:50  投稿者:ootaminoru

山梨県の日本住血吸虫症の流行終息記念の地と私が勝手に名付けた中央市ふるさと公園に臼井沼の埋め立ての経緯が書かれた看板が設置されています。
そこに簡単に地方病との関連が記載されています。

その公園に咲くハルジオンの花です。
ハルジオンは北アメリカを原産とするキク科ムカシヨモギ属の雑草です。
日本住血吸虫やその中間宿主の宮入貝程ではないけれども嫌われ者です。
繁殖力が旺盛で荒地や休耕地などにびっしり繁殖する雑草だからです。

しかし、よく観るとなかなか綺麗な花です。
少なくても蟻や小さな蜘蛛の子供にとっては遊び場なのでしょう。
帰化植物ではありますが日本の自然界に広く繁殖し生態系の一員として溶け込んでいるようです。
しかし、人間様の価値観ではお邪魔虫であり嫌われ者です。

一方、九州の筑後川の流域にも日本住血吸虫症の蔓延した地域がありました。佐賀県と福岡県に跨る九州一の大河の流域は江戸時代から地方病で苦しんで来た地域であり両地域では撲滅に向けて地方病撲滅対策促進委員会が活躍していました。1990年(平成2年)宮入貝生息...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

日本住血吸虫症(地方病)流行終焉の地

2010.05.24 20:56  投稿者:ootaminoru

日本では山梨県にだけに残っていた日本住血吸虫症の流行は臼井沼(現在の中央市)の埋め立てを地元の地方病田富町総決起大会で決議したしたことが終焉に結び着いていった。
その地元の決議を持ち込んで県議会で埋め立てを最終決議した。広い範囲の地形や形状を変更する際には県の許可が必要だからだ。
臼井沼は埋め立てられて、ここに日本住血吸虫症撲滅の道筋が出来て1992年2月に「地域撲滅対策促進委員会」は流行は終息し安全と考える」を県知事に答申し、山梨県は「流行の終息宣言」を出した。安全宣言ではない。地方病撲滅宣言でもない。

ちなみに山梨県の場合、宮入貝は撲滅できていないそうだ。即ち日本住血吸虫に汚染している貝は発見されていないようですが貝自体は生息するそうです。
宮入慶之助記念館のホームページ(2010年更新)より引用
2000年の調査で発見されています。

明治14年春日居村の村長が山梨県令藤村紫朗に提出した「水腫脹満に関する御指揮願い」を出して撲滅への道を歩みだしてから140年の歳月の後の事だった。

河川改修や灌漑水...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(62) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

雷鳥の雄と雌

2010.05.22 20:25  投稿者:ootaminoru

雷鳥の雄と雌の区別は目の上の赤い肉冠で分ります。
肉冠の大きい方がオスです。

写真1がメスです。
写真2がオスです。


雷鳥はキジ目でこの仲間にはニワトリや七面鳥がいます。
ニワトリの雄と雌の形態的な特徴は鶏冠にあります。


>>続きを読む


コメント(3) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

雷鳥(3)

2010.05.20 21:02  投稿者:ootaminoru

朱鷺の人工飼育、自然放鳥が進んでいますがなかなか自然繁殖は難しいようです。この前はテンがケージの中に侵入して親鳥を殺しましたが今回はカラスに卵を盗られました。

雷鳥も数を減らしつつあるようです。
こちらは生育地が山岳の中であり生活環境整備は難しいようだ。
氷河期の生き残りであり間氷期に高山に入り込み寒冷地を確保したのですがここは行き止まりであり何れ絶滅への道を進むのでしょうか。


>>続きを読む


コメント(2) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

雷鳥(2)

2010.05.19 21:18  投稿者:ootaminoru

3月下旬から5月頃までツガイを形成します。
このツガイを形成する時期は縄張りを持ちます。
メスはおっとりして脚を止めて眺めている私のすぐ足元まで来て留まっています。
メスは子連れの時期以外は人間に襲われることがないと認識しているようで落ち着いています。子連れの時期は雛が襲われるかもと考えるのでしょう、雛を誘導して這い松の中へそそくさと隠れてしまいます。
一方、雌の後から付いて来た雄は縄張りを主張しているものと思われ蛙のような鳴き声をしきりに出して警戒音を出して雌の跡を追いそして物陰に誘導しようとしています。
写真1はメスです。
写真2はメスです。脚に白い毛がいっぱい生えています。
雷鳥の学名は「lagopus mutus japonicus」ですがlagopusはウサギの脚でmatusは英語のmuteで無言の意味だそうです。
無口なウサギ脚

写真3が雄です。背中が黒い羽毛で覆われていてメスとは色が異なります。
目の上に赤い肉冠があります。メスにもありますが小さくて目立ちません。


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

ライチョウ(雷鳥)

2010.05.18 17:49  投稿者:ootaminoru

雷鳥(日本雷鳥)を撮影出来ました。

絶滅の恐れのある野生動植物の種の保存に関する法律施行令平成5年2月10日政令17号で特別天然記念物で絶滅危惧Ⅱ類に指定されています。

中部山岳地帯の高山にしか生息していなくて日本で3000羽(1985年までの約二十年で調べた結果)位しか生息していない。しかし最近は更に数を減らしているらしい。
立山で富山県と環境庁が5年ごとに調査してきた結果では次の通りです。
1981年 981羽
1996年 330羽
2001年 167羽
南アルプスの北岳周辺にも生息しますが最近は殆ど未確認状態のようです。
かなり急速に数を減らしているのではないかと心配されています。
最新の私の知る情報では北岳で一昨年の夏、岡山県の山岳クラブが確認しています。

雷鳥科は日本に二種生息していますが中部山岳地帯に生息する日本雷鳥(写真のもので雷鳥属mutusu)と北海道にだけ生息する蝦夷雷鳥(grouse属)の二種です。

まずライチョウは北半球にしかいません。
ユーラシア大陸の東ヨーロッパ、日本、カラフト、千島...


>>続きを読む


コメント(1) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

神岡城と武田信玄と金堀衆

2010.05.14 18:42  投稿者:ootaminoru

国宝松本城の天守閣に書かれている歴代城主の表に武田信玄の名前がありました。
ある時期、松本平は武田信玄が侵略し制圧した時期がありました。ですからその時期の城主は武田信玄な訳です。

更に武田勢は安房峠を越えて飛騨側に深く侵略した時期がありました。その時期の神岡城主は江馬時盛であり、江馬氏は武田方の飛騨侵略に対して家臣として従い仕えました。その時期は永禄7年(1564年)であり第五次川中島の戦いの年です。
信玄の有力家臣である山県昌景は越中に勢力を広げていた上杉方と敵対していた時期でありその神岡城を拠点として越中攻略を窺っていました。

ですから神岡並びに北方の越中県境に武田の勢力が入り込み、更には金堀衆が鉱山開発に勤しんでいました。

神岡と言っても山梨県の人はあまり馴染みがないでしょう。
飛騨高山の北方20kmの位置で日本海の富山湾に流下する神通川の上流です。地図で確認下さい。

神通川が富山湾の海に出る河口近くの旧河川の氾濫原に天保時代に開拓に入り新田開発を行ないます。その開拓村は「金山新」であり美田とな...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

一条右衛門太夫信竜の塁城

2010.04.27 18:36  投稿者:ootaminoru

牡丹の花が咲く市川三郷町の牡丹公園はその昔、武田信玄の弟に当たる一条信竜の塁城跡です。
但し現在のふるさと会館は最近建築されたもので近代の城をモデルにしたもので中世の古城とは姿形の上で全く別物です。

信竜は武田二十四将の一人で信玄の長男信義亡き後は親類筋で最も信玄が頼りにしていたと思われる武将の一人です。信玄は一条信竜を勝頼の後見人としています。

天正10年3月武田氏滅亡のときは現在の市川三郷町の上野の塁城で駿河方面から進軍してくる徳川家康軍と戦います。
その上野の塁城は現在の牡丹公園(歌舞伎文化公園)の地がそれで隣接した蹴裂神社にその面影を留めています。神社の境内には物凄く大きな太い樫の樹があります。

一条右衛門太夫信竜は信玄の異母兄弟の弟です。
即ち、信虎の子供で子女17人の16番目の子供で八男です。
若い頃に一条家に養子?に出ます。名前を継ぐだけかもしれません。
一条家は甲斐源氏の始祖武田信義(1128-1186年)の子、一条忠頼に始まる一条家の名跡です。一条忠頼は甲斐源氏の主力勢力で鎌倉の頼朝と共に平家...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

モンゴルの至宝展

2010.04.17 18:10  投稿者:ootaminoru

今日4月18日から県立博物館でチンギス、ハーンとモンゴルの至宝展を開催しています。
早速、見に行ってきました。5月31日迄です。

山梨県とモンゴルの関連性は古い時代から山梨には牧があり馬を飼育していました。
その馬は中国からの馬でそのルーツを辿るとモンゴル高原の馬に行き当たるそうです。
日本には4世紀の頃には既に馬がもたらされていて馬の骨が出土しているのと馬の埴輪が古墳から出土していて時代が明確になっているらしい。
武田信玄の頃にも躑躅ガ崎の館や南アルプス市からも馬の骨が出土しているようですが現在の馬に比べて小型の馬だったようです。
横道に逸れますが、甲府城山の手御門の櫓門に躑躅ガ崎の館から出土した?その馬の骨が組み立てて飾ってあります。
一度是非ご覧下さい。

既に紀元前からモンゴル高原には草原遊牧民族が展開していて漢民族はそれらの民族を東胡、匈奴、鮮卑、突厥、契丹の五部族と称していた。それらの諸民族の侵略を防ぐのが万里の長城だった訳ですが、そうした内政に絡む事象は全く触れられていません。そうした漢民族...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

稲荷櫓

2010.04.01 03:04  投稿者:ootaminoru

天守郭や本丸櫓、二の丸櫓などの城郭内部の郭とは別に内堀の隅々に二層ないしは三層の櫓がありました。
その場所から城外の様子を窺う場所であり、一階部分には有事の際の武器などを保管する倉庫でした。
復元した稲荷櫓もそうした目的の為の建築物でした。

江戸時代において軍隊としての戦力は既に鉄砲などの火器が主戦力だったと思われますが、火薬類は別の場所に半地下式の倉庫に単独で保管されていました。

その他に米倉や御金蔵が別にありました。
柳沢吉保が城主だった時代には親方屋敷が二の丸の下にありました。

お城の機能でもう一つ大切な施設は井戸と便所です。
井戸は全部で21箇所あったと言います。

しかし、便所の事は「はばかる」のか誰も口にしません。


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

エドヒガンザクラの形態的見分け方

2010.03.30 20:25  投稿者:ootaminoru

エドヒガンザクラは関東甲信越を中心にかなり広い範囲で野生種が存在するそうです。
そして東北地方のものは色の濃いものがあり西に下がるに従い薄い色のものに変異する傾向にあるそうです。

エドヒガンザクラは野生種といえども色や咲く時期、などなどに変化が多くその野生種を取り込んだ園芸栽培種は改良を加えているので更に変化が多く八重があったり枝垂れたり、その程度の著しいものをイトザクラと称したりしています。

しかし、エドヒガンザクラの共通の特徴は花のガクの特徴です。
ガクの基部が丸く膨らみそこからガクに移動する腰の部分はくびれています。
このくびれのあるのがエドヒガンザクラの特徴です。
ソメイヨシノやオオシマサクラなどなどの他の種類はずん胴でくびれていません。

但しコヒガンザクラも同じように腰がくびれていますがこれはエドヒガンザクラとマメザクラの交配種でエドヒガンザクラの形質が遺伝したものだと思います。

写真3枚添付しておきますのでとくとご覧下さいませ。

写真は何れも3月28日の身延山久遠寺のシダレザクラ(エドヒガンザ...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

河口胎内洞窟(溶岩樹形)

2010.03.27 06:11  投稿者:ootaminoru

河口胎内洞窟は今から300年前に発見されたそうな。

河口の胎内洞窟若(溶岩樹形洞窟)へ行ったら洞窟の入り口に富士講らしき石造物がある。その事を窺いたくて事務室に行ったら館長さんらしき人が案内をして下さいました。

この胎内洞窟は今から300年ほど前に発見されたそうです。
西暦で言えば1700年頃になるだろう。
その頃から船津口登山道は寂れて行った。

この胎内洞窟は旧船津口登山道の途中に属していて此処を経由して登られたと聞いていたので、そのルート上にある胎内洞窟の入り口の石碑は船津口登山道の道中を示す文化財で珍しく大変興味を持った。
前にも書きましたが船津口登山道は富士講が発達する以前の時代に利用されたので河口浅間神社の境内及びそれから道中の登山道には石碑らしきものを建設する風潮が無くて現在それらしき石造建造物が残っていないと思っていたからです。

洞窟の周囲に富士講の石碑が10体ほどある。
何時頃のものかと年号を読むが苔むしていて判らない。ただ一体、大正時代のものがあった。

館長さんに窺うとこれ等は船津口登山...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

三椏の街路植え込み

2010.03.26 20:37  投稿者:ootaminoru

和紙の原料である三椏。

その三椏が市川三郷町の街路の植え込みに使われています。

公園等に一本、叉は数本の三椏が植えられている場所は市川三郷町近隣の市町村にもあります。例えば西島の「中富和紙の里」公園です。

しかし、街路樹の植え込みとして道路の両側に車道と歩道の境にずらっと数百メートルに渡り使われているのは和紙の里、市川三郷町の役場前だけでしょう。
さすがに伝統の和紙の里です。
赤い花と黄色の花の二種類です。

3月22日撮影しました。今が身頃です。

追伸:今が盛りの沈丁花と同じ沈丁花科に属します。


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

船津口登山道敗退2

2010.03.24 21:10  

平成22年3月22日旧船津口登山道を探しましたが見つかりませんでした。

河口浅間神社の奥宮として富士山に向けて河口浅間神社から湖畔の船津を通って船津口登山道が古代からありました。
その始まりは富士山の爆発した西暦864年に遡ります。

歴史的には富士吉田の浅間神社よりも歴史が古いとされ、八代郡に勅使を派遣して神の怒りを静めたとされる由緒ある河口浅間神社です。
その奥宮の富士山頂上への河口浅間神社からの登山口は河口浅間神社から船津を通り富士山に向いその道が船津口登山道で時代が中世に下がるに従い信仰としての登山が栄えていました。
その頃の登山は信仰のみの登山であり江戸時代中期以降の富士講に依る信仰を頭に冠する集団観光登山ではありませんでした。
河口の宿泊旅館業は伝統的な業態で御師はどちらかと言えば個人客を宿泊させるものでした。甲府から御坂峠を越えて、叉駿河からの武士階級が多かったようです。

1700年頃を境に富士吉田にお客を取られて衰退して1800年代に入ると決定的になります。
甲斐国誌が編纂される1850年...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(3) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

やまなし農業協力隊

2010.02.14 16:22  投稿者:ootaminoru

観光産業は全てのジャンルに跨る裾野の広い産業城下町だ。

山梨県を観光立県と称するならば、観光に寄与する食の問題は最重要課題であると思う。ぶどう、ワイン、桃にスモモ、ホウトウ、煮貝だけでは絶対的に食材が不足である。

その農を考えると、ここにも叉農に係る全てのジャンル、生業としての農業、農家、農作物、流通、食材、食文化、農育食育が係っていてその全ての分野で更なる発展を期待する事になってしまいます。

山梨県民の日頃の食文化の頂点に観光産業の食があるのであって、御もてなしの食は工業や商業で特別に製造して作れるものではない。生命を介した生物体でしか得られないのだ。

私はそのように観光の食の問題を位置付けていますので観光の繁栄にはどうしても山梨の食文化の発展が必要だと思う。

昨年暮れから遅ればせながら幾つかの農に係る講座を受講し始めています。
農そして農業の実態をビジアルに知りたいからです。
そして山梨県の農、農業、食の将来像を模索してみたい。
ですが、この分野に関して現在の段階で私如き素人がウンチクを垂れるほどの...


>>続きを読む


コメント(1) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

嘉永七年

2010.02.11 07:40  投稿者:ootaminoru

嘉永七年1月16日にペリーが艦隊7隻で再来航する。
(前年の嘉永六年=1853年に浦賀に東インド艦隊4隻でペリー初来航しアメリカ大統領からの国書をしぶしぶ幕府が受理する。日本からの返書を迫られるが次回来日した時にと言い逃れて艦隊を追い返す。)
NHK大河ドラマ、坂本竜馬伝では初来日の時に蒸気船の海岸警護の為に土佐藩士として警備に出動しています。翌年の再来日では吉田松陰はアメリカに行きたくて蒸気船に近づきますが拒絶されます。

幕府は嘉永七年2月に神奈川で交渉を開始して漂流民の保護とアメリカ船の薪水食糧供与を承認する。但し通商条約は拒絶する。
3月に日米和親条約を調印する。下田、函館開港する。
3月に大老井伊直弼が桜田門外で攘夷派の水戸浪士によって開国した事を理由に殺害される。
8月に日英和和親条約締結する。
11月にロシア艦隊長崎に来航する。12月日露条約を調印する。
11月4日東海沖大地震。11月5日に南海地震が起きています。

その嘉永七年にたてられた馬頭観音があります。
明治維新まで14年です。
甲府市横根...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

十郎川護岸工事中

2010.02.07 08:45  投稿者:ootaminoru

十郎川の護岸を工事中です。
1月9日山梨学院大学へ青沼通りを里吉の方から蓬沢を経て濁川を渡って国玉の玉諸神社の前を通って裏から行った。
そしたら十郎川の護岸工事をしていました。

十郎川は山梨学院大学の裏の場所で善光寺、酒折方面からの濁川と合流し左右からぶつかるように夫々大きく90度方向変換し南に流下し西高橋、東油川を経て落合で笛吹川に合流しています。
途中東油川では平等川とも合流しています。

ですから山梨学院大学のある酒折、玉諸神社のある国玉、そしてすぐ下の西高橋は河川の左右から合流する水害常襲地域だったと想像します。
押し合いへし合い大雨の度に河川は氾濫し合流点は移動して流路は変わっただろうと思います。

その合流点の付近に鎮座しているのが玉諸神社です。
古の時代から此処を治める豪族や地域の百姓の手で水防工事が行なわれていたと思われます。そうした暴れ川を鎮める為の祈りの拠点であり、人々の水防に掛ける人心を集めるシンボルだったのではないかと思います。
此処の神社の看板には甲府盆地湖水伝説や水に関係する逸話が...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

甲斐奈神社

2010.02.02 21:10  投稿者:ootaminoru

甲斐の国(現在の山梨県)には甲斐奈神社が三つあります。
県外にはないと思います。
甲斐とは現在の山梨県を表し、律令政治が開始された七世紀中頃から後半には甲斐の国名が既に被せられていました。
一般的には孝徳天皇、中大兄の皇子が活躍した大化の改新(646年)頃に律令政治が整ったと言います。実際はそうではなくもう少し後らしい。
甲斐国の公印の押したものが奈良の正倉院にあります。
既にその頃から私達の郷土は甲斐の国だったのです。

しかしその語源は難しく一般には山の峡(カヒ=間)つまり山々の狭間を意味する「峡=かい」からの由来だと言われていましたがどうもそうではないらしく「交い」の新説が有力になって来ました。
古事記、日本書紀、万葉集が書かれた上代には仮名が現在のものと異なり未成熟期であり上代万葉仮名に用いられた表音仮名遣では発音上の違いから峡ではないとの説が指摘されるに至った。
「峡」説もそれ程古くからのものではなく江戸時代の国学者萩原元克、本居宣長が天明3年(1783年)に言い出してからのことであり、それ以前は何...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

武田信玄書状

2010.01.31 09:16  投稿者:ootaminoru

武田信玄書状

元亀3年(1572年)信玄が上洛に際して越中の一向宗に出した書状です。
(財) 前田育徳会蔵

所用で1月26日富山市へ行って来ました。
富山城跡の郷土歴史資料館で富山城の歴史を垣間見てきました。

写真1の信玄の「花押し」が懐かしいでしょう。


>>続きを読む


コメント(1) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

甲府銀座通り

2010.01.30 21:14  投稿者:ootaminoru

甲府銀座通りです。
平成22年1月24日(日曜日)午後1時半

商いとは価値あるものを売買する行為だ。
交換価値、希少価値、使用価値。
そうではなくて別な表現では近代化や近代文明や最新の文化(流行)や東京の代替ステータスを売っていたのだろう。
その頃は東京は未だ遠かった。
それが今から二十年以上前の甲府駅界隈へ、たむろする山梨県人の幸せだったのだろう。

この甲府市銀座通り界隈は今、何を売っているのでしょうか?
そしてこれから先、何を売ろうとしているのでしょうか?
売ろうとする以上、買う側に何らかの価値を提供しようとしているのだと思うが。

もう近代化や近代文明や最新の文化や東京の代替ステータスを追従するのを止める時期に来ているように思う。
東京の尺度で価値観を測定するのは止める時期かもしれません。


そこんところを桜座が辛うじて理解し頑張っているように思えます。
しかし全体としてまだまだそこん所が見えません。
徹底的に没落して破却する事が再生への近道だと思えるようになってきた。

結局のところ、地方の尺度で、山梨の尺度で甲府...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

山梨の歴史文化公園

2010.01.25 12:56  投稿者:ootaminoru

甲府市教育委員会がやまなし歴史文化公園の甲府地域として北山野道を指定しています。
北山野道は四つの地域に分けて中世の郷の名前をとって東から表門(うわと)の里、板垣の里、小松の里、志麻の里として歴史散歩道を設定しています。

東の端から1番目 武田逍遥軒信綱の位牌のある逍遥院から西の端の志麻の里(湯村)の52番加牟那塚(かんなづか)古墳をメニューに入れています。
今回は表門(うわと)の里を廻って来ました。


甲府市の東に隣接する笛吹市は古代の律令国家時代から山梨県で最も栄えた地域だった。叉武田信虎以前の中世は笛吹市、山梨市、甲州市が栄えた地域でこれ等を併せて歴史文化公園の広域として活用すれば有意義な巡礼の旅が出来上がります。

既に歴史散歩道として隣の笛吹市は笛吹市のコースを指定していまして甲府市の北山野道と合体させてレンタルサイクを移動媒体を使うならば新しい観光モデルが出来上がります。心配なのはバッテリーの容量です。
現在の甲府駅北口のレンタルサイクだけでは到底無理があります。
なるべく早い機会に石和、山梨...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

山崎の処刑場

2010.01.22 18:03  投稿者:ootaminoru

甲府市城下の人で悪い事をすれば捕まって牢屋に入れられ、白洲に引き出されて、お裁きを受けて極刑の場合は山崎の刑場で露になったでしょう。

嘘は泥棒の始まり。風邪は万病の始まりと申します。
家内にだけは嘘を言わないようにしたいものです。

親殺しや火付けが最も重い刑であり、見せしめの為に磔(はりつけ)や火あぶりを受けたみたいです。ばっさりと斬首ではなかった。

山崎の処刑場跡は甲州街道(旧20号線)を善光寺方面から東に進むと酒折駅のすぐ先に山梨学院大学のキャンパスが右側にあります。
もう少し東に行くと三叉路があって直進すれば石和方面の甲州街道で、左折すれば青梅街道です。
その交差点の左側が山崎の刑場跡です。現在は甲府市内です。
現在、住宅密集地ですがその当時は閑散としていたのでしょうか。
山梨学院大学の向い側に石屋さんがありますが昔は街の外れだったのでしょう。
ですが、甲州街道と青梅街道の分岐点でもあり、どうしてこんな場所に刑場がと不思議でなりません。
市川の刑場のように街道から引っ込んだ場所で笛吹川と芦川の合流点の...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(2) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

甲府御代陣屋

2010.01.22 14:26  投稿者:ootaminoru

甲府陣屋即ち甲府代官所だったところは現在は甲府市立富士川小学校です。
名前と機能を変えていますが大切な場所として公有地として保存されています。
ナンセ江戸時代の代官所は山梨県庁程ではありませんが明治時代の郡役所に相当する場所であり年貢米の調達を管理し、警察権、裁判権を兼ね備えて持ち刑法や(民法)を司る役所だった訳です。
住民にとっては江戸幕府の幕府直轄権力の最前線の機関だった訳で恐ろしい場所でした。
そして悪い事をすれば捕まって牢屋に入れられ、お裁きを受けます。
極刑の場合は恐らく石和代官所管内の山崎の処刑場(現在は甲府市)で刑の執行を受けたでしょう。

先に八代郡の市川の代官所を掲載しましたが今回は甲府の代官所です。
町方支配とも言われたようです。
写真3 甲府城の東に商人街の外側を区画した三の堀があります。
戦のときは内堀そして二の堀内は武士の屋敷そして三の堀内は町人や商人の家を含む住人を一切合切含む守りの陣営で城を守るように城下を構築してあります。
江戸時代の城が全てこのような構造になっていた訳ではあり...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

レンタルサイクル(電動自転車)

2010.01.17 08:25  投稿者:00taminoru

やまなしの歴史文化公園、北山野道を尋ねて

電動自転車に乗って北山野道を巡り観光しようとするテストです。
電動自転車は甲府駅の北口を出てYBS会館叉は甲府城大手門に隣接する夢小路の建物で貸してくれます。

やまなし歴史文化公園、北山野道は甲府市と甲府市教育委員会が設置した歴史をテーマにした徒歩で廻る散歩道(遊歩道)です。
東は春日居、石和に隣接する和戸町(表門の里)から甲府善光寺を中心とした板垣の里、そして甲府駅を中心とした相川扇状地、藤川扇状地の小松の里、更に西は湯村温泉の志摩里に至る広範囲な山辺を歩くものですが一度に全部は無理で四つのブロックに分かれていますので一つずつ廻れば楽しいです。
しかし、歴史施設をゆっくり観光するには一日で一ブロックを廻る事も難しいです。何回かに分割してゆっくり廻って楽しむほうが好ましく思います。

今回は徒歩ではなくレンタルサイクルの電動自転車で廻ることをテストしてみました。
私は始めて電動自転車に乗りましたが大変機動力があってこんなに楽に楽しく観光が出来るなんて思いもよりま...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(1) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

青洲堤

2010.01.16 12:33  投稿者:ootaminoru

史跡、青洲堤(市川三郷町)

芦川が笛吹川に合流する堤を青洲堤と言います。
その堤に市川代官所の押し切り処刑場がありますが今回は堤そのものをご案内します。

中巨摩郡は明治時代に入っても何度も洪水に見舞われました。
大きなものだけでも明治31年、明治40年、明治43年特に明治40年の水害は山梨県下全域を覆う有史以来と表現される程の大洪水となりました。田畑や橋、家屋家畜が流され多くの人命が失われました。
ここ芦川と笛吹川の合流地点も姿を変えてしまうほどの被害を受けました。
その水害があってここの堤を徹底的に改修されたらしい。
その時期の前だと思いますが渡邊青洲が私財を投げ打ってこの合流点の改修を行なった故事を記念して青洲堤と言います。

市川の市街地は芦川の旧河川敷であり芦川の堤防決壊は市川の街の壊滅的な流出に繋がりかねない場所です。
併せて河の合流点は水位が上がり笛吹川の土手の決壊にも繋がりかねません。

写真1 青洲の堤から芦川の上流方面を望みます。
   河原には流速を減ずるブロックが敷き詰められています。
   ...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

押し切り処刑場(文化財史跡)

2010.01.15 20:17  

市川代官所管内押し切り処刑場

悪い事をすると牢屋に入れられ、お裁きを受けて、その最も重い刑として市川代官所管内では押し切り処刑場にて刑を執行されました。

場所は芦川が笛吹川に合流する合流点の河原の土手です。
代官所は市川の五丁目にあり獄舎は一丁目にあった。
刑の執行になると縄を付けた罪人が処刑場に連れられてきました。
言い伝えでは芦川の南側にあったと言われますが幾たびかもの洪水による河川改修によって現在は位置を変えて北側にあります。
処刑場跡には安政3年(1856年)の供養塔が残されていますが倒壊の危険性があり横に寝かせてあります。

文書が長くなりますが市川大門町誌の「押し切りの処刑場跡」P517~518を原文のまま掲載しておきます。昭和42年2月1日発行、市川大門教育委員会発行。
尚、現代では使われていない用語を含みますが江戸時代の封建社会の身分制度の出来事として歴史的事実の為に市川大門町誌をそのまま記載しておきます。ootaminoru 


幕政中、代官所で罪人に向って死刑の宣告をした場合は、...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

浅原橋からの八ヶ岳

2010.01.14 21:11  投稿者:ootaminoru

冬の八ヶ岳は美しい

中央市は釜無川と笛吹川の合流点の内側の砂洲の上に出来た平地が元村です。
明治時代の終わり頃までの過去、雨が降ると洪水常襲地であり、旧田富町今福新田の村落には今でも二階の軒下に和船をぶら下げてある家があります。
有事の脱出用です。
江戸時代の絵地図に今福新田の村の中央を釜無川の本流が流れているものも有ります。
中央市の釜無川の川沿い左岸及び右岸の村落は過去水との戦いでした。
信玄堤が築かれて釜無川の流路を次第に西に振り向けて現在の流路となりましたが、その為に昭和町、中央市それから釜無川の右岸の旧若草町は流路になり、叉は氾濫原になりました。

臼井沼は昭和の終わり頃までありましたが埋め立てられてリバーサイトタウンが出来ました。埋め立てにより甲州の風土病に絶滅宣言が出されました。

その臼井沼も信玄堤が出来てからの湿地帯でした。
武田信玄による流路変更は有名ですがそれは旧武田城下町及び江戸時代の甲府の城下町を安定させるもので、その為に新たに洪水に見舞われ苦しむ民も居た事実を知る人は少ない。

かつて...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

市川代官所

2010.01.13 18:32  投稿者:ootaminoru

私は市川三郷病院へ年数回通院しています。
市川の街の中を通りますので今回は市川代官所を撮影して来ました。

甲斐の国が天領だった時期、即ち柳沢吉保(既に死去)、吉里親子が大和郡山へ転封(享保9年=1724年)した後、甲斐の国は幕府直轄地となり甲府勤番支配となりました。
その支配体制は市川代官所と石和代官所と谷村代官所と甲府勤番で管理されていました。甲府勤番はその配下に町方支配がありその機能は代官所そのものでした。
即ち4つの代官所で支配されていました。
それでは甲府勤番の役目は何かと言いますと甲府城を守ることが主たる仕事だったようでした。
有事に対して軍事施設を守るのが仕事でした。
代官の主な仕事は農民から年貢を取り立て管理する仕事でした。

市川代官所は現在街に埋もれていて門を残すのみになっています。
市川の江戸時代の中心的役割を担った場所でして後世に残しておきたい場所のひとつです。

市川を訪れたら是非立ち寄っていただきたい史跡の一つです。
それから代官所は今の警察権も司法権を持っていて犯罪の取り締まりも行なっ...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

寅年

2010.01.11 16:52  投稿者:ootaminoru

寅年にちなんで山梨県立考古学博物館が遺蹟から発掘した遺物のなかで寅を描いた青銅鏡などが展示されていました。
1月末頃までの展示ではないでしょうか?
博物館を入って広いロビーの正面切符売り場の前に展示されています。


写真1 青銅鏡は御坂町成田 亀甲塚古墳(円墳)からの出土品。
盤竜鏡と言うそうです。
青銅鏡は中国の後漢後期(2世紀)頃のものだそうですが古墳は5世紀前半のものです。
古墳には竪穴式と横穴式があり前者は3~4世紀に、後者は6世紀~7世紀に盛んに築かれたそうです。そうするとこの亀甲古墳はどちらに属するのだろうか?説明表示には書かれていませんが何となく竪穴式古墳だと思う。
間違っていたら御免なさい。
此処で竪穴式と横穴式はその背景が異なり竪穴式は一人だけのお墓で、横穴式は埋葬する遺体を追従出来る構造で現在の先祖代々の墓に性格が似ていて複数収納出来ます。親、その子、孫と次々に収納できるタイプで経済的です。但し親、子、孫などのの血族なのか大王や王などの役職なのかは知りません。

写真3 あとの陶器類は富士...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

日韓の架け橋に

2010.01.10 20:15  投稿者:ootaminoru

人気が出ないかな?ひし丸君。

1月8日に門松の写真を外し1月15日の小正月のドンド焼きにくべて燃やす。旧田富地区のドンド焼き祭りが近づきて来ました。
鏡餅を割って小豆を煮てぜんざいとして食べます。

1月10日は甲府市も中央市の成人式でした。晴れ着を身に纏った新成人が誕生しました。

1月10日(日)午後から甲府城でボランテアガイドでしました。
どうしてだか沢山の人がお城に訪れました。
特に午後3時を廻った頃からサンサンゴゴ、夫々関東地方からの家族連れです。勿論別々です。泊まりの人もいますが日帰りの人もいます。
昨日、今日、明日と連休でかなりの人が観光で山梨県に来ていただいたのだと思いました。
その中で1ヶ月前に単身で甲府に来日して、向こう1年間日本語の勉強の為に甲府の日本語専門学校へ通学している韓国女性がやって来ました。
一通り甲府城に関するご説明をしてから、日本と韓国の歴史を含めた日本文化に話が移りました。
その人は韓国で大学まで修学し、1年間韓国で就職したが辞めて日本語の勉強の為に更に単身で甲府にやって来...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

うわとの郷物語(2)

2010.01.07 21:15  投稿者:ootaminoru

甲斐国山梨郡表門と線刻の入った銘皿(平安時代:凡そ西暦1000年)

写真1  大坪遺蹟(甲府市横根町)11世紀初頭の平安時代。
     1982年に出土しました。1994年の調査では土器を生産した
     と思われる跡が確認されています。


奈良時代の甲斐国分寺、国分尼寺の瓦室跡等が発見されています。
奈良時代の聖武天皇が全国に国分寺及び国分尼寺の勅令を出しています。
写真2と3
此処で焼かれた瓦が笛吹市一円の寺社(国分寺国分尼寺)に供給されました。
上土器遺蹟(甲府市桜井町)

山梨県考古学博物館の冬季企画展「表門郷ものがたり」より。


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

表門郷ものがたり

2010.01.07 19:17  投稿者:ootaminoru

うわとの(表門)郷物語が面白い。

むかしむかし、甲斐の国のうわとの(表門)郷では、沢山の人が暮らしていたそうだ、、、、、。職人は土器や瓦を焼き、身分の高い人は仏様をおがみ、甲斐の国の生産や文化を支えていたそうだ。
表門郷での暮らしを覗いてご覧。,,,,,パンフレットより引用しました。

1月31日まで県考古学博物館で冬季企画展をやっているよ。
「うわとの(表門)ものがたり」です。無料なのがあり難い。

甲府市の東部、川田、横根町や桜井町の平野部分は古代の「甲斐国山梨郡表門」である事が1982年に発掘された土器に刻まれた文字から明らかになりました。
この地域は7世紀後半の春日居にある寺本廃寺へ瓦を焼き供給しました。叉今から1300年前の白鳳時代即ち8世紀に建設された律令国家の地方版、甲斐国分寺、国分尼寺の瓦も此処で生産していました。
夫々の瓦がこの地域から沢山出土しているからです。
更に8世紀後半から10世紀後半に胎土と制作技法に独自の特徴を持つ甲斐型土器を生産し甲斐国内を始め、関東や駿河、信濃方面に沢山交易品...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

甲斐の古道、市川道(2)

2010.01.05 21:25  投稿者:ootaminoru

甲府方面から精進湖線を登って行きますと右左口トンネルの出口が古関です。
江戸時代の前、此処に関所があったものと思われます。ですから古関です。
江戸時代、この方面は女坂峠(阿南坂)を越えて精進湖に出てそこから本栖湖に進みます。これが中道往還です。
その本栖に江戸時代の関所がありました。

古関は平成の合併によって上九一色村から分離して甲府市に編入して甲府市古関となりました。
その古関から芦川渓谷沿いに細い自動車道路が下っています。
行く先はJR甲斐上野駅であり市川大門駅です。


この道が市川道で富士川(釜無川)との出会いは約10kmです。
古関の三叉路を芦川に沿って下り300メートルほどの所に旧中道往還右左峠(迦葉坂)への下九一色側からの登り口があります。
峠を越えて甲府盆地側の里が右左口宿です。
あまり峠道は歩かれていませんので崩落地もありますが比較的保存状態が良いです。石仏があります。


写真1古関の永泰寺です。
   釈迦堂の欄間に極彩色の天女が太鼓を打っています。

写真2は途中の観音城です。
    城壁のように切...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

歴史の道(市川道)

2010.01.03 07:29  投稿者:ootaminoru

平成21年12月31日、ダイアモンド富士撮影の本栖湖から芦川渓谷沿いの道を下って帰って来た。
この道が市川道なのだ。

歴史の道、市川大門に終結する道は数本あります。その数本の道を総称して市川道と言います。
その事はその昔、鎌倉に幕府が合った時代から鎌倉に向う幾つもの道を鎌倉街道と言うが如しです。


若彦路の上芦川から分枝して芦川渓谷に沿って下り中芦川から古関に至り此処で中道往還と交わり右左隧道の手前で分かれて更に芦川渓谷に沿って下芦川を経て市川大門に至る街道が今回の市川道です。
現在の道路名称は県道36号線、笛吹市市川三郷線です。平成の合併前は八代芦川三珠線でした。
その古道を探索して来ました。

この街道の終着点は市川です。
市川大門は江戸時代、天領となった時期から代官所が置かれ、市川代官所、甲府代官所、石和代官所、都留代官所の四つの行政の分割統治の中心地の一つでした。
叉産業や交通の要所として富士川舟運の黒沢河岸(市川代官所管内)が置かれていました。民間の商人の荷物の他、お蔵米としては八代管内の年貢米を扱...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

太陽誕生 

2010.01.01 00:15  投稿者:ootaminoru

太陽誕生

21世紀の地球規模の手詰まりな時代には新しい枠組みや新しい問題解決のルールが必要になって来た。
先進国が後進国をリードする。南北対立、宗教対立、東西対立、超大国、覇者の論理、核の傘、核の抑止力、など選ばれた国家によるルールから総当りの新しい時代の到来をCOP会議が証明していると思う。いまだ騒乱期だと思う。

昨年の暮れ、12月30日と31日にNHK総合テレビで合計6時間の「遙かなる絆」原作:城戸久枝 を観ました。
好むと好まざるとにかかわらず グローバルな社会に住む現代人にとって、叉直近の我が国のインバウンド観光に係わりを持つものにとって国際感覚が大切だ。
国と国を隔てるわだかまりを持つ国民感情と人間愛の絆の相反する両面を同時に同一の人が持っている。

東アジアからの外国人観光客、そして東アジア諸国の海外への観光やビジネス、国際協力などその交流はドンドン増えて行くだろう。

観光の世界で政治、歴史(戦争)と宗教の話しは厳禁だ。
その通りだと思う。

しかし、場を選んで将来は分かり合う努力と言うよりも折り...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(2) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

ダイアモンド富士

2010.01.01 00:01  投稿者:ootaminoru

賀正

平成22年元旦

謹んで新年のお喜び申し上げます。

山梨県本栖湖竜ヶ岳にて撮影 


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

仕事納め(2)

2009.12.30 21:20  投稿者:ootaminoru

卸売り市場の朝は早い
午前4時から売り買いが始まります。
次々と山が崩されて行きます。
6時から8時頃がピークです。此処へ来るお客さんは中小の食料品屋や鮮魚店の店主が主す。9時を過ぎるとお客さんは汐が引くように減ってゆきます。
10時を過ぎる頃には中卸し店はそろそろ店じまいに掛かります。11時から12時には店を閉めます。
仕入れた小売店は自分の店に帰って10時頃から開店に掛かります。

甲府市中央卸売市場は年々取引量及び金額が減ってきていると言います。
特に魚介類は此処の市場を経由しないで水揚げ漁港の漁協や水揚げ港の近隣市場から直接取引きが行なわれて陸送されて場外の中卸や大型チェーンのスーパーマーケットの加工センターに一括搬入されるケースが多くなっています。
消費者は郊外の駐車場のある大型スーパーマーケットにドンドン集中してゆくようです。

大型スーパーは自動車の時代で駐車場完備なので便利で寡占化が進んでゆきます。
しかし、どの店に行っても同じような品揃えで季節感に乏しいきらいがあります。
それは安定供給、売れ筋...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

仕事納め

2009.12.30 18:15  投稿者:ootaminoru

晦日の甲府市中央卸売り市場です。


きょう、12月30日で今年の仕事はおわりました。
今日ばかりはどの卸し中卸しの店も大忙しで関連する私の仕事も普通ならば11時には終るのですが今日は14時まで即ち3時間も残業をしてしました。

普段はあまり見受けない酢蛸のバケツ売りがどんどんさばけて行きます。
でも昔に比べて季節感が薄くなりました。
各家庭に冷蔵庫があり食べるものは通常と変わらないものとなり、スーパーやファーストフーズ、コンビニなどが正月でも営業しているので買い溜めは少なくなりました。

塩鮭も鰤も蒲鉾も昆布の佃煮も何もかも今では一年中出回っているからです。

平成21年12月30日午前6時半、外は未だ薄暗くようやく夜明けを迎えます。


今年1年働かせていただいて有難う御座いました。


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

クスノキ

2009.12.27 08:59  投稿者:ootaminoru

舞鶴陸橋のある側の県庁の門には大きなクスノキが数本、道路に沿って並んでいます。この庭の部分はその昔、甲府中学があった場所だそうですが移転させて、昭和5年に山梨県庁を此処に新設しました。

その前の山梨県庁は現在の甲府市役所近辺にあったそうです。

昭和5年に現在の旧館である山梨県警察本部及び教育委員会が入っている建物が完成しています。当時はこの建物が本館でした。
そして昭和8年に現在の議事堂が完成しています。

山梨県にあって近代的な本格的なコンクリート建築として旧館(当時は山梨県庁の本館)は貴重な存在だと思います。
それと並んで道路際のクスノキもほぼ同じ頃に植樹されたのではないかと私は推測しています。
山梨県にあってクスノキ(楠木=楠=クスノキ)の古い時代の植樹は少ないと思う。恐らく生育の北限に近いのでは?
緑ヶ丘スポーツセンターにも大きな株が1本ありますが陸軍の練兵場のあった場所であり、同時代からのものではないだろうか?

今では樟脳に順ずる合成のナフタリンが出回っていますが当時は衣類虫食い防止忌避剤として...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(3) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

クラッシュ&ビルド

2009.12.27 06:31  投稿者:ootaminoru

風林火山博があったビル、その前は西部デパートのビルが解体撤去されようとしています。
平成21年12月26日現在

もう2年前になりますかねNHK大河ドラマ「風林火山」の山本勘助で人気が出て沢山の人が訪れた駅前「風林火山博」を収容したビルですが、それをフィナーレに、このビルが壊されます。
御苦労様でした。

この建物で印象に強いのは西部デパートが営業している時にビルの角にエレベーターがガラス越に上下したのが印象的でした。
写真1の左側コーナー部分です。


写真2はデパートの下の通路「フアンシーロード」と名前が付けられていた歩道です。甲府市で一番プライドの高かった場所でした。
今となってはその名前さえ記憶にないのではないでしょうか。
ビル解体工事の準備の為にシェルターのようになっています。


写真3は西部デパート全景

クラッシュ&ビルドです。
新しい時代に相応しい街角に蘇って欲しい。
30年いや50年更に100年を越えても色褪せることなくプライドの高い甲府一の街角であって欲しいものです。


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

法人村民税86㌫減少

2009.12.26 15:59  投稿者:ootaminoru

国母工業団地には団地を紹介する看板で26社の工場があるようです。
ですから1社や2社の工場稼働率低下や撤退でも団地全体としての雇用数や生産高、しいては自治体に入る法人税などの税収に大幅な打撃が来ないだろう。
しかし、多種多様な工業の寄せ集めとは言え海外との関係において輸出工業立国の日本の現状を考えると将来的には同じ釜の飯を食う者同志の栄枯衰退が考えられます。
国母工業団地の工場は山梨県に企業城下町を形成していないようだ。即ち沢山の下請けを県内の周辺地場産業に持った頂点としての企業ではなく、部品や原材料を他所の工業地帯から搬入し加工したり組み立てるだけの工場らしい。

12月26日の山梨日日新聞P21に
山中湖村の法人村民税86㌫減少の記事が出ています。
昨年の法人税が18億7千万円だったものが今年は3億円に留まるそうです。
村全体の税収入は半減の20億円程度に留まる。
景気低迷による産業ロボットメーカーの業績悪化に依るものだそうです。
村全体の税収の約半分の20億円に留まるそうで来年以降についても村税収入が見...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

国母公園

2009.12.26 06:31  投稿者:ootaminoru

国母工業団地は昭和51年9月16日に造成がなされたそうです。
以来山梨県甲府盆地内の主要な工業団地として活躍してきました。
既に30年の歴史があることになります。


その面積は
総面積     95.8ヘクタール 即ち95.8町歩
工場敷地    81.4ヘクタール   61.4町歩
国母公園    3.4ヘクタール    3.4町歩
その他道路河川水路11ヘクタール   11 町歩です。

1町歩は3000坪です。現在の甲府城の総面積は7町歩です。
江戸時代の甲府城の内堀の内側の面積は21町歩です。県庁も甲府駅も内堀の内側の場内でした。
国母工業団地の大きさがお解かりになるだろうと思います。

工業団地の真ん中に国母公園があります。
野球場広場、テニスコート、子供遊園地、などなどで構成されています。

公園は工業団地の従業員のスポーツや国母地区周辺の地域社会の人達の憩いの場所でもあり、非常時の退避場所、避難場所やヘリコブター発着所などの救急用にも使われるであろう甲府地区南部の広場です。

釜無工業団地、国母工業団地は工業団...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

食育のすすめ

2009.12.23 07:17  投稿者:ootaminoru

講演「食育のすすめ」
ー大切なものを失った日本人ー

講師:(学)服部学園 服部栄養学園専門学校 校長 服部幸慶

こんな講演が12月16日にありました。



スローフーズから山梨の観光を考える。
違った。山梨の観光からスローフーズを考える。
??? やっぱり、スローフーズから山梨の観光を考えるかな?
短絡的に観光に結びつけるのではなく県民自らの健康と安全と安心と食文化の為に食を考え直しましょう.
大切なものを失って来た日本人。

その先の先に観光山梨が見えて来ます。
中央市とよとみの道の駅が今年、道の駅甲子園グランプリで優勝したと言います。
この事は従来の道の駅の農産物販売は農協の集荷の規格外になった出荷不能品を道の駅に安い価格で出すのが農家の意識構造だったが、消費者と向かい合っている内に本気で消費者に販売したい。その為には好まれる農産物生産に転換し始めたことが底辺にあるらしい。
食材にこだわり、健康で安全で安心な地元の材料で家庭料理を作り、家庭料理のメニューと我家の味を作りその食文化の上に郷土料理が花開くものと思う。
...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

卸売り市場

2009.12.22 07:23  投稿者:ootaminoru

食育。地産地消。自給率などなど食に関する環境に対して関心が高くなってきています。しかし生活慣習病の如くなかなか実情を変えられない構造的な問題が横たわっているようです。

甲府中央卸売り市場が2年先に民営化する事に決まっています。

甲府市による公営卸売り機能を解消し、一般市場として一般消費者が誰でも購入可能な地方市場になるそうです。
大きなスーパーマーケットのチェーン店は産直で仕入れて生き残れても県内の小さな個別の小売店は生き残れず、大資本のチエーン大型小売店に集約されてしまうでしょう。


交通網の整備発達、コールドチエーン、それから大型スーパーの進出、それも系列のチェン店等など食材の流通網は大きく変わってきました。

即ち魚介類は甲府中央卸売市場を通さずに東京築地市場や漁港に近い魚介類の卸売市場、青物で言えば産地の卸売市場や直接産地農協などから大型チェーンスーパーは直接仕入れる割合が増えて来ているようです。

食の問題を今後も注視して継続して行きたいと思います。

写真は甲府市卸売り市場のマグロの競


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

甲州金研究(1)

2009.12.21 18:05  投稿者:ootaminoru

湯の奥金山博物館公開講座
「甲州金研究ー4つの金座の消長」

私も12月19日この講座を受講しました。
この湯の奥金山博物館は武田信虎時代以降の甲州での金の採掘、製錬、精錬、鋳造に関する常設展示と甲斐を中心に日本の金山開発や金貨幣に至る中世、近世の学術的な最先端の研究発表や広報講座が行なわれています。
今回の講座は63回目のものです。

この金山博物館はおそらくどこの都道府県にでもあるような総合博物館ではなく独自のテーマである中世近世の鉱山や精錬、貨幣鋳造に関する全国からの研究者の学術発表の場であり啓蒙活動として一般公開で学術的な講座を継続的に実施している特記すべきオンリーワンの場であろう。
何故其処までして山梨県で、しかも身延町下部で行なうのか?

今日の講座内容の紹介の前にその事を知って頂きたい。
一言で言えば日本の鉱山開発は15世紀に始まります。それ以前は砂金や風化した土壌からの分離精製が主でした。
石見銀山が開発されて次にその技術が甲州に流れて受け継がれて武田信玄の時代に花開きます。そして武田滅亡と共に...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

長禅寺と若尾逸平御廟

2009.12.17 18:20  投稿者:ootaminoru

レンタルサイクルの出発点に最も近い観光拠点と思われる長禅寺(甲府市愛宕町)は武田晴信の母君である大井夫人の菩提寺です。
長禅寺の場所は甲府駅から徒歩で15分くらいでしょうか。
中央線の線路に沿って東に北側の道を歩けば五重の塔が見えます。

大井夫人は1552年(天文21年)に死去しその時に母君を傍で供養する為に息子の晴信によって創建されたと言います。大井夫人の名前は分っていません。大井家から嫁に来たので旧姓の大井から嫁に来た夫人と言っています。
絶対に花子だとか晴子だとか固有の名前があったはずです。
晴信の正室である三条夫人も天皇につながる公家の三条家から嫁に来たので三条夫人と言っているのと同じです。

元々長禅寺は甲西町鮎沢に大井氏の菩提寺として長禅寺があります。真言宗でしたが1316年(正和5年)に臨済宗妙心寺派に改宗しています。大変古い寺です。
大井夫人は国人大井信達の娘です。武田信虎と勢力を二分するくらいの勢いの大井氏は駿河の今川氏の重臣福島正成の加勢を得て飯田河原、上条河原で争います。
信虎が勝っ...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(2) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

北山野道

2009.12.15 20:42  投稿者:ootaminoru

甲府市の北側山麓を取り囲むようにして観光の古道コースが設けられています。
甲府市教育委員会が制定したもので、歴史と文化と自然が織りなす散歩道です。
西側から志摩の里、、、、、湯村山、湯村温泉、緑ヶ丘スポーツ公園周辺
    小松の里、、、、、躑躅ガ崎の館、積翠寺及び武田五山周辺
    板垣の里、、、、、甲斐善光寺、東光寺、カイテラス周辺
    表門の里、、、、、酒折宮周辺  です。

このコースを徒歩で周遊するのが今までの基本設計でしたが、今年から甲府市観光協会が「レンタルサイクル甲府」を立ち上げて電動自転車の貸し出しをしています。その貸し出し事務所は甲府駅北口の山の手御門に隣接する夢小路です。

新たに電動自転車を利用してこれ等の北山野道をサイクリングして廻るのも楽しいと思います。
私は徒歩でのこれ等のコースを巡回していますが、電動サイクルでは未経験です。
来春早々にに実際に体験取材をしてみる予定です。

既にこのブログに電動サイクルでカイテラス、甲斐善光寺へ行かれた方のレポートがありました。
今後、この電動...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

白根三山

2009.12.08 22:46  投稿者:ootaminoru

山梨県を代表する自然遺産は何か?
富士山にはコンセプトが見つかりません。
人類にとって何のための富士山文化世界遺産登録なのでしょうか。
オリンピック候補地がブラジルに決まって東京が落選したのと同じように。

ひょっとしたら遺産登録に落選するのではないかと思う。
私は白根三山だと思う。
開発や活用、利用をしようとは思わない。
自然そのものをキッチリ保護するのが一番のお宝を持続して活用する事になると思う。


ここには氷河期の生き残りの植物が沢山残っている。
氷河期の氷河地形だって残っている。
富士山にはいない動植物が生き残っています。

山梨に縁あって滞在している者、山梨に縁あって生を受けて育った者よ。

リニア新幹線が甲府盆地に停車するようになれば東京から15分で白根三山の登山基地に来れます。
高尾山が東京に、こんなに近く自然が残っているという理由で都会人に、そして外国人観光客が押しかけて来るそうです。三ツ星の評価だそうです。
富士登山者数と同等だそうです。

白根三山は誰でも登れる山ではない。しかしこんなに近く東京に接近して自...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

忘年会

2009.12.08 21:17  投稿者:ootaminoru

街は忘年会の真っ盛りでしょうね。
昔は大きな職場単位で大宴会をしたものです。
昔とは高度経済成長真っ盛りの時代です。
社長や部長に仕事の愚痴や自分を売り込む為に自慢話をしたり、上司の悪口を告げたり、うさ晴らしやゴマをする場でもありました。
社長に杯を返杯してもらうのが名誉な事でありました。
無礼講という言葉が付きまといました。
忘年会にグジグジと仕事の話をしたものです。

今では小さな職場単位で上下関係をあまり意識しないで親睦の一環として和やかに行う風潮が主流になりましたね。

私達日本人にとって社員旅行や忘年会は当たり前の季節の風物詩ですが、これは日本独特のものではないかと思います。
海外に一度も出たことがありませんので耳学問ですが、明治時代以降、近代化の嵐の中で組織に忠誠を誓う、組織の輪を重視した日本式労務管理のなせる業らしい。
特に戦後の高度成長時代に発達したものらしい。
組織丸抱えで組織に染まり組織に奉ずる愛社精神を培うものでした。

今は仕事はマニアルに従い個別に行なう。マニアルに対して忠誠心を持てば宜しい...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

舞鶴城公園(甲府城跡)の晩秋(5)

2009.11.25 17:20  投稿者:ootaminoru

石垣からのお話。流れ流れてどこどこ行くの?

甲府城址は、つい最近まで城に関する建築物(建物)はありませんでした。
明治の初年に全て壊してしまったからです。
城址の範囲も内堀(二の堀、三の堀が別に外側にあった)の内側の1/3しか残っていません。2/3は都市に飲み込まれて県庁になったり百貨店になったり甲府駅、中央線になったり、堀を埋めて周辺道路になったりしています。
辛うじて石垣だけが残されていました。

しかし築城以来そのままの石垣が残されていたのは真に幸運でした。
甲府城の自慢の種はこの石垣です。

建物については12年ほど前から山梨県は甲府城に多額の予算を投入して修復整備して史跡としてリュアールしました。
現在復元された建築物は
1内松陰門
2鍛冶曲輪門
3稲荷門
4稲荷櫓です。

それから甲府駅の北口東に甲府市が昨年山の手御門を復元しました。
県庁東側の門の舞鶴道路を北に進み中央線弧線橋を渡り終えた右手に見える門がそれです。
その山の手御門を入れて5つになります。

それから最近のニュースとして近い内に鉄門(くろがねもん)...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(1) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

舞鶴城公園(甲府城址)の紅葉(その4)

2009.11.24 10:18  投稿者:ootaminoru

秋です。
都市とは「第一次産業従事者の住民に占める割合が少なく絶えず人と物そして情報が出入りしている場(機能)」をいうらしい。
人と物が出たり入ったりしていなくて人だけ定着している場所は住宅地であり住宅団地だ。そうした場所はものが流入し消費されるのみの場であり都市の一つの側面ではあるが必ずしも都市全体の場とは言えない。
都市の繁栄を考える場合、都市の機能、構造からもう一度考え直す必要がありそうだ。はたしてリニアが県内を通り県内駅が出来てもそれに耐える都市の場や存在する山梨県の場を確保できるのかどうかが問われている。
その場を確保できるかどうかは自らが創造することであり、国から、叉は天から、神様から与えられるものではない。

地域活性化、地域観光増進、経済再建化などなど毎日の新聞にそれらに関連した記事が掲載されていますが人々の記憶に留まることなく走馬灯のように過去という闇に葬られて行きます。

県内いたるところでいたる人達が明日の山梨に期待を寄せて今の生を頑張っています。しかしその多くは情報の垂れ流し過ぎ...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(6) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

舞鶴城公園(甲府城)の晩秋(3)

2009.11.18 18:22  投稿者:ootaminoru

甲府城の稲荷曲輪に山梨(ヤマナシ)の原木があります。
いまだ10個以上の果実を枝にしっかり付けています。
果実は茶色で赤梨の典型です。
日本の梨は赤梨と青梨があります。

甲斐の国から朝廷に梨を献上したとの記録が延喜式(西暦927年)延喜5年の平安中期にあります。
青梨五担を貢進したとの事です。青梨である事に注目。姿形は記載なし。

甲斐国志には要約すると「山梨郡勝沼の上岩崎村及び北山筋長塚五箇村に梨が産する。いろんな種類があるが皆、青梨ではない。その形は紡錘形で上下が細く胴が太い。」
甲斐国志は文化11年(1814年)に編纂された甲斐の国の地誌です。

甲斐叢記、嘉永元年(1848年)に峡中八珍果として甲州の代表的な果実八種類を絵入りで書かれています。
林檎 柿 石榴 栗 葡萄 梨 銀杏 桃ですが梨の図は丸く球形に書かれています。赤梨か青梨かは判りません。

写真1から甲府城跡にある梨は赤梨です。
大きさはピンポン玉より一回り大きくしたくらいです。
はたして日本古来からの梨なのだろうか。

写真2は天守台に向って撮影しま...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

舞鶴城公園(甲府城跡)の晩秋(2)

2009.11.17 21:39  投稿者:ootaminoru

私は甲府城御案内仕隊の隊員としてボランテアで甲府城跡を訪れたお客様に山梨県の観光案内をしています。お客様のニーズに合わせて守備範囲は多岐に渡ります。解からない事や知らない事には聞き役になる事もしばしばです。持ち場が甲府城ですので主に甲府城に関することが多いのですが、最小限度ご説明するのは

①甲府城は武田信玄公の城ではないこと。
 武田を滅ぼして甲斐の国を占領した勢力によって築かれた城である事。
 
②時代は1600年の関が原の天下分け目の戦いの直前に豊臣秀吉の配下の浅野長政幸長親子によって築かれた。
以後徳川方の城となりました。

③石垣は野面積であること。

④1705年から1724年まで柳沢吉保吉里親子が城主であったがその時代が最も城下町及び城郭を整えた時期であった事。以後は天領(幕府直轄領)で甲府勤番支配であった。

写真1は坂下門跡:大手門から入場して坂下門を経て鉄門から本丸に至る重要な通路。黄色い樹木は榎木です。

写真2は本丸にカラスが運んで来た柿の種からの実生です。渋柿です。
どうして実生からと解かる...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

舞鶴城公園(甲府城跡)の晩秋(1)

2009.11.17 18:14  投稿者:ootqaminoru

舞鶴城公園が秋本番となりました。
城郭のない城跡の秋の気配は寂しくてなりません。



「舞鶴城公園」は都市公園法の公園の名前です。
その公園の中に県指定史跡「甲府城跡」があります。
舞鶴城公園の「舞鶴城」とは江戸時代後期から明治時代初期に市民によって名付けられた愛称です。愛宕山から眺めると鶴が舞っている姿に見えるからだそうです。

しつこい表現になりますが都市公園法の「舞鶴城公園」と県の史跡「甲府城」は別のものです。同じ敷地内に違った性格のカテゴリーがダブってあるのです。

前者は公園として癒しの場であったり、防災上の避難地であったり、緑地帯であったりします。仮にブランコがあっても滑り台があっても噴水、ベンチ、売店、駐車場、野球場、プール、陸上競技場、動物園があっても差し支えありません。小瀬の運動公園を想定して下さい。
後者は歴史的史跡として、その当時の状況を出来るだけシンプルに保存した古い建物や遺構(旧跡)で日本の文化財の種類の一つであり歴史上叉は学術上価値が高いと認められた場所です。日本国及び地方公共団体...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

庭の小菊

2009.11.07 06:30  投稿者:ootaminoru

庭の小菊が見頃を過ぎました。
ご苦労様でした。
叉来年お会いしましょうね。

小菊を観光のメインに据えて取り組んでいる自治体?観光協会?があります。検索して主催を調べたら京阪電鉄でした。
大阪「枚方大菊人形祭り」です。
この季節、大阪人や関西人は枚方大菊人形を見に枚方へ行ったものです。
過去形なのは100年続いた菊人形祭りは2005年で幕を閉じたそうです。
表向きは造り手の高齢化を挙げています。
真相はもっと複雑な価値観の多様性とかで集客力を失ったのかもと想像しますが、、、、。

私は小学生(昭和27年頃?)の秋の遠足で先生に連れられて学級児童の皆でぞろぞろ枚方菊人形祭りに行きました。
小学生ですから今から60年くらい前になります。
兵庫県芦屋市に住んでいた時分です。
今ではその枚方大菊人形祭りは辞めになったそうですがインターネットで検索しますと記事が出て来ます。
是非「ひらかた大菊人形」百科事典ウイキペデイアで検索して見て下さい。

何が言いたいのか?
そうです。庭の小菊では観光の主役として人は集まらないと思えますが小菊...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

滝子山(山梨百名山25)

2009.11.04 15:55  投稿者:ootaminoru

明治35年笹子峠にトンネルが開通して明治36年に甲武鉄道の終点八王子から延長して東京~甲府間が供用開始しました。その笹子トンネルは4656メートルで当時としては東洋の最長のトンネルだったそうです。明治29年から6年の歳月を掛けた難工事でした。

笹子駅にある笹子隧道記念碑には当時の内閣総理大臣桂太郎の筆による大きな記念石碑が立っています。この記念碑は平成4年までは甲府城に立っていましたが甲府城を戦国末期のお城として県の史跡にする為に笹子駅に移動して頂いたとのことです。

その笹子トンネルの上は江戸時代からの旧笹子峠で国中と郡内を隔てる要塞でした。武田勝頼はこの笹子峠で大月の岩殿山に落ち延びようとしましたが小山田に裏切られて通せんぼに会い田野で果てます。武田の終焉です。時は1582年です。

笹子峠は奥秩父山塊(秩父多摩甲斐国立公園)の大菩薩連峰の最南端にありますが山脈は更に南につながり本社ヶ丸、清八峠、三つ峠山、を経て今度は西に向って御坂山、三方分山を経て蛭が岳に至る長い山脈が繫がっています。
笹子峠...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

メープルリーフ

2009.11.01 18:29  投稿者:ootaminoru

カナダ国旗は白地に赤のメープル(楓)リーフ旗です。

そのカナダ産メープル(楓)の樹木が山梨英和大学の構内に沢山あります。
この季節、一見の価値があります。

私は平成21年10月31日に英和大学で講義があったパブリックテーマ講座(日本人と宗教)に出席しました。
この季節、山梨英和大学では公開講座を開いてくれています。毎年楽しみにしています。
英和大学は人間文化学部人間文化科の大学です。

楓の種類は沢山ありますが、カナダ産の楓は日本にはない種類です。
私が知る限りでは山梨学院大学の西側の敷地内街路樹にも良く似たメープルが数本植えられています。厳密にカナダ産のものかどうかは知りませんが。

ここ英和大学はカナダ系のキリスト教メソジスト派の学校です。明治22年に開校しています。大変歴史の古い私立英和女学校を前身にしています。歴代の教師や校長先生はカナダ人でした。
私が英和大学を懇意にしているのは赤毛のアン(著者モンゴ コメリー)は1908年に刊行されましたが1868年当時の日本の明治維新の時期のカナダのエドワード島の農村の...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

鳳凰山の名前

2009.10.30 05:35  投稿者:ootaminoru

鳳凰三山は地蔵、観音、薬師岳から構成されていますがその名前は何時頃付けられたものでしょうか。
柳沢吉保が甲府城の城主であった1710年頃に江戸の儒学者荻生徂徠が甲州を訪れていますが、その紀行文「峡中紀行」に鳳凰、地蔵、駒ヶ岳などの名前が出て来ます。「峡中紀行」は元文五年(1740年)の出版だそうです。
ですからその時代には既に薬師、観音までは解かりませんが鳳凰は名付けられていたのだと思います。
旧芦安村役場が所蔵する寛延三年(1750年)「甲斐国巨摩郡芦安倉村より同国同郡黒沢、山高、柳沢三か村山論裁許之事」の絵地図にはこれ等の名前が出ているらしい。
叉天明六年(1786年)「甲斐名勝志」文化11年(1814年)甲斐国志にも出ているらしいが全てではないらしく、叉里人も取り違えて複数の固有名詞で呼んでいたので明治時代の日本地図作成の時期に山の名前がハッキリしなかったらしい。官制で名前が付けられて以降の時代に大論争になったものらしい。

写真2は地蔵が岳です。 私はオベリスクと言っています、
    鳳凰三...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

未来につなげる産業の匠たち

2009.10.25 21:44  投稿者:ootaminoru

観光産業は全ての産業、行政、自然的景観、食べもの、特産物、交通、インフラ、宿泊施設、歴史的文化等の総合力の上に花開く産業であり、守備範囲が広く深いです。
叉、100-1=0だそうです。

山梨の産業を支えて来た物づくりの伝統工芸品や商工業にスポットライトを当てその産業の歴史そして現在抱える問題そして未来の展望について語るシンポジュームが開かれています。

私は山梨の観光を考える場合、その裾野の一つである地場産業が観光に寄与する割合が大きくその進捗状況が此れからの山梨県を左右するほどだと思っています。

その地場産業の現在、そして未来に対して取り組んでいる姿を公開し業界の政策を披露して頂きました。
其処には郷土を愛し自分の生業を、技術を愛する熱意が感じられ、物語性があります。
その結晶であり結果である製品そして商品の現物がカイテラスで行なわれていた「水晶宝飾の新作展」であり、合わせて見逃せないものです。
業界のいろんな部分を支える第一人者が集まり此れからの業界の共存共栄を語って呉れました。今は開かれた社会が必...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

鳳凰山からの鳳凰山

2009.10.23 06:10  投稿者:ootaminoru

鳳凰山は花崗岩の山です。
花崗岩の奇形、巨大なオブジェを見ながら白洲を歩きます。

長野県の北アルプスツバクロ岳(燕岳)も同じ景観です。

全国的にはもっと沢山あるのかもしれませんがつたない経験では関西の六甲山が花崗岩の山です。神戸、大阪、宝塚、有馬温泉に跨る関西のロックガーデンです。ハイキングや登山やリゾートホテルの癒しの場です。有馬温泉もあります。
関西人には絶大な人気があり郷土の共有のお宝です。
花崗岩を別名御影石と称します。それは六甲山の麓に御影(みかげ)なる地名があって其処から花崗岩を切り出したからです。

その海岸線には灘の浜と西宮の浜があります。
白州町のウイスキー醸造やミネラル水や台が原の清酒それから武川米と同じで灘の清酒は六甲山の伏流水を汲み上げた清水が原料です。
清酒コンビナートです。歴史が違います。経済的貢献度が違います。

もっと昔、江戸時代以前の関西には伊丹の清酒がありました。
この伊丹の清酒も宝塚に近く六甲山から流下して来る水です。

六甲山は阪神タイガースの「六甲降し」の歌の源です。
六甲山...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

鳳凰山からの甲斐駒ケ岳

2009.10.22 06:03  投稿者:ootaminoru

白雲湧き上がり甲斐駒ケ岳雄姿留めん。

この角度からの駒ヶ岳は麻利支天と本峰が直線状に重なってしまいその特徴が半減されています。
左奥は鋸岳です。
甲斐駒ケ岳はどの角度から見ても正三角形で雪が降ったように白いです。
大変特徴のある姿形です。
叉ここから流下する伏流水は麓で汲み上げられてペットボトルに詰められ全国に配送されています。
知る人ぞ知る日本を代表する全国区のミネラル水なのだ。
しかし一企業の資源であり資産であり商品になっています。山梨県全体の資源になっていないところに寂しさがある。

写真3は富士山です。

平成21年10月12日


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

鳳凰山からの仙丈ケ岳氷河地形

2009.10.21 17:08  投稿者:ootaminoru

仙丈ケ岳の氷河地形をご案内します。

仙丈ケ岳には三つの氷河地形が残っていて、昨年の秋に仙丈ケ岳登山の折に氷河地形の解説を致しました。
今回はその内の二つが明確に見える写真で補強させて戴きます。
鳳凰山と仙丈ケ岳は途中に甲斐駒ケ岳、アサヨ峰を挟んで同じ山脈で繋がっています。ですからその同じ山脈の縦走路から眺めた仙丈ケ岳は一定の方向(東)から素晴らしい展望で眺める事が出来ます。

写真1は右側のピークが小仙丈ケ岳です。そして尾根を左に移動させますと右側に少し高いピークが見えます。これが3132㍍の仙丈ケ岳です。
そして小仙丈ケ岳の右側下に見える緩やかな傾斜面(スプーンカット)が小千丈ヶ岳カールです。
そして仙丈ケ岳の左側に見える緩やかなカーブを描いて下降する広い斜面が大千丈ヶ岳カールです。
大仙丈ケ岳カールは二段になっていて上部のものは1万年前までのウルム氷河期のもので下の大きなカールはリス氷河期のものだろうと都留文科大学の地質学者田中収氏は著述しています。

写真2では小千丈ヶ岳カールを正面に捉えています。
小...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

鳳凰山からの北岳

2009.10.18 07:15  投稿者:ootaminoru

鳳凰山からの北岳は、特に白鳳峠や高峰からの北岳は正面に大樺沢が見えます。
北岳は甲府盆地からは前衛の鳳凰山が立ちはだかっていて見えにくく、叉北杜市からも同様で腰から上部しか見えません。

そうかと言って広河原から登山をしますと近すぎて全体の景色が判りません。
それは富士山登山の途中の七合目からの山容と遠くから見る河口湖からの富士山の景色の違いでもあります。
丁度鳳凰山からの北岳は河口湖からの富士山に匹敵します。


写真1は広河原から白鳳峠へ2時間登った森林限界地点から始めて姿を見せる北岳です。あと30分で白鳳峠に到着します。
白鳳峠は甲斐駒ケ岳からアサヨミネを経由して鳳凰三山そして夜叉神峠を繋ぐ縦走路の丁度真ん中のT字路です。

写真2は朝焼けの北岳クローズアップです。
10月12日ですがもう北岳は少し白くなっています。
オレンジの部分は草付きですが草紅葉が進んでいます。

写真3は高峰からの大樺沢全景です。
この大樺沢の見える景色はこの登山路だけからのものです。
沢の途中の白いのは雪渓です。
この大樺沢はかつての氷河地...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

鳳凰三山(山梨百名山22)

2009.10.16 20:32  投稿者:ootaminoru

地蔵岳、観音岳、薬師岳から鳳凰山(三山)は構成されています。
しかし、この山の名前は明治時代から論争の種だったそうです。
実は明治時代以前から、山の固有名詞が地域社会で幾通りかあってハッキリしていなかったからです。
甲斐国誌(文化11年=1814年)に(甲州の)州人の多く地蔵岳を誤認して別名で呼ぶ。と書いてあります。
それにしても鳳凰、薬師、観音、地蔵の呼称を地域社会で何時頃誰によって命名されたものだろうか。
名前負けとは言いませんが、これ以上の讃美は無い程素晴らしい名前だと思う。甲州の人がこの山に対して敬う心がそんなにあったのだろうか?

明治35年に陸地測量部がこの山域の最高峰の2840㍍に二等三角点を設置して、その場所を観音岳とした。地域社会で観音岳と最も一般的に呼ばれていたからです。
地図に書かれたその時点で地域社会の呼称から全国区公認の国家統制の山の名前となった。
現在も観音岳の頂上に三角点が存在しています。
しかし測量調査隊は「点の記」にその当時この山を薬師岳と呼ぶ里人もいる。と記録しています。

...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

青木ヶ原樹海コウモリ穴洞穴

2009.10.14 21:30  投稿者:ootaminoru

コウモリ穴洞穴

ヘルメットを借りて洞穴に入ります。
天上の低い場所はしゃがんだ状態で歩行します。
昼間はコウモリは穴の奥深く眠っていて出入りしませんが夜間は飛び回るそうです。

洞穴は高圧水蒸気が充満して溶岩流の内部に空洞を形成したものだそうです。
床部分には解けた溶岩が流れて縞模様になった部分がありました。
写真2です。

灼熱の溶岩に流動性がある時代に出来立てホヤホヤを証明する名残です。
なかなか楽しい地底散策でした。
平成21年10月9日


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

樹海と洞窟

2009.10.13 21:37  投稿者:ootaqminoru

青木が原樹海

10月9日ネイチャーガイドなしで青木が原樹海とコウモリ穴を含む竜宮洞窟を散策をしました。そして紅葉台に登りました。

自分の知見そして洞察力がどの程度か試しています。
近い内に今度はネイチャガイド付きで散策してみます。

現在判っている事
1青木が原溶岩流は西暦864年の長尾山の爆発で約1150年の歴史の
 なせる業であること。その特異な時間系列の中の出来事だ。

現在判らないこと
1樹海の磁場はどのようなメカニズムで出来たか?
2極相林(針葉樹林帯)になるにはどの位の年月が必要か?
 その条件や環境は何か?
3光を必要としない植物(例:ギンリョウソウ)で特異な物はないか?
4竜宮(セノウミ神社)は富士講の観光ポイントだったそうですが、富士講 の周辺の観光コースは?出典は?
5本栖湖湖畔の石積について
 かつての人は樹海をどのように積極的に使用してきたか?
7樹海の中は針葉樹が80㌫で落葉広葉樹が少ない。ナッツ類に代表され
 る果実が少ない。叉地表面は光が少ないので低木も少ない。蘚苔類や
 地衣類はある程度発達し...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

万葉集に富士山を詠める詩

2009.10.11 14:34  投稿者:ootaminoru

紅葉台は西湖と富士山の間に位置する小高い山です。
西湖畔から高度差で100㍍位あるでしょうか。1164メートルです。
この山塊には三湖台、五湖台(足和田山)がありますが足和田山は山梨百名山の一つです。
ここだけ青木が原溶岩流が覆い尽くす事ができずに取り残した山です。
一歩その急な山麓を登り始めますと地質が異なります。
表面は薄く火山灰土が覆っているようですが岩質は変成岩の白っぽい石です。
この山は富士山の真北に位置しますので直近ですが殆ど影響を受けたいません。
火山灰は西風の偏西風によって爆発時のスコリアや火山灰土は遠く須走りや小田原や東京方面に降らせました。
富士山の生成に比べて古い御坂山脈の岩脈です。

ここからの富士山側の眺めは万葉集に出てくる風景を連想する地です。
万葉集の歌碑がありました。


万葉集の詩を詠んだ人は青木が原溶岩流が流れ出す前のセノウミが広がっていた時期です。

写真3は紅葉台から眺めた西湖畔の根場癒しの里です。


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

文献にみる船津口登山道

2009.10.07 10:25  投稿者:ootaminoru

船津口登山道は文化7年(1810年)に陰りなく衰退したと思われます。
その理由は船津口登山道からの富士登山は吉田口との権益争いの結果、裁判沙汰になり幕府の寺社奉行の裁定で富士吉田口分を含めて二重に山役銭(入山量)を支払わなければならなくなったからです。それ以降は誰もが吉田口登山道を歩くようになったと思います。

文献から船津登山道を探ってみました。

その1
富士山登山案内図:富士吉田市歴史民族博物館P81

 江戸時代の中期以降、江戸を中心にした富士講中の登拝は甲州街道を
 富士道(谷村路)に分岐して吉田に到達する道筋に固定されていた。
 一方、中部山岳地帯からの道者(信仰登山者)は甲府盆地から御坂越え
 に川口に到達して、その御師宿坊に宿泊し湖南の船津から胎内道を経て
 直接山内に入ったと案内図から読み取る事が出来る。
 (即ち小生が現在船津登山道を探険している道筋です。
 しかし、その道筋は人が通わぬ内に何度も立ち消えになり、ある時代に
 再開削して名目を保ったものであり、その度に道筋は変わっていたもの
 と推定...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

湯村山、湯村温泉ハイキング

2009.10.02 10:31  投稿者:ootaminoru

甲府市の人ですが足の不自由な人を平成21年10月1日湯村山城を同伴し御案内して来ました。
初めてだそうです。

緑ヶ丘のスポーツセンターの体育館から整備された遊歩道を登り頂上へ。
樹木の茂った涼しい遊歩道をゆっくり登ります。
10月だというのにツクツクボーシの鳴き声があちこちで聞こえてきます。
頂上の吾妻屋で暫く休憩。城址の遺構を見て回ります。
そして湯村温泉側に下山します。林の中を下ります。
8世紀の横穴式古墳を二基見て塩沢寺から温泉街の名所旧跡巡り山辺を歩き万寿森古墳を見て体育館に戻ってきました。
凡そ2時間半の散策です。

県営緑ヶ丘スポーツセンターと湯村温泉を分けるように山脈の先端が張り出しています。標高差150メートルの小高い山脈の先端が湯村山です。
湯村山の頂上には城跡があります。湯村山城です。

この湯村山が史実として出てくるのは1519年に石和から相川扇状地の躑躅ガ崎の館を新築し移って来た武田信虎が2年後の1521年、今川の家老福島正成に攻められて飯田河原及び上条河原で決戦となり地の利を得た信虎が辛うじて勝...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(2) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

叉来る日まで北岳

2009.09.28 17:05  投稿者:ootaminoru

サヨナラ、サヨナラ叉来る日まで、、、。
来年も叉登って来ます。
振り返り振り返り北岳を下山して行きます。


県内の山はまだまだ登れる体力と経済力があります。
殆ど日帰り登山ですので宿泊費はタダで交通費は知れたものです。
もう今年が最後で、これっきりとは思わない。

県外の山、海外の山には行きたいけれどもお金と暇がない。
海外へは一度も行った事がない。
槍穂高縦走や東北の山々、北海道の大雪山系、日高山系の山々は今度登りに行った時がラストランになるだろう。

本当は仕事は嫌いだけれども、したくないけども山には登りたい。
時間給1000円ではもったいなくて山小屋に泊まる気が失せてしまいます。

先立つものはお金。勿体ない、勿体ない。
アー官僚の天下りになりたかったなー。普通の再就職の28倍の給料だって。
誰かスポンサーになってくれないかなー。
お金が落っこちていないかなー。ネコババするのにー。ネコババは犯罪だからこれは取り消しします。

時給の仕事と登山の二足の草鞋。
何時までたっても抜け出せません。

高齢者元気印手当金として月額2万5千...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

北岳の二俣

2009.09.28 06:20  投稿者:ootaminoru

広河原から大樺沢を二時間強登りますと右俣沢との分岐点に差し掛かります。

ここは三叉路です。
大樺沢をそのまま登って行き八本歯のコルへ行くのと右叉沢から草すべりを上がって小太郎尾根へ。
もう一つ、白根お池小屋への交通分岐点です。
しかも正面に北岳の全容が眺められる場所です。写真は大きな北岳をワイドで撮影していますので高度間が表現されていませんが正面に高度800メートルの壁、バットレスが立ちはだかっています。

しかもと書いたのはこのような分岐点は休憩場所になります。登り始めて2時間、それまでは樹海の中をひたすら登るのみの苦痛の連続でした。
大方の人がここで休憩を取ります。
登山者にとって滞在時間が長ければ長いほどその場所でのロケーションや友人との会話の記憶が残ります。
そうした意味からここ二俣は北岳登山の大切な舞台になっています。

今回早朝の3時40分に広河原のテントを抜け出し歩き始めましたので、休憩方々二俣で朝焼けの北岳を撮影出来ました。
このような北岳の写真をあまり?殆ど?全く見た事がないでしょう。
今回たま...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

北岳のお賽銭は何を語る?

2009.09.27 08:26  投稿者:ootaminoru

北岳の頂上に誰が置いたか陶器のお地蔵様が置かれています。
昨年まではこのお地蔵様はなかった。
そのお地蔵様にハンカチで袋を括ってその中にお賽銭が入っています。
自然発生的に出来上がった現象であり、誰の所有物でもなさそう。
改めて日本は仏教国なのだなーと思う。

大乗仏教は平和と共存を根底にしている。共生なのです。
どんな立場の人でも善人も悪人も賢い人も馬鹿な人も男も女も、生きとし生けるもの全てが救われる。
十一面千手観音菩薩がその思想を表現しています。
それに対し他の世界宗教は自分の神を信じたものだけが救われる。即ち選ばれた者だけが幸せになれる。選民思想なのだ。派閥から外れたものは排斥される。
弱肉強食の生き残りを掛けた宗教なのだ。

限りなく地球が広く自由に力を発揮し自己実現できる時代はそれでも良かった。仏教もそうですが世界の宗教は紀元前5世紀頃に形成されている。
その時代は限りなく地球は広く無限大に自然は偉大で大きく強かった。
人間は弱く小さい存在だった。強く敵対するものを排除する思想を持たなければ自然に負けて...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

源義清館跡に咲く彼岸花

2009.09.25 12:24  投稿者:ootaminoru

お彼岸が過ぎました。彼岸花が咲いています。

昭和町西条に源義清館跡があります。
堀と土塁で囲まれた遺構らしい中に義清社があります。その境内に彼岸花が咲いていました。

義清は武田氏の先祖で常陸の国から追放されて甲斐の国に流れ着いた最初の人です。ここからその息子の清光が北巨摩郡の逸見荘に勢力を拡大しそこで沢山の子供を設けて甲斐の国一円にばら撒きます。
甲斐の国の豪族は武田氏の祖先の義清、清光を清和天皇の流れをくむ高貴な血統とみなして娘を差し出しその血筋の配下に入ろうとしたのでしょう。
20人以上の子供を設けています。
清光の在命は1110~1168年と言われています。

その中の一人が武田を名乗り韮崎の武田の館、武田八幡を根拠地にした武田信義がいます。その信義が甲斐源氏の祖となる訳です。

尚、市川大門の平塩の岡にも義清の館があります。
どちらが正しいのか私には分かりませんが、武田氏の研究には両者共見て置くべきポイントです。

毎年、昭和町の源義清社へこの時期彼岸花を見に行きます。


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

北岳の水が綺麗

2009.09.24 16:13  投稿者:ootaminoru

北岳の水が綺麗

山梨の宝物は「水、山、空気、太陽だ」とある作家がシンポジュームで語ったそうです。9月12日?「水と緑の講演」で「山梨の自然の魅力」の演題でその感性を披露したそうです。
その作家は甲府に何年か実生活をしているのでその言葉は嘘がないだろうと思う。作家なのでその感性を披露しなければエッセイや小説が出来上がらないのですがしかしそのシンポジュームの内容を伝えた山梨日日新聞9月18日の小欄「風林火山」は話の筋を総括して引用しただけなのでその具体的な作家の経験談とか感性が描かれていません。

大切なのはそこに居住する住民が「山梨県は水、山、空気、太陽が宝だと実感しながら生きている」かどうかです。
本当に山梨県民は実感として生活の内に「山梨の宝物は水、山、空気、太陽」を感じていますか?と問いたい。
その実感なくして他者に山梨の魅力を伝える事は出来ないと思う。即ち人間が感じ取って始めてそのものが実存するのであって、認識していないのであればその実態が存在しないのですから。
絵空事のマスメヂアの流行に踊らさ...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

北岳の吊り橋

2009.09.24 11:52  投稿者:ootaminoru

北岳登山は吊り橋を渡る事から始まります。

広河原は野呂川の左岸にバスの発着場があります。そこから歩き始めて右岸に渡ります。
渡った場所が広河原山荘です。そこから今度は野呂川の支流である大樺沢に沿って細い登山道を登って行きます。
渓流の音を聞きながら樹海の中を進んだり、小さな枝沢を渡渉したり、河原に出たりしながら高度を上げてゆきます。
未だこの段階では喘ぐほどではありません。

この吊り橋は生活の為の橋ではない。
所詮、登山は直接生活に密着しない遊びの世界ではありますが一つの文化なのだ。
しかし、庭園や園地のようなやらせの世界の遊びではなく、これから登山といった気張った行動を起こす日常の世界と非日常の世界の接合点、即ち三途の川に似た緊張感が走ります。ここで気合が入ります。
叉その事は下山して来た場合は心の武装解除をする場所なのです。

その昔、徒歩で旅をする時代にお江戸日本橋から上方へ歩き始める日本橋の橋の袂がこのような心の武装、武装解除の場であったでしょうし、蒸気機関車の鉄道の時代は上野駅や青函連絡船がそうで...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

北岳(山梨百名山21)

2009.09.22 20:32  投稿者:ootaqminoru

観光は戦国時代です。
どの地方自治体も観光客の誘致にしのぎを削っています。
食うか食われるか?
高速道路土曜日曜1000円の恩恵は山梨県には少ないようですね。
山梨県を通過してもっと奥へ。

山梨県にしかないもの。他県と比較して他県にはないもの。
これは強い味方ですね。

北岳は富士山に次いで日本で二番目に高い山です。3193㍍です。
そしてキタダケソウがあります。
9月22日だというのに雪渓が残っています。
これだけのコンセプトがあれば全国から沢山の登山者が集まって来ます。

更に、実際に登山をしますと多種多様な魅力溢れる自然の地形的造形やそれに付随する植物の分布に出会います。
大樺沢の深い渓谷が中部山岳地帯としては南部に属しますが雪渓を沢山蓄える理由です。

平成21年9月22日


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

国民的風景

2009.09.17 13:56  投稿者:ootaminoru

東京タワーの役目は電波塔です。
しかし東京タワーは電波塔だけの役割にとどまらず戦後の日本経済及び国民生活の繁栄を象徴するもので、しかも国民の殆どの誰もが一度は見て来た実存の風景で、そして脳裏に浮かぶ記念碑だと思います。
日本にとって日本人にとって恐らく計り知れないくらい莫大な経済的効果と文化的な効果があったでしょう。効果は正と負の両面を持ちます。
東京タワーは新幹線と共に戦後日本の懸引車だった。
戦後最大の国民的風景は東京タワーだと思います。

もう一方の自然を代表する日本の普遍的風景は富士山だと思う。
昨年、今年と吉田口六合目通過者24万人を突破した。歴史的な
富士山ブームだ。

21世紀の日本をそして世界に通用する文化、平和と安全、環境面を総括する実用的でしかも象徴的な21世紀東京タワーを山梨県に建設しましょう。
22世紀に跨る懸引車であらねばなりません。
それが観光面について言えば山梨県のオンリーワンの観光資源だと思う。

鳩山内閣の発足は日本にとって明治以来の政治、行政のシステムを変える歴史的転換点だ。
民主...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

二重橋と大奥

2009.09.11 21:03  投稿者:ootaminoru

江戸城(皇居)と言えば二重橋と大奥

二重橋は遠くから写真を撮るのみで素通りしました。
写真1です。

写真2本丸
本丸には沢山の建物があったそうです。その建物を廊下で繋いでいたそうです。赤穂浪士の忠臣蔵の原因となった松の廊下の刃傷沙汰の松の廊下もこの付近にありました。松の絵が描かれていたそうです。
芝生の真ん中に見えるのは大砲です。
明治時代に正午を大砲の空砲「ドン」で丸の内の周辺の人々に知らしめました。ここから「半ドン」という文言が出来たそうです。
この隣の芝生が大奥のあった場所です。

写真3は二の丸の雑木林です。
昭和天皇が武蔵野の面影を偲んで雑木林を二の丸に築庭しました。
その片隅に秋の七草の萩やおばなや桔梗そして女郎花(オミナエシ)が植えられていました。丁度季節は秋です。
陽だまりのオミナエシに留まるアカタテハを撮影しました。
オミナエシはその昔、武蔵野の雑木林や原野に沢山野生のものが見られたそうですが現在ほぼ絶滅状態だそうです。
山梨県でも野生のオミナエシを見ることは殆ど出来なくなりました。
近くでは明野の...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

江戸城天守台

2009.09.11 17:42  投稿者:ootaminoru

江戸城へ遠足に行って来ました。
お目当ては皇居東宮御苑です。
2時間の滞在でした。

無料です。公開されています。大変広くて二の丸庭園や雑木林もあり何箇所か休憩所があり売店もあります。おにぎりを持参でゆっくり食事も出来ます。
月曜と金曜日が休園日です。午前9時から午後4時30分までです。
祝日により季節により公開日と公開時間が替わる事があります。予め確認してからお出掛け下さい。
電話宮内庁:03-3213-1111(代表)


江戸城の本丸の天守台は三度の建て直しがありました。
最初に家康が作った天守は数奇屋多聞櫓の前あたりでした。
二代目秀忠は現在の天守台の位置に立て直しました。
三代目家光は父秀忠が築いた天守台も含めていったん撤去して寛永14年(1637年)に改めて新しい天守台と天守を築きました。しかし明暦の大火で焼けてしまい翌年の万治元年(1658年)に加賀藩前田家が新たに天守台を作りました。
現在私達が見る天守台はこの万治元年のものです。しかし家光以降、この天守台に天守が築かれたことはありませんでした。
その...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

北沢峠から甲斐駒ケ岳

2009.09.09 18:25  投稿者:ootaminoru

長蛇の列でおばさんグループの一行が甲斐駒ケ岳に登って来ます。
登山客の多くは高齢者で更に主力が女性です。


頂上の石室は山梨県側の竹宇駒ヶ岳神社の本社です。
石室の中にはブロンズの主祭神 大己貴神(オオナムチの神):オオクニヌシノミコトが鎮座しています。
その石室の外には草履が括りつけられています。
元気にこれからも行脚をしたい。健康を祈願する神頼みだと思います。
馬頭観音と含めて旅の安全を祈願するようになったものか。

写真3では小さくて見えませんが石室の周囲に幾つかの石造がありますがその多くは馬頭観音道です。
駒ヶ岳の名前にかけて(馬頭)観音菩薩が祀られるようになったのでしょう。

写真1は登り始めの北沢峠に咲くヤナギランです。

写真2は長蛇の列のグループ登山です。おばさんが元気です。
    花崗岩の風化した白砂を歩いてきました。ざら目のようで滑り
    ます。

平成21年8月26日


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

甲斐駒ケ岳(山梨百名山20)

2009.09.09 17:27  投稿者:ootaminoru

六根清浄。気持ちが良い登山でした。
甲斐駒ケ岳に平成21年8月26日に登りました。

甲斐駒ケ岳(2967㍍)は日本百名山そして山梨百名山に指定された山です。
ですから、百名山巡りに一度取り付かれた人は必ずここへ登りに来ます。
有り難い事です。

駒ケ岳と名前の付く山は全国で18座あるそうです。
その内、一番高い山は甲斐駒ケ岳(2967㍍)で二番目が長野県にある木曽駒ケ岳(2956㍍)です。
全国の駒ケ岳は夫々駒ケ岳信仰を持っていると聞きます。そしてその最初の発祥の地が甲斐駒ケ岳だと聞いた事がありますが如何なものでしょうか。

駒ケ岳の代表を北から10座を列記してみます。
雪形が、山の形が馬に似ている。叉巨摩の牧場?からであったり馬にまつわる命名でしょう。

北海道駒ケ岳(1131㍍)蝦夷駒ケ岳 渡島駒ケ岳
秋田駒ケ岳(1637㍍)
藤里駒ケ岳(1157㍍)
会津駒ケ岳(2133㍍)
箱根駒ヶ嶽(1356㍍)
越後魚沼駒ケ岳(2003㍍)
木曽駒ケ岳(2956㍍)
甲斐駒ケ岳(2967㍍)
越中駒ケ岳(2002㍍)
赤城山駒ケ岳(1...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

船津口登山道の探険敗退

2009.09.08 18:34  投稿者:ootaminoru

河口湖船津口登山道を探険してきました。
平成21年9月7日

下から登って行き凡そ標高1850㍍付近で道が判らなくなり敗退して来ました。
四合目の小屋跡(2060㍍)まで高度差約210mです。
今度は五合目から下り四合目の小屋跡から探険して下ってみようと思います。


船津口登山道は河口浅間神社を基点に江戸時代の中期(西暦1700年頃)まで富士登山道として使われて来ました。
富士講が発達する以前は河口の御師は神社付近に軒を連ねていたそうです。
しかし時代が下がり甲斐国志の編纂(文化11年、西暦1814年)された頃には富士登山道は下記の四登山口のみで船津口登山道の記述がありません。
吉田口(北口本宮富士浅間神社を基点に)
須走り口(須走浅間神社を基点に)
村山口(大宮口にほぼ平行して村山浅間神社を基点に)
大宮口(現在の富士宮口登山道の旧道で富士山本宮浅間大社を基点に)  

即ち甲斐国志が編纂されたその時代には民衆に依る信仰登山の対象としての登山道が認められなくなっていたものと思います。しかし、道自体は細々と関係者によ...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

吉田口登山道(三合目)

2009.09.06 20:03  投稿者:ootaminoru

富士山三合目は三軒茶屋がありました。
茶屋の裏には道了、秋葉、飯綱の三神を祀った三社宮と称する社があったそうです。
上吉田の御師宅を早朝出立して来ると、この辺りは昼食の時間帯だったそうです。

小屋の廃墟が道路を挟む両側に残っています。

既に戦後のある時期から河口湖登山道が開削されてバスで三合目(標高1786m)まで入れるようになっていました。
スバルラインが昭和39年に完成するまではこの吉田口登山道は未だ人通りがあって小屋は営業をしていたものと思います。
スバルライン開通によってめっきり少なくなり廃業に至ったでしょう。


スバルラインの開通は東京オリンピックと関係があります。
東京オリンピックは昭和39年に開催されますがそのオリンピックに間に合わせる計画で東海道新幹線が開通します。

東京、大阪、名古屋から大都会圏からの富士登山者は東海道新幹線に乗って静岡駅で下車して東海道線に乗り継いで富士宮駅で下車する時代に至りました。
ここから表登山道の富士宮口富士登山道スカイラインが新五合目の標高2400mまで開設されま...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

吉田口登山道(二合目)

2009.09.06 16:30  投稿者:ootaminoru

富士吉田口二合目は勝山村にある御室浅間神社の本宮がありました。
現在は管理上の問題で本宮の本殿を河口湖南岸の里宮御室神社に移してい
ます。

写真の建物は写真1登山道に面した拝殿の廃墟です。
   本殿の様式は慶長17年(1612年)に建築されたもので桃山時代   の様式を備えているそうです。

写真2は拝殿の内部です。廃墟と化しています。

写真3は本宮の本殿の置かれた地にミニチアの本殿が置かれています。


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

吉田口登山道(その3)

2009.09.06 07:41  投稿者:ootaminoru

吉田口登山道は今も生きた道です。

吉田口登山道は毎年毎年専門土木業者によって補修点検をしています。
補修点検をして富士登山競争に耐えられるように路面をフラットに維持する、叉道路が雨水で彫れて浮石が出て荒れて変形する事のない様に維持管理しています。

登山道は歩けばその部分が周囲の地面よりも低くなる。
凹んだ道の底に沿って雨水が流れる。
小さな土砂が流されて路面が更に掘れる。
対処療法として所々で溝を掘って所々で谷側へ排水する。
その溝も石で築いた側溝であったりします。
しかし、それでは路面の荒廃が停まらない。
急斜面の勾配では積極的に道路に沈砂曹と水抜きの槽を構築してあります。

流水を道路の真ん中に池に溜めて流速を落として砂礫を沈砂する。その上澄み液を次の枡に導きゴロ石の間から底に空けてある排水溝へ水を自然浸透させる構造になっています。ゴロ石の隙間は微細な土砂の堆積する場所でありその底は大きな砂礫層になっていて雨水を浸透させる構造です。
更に激しい雨水の場合はオーバーフローした流水は枡を出て側溝から谷側へ溝を切...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

吉田口登山道(一合目)

2009.09.04 20:32  投稿者:ootaminoru

富士山吉田口一合目の山小屋大日堂

馬返しに隣接した突き当たりに禊所がありました。
写真3がその跡地です。
禊所(みそぎしょ)は富士山を神聖な山域としていましたのでここから先へは禊をしました。
これより先に進む道者(信仰のために富士登山する人)は大正期より御禊を受けて身を清めてから登った。
禊所はオハライさん(御祓いさん)とも呼ばれていました。
恐らく有料だったと思う。
実質的な山役銭(入山料)です。
その時代は上吉田の御師の家で禊とオハライの儀式を済ませてから登山開始して来たであろうし、北口浅間神社にも詣でてきている筈です。
何度も何度も場を改めてお金を徴集しています。
ここには禊社がありました。

順序が逆になりましたが写真1と2は一合目です。
馬返しから約五分登った場所が一合目です。石の鳥居の先に山小屋がありました。
富士山の神様は浅間大権現でありますが、それは古代の天皇系の神話ではコノハナサクヤヒメであり仏教では大日如来であるとこを印象付けています。
その二つが習合した姿が浅間大権現とされていました。

本来は火山...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

吉田口登山道(その1)

2009.09.04 15:40  投稿者:yosidaguti

吉田口登山道は富士吉田の国道139号線にある北口本宮富士浅間神社(省略して北口浅間神社と以下、称する)が基点になります。

現在は富士吉田市役所が富士山登山競争の基点となっていますが江戸時代は上吉田の金鳥居が基点だったようです。それは金鳥居に改め場があり入山料(山役銭)を徴収して切手を発行していたようです。その切手を受け取って先達に引率されて宿舎となる御師の家に向いました。
多くの場合は予め連絡が先達と御師の間で取れていて、富士講の一行を金鳥居で御師の案内人が出迎えていたようです。
フリーの客以外は既に富士講別に専属の宿舎となる御師の家が決まっていたので客引きはしませんでした。この御師からの出迎えは一般の宿場町の客引きとは異なり全て男性でした。
神聖な宗教行事の入り口で穢れた女性(私が言っているのではありません。)に案内されることはあり得ませんでした。
当時の儒学の思想?で女性は全て穢れていると思われていたようです。

余談ですが私は女性は穢れているとは思いませんが魔物だと思う節があります。
男を惑わすか...


>>続きを読む


コメント(1) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

北沢峠テント泊(その2)

2009.08.29 07:39  投稿者:ootaminoru

北沢駒仙小屋の周囲に野生のヤナギランと鳳凰三山の代表的名物タカネビランジが咲いていました。

両者とも種を撒いてその昔植えたものでしょうが毎年同じ場所に咲きます。
なかなか素晴らしいロケーションです。

写真1は竹沢長衛のレリーフです。

写真2はヤナギランです。

写真3はタカネビランジです。
  鳳凰三山に8月上旬からお盆にかけて沢山咲きます。
  色がピンクが濃いので、しかも群生してブーケのように集団で咲きま   すので遠くからでも認識できます。
  とても綺麗な花です。

  北岳にも咲きますが色が薄く白に近いです。
  叉南アルプスの中部の塩見岳付近にも咲きますがやはり色の濃さは鳳凰  三山には敵いません。


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

北沢峠テント泊(その1)

2009.08.28 17:06  投稿者:ootaminoru

テント泊も旅行の一つの文化的形態です。
観光の一つの生活形態です。

平成21年8月25日午前中の仕事を終えて芦安駐車場へ直行し、広河原行き山梨交通バス最終便に乗り込む。広河原で南アルプス市営バスに乗り継いで北沢峠の終点着。

峠から100㍍手前に下った北沢駒仙小屋のテントサイドに幕営する。
料金一人一泊500円です。
今年5月から山梨百名山を一緒に廻っている友との一泊二日の旅です。
友にとってテント泊は初めての経験です。
あんまり寝れなかったそうです。

テント泊(露営)の映画は昔、映画で西部劇でよく見たものです。
荒野に野営して荒くれガンマンが旅をする。
最近は映画の定番、チャンバラに西部劇が少なくなった。無くなった。

テント泊も一つの旅行の形態です。
最近ではテント泊は流行らなくなった。
小奇麗に、荷物を軽く、お金で勝負して、山小屋の食事を何の手間も掛けずに美味しく頂く。山小屋の据え置きの布団に包まって寝る。
お客様です。
大部屋に並んで雑魚寝なので殆どお話も歌も喧嘩も酒盛りも出来ない。
一方、テント泊は自分で調理して...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

北沢峠

2009.08.28 10:26  投稿者:ootaminoru

「北沢峠」懐かしい名前ですね。

北沢峠(2032㍍)が脚光を浴びたのは昭和40年から55年頃でしょうか。
自然保護団体の反対を押し切って山梨県は広河原から北沢峠まで野呂川に沿って林道を開削し自動車通行可能道路を作り昭和56年にとうとう共用を開始した。
この区間の林道は南アルプス林道と称します。
もっともこの区間は当初から自家用車を締め出し、代わりに旧芦安村の村営マイクロバスを登山者の足として有料で共用した。
名目は林業の振興ですが一度も林業に関係する造林や伐採などの作業車の通行を見たことがありません。
標高の高い場所は一度伐採すると何百年も経過しないと蘇生しないそうです。伐採した場所は保水力が失われて崩壊しがちです。
建設当時から大義名分の妖しい林道開発でした。

通るたびに何時も何時も路線の何処かで道路を補修工事していました。
重機が稼動し土砂積載用トラックが時折通行していました。
深いV字形の渓谷の側壁に道路を開削するとは側壁を穿ち垂直な崖面を作りコンクリートの吹き付けで固定しますが何時も何処かで崖が崩れ...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

富士山精進口登山道

2009.08.24 16:34  投稿者:ootaminoru

「精進口登山道」の名前を聞いた事があるでしょう。
最近の富士山のガイドマップ等には掲載されています。
しかし、実際に歩いたことのある人は稀でしょう。
富士山は眺めるものではありません。歩いて登ってみるものです。

精進湖の湖畔から青木が原樹海を突っ切って中道往還を越えて寄生火山大室山を迂回してほぼ真っ直ぐにスバルライン五合目に向います。
そして五合目のロータリーの駐車場に顔を出します。

富士五湖観光連盟発行の09~10エリアガイドマップ
「富士の国やまなし」富士山、富士五湖の魅力が満載2009,5,100
にも実線で途中の合目経過の標準時間を記載してあります。
この精進口登山道は北口浅間神社を起点にした吉田口登山道と同等とまでは行きませんが、それに次いで整備された道です。10年前の状況ですが。
歩道の路面や路肩も整備されていますし、道路標示も要所要所に設置されていて山梨県、土木事務所の管理が行き届いています。

写真1はスバルライン五合目の駐車場から精進口登山道に下る入り口に設置されている道路標識です。
グログ文字...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

船津口登山道追録

2009.08.23 07:42  投稿者:ootaminoru

船津口登山道は富士講が盛んになる元禄時代以降に急速に衰退するようです。
その原因は江戸及び関東八州の庶民に熱狂的に人気が出た富士講は町人であり農民でした。庶民を対象にした観光産業だったのです。
それ以前の船津口登山道は江戸から甲州街道で笹子峠を越えて甲府叉は石和に至りそこから御坂峠を越えて鎌倉街道を歩いて河口に至る武士を対象にした富士登山でした。
富士講が盛んになる以前は武士が主な対象だった。

富士講組織は庶民を対象にしていて客層が異なりました。武士階級は人口の10パーセントと言われています。
大月から谷村を経て下吉田から上吉田に至る通称富士山道が盛んになりました。
この方が富士山に近く途中の宿泊数も少なく便利だからです。

写真1は国道139号線のスバルライン入り口交差点です。
   船津口登山道は別の登山道として識別されている事が解かります。

写真2は河口湖の北岸の河口浅間神社です。吉田口の北口浅間神社に相等す   る場所です。ここを起点にして船津口登山道がありました。

写真3は河口湖口登山道三合目のバス...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

船津口登山道を行く

2009.08.23 06:50  投稿者:ootaminoru

8月4日船津口登山道を実際に歩いてみました。

国道139号線でスバルライン入り口交差点から本栖湖方面へ300㍍の次の交差点名は「船津登山道入り口」です。
交差点には固有の名称があります。それが「船津登山道入り口」交差点なのです。
そしてその交差点の示された道路標識は写真1の通りです。

皆様、「船津登山道入り口」交差点から道路標識に従って「船津口登山道」を進むと何処へ行くのか?どうなっているのかご存知ですか?


結論から言えば昭和38年以前にスバルラインが出来る前の河口湖口登山道三合目までのバス道路がありました。それが道路標識の船津口登山道と言っているらしい。
そのバス道路を探し当てて迷いに迷い終点の三合目バスターミナルまで行って来ました。そこから上は今回、時間がなくて行けませんでした。

が10年ほど前に精進湖の湖畔から徒歩で精進湖登山道を五合目まで三往復しています。その精進湖登山道と三合目で合流してスバルライン五合目の駐車場に到着します。
スバルライン駐車場から先は昔も今も現在の吉田口登山道の六合目に合体...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

真言密教(長谷寺)盂蘭盆会祖霊御迎えの儀

2009.08.19 17:31  投稿者:ootaminoru

旧春日居町鎮目の山の中、真言宗(長谷寺)の盂蘭盆会祖霊御迎えの儀に
参加させて戴きました。

この寺は寺伝に依りますと大変古い歴史を持ちます。
僧行基(*1)や空海(*2)の名前が出てきます。
しかし、寺が出来るもっと以前から、ここは斎場であり縄文時代から弥生時代を経て古墳時代に至る上代、古代の神聖な場所として地域社会から恐れ多く畏敬の念をもって崇められた地域だったのではないかと思います。
したがって寺が建立される以前から自然崇拝アミニズムの地であり、先祖の霊が宿る神々の境内だったでしょう。
飛鳥時代になり物部氏と曽我氏の対立を経て曽我氏により仏教が政治の要に着きます。以後律令政治には国教となります。
長谷寺は山梨岡神社、物部神社、大蔵経寺と関連を持つ古代の一大勢力の神の国ではなかったか。
それに拮抗した新文化勢力として三枝氏の勝沼の大善寺が本格的に仏教を導入して来た。
神社(アミニズム)と寺の文化の違いにより棲み分け以前の時代の衝突が笈焼きと大善寺の鳥居焼を象徴するものではなかったか。
物部氏と曽我氏の争い...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

甲府城17メートル石垣補修工事

2009.08.18 18:36  投稿者:ootaminoru

甲府城の稲荷曲西側の石垣を現在補修工事をしています。
工事監修は山梨県埋蔵文化センターです。
8月11日縁あって工事現場を見学させていただく機会に恵まれました。

この石垣は1592年から1600年にかけて築かれたお城です。
従いまして築城以来420年の年月が経過しています。
築城以来殆ど完全な姿で残っている、今になって関東地方では珍しい野面積(のずら積)工法の石垣です。
野面積とは野性的即ち自然石に近く加工度の少ない岩を組み合わせて築く工法です。

石垣の岩は長い間荷重が掛かりひび割れているもの、岩と岩の隙間を埋める詰め石の抜け落ちた箇所、石垣の裏の割栗石が顔を出しているもの。更に裏側の砂や粘土が表面に顔を出しているものなどなど。
やはり、相当痛んで来ています。

それらの問題点に対して一つずつ対策を講じます。
先ず全ての岩をナンバーリングします。
その記録された岩に対して、叉はその周囲の隣り合った岩との間の取り合いを具体的にどのようにするかを対策設計しそれを記録します。

叉石垣にわかりやすく対策工事の概要をマーキ...


>>続きを読む


この場所を地図から探す


コメント(1) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

雪国のマンホールの蓋

2009.08.17 17:19  投稿者:ootamonoru

 
雪の降る町、北陸の富山市の下水、汚水道のマンホールの蓋です。
下水と汚水の区別が付きません。同じなのか違いのか。
都市として最低限度のインフラの施設が下水や汚水施設であろう。
汚いものには蓋をして目立たないようの隠したり遺棄する時代は過ぎて今やそれを看板にして取組みをアピールする時代に至った。

写真1は雪国の裏通りなどの雪消し促進スプリンクラーのない道路のマンホ   ールです。雪が残りやすいので人間の転倒防止用にコンクリート製の   コーテングが施してあるマンホールの蓋です。
   この技術は甲府市の愛宕山下の英和高校付近の急坂道のマンホール
   の蓋と同じです。

写真2は駅前とか繁華街で車道と歩道が分離されている歩道にあるマンホ
   ールの蓋です。
   凹面に焼く着けのカラー塗装が施されています。


写真3は自動車道路叉は交通量の多い道のマンホールです・


 
マンホールのデザインを含めてカラー化が観光客誘致に熱心な地方自治体に進んでいるようです。私のつたない経験では神戸港の神戸市、横浜、大和郡山市などで...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

海岸寺の石仏

2009.08.03 16:01  投稿者:ootaminoru

北杜市上津金の海岸寺の石仏

この寺には高遠の石工、守屋貞治が刻んだ100体?の観音菩薩石造仏があります。
中世、そして近世において木製や石製の仏は低く見られていた。
その中で形式化せず自由奔放に仏の姿を刻んだものとして
①山梨県の木喰明満
②美濃の円空
③信州高遠の石仏
があります。
何れも山深い関東甲信越から従来の因習に捕らわれない作品を創造した。
何処にそんな創造的な力や感覚が備わっていたのだろうか。
その中で高遠の石工に依る石仏で際立った存在が守屋貞治の作風であり、従来の古典的な仏教の作風を継承しながらも形式化せずに精神美を石に表現した。
叉別な石仏群の見方をすれば
①万治の石仏
②信州麻績の修那羅安宮の石造仏群
③信州安曇野の双体道祖神
④高遠の石工、守屋貞治の石仏
に近世の芸術性や精神文化を育む石仏表現の場が花開いた。

海岸寺は臨済宗妙心寺派の寺です。本尊は釈迦如来でしょうが、観音堂には木造千手観音菩薩です。
国宝でしたが昭和6年に盗難にあって現在はお留守だそうです。
その昭和6年当時に既に国宝になるくらいだから、...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

旧津金学校のロシアの松

2009.08.03 14:15  投稿者:ootaminoru

8月2日山梨県考古学博物館第42回史跡文化財セミナー「津金学校から海岸寺」への野外研修に行って来ました。

北杜市須玉旧津金学校の明治校舎前の校庭に一本の松があります。
ストロープ松だそうです。
明治38年日露戦争終結によりロシアと国交回復を記念してロシアから贈呈を受けて植えたと書いてあります。

この看板を書いたのはつい最近、教育委員会関係者だろう。
第二次世界大戦の戦後民主主義の日本国憲法下の現代風の文言であり、言い回しに相当苦労した文言だと思う。
恐らく、日露戦争終結当時の風潮からは、かけ離れた内容ではないだろうか。
少なくとも明治38年当時に植えた張本人や関係者は「国交回復を記念して、、、」なんてこれっぽっちも思ってはいなかったのではないでしょうか。
ロシアに勝った。国際的には全体的に不利とみなされていたロシアに勝った。一等国になった。それだけではなかったでしょうか。

歴史的事実即ちこの場合の歴史的事実は歴史的心情であり、それをどうのように書くか?
どのように表現するか?
当時の心情を正確に書くのも歴史認...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

大菩薩峠(山梨百名山19)

2009.08.02 05:38  投稿者:ootaminoru

大菩薩峠(1897m)はその昔、江戸に出る青梅街道の峠道でした。
明治11年(1878年)に藤村紫朗県令が街道を整備する事業を立ち上げました。青梅街道の大菩薩峠付近はあまりにも険しすぎるという理由で現在の柳沢峠に移して開削し峠道を完成させました。
従って大菩薩峠は青梅街道の旧道になります。

この大菩薩峠は山梨百名山の内で三番目に人気度があって制定されたようです。「山梨百名山」発行、編集:山梨日日新聞社、平成10年3月30日初版によると、山梨百名山の公募で人気度がナンバーワンは三ツ峠。二位は富士山。三位が大菩薩嶺(2057m)だったそうです。
首都圏から近く二千メートルを越える山として、中里介山の小説大菩薩峠の書き出しは有名で全国区に知れ渡った地名である事等だそうです。

私はそれらに加えてあたり一面が草原である事が人気度を高めているのではないかと思います。
日本の山や高原は雨が多く森林を形成します。殆ど草原は見られませんが、ここ大菩薩峠付近は草原が広がっているのです。
即ち、非日常の世界が広がっています...


>>続きを読む


コメント(0) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

▲Page Top