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八ケ岳山麓の四季折々の詩

自然観察指導員やバードウォッチング案内人をしているインタープリター(野鳥、動物、植物、昆虫たちの通訳者)です。怪しげな言語を操りバードウォッチング、ネイチャー、スノーシュー、トレッキングなどのガイドをしています。八ヶ岳山麓の美しい四季情報を発信します。 http://www5a.biglobe.ne.jp/~nemunoki/

プロフィール

若い時から山登りを楽しんでいます。最近ではヒマラヤのゴーキョピーク、カンチエンジェンガBCパンペマのトレッキングに行きました。「人はなぜ山に登るのか」昔から登山に対する素朴な疑問が語り続けられてきました。「山がそこにあるから」とは登山家エドモント・ヒラリーの名言である。また、イタリアのラインホルト・メスナーは「関心があるのは山に登るという体験であって、山そのものではない」と語っています。私はそんな哲学は持ち合わせていませんが若い頃から数々の山々を登って来ました。学生の頃は興味本位だったかもしれません。サラリーマン時代は一種の逃避だったようにも思います。 ペンションを始めた頃は忙しくて登山をする時間が無かった。一時はペンションの仕事でガイドとして登った時期もありました。60歳を過ぎる頃からは人生の総仕上げとして残り20年(生きられるかな)を自問しながら山登りをしてみたいと思っています。信心深い仏教徒が遍路旅をするように過ぎし日の悪行を詫びながら幾多の苦難を承知で山々を歩きたいと思っています。山遍路旅がどのようなものになるかは定かではありませんが谷を越え尾根を横切り頂を踏み花々を愛で山男(女)たちとの出会いを楽しみながら歩んでいきます。

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念場ケ原(清里高原)の歴史(ぱーと3)

2008.12.06 09:00  投稿者:インタープリターおじさん

ペンション経営も古い人で30年が経過し昭和50年代から若い人たちに支持された清里高原もいつしか陳腐な観光地へと推移し始めました。平成10年ころから次第に観光客数も減少しペンションも新鮮さが薄れ普通の宿泊形態へと変化し新たな客層の獲得の努力が必要になりました。

ペンション経営者も転売を余儀なくされ転出者も多くなり次第に勢力も小さくなり始めました。

山梨の方言で「きたれ者」という言葉がある。昔むかしは念場ケ原は海抜が高く水利もなく人間が暮らせる土地ではなかったのです。

多少入植が速いといつの世も後から来たものに対して「きたれ者」と蔑む空気があるようです。念場ケ原は大昔から「きたれ者」が連続した土地とも言えるようです。

私たちペンション開業者たちも「きたれ者」を古いもので約30年続けています。ここ2~3年は退職者たちが「終の棲家」を求めて山麓に移り住み始めました。念場ヶ原の一番新しい「きたれ者」の出現です。

念場ケ原はどんな推移を辿りどのような発展をするのでしょうか。八ヶ岳の主峰赤岳が静かに見守ることでしょう。


コメント(2) | この記事のURL | カテゴリー:歴史文化産業

コメント

ootaminoru さんへ
ご投稿ありがとうございます。
ootaminoru さんは毎日更新されているようで素晴らしいことと思います。
以前からHPにブログを書いてきましたので特別に今回のインバウンド観光用に書いているわけではありませんが私も毎日のように更新をしていますのでネタ不足に陥る危険が多く苦労します。
今後ともよろしくお願いいたします。
投稿者:インタープリターおじさん: at 2008/12/08 10:23
このシリーズは素晴らしいレポートですね。
胆に響きます。

ootaminoru
投稿者:ootaminoru: at 2008/12/06 18:50

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